int.4 女盗賊の胸中
ホーホーという梟の鳴き声とウォーンという狼の遠吠えが夜空に響き渡る。
闇に包まれた森の奥から明かりが漏れる。
その明かりを目敏く見つけたのは大きなウサギ。
成人男性がなんとか腕に抱えられるほどか、そして特徴的な後ろに沿った二本の角が生えている。
光源は燃え盛る焚火であった。
一見するとヒューマンの少女にしか見えない小さな火の番が焚火の具合を見ている。
角の生えたウサギは茂みの中から隙を伺う。
本来ウサギは大人しい草食動物なのに人を襲おうとしている。
つまり魔物。角の生えたウサギの魔物は少女を狙っているのだ。
少女の意識が完全に焚火に集中しているのを感じて飛び出す。
無垢な命が二本の角に貫かれ――
なかった。
少女はウサギが飛びかかってくるなり、振り向いて首元に短剣を差し込んだのである。
その顔は整っており美少女といった風だが、表情は覚悟を決めた戦士のものであった。
そして彼女の耳は少し尖っている、それがヒューマンとの違いを物語っていた。
「炎に恐れず飛び込んできたから予想はしていたけど、やっぱり角兎ね」
ボギーの女盗賊、アンナである。
戦闘になってしまえば意味はないが、魔物の中には獣のように炎を避けるものがいる。
ホーンラビットは炎を恐れず、むしろ人がいる目印にして近寄ってくる厄介な魔物だ。
だが二本の角は様々な用途があるし、肉は美味だし、メスなら乳は万能薬の原料となる。
西の王国で魔物退治を生業としている冒険者にとっては恰好の獲物であった。
アンナは慣れた手つきでホーンラビットの血抜きの用意をしながら横になっている男の姿を見やる。
死んだように寝ているのは勇者クロウだった。
監獄冥府タルタロスで地獄の番犬ケルベロスを倒してから彼は意識を失った。
それをアンナとメリーで外に運び出し、アンナ率いる盗掘団が行きで休憩したこの場所まで移動してきたのだ。
メリー曰く、クロウの命に別状はないらしい。
勇者はしばらく寝ていれば、魔力で怪我を再生できるそうだ。
具現化しているとクロウの魔力を少し消費してしまう、少しでも早く回復してもらうためにもとメリーはクロウの影の中で休んでいた。
もちろんアンナもかなり体力を消耗しているので、時間が来たら呼び出して見張りを交代してもうつもりだ。
「しっかし勇者様ねえ……。どっちかっていうと盗賊や死霊術師の面にしか見えないけど」
本人が寝てるのをいいことにとんでもなく失礼なことを呟くアンナ。
「だけど精霊を従えているのといい、ケルベロスを倒したのといい、勇者には違いない」
この世界に存在する精霊はマナの運営者とも呼ばれている。
魔術師に魔力を渡してもらって魔法を代行する魔術があったり、エルフたちとは言葉を交わすようだが、彼らが人に従うことはほとんどない。
唯一、彼らを付き従えるのは魔王退治の使命を帯びた勇者のみ。
そう、紛れもなくクロウは勇者なのである。
「でも伝わってる勇者とは大分違うんだよね……」
勇者は前世の記憶を持ってこの世に生まれてくるという。
そのため幼いころから賢く、使役神からのお告げを聞くので発見できるというが――。
「メリーの話を聞く限り、そうじゃないって言うし」
クロウがこの世界にやってきたのはほんの2日前だという。
どこからやって来たのか、というのもあるが最も大きな疑問は、
「戦士でもなかったっていうヒューマンがあそこまで戦えるなんておかしいわ」
500年前のイルグランド連合王国とガルニア帝国が一つの国だった時、勇者は発見され次第王族の元で保護され訓練を施されたそうだ。
勇者の剣を振るうための剣術の訓練を。
今や高貴なる森妖精と勇者のみが使える魔法を十全に操るための訓練を。
だというのにこの男はポっとこの世界に沸きだした上に、必要な数年の訓練をすっ飛ばして剣も魔法もそこそこに操っている。
無論、闇の精霊であるメリーのサポートがあってだが。
それを考慮しても異常であった。
アンナは危機を救ってくれた感謝もあったが、タルタロスから抜け出すため利用するという打算で彼に食べ物を分け与えた。
話をしていたら彼に悪意があるのは感じられず、ヒューマンにしてはいい奴だと思う内に腹黒な計算は消えて仲間意識が浮かんできた。
それでもボスの判断を仰がずに、反帝国軍への参加を誘う理由にはならない。
目を付けたのは高位アンデッド、レギオンの攻撃を一人で凌ぎきった彼の力。
通常、レギオン相手に何人もの盾役が必要なそれを一人で成したのだ。
この男は「反撃する暇がなかった」なんて言っていたが、それこそ反撃していたらとんでもない偉業だ。
この男を敵にしてはいけない。
仲間意識が感情に満たされる中、本能はそんな警告を発していた。
いくら仲間想いで慕われる(ボギーの中ではかなりの美人ということもあったが)とはいえ、だからといって集団の長が務まる訳ではない。
時には非情な判断が求められることだってある。
レヴナント共に襲われたとき自ら盾となってくれたとはいえ、彼女は仲間を切り捨てて逃げ続けた。
情けない自分への怒りが沸いたが、熱くなった心を冷却してすぐに割り切った。
ガルニア帝国に対し復讐を誓ったあの日から、彼女の心は同族を守ろうという親愛と敵を倒すために犠牲はいとわないという冷徹さが同居していた。
仲間想いな性格と合理的な判断が矛盾して複雑に絡み合った心はクロウに対し、命の恩人でいい奴だが得体の知れない実力を持つ危険な男と評価した。
だからこそ、能力を隠すなと彼に約束させて自軍に引き入れることにしたのだ。
「とんでもない拾い物をしちゃったかな」
この男なら私たちに味方して、憎き帝国を倒してくれる気がする。
彼を危険視してるくせにそんなことを思う彼女はつまり――
「私、なんだかんだで彼に期待しているのね」
自覚したら冷ややかな心が温められるようだった。
そんな慣れない温かさにくすぐったさを感じながら、彼女は暖かな炎の具合を見るのだった。
クロウはほつれた彼女の心の糸をほどけるのか!?