学校の水たまり
学校にできた水たまりには秘密がある
顔を近づけて息を吐きかけてみると、水面に波紋が広がった。
どのくらい、深さがあるんだろう?
首を捻るっていると「浅いに決まってるだろ」と後ろから佐竹君が嫌気を差した言い方をしてくる。
「そ、そうだね」
うっかり口に出してしまったらしく、恥ずかしさのあまり僕は頭をかいて立ち上がる。
佐竹君は足が速くスポーツ万能で成績も優秀。目鼻立ちがはっきりして女子に人気があり、うらやましいかぎり。佐竹君がやることは駆け足でクラスに広まって流行る。昨日から赤い紋章のような幾何学模様がプリントされたシールを腕に貼って自慢げに見せびらかせていた。呪文を使って英霊であるサーバントを呼び出すアニメの影響を受けたらしく、うちのクラスで流行るのは時間の問題かもしれない。
「サッカーやろうぜ」
サッカーボールを小脇に抱え、やる気満々の佐竹君。
「そうだね」
断る理由はなく、僕は佐竹君の要求に従う。
でも、後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返る。
視線の先にはマンホールくらいの大きさの水たまりがあり、天井を見ると穴がぽっかりと開いて、雨が降るとそこからポタポタと水滴が落ちていたみたいだ。理科準備室の手前にいつの間にか出来ていた水たまりは、校舎も新しくないので屋上のどこかの建材が腐れている可能性がある。
何年前だったか忘れたけれど、学校で出来る水たまりは底なしで、落ちると溺れて死んでしまうという噂を耳にしたことがある。
ただし条件があって、水面が血のように赤く染まったときだけ、怪奇現象が起こるみたいだ。
かなり嘘っぽい信用性の欠片もない噂で、天井の穴は先週までなかったし、誰かが悪戯で何かを投げて開けた穴らしく、近々補修工事がされるみたいだし、昔から受け継がれてきた噂でもなく、僕が夢で見た妄想かもしれない。
何度見ても雨漏りの水が薄く張っているだけだ。
「チェッ……」
悔しさを抑えるために舌打ちが出た。
「早く行こうぜ」
舌打ちが気づかれたと思って一瞬ドキッとしたけれど、佐竹君は僕の袖を引っ張るだけだった。
そんなにサッカーしたいのか?と思いながら僕は佐竹君のされるがままついていく。
数日後、状況が一変した。
穴を補修工事にきていた人がケガをしたらしいのだ。
僕に明確な情報が伝わってきたのが放課後になってから。
脚立を立てて穴を塞ごうとしていた業者さんが倒されて、強かに頭を打ったらしく作業を中断したらしい。話によると誰かが脚立を蹴ってケガをさせたらしい。見たのは黒い影だけで覚えていることは少なく、警察を呼んで事件にするかは検討中とのこと。
「この前見ていた水たまりのところじゃないかな?」
佐竹君は事件現場のことを尋ねてきているらしいが、僕は「なんのこと?」と恍けてみたものの、聞かれた場所が理科準備室から五メートルしか離れてない場所なので言い訳は厳しいかもしれない。なんとなく水たまりが気になって、ナチュラルに足が向いてしまう僕を佐竹君が追ってきたらしい。
「なんのことって、ほら、そこの水たまりだよ」
指差す佐竹君は今日もサッカーボールを持っているが無表情である。
「あぁ~そうだね」
僕は生返事で視線を逸らす。
「いま、その水たまり赤いよね?」
質問され、おやっ?と思った。
佐竹君も学校に出来た水たまりの話しを知っているのだろうか?ということは、噂が僕の妄想ではなくなり、ややこしいことになる。
「夕日が反射しているからじゃないかな」
僕は的確な答えを導き出す。廊下の片側の窓からは夕日が射していた。
「なんで今日にかぎってバケツが置いてあるんだろう?」
佐竹君が首を真横にしながら尋ねてくる。この前きたときと違うのは水たまりの横にプラスチック製のバケツがおいてあること。残念ながら水が落ちている場所から少しずれている。
「いままで置いてなかったほうがおかしいよ」
「そうかな」
「そうだよ」
「バケツないほうが学校の怪談として雰囲気でるのに」
「学校の怪談ってなに?」と僕は上の空で尋ねる。
「知ってるくせに。だからこの水たまりに興味を示してたくせに」
佐竹君が目を細くして卑しく笑う。
「知らないなぁ~」
「よく見るとバケツに水が一杯入ってるね。誰が用意したのかな?」
「知らないなぁ~」
「雨漏りの水をためるために置いたんじゃないようだね」
「掃除でもするつもりで置きっぱなしなだけでしょ」
「事件現場を荒らすのはよくないと思う」
「事件がどうかなんてわからないさ」
「五分前には置いてなかった」
「そうなんだ。だったら置いたのは僕かもしれないね」
関心なさそうに僕は応える。
「親戚が隣町の小学校にいるんだけど、数年前にその学校の裏庭にできた水たまりで溺れて死んだ生徒がいて、いまでも幽霊として現れることがあるんだって」
佐竹君は持っていたサッカーボールを床に置く。
「廊下で蹴ったら校則違反だよ」
「自分は校則違反以上のことをしてるくせに」
「覚えてないなぁ~」
「この学校に来て同じこと繰り返すつもり?」
佐竹君はやや語気を強めて尋ねてくる。
「うっかり屋さんなんで、何を繰り返すのか思い出せないよ」
「そのバケツに顔を突っ込めば何か思い出すんじゃない?」
「押すなよ!絶対押すなよ!」
僕はバケツに近づき、お笑い芸人のお約束みたいな言い方であおる。
「それは押せってことだね」
佐竹君がサッカーボールを蹴って俺の背中に当てた。
「メガネをかけた小学生探偵を真似してるのかな?」
転がっていくサッカーボールを見詰めながら僕が聞く。
「そんなことないよ」
「推理して疑われるのは迷惑だな」
「ほとんど白状してんじゃん」
うれしそうに佐竹君が言う。
「先週の台風の影響で学校のプールには葉っぱが絨毯のように大量に落ちているはずだよね」
「なんのこと?話をそらさないでよ」
「これから佐竹君の頭を掴んでバケツに入れて、学校から人がいなくなるまで理科準備室に隠して、それからプールに落とそうかなと思ってるんだ」
「そんなことできるわけ……」
「あまり大人を舐めないでね」
僕は素早い動きで佐竹君の喉を両手で掴んだ。
あれから何日経ったのかはっきり覚えていない。
僕は本当にうっかり屋さんだ。
人を殺さないと、なんとなく前回の犯罪を思い出せない。
困ったもんだ。
水たまりを見て記憶が戻りそうだったのに、邪魔する佐竹君が悪いんだけど。
アニメの見すぎで推理なんかしようとするからだ。
この大切な記憶もすぐに人を殺さないと忘れちゃうんだろうなと思うと悲しい。
「先生!佐竹君のことなにかわかりましたか?」
帰りのホームルームが終わった直後、ツインテールがお似合いの宮西さんというかわいらしい女の子が下から覗き込むように聞いてくる。佐竹君の隣の席の生徒で二人が会話している場面を見たのは一度や二度じゃない。
「まだなにもわからないんだよ」
「そうなんですか……」
視線を落として心配そうな宮西さん。
「きっと見つかるよ」
ただし、生きてはいないけどね、と心の中で呟く。
「は、はい」
「先生や警察の人達もがんばって探してるから」
「はい」
「ところで、宮西さん」
お辞儀をして帰ろうとする宮西さんを僕は呼び止める。
「はい?」
「学校内で水がたまっているところないかな?」
「えっ?」なぜ私に聞くんですか?という表情をした宮西さんだったが「プ、プール……かな?」と首をかしげながら教えてくれた。
「やっぱりそうだよね……ありがとう」
訝しげな表情を浮かべる宮西さんを尻目に僕は悩む。
僕が緑の葉で一面を覆ったプールに佐竹君を投げたことは間違いないのに、警察は佐竹君の遺体を発見することができなかった。
無能だな。
ちゃんと探せよ。
そうそう、そういえば佐竹君が抑えつける僕の手を払いのけて抵抗しながら発した最期の言葉が傑作だった。
『サ、サッカーボールで……て、天井に、穴開けて誘い出しそうとした……のに……作業員の人を……間違ってケガさせ……てしまっ……た』
最期に “助けて! ”と懇願するのではなく、自分の罪を悔やむなんて本当に小学生探偵は偽善者だな。
「先生にため口を使う生徒は水攻めの刑がよく似合う。でもまぁ、バーローと言われなかっただけマシか……フフッ……」
僕は誰も居なくなった校舎の窓からプールを眺める。
第一発見者になれば疑われるので、ここは我慢のしどころ。
警察の罠かもしれないし。
でも、前に赴任していた隣町の学校でそれほど深くない水たまりで起こった水死をいまだに事件ではなく、事故扱いして、先にうちの学校の元生徒が犯人に目星をつけるくらいなのだから、心配することはない。
本当に無能すぎる。
僕はニヤニヤしながら教室を出た。
すると物音が聞こえた。
それほど大きくないが、校舎内に響き渡り、さすがに視線が向いてしまう。
サッカーボールが転がり、近くにあるバケツも横に転がって水がこぼれていた。
誰かがサッカーボールを蹴って、わざとバケツに当てて水をぶちまけたのは確実。
「誰かいるのか?」と声をかけたが応答なし。
怖がらせるつもりなのか?
頭に浮かんだのは宮西さん。
彼女は佐竹君から自分達の担任が殺人犯であることを教えている可能性がある。
「復讐のつもりかよ」
嘲笑する笑い声が歯の隙間からもれそうになる。
「だめだなぁ~廊下を汚しちゃあ~」
僕は近づき、目を皿のようにさせて宮西さんを探す。
廊下の柱の陰、ゴミ箱の陰などから人の気配がしない。
隠れる場所は理科準備室しか残されていないようだ。
宮西さんが震えながら机の下などの物陰に身を潜めている姿が目に浮かぶ。
「罰としてプール掃除してもらおうかな」
佐竹君の死体を見て発狂する宮西さんの表情を連想する。
愉悦したくてたまらない。
理科準備津のドアに手をかけようとしたとき、足がとまった。
いや前に進めない。
だ、誰かに足首を掴まれている?!
「うわぁ~」
バケツからこぼれた小さな水たまりの水面から、細い腕が伸びて僕の足首をがっちり掴んでいた。
見覚えがある腕だった。
赤い線で幾何学模様が描かれている。
「さ、さ……」
腕の持ち主である人物の名前を告げる暇なく、僕は水たまりの中へ引き込まれ、チャッポンという虚しい水面を弾く音だけが残された。
〈了〉
【夏のホラー2015】の参加作品です