第一章 十一話目「魔王城を離れて」
先程の悪夢のせいで呼吸は荒く汗はびっしりとこびりついている。まずはその汗を拭こうとして手を額に持って来て、
「魔王様、タオルをどうぞ」
メビウスが寝ている隣で膝立ちになっていたフィルモアが差し出したタオルを使って汗を拭いた。
「ありがとうフィルモア」
「この程度でありがとうはもったいないです魔王様……今日の朝食をお持ちいたしました」
次はおかゆをお盆に乗せたままベッドの上に何故か設置されていた、ベッドを覆うように置かれたテーブルの上に置いてハッと何かに気がついて片手で口を覆った。
「あっ、えっと、やっぱりここまではやり過ぎだったでしょうか? 魔王様のご命令であれば今すぐにでもこのテーブルをなおしていつもお使いになられているテーブルと椅子をご用意いたしますが……」
「えっ? いや、これで大丈夫だ」
「そ、そうですか……失礼いたしました」
昨日と同じように「いただきます」を忘れずにしてから、用意されていた何故か木製のスプーンを使っておかゆを口に運んで飲み込もうとした。が、
「熱っ!」
当然熱いものを冷まさずに口にしたら熱くない訳がなく、熱さに苦しむメビウスにフィルモアが慌てながら頭を下げて、
「すみません! 魔王様がお目覚めになられるのを待っていたらお食事が冷めてしまいついさっき他のメイド達と話し合って新しく温かいものを作り直したのですが、冷めたものの方が良かったでしょうか……?」
あらかじめ用意されていた水を飲んで口を冷ましているメビウスはフィルモアが謝っている内容に違和感を覚え、頭にこびりついて離れようとしない悪夢を一時的に振り払い違和感と記憶を結びつけようとして――、
「あぁ!」
「どうされましたか魔王様!」
時計の針を見て全てを思い出したメビウスは、メビウスの叫びに再び頭を上げたフィルモアに今度はメビウスが勢いよく頭を下げると、
「俺が寝坊してもう出発時間の八時を過ぎてしまってた。本当にすまねぇ!」
突然謝りだした魔王に、フィルモアは動揺を隠しきれず両手を行き場のないままワナワナと動かしていると思いきや、
「ま、魔王様! お願いですから私にそんなことで頭を下げて謝らないでください! そのお時間のことは大丈夫です! たった四時間程度のズレぐらいちょっと予定を変更すれば全くもって問題ありません! ですから! お願いします私なんかに――」
十中八九悪いのはメビウスなのに何故かそれを謝っただけでパニックになられてしまった現状に、今度はメビウスが少しパニックに陥ってしまった。もしなにかの手違いでメグミがこの部屋に来たらメビウスの十時間耐久説教は必至だ。
「そ、それに!」
その言葉をきっかけに二人のパニックに終止符が打たれ、そしてフィルモアは胸に手を当てて心を落ち着かせると、
「魔王様の為に何かをするのは、魔王専属メイドとしての当然の務めですから」
誰もが安心できる優しい顔で、メビウスの心を暖かく包み込んで、
「いや、十二時まで寝てるのに許されるわけないだろ!」
メビウスはようやく自分の失敗が酷いものだと気づいた。
「いえ、そんなことはございません。すでに予定の変更は終わらせていますし……」
「いや、その変更をしてもらった者とか、変更する前の元々の予定をこなそうとしていたみんなに迷惑がかかっているだろ!」
「さすが魔王様です。魔王というやんごとなき地位にありながら皆様の心配をされるなんて――」
「いや、魔王として当然のことをしていると俺は思うのだが……あと、フィルモア」
「はい、どうされましたでしょうか……?」
フィルモアがメビウスのことを不思議な目で見ているなか、メビウスは目の前で美味しそうな匂いをしているご飯を見て、
「その、なんだ……? 残りも食べていいか?」
「はい、どうぞお召し上がりください」
フィルモアに許可をもらってから残っているおかゆを、今度はさましてから口の中に運ぶ。
やはり魔族の飯は美味しくて、メビウスは心の中で何度も美味い美味いとつぶやきながらあっという間に完食した。
そんな朝食か昼食かよくわからない食事が終わり、フィルモアは特殊な形のテーブルと食器を転移魔法の魔法陣を生み出して片付けて、
「それでは魔王様、さっそく出発の準備に入りましょう。今日の魔王様の服はこちらですので、お着替えください」
フィルモアに渡された服を手に取り、ようやくメビウスはベッドから降りてフィルモアがメビウスに背を向けるなか着替え終える。
そして、着替え終わったとフィルモアに報告すると、
「では、魔王城にいらっしゃる皆様が魔王様の出発をお待ちしておりますので参りましょう」
フィルモアに案内されるがままついて行き、魔王城の見覚えのある光景を見ながらメビウスはどこかに向かって行った。
かつてメビウスが勇者として魔王城にやってきた時は、誰かが道を細工して最短距離でヴァニタスとの最終決戦の場所になった「流転の間」につけるようになっていたので、メビウスは魔王城のなかでも知らない廊下や場所がある。
そして、フィルモアがメビウスを案内したところはメビウスも知っている道を通ってたどり着いた、メビウスが勇者として魔王城に入った時に通った魔王城の門だった。
メビウスは複雑な気持ちで門をくぐり抜け、盛大な拍手とともに歓迎される。
そして、歓迎する魔族たちの先頭に立っていたアシュラがメビウスを見て頭を下げた。
「魔王様、道中お気をつけください。特にあの人族の村には魔王様を殺そうとする輩が魔王様のお命を狙ってくるかもしれません――って、言ってから思ったが魔王様にその心配は必要ないよな?」
(後ろで控える人達の無言の肯定)
魔王城で活動している魔族全員が見送りに駆けつけていて、メビウスはその人数の多さにかなり圧倒されていた。
ざっくり数えても確実にその数は百を下らないが、アシュラが魔王軍正規軍の魔族達を連れていくとそれこそ隙間がなくなるから代表で二人だけ連れてきたと言っていたので、魔王城には何人の魔族が関わっているのかと思うと少し恐ろしいような気がしてくる。
ちなみに、メビウスが魔王城に攻めた時にはフィルモアと魔王以外の魔族はどこかに避難していたので、今メビウスの目の前で広がる景色とは全く逆のどこか寂しいような空気が流れていた。
そのこともあってか、隠していたこの感情はフィルモアに気づかれてしまったようで耳元で小さな声で、
「魔王様、見送りの方は十人程度に絞るべきだったでしょうか?」
「あぁそう――いや、大丈夫だ」
今メビウスは彼女がここにいるのかそうではないのかわからないが、何故かメグミが睨みつけているのがわかるような気がしてフィルモアの質問を肯定せずに間一髪のところで否定に変えた。ただ、本当のところは見送りはやめて欲しかった。
「それでは、もうそろそろ出発いたしましょう。ただ……魔王様に熱をお上げになっている方々は一か月も耐えられないとおしゃっていたので、最後に何か一言お願いしますとのことです」
「……フィルモア、何を言えばいいんだ?」
「えっと……この前メイド仲間の皆様と魔王様の魅力について話すことになったのですが、その時話がずれて魔王様に言ってもらいたい言葉をお互いに言い合った時に一番人気は「お前は俺だけのものだ」だそうです」
「それは大切な一人に言う言葉だろ? それにアシュラが驚くぞ……まぁ、考えるわ」
そう言って、強い魔族と戦う際に仲間に声をかけるように言葉を考え、
「あー、お前らちょっと聞いてくれ」
メビウスがそう言った瞬間にその場にいた魔族の全員が一言も話さなくなり、改めて魔王の権力の凄さを実感した。そして間を開けながら時間を稼いでから、
「俺とフィルモアはこれから一カ月この魔王城を開けることになる。俺がいないことで迷惑かけるかもしれねえけど、またみんなの元気な顔が見れるのを楽しみにしてる。だから、魔王城のことは任せた」
「「「「「「はい、魔王様!」」」」」」
メビウスの言葉に全ての魔族がそれぞれの最大音量で返事をしたため思っていたよりも大きな声になり驚いてしまったが、メビウスの顔色を伺っていたフィルモア以外はそれに気づいた様子はなく、アシュラは「正規軍の奴らを見違える程鍛えてやる」と言ったり、大多数を占めるメイド達は「この一カ月は死ぬ気で頑張るわよ!」と言ったりしてやる気を出している。
そんな彼らの注意が再びメビウスに向く前にフィルモアに耳打ちで、
「なあ、これで良かったか?」
「もちろんです魔王様、全ての魔族にとって魔王様のお言葉ほど素晴らしいものはありませんから。皆様の士気も上がっていらっしゃっています」
どちらかというと話した内容について良いか悪いかを教えて欲しかったのだが、何を言ったってこの評価になったのだろうと自分で結論づけてこの不満を抑える。
内容を地位でぼやけさせてしまうなんて、よっぽど魔王という地位は魔族にとって重要なのだと痛感させられた。
なのに、なぜ簡単に魔族側を滅亡に追い込めるこの地位をメビウスはそのように扱えないのだろうか?
「魔王様、そろそろお時間です」
「そうだな、行くか」
フィルモアが魔王城の皆との別れを惜しみながら、用意してあった人力車――ただし引くのは魔族なので魔力車――なんか魔法で動かしているような名前なのでたぶん違う――にメビウスが誘導される。
もちろん魔王との別れを惜しむ魔族達の声――特にメイドの魔族達の声は大きかった、に耳を傾けながら席に座り、
「……何をしているんだフィルモア?」
「これですか? これはこれからこれで移動する際に使っていた方が良いと思った魔法で」
と、フィルモアがその魔法を説明しようと思ったところで、
「魔王様、今回の移動を担当させていただきます車夫のオノメっちゅう――申し訳ありません。普段の仕事の時の口調が出てしまいました」
自分の誤りを謝った魔族は、脚がとても速いと人間の間でも有名だった種族であるチーター族の、笑顔がとても似合う魔族だった。
今もオノメがした失敗を笑顔で笑い飛ばそうとしていて、
「オノメ様、魔王様はそんな改まった態度は望んでいません。その普段お使いになられているお言葉で大丈夫です、よね魔王様?」
「ん? あぁ丁度そう思っていたところだ」
「へぇ、わかりやした……じゃあお言葉に甘えて」
フィルモアがそれを言って良いのかとは思ったが、フィルモアは頑固なのできっとあの口調から変えないというか変える別の言い方といったものがないだろうと思っていると、
「ほなぁ、行かせてもらうで!」
オノメが出発を宣言して走り始めると、周りの風景が気がつけば後ろに消えていた。
「はや……! あぁすまない、思っていたよりもかなり速かったからな」
「そうでしたか……何かご用件がございましたらお申し付けください」
いつも通りにフィルモアがメビウスの事を心配したが、今回は特に長く話すこともなくついさっき用意していた魔法の維持に集中し始めた。
一瞬何の魔法かと思ったが、よく考えればこれだけ速く走っているのに強い風がメビウスやフィルモアに叩きつけられなかったり、座席が激しく揺れるのを感じたりしないことがおかしいことに気づき、それがフィルモアの魔法によって起こっていると判断した。
以前メビウスが勇者だった時にフィルモアと戦っていた時に使っていた魔法から考えると、まあこんな事を魔法でしてもおかしくはないだろう。
「ついたで魔王様!」
「いや、着くの早すぎだろ!」
「それがチーターの速さやからな」
と考えていた矢先にそんなことをオノメから言われて、メビウスは思わず驚きの声を漏らしていた。
時間にして二分も経っていない。しかし、オノメも着いたと言っていたし目的地はここで間違いはないだろう。フィルモアも使っていた魔法を解除して人力車から降りると、
「魔王様、こちらが本日報告をしていただく施設です。都長様がお待ちですので急ぎましょう」
と言ったので、メビウスが四時間も寝過ごしていたので罪悪感も感じながら、素直に降りてフィルモアの案内について行く。
メビウス達以外に誰もいない入り口から入っていくと、少し狭い部屋に一人の年老いた魔族がメビウスを見て深々と頭を下げた。
「魔王様、お待ちしておりました。私は首都ウェーインの都長を務めさせていただいておりますローズベルトと申します」
「……魔王のヴァニタスだ」
メビウスが魔王の名前を言うと、ローズベルトと名乗った魔族はにっこりと微笑んで、
「もちろん存じ上げております。この度はお目にかかれて光栄なだけでなく、こうして魔王様とお話し出来る機会を得られるなんて私はとても幸運な魔族です。それにそれが私が魔王様からお預かりしているウェーインの町で、領土を取り返せたことを報告するというとてもめでたい日なのですから。この老いぼれの最期に魔王様とこうしてお話し出来て、私はとても満足です」
ローズベルトだけでなくフィルモアもそう言っていたが、今回レイン村を魔族が奪ったのを「奪った」ではなく「取り返した」ということになっている。
しかし、メビウスというより人族は全員長く続く人族と魔族との戦争は魔族が人族の領土を実力行使で奪いとったところから始まったと習っている。
だからそのことに何か引っかかるものを感じたが、今はそれを頭の片隅に置いておいて、
「それ……本当に死なれたらなんか俺、責任感じるから元気に生きてくださいよ?」
「ハハ、そうですね魔王様。このローズベルト、まだまだ魔王様や魔族のために頑張らさせていただきます。それでは舞台に参りましょう」
ローズベルトが示した方向には、この部屋とを仕切る場所に一つ、学校の校長先生が行事で毎回長話をする際に立っているところの前にある机のようなもので、少し小さいものがあった。
メビウスが暗い舞台裏から照明や太陽の光が照らす舞台に出て、独断と偏見でその机の後ろに立つと直ぐに、今メビウスがいる場所を向いて規則正しく並んで立っていた魔族達が一言も喋らなくなった。
この状況から、メビウスはフィルモアの言っていた魔族のみんなにレイン村のことを伝える方法が演説だと理解する。
メビウスは肺にたくさんの空気を送って、演説がついに始まろうとしていた。




