第二章 四話目「その信頼は信頼か」
慌てて頭を下げたフィルモアを、メビウスは驚きのあまり、瞬きをしながら見ることしかできなかった。
そのため長い沈黙が自然発生して、それをアンカウンタブルは、「ボク知ーらない」と言いたげにあくびをして口を手袋で覆う仕草をする。
そして、少なくとも一分経ってメビウスは、ようやくフィルモアと話す心の準備が終わり、
「えっと……どこから聞いてた?」
「……魔王様がアンカウンタブル様とお話を始めたその直後からです」
それはつまり、フィルモアはアンカウンタブルの驚かしから始まった一連の会話を全て聞いていたということで、
メビウスとアンカウンタブルの、メビウスが「勇者の力」を持っていて何度も時間を巻き戻していた、という事実がわからないと意味が理解できない会話を全て聞いていたということだ。
フィルモアは、あの話をどう受け止めたのだろうか? あの話はメビウスの魔族を殺した過去に触れていて、それが聞こえていたのならフィルモアは――、
「魔王様」
「……言いたいことがあるなら、全て言うといい」
かつてメビウスは、フィルモアに自分が元人間であったことがバレそうになった時に、とてもフィルモアに怯えていたことを覚えている。
しかし、今はそうはならない。メビウスが「魔王の勇者」として生きると決めた時点で、フィルモアたち魔族ともきちんと向き合って生きていくことも覚悟したのだ。
メビウスは、その強い気持ちを目に込めてフィルモアと向き合うと、
「……私は、とてもバカな魔族です。ですから、魔王様がどのような過去を過ごしてきたのかも、魔王様がどうして死んだと思われているグラシャラボラス様が生きているという情報と、グラシャラボラス様が身を隠していらっしゃる場所を知っていらっしゃるかもわかりません」
「……」
「……でも、私はいつまでもどこまでも魔王様の味方です」
フィルモアは彼女の何かをその目に込めると、メビウスの目を見て、
「私が魔王様の考えていることがわからないのは、魔王様と出会ったその日から今までずっとです。でも……」
フィルモアは少しだけ目を閉じてからもう一度メビウスを見て、
「いつでも魔王様は魔族にとって良いことをして、良い結果を出し続けています」
「フィルモア……」
「魔王様が、そのために毎日毎日魔族のみな様のことを考えていることも知っています」
「……」
「魔王様が、どんなことがあっても挫けずに立ち向かっているのを知っています」
「……」
「ですから、私だけでなく魔族の皆さま全員が、魔王様は信用できる魔族だと知っています」
フィルモアがその目に込めたもの、それは信頼だった。フィルモアは彼女の信頼全てをその目に込めてメビウスを見て、
「ですから、魔王様は魔王様がしようと思ったことに自信をお持ちになってください。私も、皆さまも魔王様を信頼しています」
彼女の信頼全てを、メビウスに届けようとした。
フィルモアの声、仕草、目、その全てにフィルモアの信頼がぎゅっと詰められている。
でも――、
でも、それはメビウスが信頼していい信頼なのだろうか?
それは、まだみんながメビウスをヴァニタスだと思っているから寄せている信頼で、魔王が本当は元人間のメビウスだと知られれば、皆メビウスを拒むのではないだろうか?
「良かったじゃないですカ、魔王様」
「へ?」
メビウスが心の中で悩んでいると、それが聞こえていたのかと言いたくなるぐらいぴったしのタイミングと内容で、アンカウンタブルがメビウスに話しかけた。
「フィルモアちゃんが魔王様のこと信頼してるって言ってるんだから、頼れるまで頼ればいいじゃなイ。それに魔王様……」
アンカウンタブルは、何もかもわかってますよと言いたげに手袋を動かして、
「魔王様のやりたいことをするなら、フィルモアちゃんの力が必要でショ?」
どうして、アンカウンタブルはまるでメビウスの心の中で考えていることが聞こえているかのように、メビウスの考えていることを当てるのだろうか?
そして、アンカウンタブルの言葉を聞いて驚いているフィルモアの方を見て、メビウスはアンカウンタブルが言っていた言葉の意味を説明する。
「実は、グラシャラボラスが人間領の奥にある山にこもっているのは、戦争でこっちから食料とかを送れなくて生活に困っている魔族たちの世話をするためでもある……らしい。だから、その魔族たちもこっちの領土に連れてくるためにフィルモアの転移魔法の力を借りたいんだ」
「なるほど、そうでしたか。もちろん私の力が必要であればお手伝いさせていただきます!」
アンカウンタブルが「本当に説得しないといけないのは、あっちの方じゃないかな?」と言っていた割にはすぐに説得できたことに、メビウスは安心とこれから先のことを考えて不安を感じていると、
「じゃあ、早速人間のところに行く準備でもしようカ!」
「ん? どういうことだ、アンカウンタブル?」
今更ではあるが、フィルモアがいるので口調はヴァニタスのものに戻してある。そしてその口調で、アンカウンタブルに言外に言っている意味がわからないと告げると、
「へーんしン!」
アンカウンタブルがそう叫んだ途端に、アンカウンタブルのローブ姿がマグマのように溶けて、別の体を作り出す。
金色のグルグルしている長い髪、肌は雪のように白く、目は雲一つない空のように真っ青で、空気に触れる腕や足は少しでも衝撃を加えてしまえばヒビが入ってしまいそうなほど華奢だ。
そして、たまごみたいな形をしている顔は笑顔がとても似合っていて、その笑顔を見ているこっちも笑顔になりそうである。
ドレスと鎧が一つになったような青い服に身を包む十台後半と思われる可愛い少女は、ドレスの裾をつまんで頭を下げると、
「アニー・ガリッヂ。ボクが人間領にどうしても行かないといけない時に使う姿です。そして……」
嘘の名前をアンカウンタブルは名乗ると、その笑顔をより一層眩しいものにして、
「アニー・ガリッヂという女の子は、黒目黒髪のめちゃくちゃ強い男の人が好みという設定なので、そこのところはよろしくお願いします!」
「――おい! 何をしているんだアンカウンタブル!」
いきなりメビウスの体に飛び込んで抱きしめてきたアンカウンタブルに、メビウスは驚きやら戸惑いやら困惑やらなどが混ざり合って混乱していると、アンカウンタブルはさらにメビウスの服に肌を擦り付けながら、
「もう、ボクの名前はアニー! アンカウンタブルなんて、めちゃくちゃかっこよくて正直そんな名前でも良かったかもしれない名前じゃない!」
「めちゃくちゃ自分の名前褒めるなアンカ――お前」
「もう! どうしてボクの名前を呼んでくれないの!? もしかして……そのアンカウンタブルって人と不倫してるの? まさか……そんなこと……!」
なぜかアニーという設定から離れずに、迷惑でしかない演技を続けるアンカウンタブル。
さすがに会話に参加していないフィルモアも、アンカウンタブルを止めないといけないと思ってくれたみたいで、
「その、アニー様。魔王様もお困りになっていますし、もうそろそろやめていただけないでしょうか?」
フィルモアのお願いに、さすがのアンカウンタブルももうやめないといけないと思ったのか、メビウスから手を離すとメビウスを上目遣いで見て、
「と、まあこんな感じで人間領では振る舞うのでよろしくお願いします。魔王様!」
「いや、その設定いらないだろ」
正直なところ、中身がアンカウンタブルだと知っていても、見た目は美少女の姿で可愛い仕草をされてしまっては、勇者だったり魔王だったりするメビウスでも、一人の男の子としてドキドキしてしまう。
なので、それをやめてほしいとメビウスは思ったのだが、
「……魔王様、それは本当に申し訳ございません。これだけは無理なんです」
アンカウンタブルが、いつもは見せない真剣な表情で話しているのを見て、メビウスはアンカウンタブルに何があったのかと不安になる。
するとアンカウンタブルは下を見ながら、
「……きっと、魔王様が人間領に行けばわかりますよ、ボクがここまで魔王様に無理をしてと頼む理由は……」
アンカウンタブルは、それだけ言うと暗い顔で何かを呟き始めたので、メビウスはこれは本当に真面目なものだと判断して納得することにした。
しばらくして、アンカウンタブルはようやく呪文を唱えるようにしていた呟きを止めると、
「……で、魔王様も人間領に行くんだから魔族だってバレないように変装しないといけないとって言おうと思ったんだけど、魔王様って見た目が本当に人間ですよね。変装が必要ないくらい」
「そういえば……風呂で体を洗おうとして鏡を見たときとかに思うんだが、本当にそうだよな」
メビウスの今の見た目を知らない人のためにメビウスの姿を説明すると、黒曜石のように黒い髪の毛と同じく黒い目を持ち、兵士として規格外なドレイクと互角に戦えるスペックを持ちながら力を加えれば砕けてしまいそうなほど細い白い肌を持つ体には、それ以外に何も身体的な特徴はなくそれはつまりこの体は実はヴァ二タスが人間から奪った体なのではとメビウスが考えてしまったくらいである。
しかし、人間になって勇者として世界を手に入れるとほかの誰でもないヴァ二タス自身が言っていたこと。凶悪な第二形態があること。そして何よりメビウスが魔方陣を使わずに魔法を使えたことからこの体は紛れもなく魔族の体だ。
「まあ、今回はそんな魔王様の摩訶不思議な体に関しては放っておくとして、これで人間領に行く準備はできたかな?」
アンカウンタブル、以下アニーはメビウスの姿を上から下までじっくり確認すると満足したのか数回頷くとフィルモアの方をかなり大げさに振り向いて、
「じゃあフィルモアちゃん、人間領の王都までまでお願いね!」
「……あの、その王都の場所があまりわからないのですが」
「あ! ごめん、説明をするの忘れてた!」
そして少しだけアニーはフィルモアと話すとどうやら王都に行くための準備を進め始めて、
「よし! 人間領のかなたにさぁー、いくぞ!」
いきなりアニーがこちらを振り向いて指を鳴らすと、それと同時にフィルモアの用意した転移魔法の魔方陣が発動して久しぶりにメビウスの視界が白く染まりーー、
「ここもかなり久しぶり……いや、最後にここにいたのはだいたい今から三年後だから……やっぱいいや、すごくややこしいし」
この先の未来でよっぽどの事が起きなければ一切変わらない、金と赤の二色で表現されたとても美しくてメビウスがかつてここにいたのは場違いだったのではと今更だが思ってしまう城。
人間領の王城であるその城をメビウスはほとんど原寸大で見ながら、アニーは両手を広げてにっこり笑った。
「ようこそ! 人間領王都へ!」




