第一章 十五話目「何者」
再び訪れたレイン村で見たのは、かつてメビウスが勇者になろうとしていた頃にレイン村を取り戻そうとした時に見た風景そのものだ。
「オラ! さっさと働けクズども!」
武装した魔族――その武装がレイン村を襲った時の魔族の物と同じだからレイン村に襲撃してきた魔族だと思われる――その魔族がレイン村に住んでいてあの襲撃で生き残っていた人間を怒鳴り散らし、たまに暴力を振るって服従させて労働させている図だった。
かつて、初めてこの光景を目にした時の衝撃は今でも覚えている。それはメビウスの魔族に対する憎しみの根源となっていた。
メビウスはフィルモアの案内についていきながらレイン村の見慣れたはずの道を歩き続けている。ちなみにオノメはレイン村の付近で待機中だ。
「おい、お前! 何を見てサボっている!」
メビウスはふとその怒声が気になって聞こえた方向に目線を向ける。すると、レイン村の住民の一人がメビウスを見ていた。そして、その人間を怒鳴りつけた魔族も人間が何を見ていたのかを知って凄い勢いで頭を下げて、
「魔王様、これは申し訳ありません! この人間が大変失礼なことを……」
「別に謝る必要はない……そうだな、とりあえず仕事を続けろ」
「承知しました! ほら、さっさと仕事を続けろ!」
「…………」
偶然話す機会を得たその魔族は、さっきよりもしっかり黙り込んで、そしてメビウスを睨んだ人間を怒鳴りつけて仕事に励む。
その光景に辛いものを感じて、今すぐこれを中止しろと言ってやりたくなるが、メビウスは魔王を演じきるためにらしからなことを避けた。
それは言い換えれば魔族の手から人間を救うために立ち上がった勇者が、我が身可愛さに他の人間を、しかも同じ故郷を持つ人間を見捨てた瞬間である。よくこんな奴が勇者を名乗っていたものだとメビウスは今の自分を責めてからまた歩き始めた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
あの魔族との会話の後しばらく無言のフィルモアと歩いていると、メビウスは時々こちらを見る視線を感じていた。
それは時々人間をこき使う魔族たちが魔王を羨望の目で見ているからかもしれないないが、視線の大部分は間違いなく彼らが長年憎み続けている魔族の長であり、このレイン村の平和な景色を奪い取った張本人がこの地をのうのうと歩き回っていることに対する、レイン村の人たちの憎悪の視線だろう。
本当はレイン村を悲劇に導いたのは今のメビウスの体だが、その時の心はまだヴァニタスのものなのだからメビウスが何かを感じる必要はないし、むしろメビウスは被害者なのだが、なぜかやけに重いドロドロとした重圧となってメビウスの肩にのしかかる。
しかし、同時にメビウスは知っていた。魔族は人間を苦しめて楽しむために傷つけているのではない。人間と同じなのだ。メビウスが、全ての人間が魔族を憎むのと同じように魔族も人間を憎んでいて、その憎しみが魔族たちをあんな行動をさせているのだ。
メビウスには、もし人間と魔族で立場が逆なら人間も魔族をあんな風に邪険に扱うという嫌な自信がある。
やがて、フィルモアの通ってきた道と記憶の中のレイン村の地図を照らし合わせて目的地を知る。それは、レイン村の政治を行っていた、村で一番広い土地を持つ村長さんの家だった。
村長はあの襲撃の後、メビウスとマリーが助かった後に知ったことだが村長はレイン村から消えてしまっていたので、魔族にとっては誰もいないが謎に広くて都合のいい建物なのだろう。
しばらくするとその場所に着き、フィルモアが見覚えのある扉を開けてメビウスは中に入った。
見覚えのある、と言ったのは村長の家に関してはあまり訪れたことがなかったので記憶があやふやだったからだ。
十何年ぶりに訪れる事になった村長の家は、メビウスの記憶の中のそれとはかなり異なっている。
レイン村の生活水準にしてはかなり豪華な家具などが置かれてあった、玄関の奥にある大広間のような部屋はテーブルを残してそれ以外は取っ払われている。
それに、人間の家だというのに人間が一人もいない代わりに先程話した魔族よりも武装した魔族が何人もいたのは一番人間の家としておかしいところだろう。
その中でもテーブルの一番奥に座る魔族、体格のしっかりしていてヒゲの立派な魔族が立ち上がると、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。この度この土地の管理を任された、魔王軍正規軍所属のジュラ・トラックスです」
「魔王のヴァニタスだ」
いつものそっけない挨拶を済ますとメビウスは別の立っている魔族に椅子を用意されたので着席する。
しかし、メビウスはとある違和感を覚えていた。それは、レイン村の管理を任せているのが目の前のジュラと名乗った魔族だという事だ。
なぜ不思議かというと、これはメビウスが勇者になる前にレイン村を取り戻そうとした時の話なのだが、メビウスと戦ったレイン村の最高責任者は魔王軍正規軍の副団長のセーラ・ルナルトだったからだった。
きっと、レイン村が奪われてからメビウスがレイン村を取り戻すまでの間に何かがあったのだろうが、肝心のその何かをメビウスは知らない。
しかし、今はそれを気にしていては仕方がない。メビウスは話をする体制をとると、ジュラのレイン村についての報告を聞き始めた。
「それでは、改めてこの村の今の状況について報告させていただきます。まず、この村を占領した後、我々は魔王様のご指示通りこの村を農作物の生産地にするために、殺さずにおいた農業に詳しい人間たちを働かせています。その人数は約三百人、三十人の魔族にそれぞれ十人の人間を監視させています」
因みにだが、勇者だった時にはメビウスは魔族が奪ったレイン村をどのような目的で利用していたのか聞かされなかったので今初めてこういったレイン村が支配されている時の裏事情を知った。
結構真面目な目的に少し驚いたが、それよりも魔族がそんな風にレイン村を利用するのを許せないのが勇者のメビウスの本音である。
メビウスは今すぐレイン村を解放したい気持ちを抑えながら話を聞き続けた。
「それと、戦死した魔族はここのとなりにある病院に、襲撃した時にこの村の防衛にあたっていて仕方なく殺した人間や魔法に巻き込まれた人間の遺体は墓地に保管していまして、よろしければ名誉の為に散った我々の仲間を弔っていただきたいのですが……」
「一つ良いか、ジュラ?」
「はい、何でしょうか魔王様……?」
ついさっきの話について聞きたいことができて一旦話を止める。そして何がメビウスの気を止めたのだろうと思ったであろうジュラに、
「後で、魔族だけでなく人間の方も訪れても構わんか?」
「じ、人間もですか!?」
魔王の衝撃的な言葉に天と地がひっくり返ったようなものでも感じたのだろうか、聞き取るのが難しくなる速さで、
「魔王様が人間を弔う必要があるのですか! ……あんな、あんな種族は魔王様が弔いなさる価値など――」
「ジュラ様、少しお話しさせていただいてよろしいですか?」
焦るジュラを止めたのは、意外にも今日はずっと黙り込んでいたメビウスの隣に控えていたフィルモアだった。メビウスが少し顔をフィルモアに向けると、
「魔王様は魔王様のお考えがございまして今ジュラ様にお願いなさっています。どういった考えかはこの無能な私には理解致しかねますが、それでも魔王様にクソ種族の遺体が保管されている場所を訪れることを御許しいただけないでしょうか?」
フィルモアがどの魔族にも敬語を忘れないので丁寧な感じになっているが、何と言うか……、フィルモアから漂ってくる雰囲気がか「否定したらどうなるかわかっていますか?」と言いたげなのだ。
ジュラもそんな危険な匂いを感じたのだろう、すぐに笑顔を浮かべると、
「わ、わかりました! 魔王様、お気をつけて……!」
「あ、あぁー、うん。気をつける」
何か不自然な会話を交わしてひとまずこの問題は解決。そして次の話だが、
「魔王様、実は四天王のアンカウンタブル様から伝言を預かっておりまして」
「そういえばアンカウンタブルは先にこの村に向かったと言っていたな……それでその伝言は?」
「それが……調べたいことが出来て人間領に潜入すると」
調べたいこと、とはフィルモアが言っていた探している魔族のことなのだろうか? それとも、その探している魔族が見つかってそれから新しい疑問が浮かんだのだろうか?
「でも……勝手に潜入して大丈夫なのか?」
「魔王様、アンカウンタブル様はとても高い潜入能力をお持ちの方です。あんなクソ種族なんかに見つかりませんし無事にお帰りになられます」
「ん、そうか。あのアンカウンタブルだしな」
メビウスは勇者として戦った時に散々手こずらせられた時にアンカウンタブルの実力をかなり見せつけられたので知っていた。
しかし、それ以上に今メビウスの頭の中にあるのはつい先程からフィルモアが人間をクソ種族と言って、なんだかメビウスと戦った時のことを思い出させていることなのだが……、
「これで、今回魔王様に報告するべきことは以上です。何か他にお聞きになりたいことはございますか?」
「あぁ、今のところ特にない。また聞きたいことができたら聞きに伺おう」
そして必要事項を終えてメビウスはこの建物を後にすると、ジュラも言っていた戦死した魔族の遺体が保管されている病院に入る。
そこでは武装を解除されて死者が着る白一色の服に身を包んだ魔族たちが、一生を全うして静かに目を閉じて眠っていた。
静かでメビウスとフィルモア以外に生きている生物がいない病院の中に流れる、ここだけ時間の流れが遅くてそして重い不思議な感覚に潰されそうになりながら、メビウスはフィルモアに一つ質問をした。
「フィルモア、戦死した魔族はこれだけか?」
「はい、先に戦死者の数は聞いておりましたので」
メビウスは一人一人眠る魔族のところに近づくと、冷たい手を取って「ありがとう」と声をかける。きっと、これは魔族の戦士にとってかなり良い名誉なのだろうが決して最高のものではない。それは今の魔王が本当の魔王ではなく、そしてこの言葉に本心からの言葉でないからだ。その事実をメビウスは今声を掛けた魔族全てに罪悪感と哀れみを感じながら受け止めて言葉を掛け終えた。
これでここの用事は終わり、ついにメビウスは訪れたかった場所――今回の襲撃で亡くなったメビウスの知り合いたちも少なくない人間たちが眠る墓地へと、再び少しの羨望と憎悪が混ざった視線を受けながら向かい始めた。
墓地への道は、メビウスもレイン村に住んでいた時に墓参りには何度も言ったので覚えているのだが、下手に動いても怪しまれるだけなので大人しくフィルモアについていく。
そういえば、フィルモアは今もそうなのだが一切道を間違えておらずメビウスが墓参りに行った時に通った道通りに歩いているのである。フィルモアは以前ここに来たことがあるのだろうか? それに、今まで魔王の心配をして何かと聞いてくれていたフィルモアが今日は歩いている途中に一切話さないのも違和感を超えて奇妙だった。
「…………」
「…………」
しかしメビウスには今のフィルモアに話しかける理由と勇気がなくただ二人が地面を踏む音だけがしては消えていく。
そんな中、メビウスはふと何かを忘れているような気がして記憶を引きずり出そうしたのだが、かどう頑張っても、思い出せたのはもうそろそろ何かが起こるような予感であり、肝心のメビウスが忘れていることを思い出せない。そんな中、
「魔王様、私もお聞きしてよろしいですか、魔王様がクソ種族の死骸が積もった汚い土地に足を運ぼうとお思いになられた理由を……」
そう質問するフィルモアは魔王への敬意は忘れていないものの、言葉に棘のようなものがあって普段より鋭くなっている。
そして、同時に今日初めてフィルモアと一対一で話す機会を得たなと思いながら、
「……怪物が死んでないかの確認だ。淡い期待だけどな」
「そうでしたか……申し訳ございません、魔王様の意図を読み取れずに……あっ!」
本当の目的はもちろん違うが魔王を演じるために何度目かわからない嘘をついて正体がバレることを回避したのだが、フィルモアにはそもそもメビウスの発言が嘘だと考える時間すらなく、メビウスも視界に入ってきた光景に言葉を失った。
沢山の人間の遺体が雑に投棄され血や死体の腐った臭いが蔓延する墓地についたメビウスたちが墓地に座りこんでいた人間、
――かつて、メビウスの初めてのやり直しでマリーを助けてくれた後に、命がけでメビウスとマリーを魔族の魔の手から人間の王都まで逃がしてくれて、そしてその命を散らしたレイン村の元村長がこちらの気配に気づいてよろよろと立ち上がる。
フィルモアが村長を警戒する中、村長は聞き取りづらい老人特有の声で、
「久しぶりじゃな、魔王。あの時以来じゃな?」
「あの時……というのは少し前に俺がここに来た時で合っているか?」
村長はこの質問を無言で肯定する。メビウスはあの襲撃の時に村長と会った記憶は人間だった時も魔王であった時でもないが、本人がそう言うならそうなのだろう。
「なあ、魔王。わしはお主に言いたいことがたくさんあるんじゃ……この年老いて間も無く朽ち果てようとするこの身の胸の中、こんな複雑な気持ちになったのは一体何十年ぶりなのじゃろうな……? でも、まずは……」
その次の瞬間村長は行動を起こして、
「魔王様に何をしたこのクソ老木!」
メビウスに小石を投げた村長は、フィルモアにかつてメビウスがフィルモアの忠告を無視してかけられた重力を増加する魔法をかけられた。
同じ魔法なのでメビウスも一度食らっているからその威力を知っているが、なんといってもメビウスと村長では体の強さが違う。弱い村長の体のメビウスが耐えた重力の魔法を耐えられずに地面に倒れ込み、骨のギシギシと潰れそうな音が聞こえてしまいそうだった。
「フィルモア、もういいだろう。今すぐその魔法を解け」
「しかし魔王様、この屑は――」
「俺がこの村に来ればこうなることは想定内だ。むしろ今まで誰にもこうされなかった方が不思議だ。それに見てみろ、あれだけ同胞が殺されれば怒るのも当然だろう?」
「……魔王様のご慈悲に感謝しろ、屑が」
だんだんメビウスがフィルモアと戦った時のフィルモアの雰囲気になってきたのでなんだか恐ろしくなっている気もしたのだが、そのことについて何か考える前に、村長がよろよろと、残された最後の力を振り絞るように立ち上がった。
「わしは今回殺された戦士については、お主を責める気はない。あやつらは戦うために戦士という職業についたし、特に親しくもない……たまにあやつらの中にはこの村を守っているのだから、何かよこせと言ってくる馬鹿もおったしな……まあ、少数だったが。それでも、それでもじゃ!」
ゆっくりと起き上がった村長は、皺だらけの顔を憎悪に染めてメビウスを睨みつけ怒鳴った。
「無力な村の子供まで殺す必要があった!」
村長が言っている村の子供が誰か、メビウスはすぐにわかった。
「その子供、マリーという名前だろう?」
「あぁそうじゃ! そして魔王、お主がわしの目の前で殺しよった未来のあった子供じゃ!」
メビウスはあの現場に村長が居合わせていたことに驚いた。それだけ、あの時は妹が死んだ悲しみか妹を助けられた喜びで周りが見えていなかったということだろう。
「あの子には、村でも人気者で、妹思いで……困った人は助けずにいられない優しい兄がおっての、あの兄は襲撃があってすぐに妹の安否を確かめに行ったわ! それなのに、お主が殺しよったもんだからあの日から人が変わってしまった……! そして挙げ句の果てにはこの村では見つからんくなったわ……お主が、二人も明るい未来を迎えるはずだった子供の人生を狂わしたんじゃ!」
そもそも、村長が怒っている理由の少年は人が変わったようになったのではなく本当に人が変わってしまっているというより、その少年、メビウスという大切な妹を失った少年はもうメビウスではなくてヴァニタスという怪物だ。そう知っているので少年については何も思わなかった。
だからだろうか、きっと反省なんてしている様子の無いメビウスは村長の堪忍袋の尾を切ったのだろう。今度こそ本気で襲いかかろうと歩き出して、
「屑が」
フィルモアが今度は村長にかかる重力を軽くして宙に浮かせた後、また重力を一気に上げて地面に叩きつけた。すると、村長は呻き声を上げてそして一言も話さなくなった。
「……フィルモア、頼みがある」
「はい、どうしましたか魔王様……」
つい先程とは全く別人のような態度のフィルモアにメビウスは、
「少し、一人にしてくれ」
「……、わかりました」
メビウスのこの言葉をどう受け止めたのかは知らないがフィルモアは元来た道を歩いて行ってこの場から消えていった。
そして一人になったメビウスは倒れ込んだ村長の首に触れて生死を確認すると、どうにかまだ脈が動いていたので安心して村長から離れて遺体の積まれた道とも言えない荒れた道を進んでいく。その一つ一つがメビウスとなんらかの縁があって、時に助け合って時に喧嘩した同じ故郷を持つ大切な人たちであった。
その遺体一つ一つの顔を見るたびに、それぞれの人たちとの思い出が蘇る。たまに村の大人たちも巻き込んだ大きな思い出も有ったが、そのほとんどは、収穫した農作物を一緒に調理して食べたとか、学校で一緒に遊んだとか、そんなふとした日常の一瞬だ。
そんな記憶の倉庫のような場所を彷徨い続け、メビウスはようやく目的のものを見つけた。
その遺体は墓地の隅の方に置かれてあった小さな女の子のものだった。青い髪の毛を腰まで伸ばしていて、顔はメビウスと比べると球のように小さくて丸くて、とても大切なメビウスの妹、マリーだ。
メビウスは黙って服が汚れるのも気にせず地べたに座ると、静かに眠るマリーの顔を丁寧に持ち上げる。乱れた髪を整えて血で汚れた顔を拭ってやると、メビウスの記憶の深いところに残っていたマリーの寝顔が完成した。
こうやってメビウスがマリーの顔を見ていると、メビウスの初めてのやり直しを思い出す。弱いメビウスは何度も何度もマリーを救えずにこの光景にたどり着いた。
でも、一度だけメビウスはこの光景を見なかった事がある。メビウスはそのマリーが救われた世界で魔王を倒して平和を手に入れるはずだったのだ。
それなのに、それなのにそのあったはずの世界は無かった事にされてメビウスの手に残されたのは今この手にあるマリーの遺体とメビウスが殺すはずだった魔王の体だ。メビウスが一つのやり直しでも百回は、合計にすれば一億回を余裕で超えるやり直しの最後に決定した世界は今までのやり直しで手に入れたメビウスの大切なもの全てを奪い、メビウスの存在意義すら否定して。
メビウスは魔王にさせられてからの行動を振り返った。
メビウスの全てが壊された辛さに狂って、そこからは魔王の中身がバレて「勇者の力」が無い弱いメビウスが魔族たちに酷い目に遭わされないように魔王を演じ続けて周囲とメビウス自身すらも騙し続けて、
かつて、マリーに「勇者様はあたしの自慢のお兄ちゃんです」と言わせた勇者のメビウスはどこに行ったのだ?
メビウスは、マリーの顔を上に小さな水たまりが出来ていることに気づいた。それはメビウスが気がつくと同時に数が増え始め、少し近くにあったもの同士でくっついて大きくなったものもできる。
メビウスが泣き声を上げた時にその水がメビウスの目から流れ落ちる涙だと気づいたがもう遅かった。一度崩壊した堤防から沢山の感情の水が溢れて、やがてメビウスはプライドや魔王を演じる偽りの自分の仮面やといった様々なものを捨てて、人間を救うべく立ち上がった勇者は、あるいは魔族の未来の象徴である魔王は、見るも無様な姿を晒してずっと抱えていた感情を全てさらけ出し、子供のようにただただ泣き続けた。
やがて、風が吹き始めて雨が降り出した。が、メビウスはただ泣いて泣き喚いて泣き続けるだけである。
「メビウスは勇者か魔王か何者なのか」、ただただそれだけを延々と問い続けるのを、かつてマリーが育てていたシオンの花畑に見守られながら。
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時刻は朝の六時半、日にちはメビウスが泣いて泣き喚いて泣き続けた次の日のことである。
メビウスはレイン村での生活で身につけていた早寝早起きの習慣を体が思い出し、朝食が運ばれてくる時間よりも早くに起きる事に成功したのだが――、
「魔王様!」
起床と同時にフィルモアが扉を勢いよく開けて入ってきたことにあっけを取られてしまった。
「魔王様、気持ち良くお眠りになられていたところ申し訳ございませんが、緊急事態です!」
「緊急事態?」
状況が理解出来ないメビウスに、フィルモアはこれまで見たことのない焦りを見せてメビウスにことの重大さを告げた。
「奪還した人間の村が、また奪われてしまいました!」




