第34話 氷狼王フェンリル(1)
俺のもとに勇者軍メンバーが集まってくる。
どうやら各個撃破できたようだ。
「お座り」
「……クゥーン」
アンナなんて双頭犬を調伏したみたいだしな。
彼女を見る四つの目が怯えているけど一体何をしたのだろう……考えるのも恐ろしい。
さて食糧庫の方はどうなったか向かおうと思ったら向かってくる巨人の集団がいる。
戦士団が負けて押し寄せてきたかと身構えていたらどうも様子がおかしい。
近づいてきて分かったが人狼を先頭に熊人や海豹人も混ざっているのだ。
「クロウ様!緊急事態です!」
シンフィーを始め、アンガートゥールとヘルボールが俺の下へ転がるように走ってきた。
「食糧庫にて種族名をヨトゥン族と名乗った巨人と交戦中、魔獣が出現しました」
シンフィーの一言で一気に周りの空気が張り詰める。
ちなみにヨトゥンは命の保証を求めて降伏したようだ。
向こうは食べ物略奪する程度の奴らだったしな。
それでも油断なく獣の三種族が周りを囲って警戒しているが。
「魔物の見間違いではないのですね?」
「周囲のマナが蠢き、巨大な狼の姿をとりました。
伝説に聞く氷狼王フェンリルかと思われます」
エリザの問いにシンフィーが答える。
魔獣。
魔物とは異なり、最早災厄に近い存在。
監獄冥府タルタロスで戦った地獄の番犬ケルベロスを思い出す。
かなり痛い一撃を受けた。
下手をしたら死んでいたかもしれない。
あれのような存在がすぐそこにいるというのだ。
「現在、ヴァーガが足止めしている。
すぐに向かってくれねえか!?」
「頼むよ、クロウ!いやクロウ様!!」
ベルンの二人は初対面のイメージを覆して俺に頼み込んでくる。
女神の加護を受けた勇者でもない彼が、魔獣を相手にするのは命知らずな行為である。
そしてそれはどこぞのベルンを思い出させる。
恐らくそれで彼らは必死に助けを求めているのだろう。
しかしフェンリルか。
「フェンリルに氷の魔術は効きづらいのか?」
「恐らくは。口から吹雪を吹いてましたからね」
なんでかゲームのフェンリルって氷属性が多いよね。
元ネタの北欧神話ではそうでもないのだけど、北欧ってことで寒いイメージでもついたのだろうか。
雑学はさておき、フェンリルが氷の魔術に耐性がある。
つまりそれは。
「となると私が向かっても戦力にならないでしょう」
そうなのだ、エリザは氷の魔術がメインウェポンだから相手が悪いのだ。
「確か他の水属性魔術は苦手なんだよな?」
「はい」
液体である水やそれにおける癒しの魔術は苦手らしい。
治癒はともかく、ハイド師匠曰く液体状態の方が基礎なのに応用の固体状態の方が得意なエリザはよく分からんな。
まあ水の魔術がフェンリルに凍らされる可能性もあるので、使えたとしても奴相手では変わらないのだが。
「エリザは残って皆の指示を頼む……俺と一緒に行くのは」
そこまで言うと、ずいっと七人が俺の前に出てくる。
「俺とヘルボールはヴァーガを救出する……生きていればいいが」
アンガートゥールは生存率の低さを嫌というほだ分かっているのだろう。
悔し気に歯を食い縛っている。
「メリーはどこでもパパと一緒だよ!」
「…………」
メリーとアルヴィナは何を言ってもついてくるだろう。
魔獣相手では命の危険が高い、だから何故か優先順位の高い俺を守るためこの白い自動人形はここに残れと言っても聞かないと思われる。
メリーに至っては俺の影であり娘なのだから当然だ。
「私達も行くわ」
「解体……」
アンナとジャックの兄妹も行くと言う。
「アンナはケルベロスと戦ったことがあるとはいえ大丈夫か?」
「ええ。今回も援護射撃するわ、オルトロスに乗って」
なら大丈夫だろう。
二つの首が攻撃を見逃さずに避けてくれるだろうし。
「ジャックはエリザについててくれないか」
「…………」
アルフォンス師匠がついていてくれるとはいえ、エリザが心配だ。
婚約者だしな。
だけどジャックも妹であるアンナが心配なのだろう。
血のつながっている唯一の家族なのだから。
「兄貴、私からもお願い」
アンナもジャックの事が心配なのだろう。
前衛だから彼女より危険が大きいはずだ。
妹の頼みには弱いのか引き下がってくれた。
後でアル爺に彼の武器の点検修理を優先してもらうよう言い含めておこう。
で、問題児だ。
「アタシも行くぞ!」
ぶっちゃけシャーリーはリューカオーさんから預かっているようなものだから、連れていくのはなあ。
万が一があったら申し訳がたたない。
「シャーリーは……」
「残らないからな!無理にでもついていく!」
強さにこだわる彼女が残ってくれる希望が無いのは分かっていた。
無茶をしないこと、あくまで俺メインでの攻撃を条件に連れていってやることにした。
シャーリーは喜んで俺の腕に抱き着いてきたのだがエリザとアンナの機嫌が悪くなった。
特にアンナは俺の腕に押し付けられてぷにゅっとつぶれる胸を睨みつけている。
急いで食糧庫方面へ向かう。
急に吹雪いてきた。
こんな局地的な吹雪などあるのだろうか。
まあ恐らくフェンリルの仕業だろう。
巨大な灰色の存在が見えてくる。
二回りも小さいであろうオルトロスは怯えだした。
あれが氷狼王フェンリル――
「ヴァーガ!!」
「……遅かったか」
ベルンの二人がそう叫びながらも獣化して回収に向かっていく。
恰幅のいい戦士はそこら中を食い千切られていた。
もう生きてはいまい。
言葉を交わしたのは僅かな時間であった。
だが彼の醸し出す雰囲気、同族を逃がすため立ち向かった姿勢。
決して悪い人ではなかっただろう。
「二人が遺体を回収するために注意を引き付けるぞ!!」
二人の後を追い、猛スピードで接近する。
ケルベロスと同じくらいの大きさの狼が俺に向かって低く吠える。
「グオオオオオオオオオォォォォン!!」
ビリビリと空気が震える。
俺とアルヴィナ以外は足を止めて耳を塞いでしまっている。
オルトロスに至っては完全に怯えてしまった。
フェンリルが大きく息を吸い込む。
そして吹雪が吐き出される。
「うおっ!?」
寒いし混じる雪で視界が悪い。
凄まじい風圧に耐えるため、両脚に力を込めて踏ん張る。
メリーは俺の影の中に、アルヴィナは相変わらず無表情のまま耐え、アンナはオルトロスにしがみつき、シャーリーは四つん這いになりながら吹き飛ばされないようにしている。
ベルンの二人は撤退できたようだ。
フェンリルは口から吹雪を出すのをやめる。
だが口を閉じた瞬間、とんでもない速さで飛びかかってきた。
転がって回避する。
雪が冷たい。
他の3人の無事を確認する余裕もない。
「〈獣の王は暴れ狂う〉!」
メリーはそう叫ぶと体が真っ黒になり、少女の姿から一本角を生やしたライオンへと変貌した。
フェンリルに比べたら小柄だが、フェンリルの噛みつきを悠々と躱し、隙あらばと額の角を突き刺そうとしている。
その姿はまさに獣の王者であった。
メリーが引き付けてくれている間に仲間たちの様子を見る。
オルトロスが完全に怯えて使い物にならない以外は問題なさそうだ。
「アンナ、遠くから狙撃してくれ」
「……分かったわ」
自分とフェンリルとの力量差が分かっているのだろう。
手も足も出ず、前線で戦えないことを悔しそうにしていた。
だが命あってこその物種だ。
彼女には後方支援してもらう。
アルヴィナと共にフェンリルに接近する。
彼女は長い柄のメイスともポールウェポンとも言えそうな武器を思いっきり振り下ろす。
だがフェンリルはその巨体に見合わない速さで躱してしまった。
鉄槌が凍った雪を粉々に砕き、大穴を開けた。
「はああああああああっ!」
アルヴィナの攻撃を避けたフェンリルに向かって俺は勇者の剣を振り払う。
僅かな手ごたえを感じたがかすり傷のようだ。
「グルルルルルルル」
だがフェンリルにとって傷の深さは関係ないらしい。
とてもプライドが高いようで、俺に傷つけられたことに大層お冠のご様子だ。
フェンリルが至近距離で大きく口を開けた。
吐かれた冷たい息が俺に吹雪が来るぞと教えてくれる。
「〈獄炎の吐息〉!!」
相手と同じ魔獣の力である地獄の炎を吹き付ける。
熱と冷気がぶつかり合う。
どうやらなんとか相殺してくれているらしい。
ヒュンヒュンと矢が飛来する。
アンナの狙撃だ。
動いているフェンリルに当てるのは至難の業だったらしく、飛んでこなかった。
だが吹雪のブレスを出す際は動けないようである。
動かなければデカい的だ、ましてやアンナなら外すはずがない。
動けないフェンリルに更にアルヴィナとメリーが飛びかかる。
フェンリルは吹雪を吐くのを辞めて避ける。
だが俺の〈獄炎の吐息〉がやつを僅かに炙った。
焦げる臭いがする。
「グウオオオオオオオオオオオォオオオオオオオオオン」
フェンリルが今度は大きく吠える。
完全に怒らせてしまったらしい。
俺ですら思わず足を止めてしまった。
フェンリルから異常なほど冷たい、いや最早肌を刺激するほどの冷気が発せられる。
怒ったはずの奴はむしろ冷静にこちらを観察していた。
嫌な予感がする。
攻撃を当てた俺に意識は割いているが、別の誰かを狙っていると俺の本能が訴えかけた。
その目線の先には。
「あ……」
シャーリーだった。
ヨトゥンとの戦いではとてつもない力を見せたとエリザから聞いていた。
だが魔獣はヨトゥンなどとは比べるまでもない強敵だ。
さっきの攻撃チャンスだって彼女は参加できていなかった。
強さにこだわる余り、ついてくると言って聞かなかったのだが、やはり魔獣の迫力に押されていたようだ。
ゲームでのボス戦で、取り巻きの雑魚がいるなら雑魚を排除していくのは鉄則である。
フェンリルもまた、シャーリーが前衛4人の中で一番弱いと見なしたのだ。
フェンリルの巨体が飛び上がる。
「シャーリーっ!!!」
俺は彼女に呼び掛ける。
避けろ、と。
だが彼女は呆然としたまま飛びかかってくる巨体を見ていた。
「クソっ!」
走る。
シャーリーのもとへ。
シャーリーとの距離がどんどん縮まるが、それはフェンリルも同じだ。
俺が先か、フェンリルが先か。
先に辿り着いたのは俺だった。
間一髪だった。
もう少しでシャーリーは大きく開かれた口で食われていただろう。
間に合ってよかった。
「クロウ」
泣きそうな声でシャーリーが俺に呼び掛ける。
だが俺は答えてやることができなかった。
右肩から先が無くなっていた。
血がぶしゃーっと吹きあがる。
痛い。
こっちに来てから今までで一番痛い。
食いしばった歯の隙間から荒い息が漏れる。
「パパ!」
メリーが驚愕の声をあげる。
腕をやられた以上に持っていた勇者の剣が食われたのがデカい。
あれ無しでこいつをどうやって倒せばいいのか。
フェンリルの口が吊り上がった気がした。
笑ってやがる。
自らに傷をつけた、愚か者の腕を喰ってやったと。
フェンリルの口が大きく開く。
今度は俺の身体全部を食うつもりなのだろう。
丸呑みにするのだろうか。
それとも噛み砕くつもりなのだろうか。
俺はもう諦めていた。
絶望していた。
視界が黒く染まる。
こんな時にあの絶望の闇を感じていた。
『この程度で諦める奴に世界が救える訳ないだろ』
俺の声が聴こえた。
『仕方ない、特別サービスだ。すごく痛いから頑張って我慢しろよ』
その声を皮切りに視界が元に戻る。
そして肩の切り口にとんでもない激痛が走った。
さっき腕を食われた痛みなど、蚊に刺されたとでも言えるくらいの激痛が俺を苛む。
「があああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
肉をえぐるように。
骨を砕くように。
ぐちゃぐちゃ、ばきばきという嫌な音を立てながら真っ黒な腕が生えてきた。




