第一章 十七話目「メビウスの交渉」
人間の中でも当時の最強の一角に入るバハロンを前にして、その事実を知っている一介の人間の戦士でしかないメビウスはつい緊張してしまっていた。
バハロンが名前を知っている有名人ということもあるが、メビウスは彼に強者ゆえのオーラみたいなものを感じているのだ。
バハロンは笑顔をしながらメビウスを見て、
「それで、魔族の王たる魔王が話し合いなど珍しい……あなたはこの戦争の全てを知る唯一の者で、大の人間嫌いだと噂で聞いておりましたが……それはただの噂でしたか?」
「まぁ、そう思っておけば良い」
ヴァニタス本人はきっとバハロンの言う通り大の人間嫌いだろうが、それは話を面倒くさかするので今はバハロンの言うことに都合を合わせておく。
魔王というとんでもない客の対応をしているからか、妙に落ち着きのなく動き回っている人間の戦士が多い中、メビウスとバハロンはついに本題に入った。
「さて……実はつい先程からあなたが起こしになっている理由を探しているのですが……どうしても理解が出来ません」
動き回っている人間とは逆にとても冷静なバハロンは、取り乱すこともなく淡々とメビウスに話し続ける。
「そもそも人間と魔族はこれまで常に力で奪い奪われてきた……ただそこにあるのは生々しい戦争とそれで消える町や生命の死骸だけ。それは血で血を洗う醜いものだ」
メビウスが黙って視線を送る中バハロンはそこでため息をついて、
「……ただ、そんな醜い戦争にも規則があった。ほとんどあって無いようなものだが、それでも醜い戦争を語ることのできない黒歴史にしないための人間と魔族の間にあった不文律というものが確かにあった。少なくともわたしはそう思うが、魔王様はどう思いますか?」
「……確かに、そうだな」
バハロンの問いにメビウスは肯定して、勇者だった時のことを思い出すが、メビウスは四人という少数精鋭で挑んでいるのでほとんどその不文律に従わないといけない場面はなかったし、数回集団戦にも参加したがその時は急に魔族が攻めて来て不文律は魔族側が破り、とりあえず騒ぎを収めようと戦いに参加しているほとんどの人間も忘れていたのだが。
バハロンとメビウスの間に緊張が走り、動き回る人間の中には時々動きを止めて二人の会話の行く末を見守る者もいた。
そして、その沈黙をバハロンが破りメビウスとの会話が再開する。
「わたしと魔王様が共通の考えでありがたいです。ここで意見が分かれてしまってはきっと幼稚な価値観の押し付け合いをしなくてはいけませんでしたから……。なら、ここで魔王様あなたに質問です。
どうしてあなたはレイン村に防衛のための戦士がある程度いるとはいえ、不文律の一つであったであろう相手種族の領土に攻めに行く時は、少なくとも一日前に宣戦布告しなくてはならないということを破ったのですか?」
少なくともその時はただの農民であったメビウスに言われても、ヴァニタス本人の気持ちなど分からない。と言って匙を投げてやりたいがそれは駄目だと心を切り替えて、
「それに関しては謝罪しよう。本当に申し訳なかった」
メビウスがそう言って頭を下げたことで、今度は人間の兵士たちが驚いて完全に動かしていた手を止める。
やはり、魔王という魔族の王の謝罪はたとえ人間であろうと相手を多かれ少なかれ動揺させるのだと考えたが、すぐに魔王がよりによって人間に謝っているのを見れば四天王たちの収拾がつかなくなってしまうと気づき、謝罪を問題の解決の方法とするのはなるべく避けようと心に決めた。
再び訪れた沈黙。そしてその沈黙を再び破ったのはまたバハロンであったのだが、
「それで解決すると思っていらっしゃるのですか、魔王様?」
顔を上げて見たバハロンの顔と今度の彼の声は、今までの淡々とした声とは違って頑張って抑えようとはしているがそれでも抑えられなかった怒りが含まれていた。
「あなたが今回不文律を破ったお陰であなたたちは無事レイン村を手に入れて、随分とレイン村の人間をひどく扱ってくれたそうじゃないですか。だが……」
バハロンはメビウスを強く睨み付けると、
「もしあなた方がきちんと一日以内に宣戦布告してきちんとこの村を守れる十分な戦力を集めることが出来ていれば、この村の運命は違ったかもしれない。違法に占拠して天狗になる魔族にこき使われ、その恥辱に耐え忍ぶことはなかったかもしれない……それに!」
魔王を糾弾するバハロンの声は一言一言を早口で語るたびにその熱が増していき、最後には机を拳で叩きつけて、
「何より許せないことは、魔王様。魔族の王たるあなたが不文律で一番大事なこと――民間人は殺さないということを破ったことだ! それなのに、どうしてあなたが今わたしたちに話し合いをしようなどと言えたものですね!」
村長にも責められた、ヴァニタスによるマリーの殺害。それはこんなにも影響を及ぼしていたのか。
そのことをメビウスはバハロンの表情で悟る。バハロンの怒り、ヴァニタスのせいでバハロンの機嫌を損ねている苛立ち、ヴァニタスがマリーを殺した事実に対する激怒、この心の中の様々な怒りに対する気持ちを押し殺して、
「言わせてもらうが、あれは意図的なものではない。あの子を殺したのは事故で……」
「魔王というのはそんなにみっともない嘘をつくんですか! この村の村長から話は全て聞いています。わたしを騙そうとしても無駄なんですよ! それに、魔王は自らの罪を嘘で固めて誤魔化そうとするような奴とは、魔族はよっぽど酷い生き物なんですね!」
メビウスが今バハロンに伝えたことは事実なのだが、ここまで大声で怒鳴られて怒られれば、もし「勇者の力」の話と魔王に体の中身を変えられたと説明して納得してくれたとしても、
メビウスがメビウスの体を奪った魔王を殺そうとした時には、メビウスは目の前にいる少年がただの農民ではないと断言できる証拠がないまま、ただの嫌な予感で殺そうとしたので、バハロンにきっと「民間人を殺そうとしただろ!」言われるだろうから、もうメビウスがヴァニタスを殺そうとした理由に正当性を持たせようとしても無駄だ。
しかし、メビウスのしたい話し合いを実現されるには、バハロンのそのメビウスに対する見方を、メビウスがしたい話し合いに応じてくれるまでに良いものにしないといけない。
何をどう言えばこの状況を打開できる? 何が正解なのだ? メビウスがそう考えている間にも時間は過ぎる。あまりにも考えすぎて時間が過ぎていけばそれはバハロンの機嫌を損ねる。
そのせいでバハロンが二度と話し合いに応じないと言ってしまえば、今のメビウスには今度はやり直すことも許されない。
一度間違えても何度も間違いを正せたメビウスにとって、このような失敗が一度でも許されない状況は初めてだった。
失敗をするな。
メビウスは自分自身に言い聞かせた。
失敗をするな、失敗をするな。
メビウスは何度も繰り返して言い聞かせた。
失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな。
メビウスは何度も繰り返して言い聞かせている内に、この言葉がメビウスの頭の中でこだましているような気がした。
失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな。
メビウスは自分に言い聞かせたいたはずの言葉に押しつぶされそうになるのを感じた。
失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな。
メビウスは必死にメビウスを必要以上に焦らせる言葉を必死に振り払おうとした。
失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな。
メビウスは振り払おうとしたのに時はすでに遅く、ただ落ち着かせる為だった言葉はメビウスを呪いのように蝕む。
失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗をするな、失敗を――
失敗?
「……確かに、戦う意思も力もない弱く守られる立場である。事故であっても、許されることではない」
メビウスがやっと放った言葉に、バハロンは何も言わなかったが態度は明確な怒りを持っていた。が、メビウスは一切それを気にせずに、
「きっと、殺された彼女も理不尽だと思っただろう。あの世で俺のことを憎んでいるだろうな……大切な兄を見守りながらだろうが」
「じゃああなたは――」
「しかし、夜中にいきなり襲われた魔族の戦士たちはどうなのだ?」
メビウスはここからが正念場だとバハロンの目を見る目力のようなものを込めて、
「彼らは人間との戦いに命を捧げて立派に戦って散っても良いと覚悟し、日々の死ぬほどつらい訓練で鍛えてきたものたちだ」
もちろんメビウスは魔王軍正規軍の訓練の様子を見たことはないが、あのアシュラが並大抵の訓練をさせるわけがないのでまあ嘘にはならないだろう。
メビウスはバハロンの反応を観察しながら話を続けた。
「彼らの魔王軍正規軍に入ろうと思った理由はきっとそれぞれ異なるものだ。それに入った時期も違うしそれぞれが異なる意味を持って正規軍としての日々を過ごしてきた」
こう話している間にもバハロンの怒りは爆発してもおかしくはない。だが、メビウスの一か八かの交渉はここからが最終局面なのだ。
「しかし……いくら彼らの過ごしてきた時間が違おうと! 彼らが魔族の未来を願う思いは同じだ!」
「一体何が言いたいんだ魔王――!」
「魔族の明るい未来の一筋の光がようやく見えたところで、最後に無防備なところを狙って襲われてまともに戦えずに、その思いが道半ばで砕かれた彼らの気持ちがお前に分かるのか!」
バハロンとメビウスは席から立ち上がり――バハロンは単純な怒りから、メビウスはバハロンに勢いで押されないためにと理由は違うが――お互いの怒りを叫び合う。
が、バハロンが今まで冷静だったメビウスの勢いに負けて会話の主導権はメビウスが握った。
「戦う手段を持たない民間人を戦争という名目で殺すのはお前の言う通り悪い事だ。ああ最悪だとも! でもな、もっとたちが悪いのは戦う意思のあるものが、本来力のあるものが存分に力を発揮できない状況をわざと狙って襲い、勝利をもぎ取ることだ! 力のあるはずのものが、何かを成し得る力のあるものが、できるはずだったことを出来ずに終わる悲しみは――!」
――他の誰でもない、メビウスが一番知っているのだから。
メビウスの初めてのやり直し、何度も何度でもマリーを助けようとした時のあのやり直しでの出来事だ。
メビウスはマリーが魔王に殺されることを知っていた、魔王がどのようにメビウスやマリーを殺そうとするのか知っていた、メビウスはこれからマリーに起こることを全て知っていた。
メビウスは、何度も魔王に殺されるマリーを知っていた。
なのに、マリーが殺されるのを防げない。自分が無力だったと笑われるような感覚は、メビウスは最初に何も出来ないままマリーを殺された時よりも、メビウスはそれ以降続くマリーの死の方が何倍も辛かった。
「俺はお前がそんなことをした事を責める権利はない。俺もお前も間違えたもの同士、それに生物とは完璧にはなれず失敗してしまう生き物だ――もちろん、だから俺の失敗はそこまで責められるものでないと主張する気は皆無だが」
また怒りが爆発しそうなバハロンが怒りそうな理由を事前に消しておいて、なんとか会話が途中で終わってしまうのを防ごうとしたのだが、どうやらそれはバハロンの怒りたいけど怒れない今の状況に舌打ちをしたげな表情を見れば、上手くいったように見える。
「だから、これ以上このようなことが起こらない為にも今回の件は話し合いで終わらせたい……俺の話を聞いてくれるか?」
メビウスが思いついた、バハロンになんとか話し合いをしてもらう方法。
それは失敗に厳しいバハロンに失敗をこれ以上せずに解決する方法が話し合いだと思わせることだった。
きっと、さっきの混乱と数える気にならない数のやり直しでの判断が生み出した所業だろう。
我ながらとっさにこんな事を思いついたと思うが、「勇者の力」がなく心から仲間と言えるものがいない今、頼れるのはほとんど自分自身だけなのだ。
だから、今は頼れるものにはとことん頼ならないといけないだろう。
そして、メビウスが言い終えると同時にメビウスとバハロンの睨み合いが行われ続けている。きっとバハロンは迷っているのだ、メビウスの提案をどうすれば良いのかを。
なら、メビウスのあの言葉はバハロンを少なくとも考えさせる効果はあったという事であり、成功だ。
しかし、その睨み合いを参加者が終わらせる事はなく、
「報告です、バハロン様」
いきなり入り口の扉が開いて人間の兵士の一人がバハロンのところに駆け足で近づき、
「――――」
何かを伝えると、そのままその人間の兵士は一歩後ろに下がって他の動きを止めて、メビウスとバハロンの言い合いを見守っていた他の人間のと共に端で立った。
そして、報告を受けたバハロンは、
「はあ、しょうがないですね……」
これまでの怒りがまるで嘘のように優しい顔を浮かべると、
「あなたのその言葉にわたしも折れましょう。さあ、その席にお座りください」
「本当ですか、バハロン様?」
「ええ、もちろんです。その事をあなたに誓います」
メビウスが席に着いたのを確認すると、バハロンも席に着く。
そして先程からメビウスに見せている優しい顔のまま、中断されていた話し合いを再開した。
「確かにあなたの言う通り、この戦争は魔族だけでなく人間も醜い方法をとって本当に醜い戦争を作り上げてしまった。これ以上、この惨劇を醜くしてはいけない。それで、今日は何を求めてこちらに?」
「昨日の夜の襲撃で亡くなった魔族のそちら側が保管している遺体を返してもらいたい。それと……そちら側が捕らえている魔族も解放して欲しい」
メビウスが捕らえられている魔族たちを話しにあげると、バハロンは一瞬だけ驚いたあと、
「わかりました……ただ、こちらからも一つ聞いて欲しいことがあります? 申してもよろしいですか?」
「もちろん、それは何だ?」
「レイン村を、今日から一年の間決して奪おうとしないこと。そして、お互いにまた同じ間違いをしないように人間と魔族で戦争の規定を話し合う場を設けませんか?」
それは、とても良いことだとメビウスは思ったし、あれだけ難しいと思われたバハロンの説得も上手くいって、こんなに速く話し合いが進むのも嬉しかった。
その話し合いさえあればマリーも亡くなることも無かったし、近い未来でメビウスと同じ辛い思いをする人間も魔族もいなくなる。誰もが幸せな世界に少し、きっとほんのちょっとだけでも近づく――?
自分は今一体何を考えていたのだ?
だが、メビウスは直ぐに今はそんなことを考えている時間でないと思い出して話し合いに意識を集中させる。
「ああ、そうしよう。その日が楽しみだな」
「えぇ、こちらも帰還後に直ぐ王様にそのことを進言します。それと……」
そこで話が少し切れると、バハロンの表情がほんの少し、ほとんど元の表情と変わっていないが変わったのだが、メビウスはあまり気にせずにバハロンの話の続きを聞いた。
「実は、遠路はるばるお越しになった魔王様に、素敵な贈り物があるんです」




