第1話 選ばれし勇者
よろしくお願いします。
俺、黒森朝太は仕事をしている最中、頭上に鉄骨が降ってきて死んだ。
スローモーションで落ちてくる鉄骨を瞳に移しながら走馬燈が走る。
あー走馬燈って本当なんだな、なんて軽くそのときは思った。
ホワイトとは言えない職場で走り回りながら働いてた俺は大分精神がやられてた。
辞めようと思うくせに、収入の面もあるが決断力の無さでズルズルと続けていく。
仕方ないの一言で自分の本心を殺す。
あそこでああすれば今はもっと楽だったはずだ。このときやめておけばよかったんだ。
そういった後悔の念に沈みながら、抗わずに流される人生を送った。
人生がこんな終わりなのかという気持ちとああやっと解放されるという気持ちが複雑に絡み合う。
死ぬことに未練があるかと聞かれたら、
両親より早く死んで親不孝者だという申し訳なさと、クリアしていないゲームがあることや漫画ラノベが完結まで読めないことぐらいだろうか。
そんなことを思ってるうちに度し難い衝撃が身体を包み、俺は意識を手放したのだ。
目が覚める。
俺はコールタールのような黒い泥から浮上した。
なぜか服を着てない全裸の身体にまとわりつく泥は、ごっそりと精神を削るような不愉快さを伝えてくる。
空は灰色の雲が覆い、間を覗く日の光がうっすらと辺りを照らす。
目の前には腰の高さまでの泥沼が続いている。
俺は確か死んだはずだ、思い出すことすら拒否したくなる衝撃があれは夢ではないと物語っている。
今目に映ってる光景の方がよっぽど非現実的だが、五感が伝えてくる情報がこれもまた現実だと結論づける。
いつまでも黒い泥に浸かっているのは不快なので、無気力だったが身体を必死に動かして泥の海を進むことにした。
身体にまとわりつく泥沼はまるで生きていた時に自分の行く手を阻んだ困難のようであった。
ここは地獄だろうか。
俺は地獄に落ちるような悪いことをしただろうか。
自分の意思で何もしなかったのが悪かったのだろうか。
死してなお陰鬱な気持ちに沈む。
死んで開放されたと思ったが違ったらしい。
泥を進む度に何も選ばなかった自分の人生が映像のように頭の中で再生されていく。
生前折られた心が死んでからは粉々に砕かれる。
それでもしばらく前に進むとようやく陸が見えてきた。
陸は灰一色であった。
灰の大地とでも言うそれは地平線の彼方まで続いてるようだ。
陸に這いずるように上がり、顔を上げるといつの間にか現れた人影が俺を覗き込んでいた。
ソレは真っ黒なフードを被って真っ黒なローブを身にまとった骸骨だった。
「迷子の勇者くんコンニチハー!死神グリムヘルがお迎えに参りましたー!気分はどーう?」
死神と名乗る骸骨は、その恐ろしい見た目とは裏腹に軽い口調で言い放つ。
声からして性別は男だろうか。
死んだ自分を死神が迎えにきたのはすんなり理解できた。
しかし俺は勇者と呼ばれた。
俺が勇者?愚者の間違いなんじゃないか?
「あー、突然のことで何がなんだか分からないか。そりゃそうだ。
兄さんはね、死んで勇者に選ばれた魂なんだよ!一等賞おめでとさん!んで名前なんていうの?!教えて!」
死神は骨の手でどうやってかパチパチと音を鳴らして拍手して、ハイテンションで俺の名前を聞いてくる。
「俺は黒森朝太だ。勇者に選ばれたってどういうことだ?」
死んで永遠の休息を得られるかと思っていた俺はそう尋ねた。
「アスタの兄さんがいた世界とは別の世界で魔王が誕生しちゃってねー、それを倒して世界を救ってもらおうと思って」
口調の軽さとは反対に内容は重かった。
どうやら俺のいた世界とは別世界、異世界の命運は俺にかかってるらしい。
「俺は死ぬ前はただの作業員だったぞ、肉体労働だったからほどほど力はあるけど魔王とやらを倒せるほど強くはないし度胸もない」
「いやいや、女神さまの加護やら勇者の剣があればへーきへーき」
「……まあそれは置いとくとして、ここがもうその救うべき世界なのか」
「いや、ここは世界の狭間みたいな場所さ、今から向かってもらうつもりだ。
そうだ、救う世界については教えておいたほうがよさそうだな。んじゃ昔話といこうか!」
俺の懸念は適当に流され、それよりも俺が救うべき世界の話が大事らしい。
俺がこれから向かう世界というのは死神の話を要約すると、
初めに闇があった。
やがて闇の中で女神が生まれ、闇を光で照らした。
女神は万物の元となるマナで世界を創った。
太陽を、月を、空を、大地を、海を。
世界には様々な生命であふれていた。
その中で知能に優れた人は大いに繁栄した。
やがて魔王が現れた。
魔王は人を排除し、世界を滅ぼさんとした。
女神は世界を守るため、救世主たる勇者を世界に遣わした。
みたいな感じらしい。
今まで魔王は千年おきに八度現れた。
その度、俺のいた世界の人間の魂から勇者を選んでるとか。
つまり世界を守るための派遣業みたいなものか。
「勇者は世界を救う代わりに、第二の人生と圧倒的な力をプレゼント!魔王を倒したら金持ちでも女侍らせ放題でも、世界を滅ぼさない限りご自由にって訳よ!」
そう言われると魅力的な気がしてくる。
生前では何も成し得なかった自分が世界を救う。
今までの生活は貧しくはなかったが裕福で楽しい暮らしでもなかったが、勇者になれば贅沢な生活が待っているだろう。
色恋沙汰には無縁な自分に春の嵐が舞い込むだろう。
幾重もの泥を突き進み落ち込んでいた心が期待を燃料に動き出す。
どうせ死んだ身だ。補助がつくみたいだしやってみてもいいんじゃないかな、勇者。
「わかった、引き受けよう」
このとき俺は人生で培った経験をすっかり忘れていた。
旨い話には裏があると。
人生は順風満帆ではなく波乱万丈だと。
心に描いていた勇者生活とは全く異なる軌跡がこれより描かれていく。