ノーベル平和賞
あの時、おれの人生が終わるかと思った。
ココだけの話だけど、一人で缶ビールを飲みながらテレビのニュースを見ていたときのことだった。
〈フランスの空港でテロとみられる爆破〉
緊急のテロップが奇妙な電子音とともに流れた。さすがに一瞬は何事かと思いテレビ画面に釘付けになった。でも緊急とは言っても日本からは遠いフランスの事件と分かると何かほっとするものもあった。
しかし、ふと先日近所で起こったある事件を思い出した。白昼起きた無差別傷害事件だ。男がナイフを持って次々と通行人を襲ったというのだ。その後のニュースで男は私の住むアパートからそう遠くない住人で比較的真面目、近所付き合いも悪くない、会社での評判もよい、と報じられていた。犯人の男に一体何があったのだろう・・・。その報道を見たとき私は同じサラリーマンの身であり近所に住んでいたという犯人の男と自分を重ね合わせてあれこれ考えさせられた。しばらくの間、頭を離れなかったが、すっきりとした答えは見つからないままだった。
またかよ・・・。相変わらず何をしてるんだろう。同じ人間同士が無差別で、それもこんなことして一体何になる。冷静になって考えてみろよ。いっぱい考えれば分かるだろう。たくさんの人と話をしたら解決するだろう。これから人工知能や宇宙人を相手に戦わなければならない時代が来るというのに、同じ地球人同士で揉め合っているなんてもうやめてくれ!
ちょっとイライラしながらスマホを手にした。今までほとんどツイッターなんてしたことがないくせに今日はつぶやかずにはいられない気分だった。つぶやいたからといって、誰も見てくれないのは分かっている。今までもそうだった。電話をして誰かと話そうかとも思った。誰かにメールしても伝えても良いかとも思った。それでも今は無性にツイートしてみたくなった。不発になるのは分かっていたけど、世界へ向けて発信して訴えるべきじゃないか!少し酔っ払っていたので気が大きくなっていたのだろう。そのままの気持ちを自己満足で書いた。
書くと少し気分がすっきりとした。たまにはつぶやいてみるもんだな、と自分でもそう納得できたし、想像以上の気分転換だ。つぶやくってこういうものか・・・、今更ながらに実感して、しばらく他の番組を見ているとフランスのテロのことはすっかり忘れられた。
再びツイッターを見てびっくりした。
さっきの私のツイートが拡散されまくっている。何かの間違えではないだろうか、と思いながらひとつふたつに目を通してみると、「その通り!」「テロリストに見せてやりたい」など賛同の意見がほとんどだ。間違いなく私のつぶやきに対しての反応のようだ。
おれもやるときはやるもんだな。みんなそう思っているんだな。初めてのことでちょっとだけいい気持ちになりながら見ている間も、どんどん拡散されているようだ。つぶやいたときは、頭に血が上っていた勢いであったが、今は時間が経ち落ち着いている。コメントを読みながら冷静に頭を働かせた。
ちょっと待てよ。これはまさに人事だと思っていた「炎上」なのかもしれない。
「これは、まずいことになってきたぞ…」
不安を覚えた。今は賛同者が多いが、悪い方向になったらどうなるだろうか。
不安な気持ちでもう一度コメントを確認した。「えっ、国会議員までもコメントしている」さらに英語や韓国語など海外からのコメントまで入り乱れている。一体何が書かれているのかさえ分からない。そうこうしていると、アラビア語までも・・・。
テレビから再び不安を煽るような電信音が流れてスマホから目を離した。再び「緊急速報」ようだ。それも放送局が今まで見たことがないくらい混乱しているようだ。急にアナウンサーが現れニュースがはじまった。
「只今入ったニュースです」
緊迫した様子だ。中東情勢に影響のある放送局であるアルジャジーラが緊急記者会見を放送するという。詳細は不明だが各地でテロを繰り返す組織が前代未聞の生中継で記者会見をする模様、と伝えた。
これから何が起きるのであろうか。私はテレビの緊迫感をまったく理解できずにいた。今は緊急とされるニュースよりも自分のツイートの拡散の問題が先じゃないか。あわてて、スマホに目を移すと相変わらず拡散が繰り返されている。その時、私はハッとした。ツイートの中に「アルジャジーラ」や「テロ組織」「緊急記者会見」の文字が頻繁に使われている。もしかして、私のツイートと今のテレビのニュースが関連しているのではないだろうか・・・。そのテロ組織という人たちが拡散されまくっている日本のツイートを読んで反応したのではないか。もしそうだとしたら、日本をテロのターゲットにしようとしているのではないか!緊急記者会見で日本に宣戦布告するのだ!これはまずいことになってきたぞ。
私は一気に不安になった。心臓が今まで感じたことがないくらいバクバクした。そして無意識のうちにツイートもアカウントもすべて削除していた。
しばらく頭の中が真っ白になり呆然としていた。もし日本がテロのターゲットにされたら私が原因なのだ。もしテロの悲惨な事件が起きたら、ツイートしたのはだれだ!何処のどいつだ!ネット上ではあっという間に私という個人を特定され袋叩きになるに違いないだろう。週刊誌やマスコミが押し寄せてくるかもしれない。どうしよう。どうしよう。どこかへ逃げたほうが・・・。それとも食料を買い込んできて居留守を続けたほうが・・・。
我に返りふとテレビに目を向けると、テロ組織と思われる人たちが何かをコメントしている様子を中継していた。そして中継とあわせてコメントの内容を解説している専門家の男性が映し出されていた。しかし話されている内容は全く耳に入ってこなかった。右から左へ流れるばかり。袋叩きにあっている自分の姿が脳裏から離れないからだ。
〈テロ行為無期限中止宣言〉
再びテレビからは電子音が流れ、いつもより大きなテロップが表示されていた。一文字ずつゆっくり読んでみた。中止?テロを?全然理解できない。テレビの画面は相変わらずアナウンサーや専門家の男性が興奮状態で混乱している。中継とVTRが繰り返され情報が入り乱れている。どういうことだろう。日本をテロのターゲットにするのではないのか?文面からするとテロ行為をやめるということだろうか。テロをやめるということなら話は全然変わってくる。私はさっきよりも冷静さを取り戻しつつあった。
しばらく混乱が続いたテレビも落ち着き始めていた。やはりテロ組織は、今後無差別なテロ行為は行わないという趣旨の記者会見のようだ。とは言え情報は少なく詳細は分からないと繰り返す。なぜこの様なことになったかについては詳しくは述べられていないが、ある国のSNSによる平和へのメッセージが影響したのではないかと専門家が記者会見の模様から推測していた。
改めてスマホを手にして恐る恐るニュースやサイトを覗いてみた。さすがにテレビより事実か否かは別にして踏み込んだことが書いてあるようだった。
「テロ組織が無期限中止宣言をした理由」
「日本人によるSNSがテロ組織の宣言に大きく影響」
「テロ組織が影響を受けたとされるツイッターは現在は削除され閲覧できない状態」
私はひとつひとつのニュースやサイトを食い入りように読み漁った。緊急のニュースで放送されていたこと。それに関する経過や理由、や詳細。専門家といわれる人たちの意見。一般の人の書きこみ。点と点が少しずつ線となっていった。
でも一番重要なのは、私個人が特定されているかだ。名前や住所が晒されていないか。もしかしたら雑誌やテレビの記者がすぐそこまで来ているまかも知れない。だから私は一生懸命探した。とにかく探した。必至で探した。
どれくらい時間が経ったのだろうか。気がつくと外が明るくなり始めていた。そしてテレビはいつもと変わらない朝の番組が静かに放送されていた。私もいつもと同じとは言わないまでも気持ちは落ち着いていた。今のところ私個人を特定されるまでは行っていないようだ。ほっとした気持ちに包まれていた。
数日後、ニュースは一段落してまた新しい事件をクローズアップしはじめていた。世界は平和へ向けて少し変わろうとしていることは感じられたが、心配していた私の生活に変化はない。誰もこの私が酔っ払ってつぶやいたことが元となり世界が変わろうとしているとは思っていないだろう。今になってちょっとだけ残念に思うのは、ある専門家のコメントで「今回のツイッターはノーベル平和賞に値する」と述べられていたことだ。ノーベル平和賞かあ。もらってもよかったかなあ。授与式に参列した自分を想像してみた。