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獅子は芍薬を手に  作者: ゆき
2. 覚悟
16/18

16.蕩けるように マリア

ーはあ

これは、マリアのため息。勿論、主の御前にあるために心の中でのものだが。


ピアンは、今朝から元気がない。時々、まろやかな遠山のような眉を軽く顰めている。それに、何百年と続く習慣のなかで育てられた彼女は自然とそれに従い、いつもきちんと髪を結いあげさせているのだが、今日はその絶対的ともいえる習慣を破り髪の半分を背に流している。



ー今日は、髪を結わないで頂戴。半分を軽く括るだけにして。


これは、主の今朝の言葉。


三方を暖かな陽の光、あるいは心地よいそよ風を通す窓に囲まれた場所にいる主は朝食すら喉を通らない様子だ。下げさせた朝食の代わりに置かれた茶器に白い指を絡ませたまま茫然としている。



ー侍医をよぶ?

主に伺いをたてようと、次の間から進みでた。



「王妃様.....」

言いかけたところを主が遮った。

これも、今までにないこと。主には彼女の言葉が聞こえていないのかも知れない。



「マリア。深刻な顔をして。私、何かおかしなところでもあるのかしら?」



「はあ」

答えつつ、主の爪先から頭の先まで視界に収める。象牙色の麻のレースを全面に用いたドレスに艶やかな黒髪が溢れかかった主の姿は大層美しかった。


「お姿にお変わりはあられませんけど....

お顔の色が、少し。侍医に診させた方がよろしいかと思いまする」


彼女が言うと、主は初めて柔らかに微笑んだ。顔色は、青かったけれど。



「いいえ。なんでもないの。だから、その必要はありません」


「でも...」


「ただね、、」

ピアンは、急にシャスアーネ語に切り替えた。


「ただ、お父様やお兄様のことを思い出したの。あの、この国の古い服を着たときに。自分の幸せがあまりに罪深くて...」


「何をおっしゃいます!何も罪深くお思いになることなどありません!」


「そうね」

主は弱々しく微笑んだ。


ーああ、信じていらっしゃらない!


さらに言い募ろうとした彼女を、ピアンは言語をミリオーネ語に戻すことによって封じた。


「.....とにかく、心配することではありません。いろいろと考えることが多かったから.....それだけのことよ」


言い終わると、主が口元を抑えた。


「王妃様.....!」

駆け寄って、細い背をさすり、やわらかな指をとって、茶器からそっと離した。


なお、苦しげな様子のピアンの耳元で囁くように言う。


「王妃様。侍医をお呼びしますよ。よろしいですね...?」


答えがないのを許しが出たことにして、青い顔をした他の侍女たちに目配せする。彼女たちも、目で頷いてそのうちの一人が部屋から出て行った。



******************


ピアンの軽い身体を、数人の侍女の手で寝台まで運びそこに横たえた。

身体を締め付ける紐を解き、ドレスを脱がせて楽な服装になるとピアンの胸が大きく上下し始めた。しっかりと着付けられたドレスは、加減の悪い主の身体にどれほどの負担を与えていたのだろう。


神妙な顔で脈をとる侍医が主から手を離すのももどかしく尋ねる。


「王妃様は...どうなされたのです?」


ぽわん、と頰を赤くして努めて声を低くして侍医が答えた。まるで、興奮を抑えているかのように。



「ご懐妊、と.....」


「まあ!」

マリアは小さくそう叫んだ。自身の頰も紅に染まるのを感じる。



「ま、まことなのですか?確かなことですか?」


「確かでござます。王妃様は.....ご懐妊あそばされました! ですから、このご不調のもとはご懐妊による悪阻、にございます!」


彼が唄うように、叫ぶように言った時にはマリアの他の侍女たちもいつのまにか集まっていた。彼女たちも口々に歓声をあげ、言い合った。


「よろしゅうございましたわ」


「これ程の慶事がありましょうか!?」


「マリア殿、よろしゅうございましたわね。これでお国も.....」


マリア相手に涙ぐむ女もいた。そう、それほどにマリアと主人ピアンは、この、異国ー新たな自国の侍女や人々に馴染み慕われている

のだ。


侍医はひとり残されていることも気がついていない様子で皆と同じように頻りに泣いている。



「さあ、マリア殿。王妃様に.....」


「陛下には私が.....」


その声に我に返って、返事もそこそこに部屋を出た。まだミリオーテ王妃ピアンの懐妊を知らない方の元にーそして、それを最も知らなくてはならない方の元に



********************



清らかな髪を無造作に括って打ち捨て、瞼を閉じている主のもとに駆け寄ると、ピアンは虚ろな瞳を彼女に向けた。

瞬間、目を見開くと眉を下げて心配そうに言った。

「.....どう、したの?」

自身の身も顧みず、顔を紅潮させる侍女を本気で気遣うこの方はとてもお優しい。


それでも、彼女の頰の火照りは消えない。


「王妃様.....。王女様。お聞きくださいまし」

床に膝をついて主の手を絹の布団の上から握り、言い慣れた言葉を紡げば、心が自然に暖まった。主の表情も心なしか和らいだようにみえる。



「ピアン王女様、ピアン王妃様はご懐妊あそばされました.....!!」


ぴくり、と彼女が重ねる主の手が跳ねるのを感じた。


頰を赤らめーちょうどマリアのように 色を蘇らせた唇が動いた。


「.....本当、なの?わたくしが、かいにん?」


ピアンが温かな視線を自身の腹に向け、それから彼女を見る視線は蕩けたようでその幸福を饒舌に語っていた。


そこに、高らかな声が響く。


「陛下の御成でございます」



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