三つの願いを叶えてやろう
「どんな願い事でも三つだけ、ただの三つだけ叶えてやろう」
古びたランプを丁寧にこすって磨き上げると、煙とともに青い肌の魔神が現れて、三本立てた指を突きつけるようにしてそう言いました。
魔神はその台詞をもう飽きるほど口にしたというように、全く面倒臭そうでした。尤も、それで魔神の威厳が薄れたわけではありませんが。
それは噂に名高い、伝説の誉れ高い、かの高名な魔法のランプでした。
魔神は偉大なるジン、アル・ダバラン。後に続くもの。魔法のランプに閉じ篭り、見るべきもの、聞くべきもの、話すべきものが現れるのを十万と八千年待ち続けています。
ランプを磨いたのは皺くちゃに年老いた、しかし背筋の伸びた老紳士。肌は良く日に焼けて、鍛えた身体は老いにも負けていません。まとう衣服は豪華でありませんでしたが、仕立ては良いものでした。
皺くちゃの笑みを浮かべて、老人はその前に、と魔神を制しました。
「この私めに覚えは御座いませんでしょうか。いささか老いさらばえてしまいましたが」
老人の言葉に、魔神はふーむと唸ってまじまじと暫く眺めていましたが、少しして、おお、と声をあげて手を叩きました。
「うーむむ、思いだしたぞ。お前は何十年かそこら前に、願いを叶えてやった若造だな」
「ええ、ええ、その通りで御座います。覚えて頂いたようで」
「ふむ、三つも願いを叶えてまだ足りぬと申すか。欲張り者め。定命の者の短い生涯で再び儂を探し出すとは、見上げたものか見下げたものか」
「いえいえ、今日は願いを叶えてもらうためにお呼びしたのではございません」
「なに?」
ぎょろりと鋭い眼で睨みつける魔神でしたが、老人は相変わらずにこにこと笑ったままで、すっかり毒気が抜かれてしまいました。
「私めが叶えて頂いた願いは覚えておいででしょうか?」
老人が尋ねるのに、魔神は軽く頭を振って、何十年か前の記憶を呼び起こしました。
「ふむ、確か次の三つであったな。。
一つには一生働き甲斐のある仕事。
二つには疲れを知らない健康な体。
三つには気立てのよい丈夫な女房。
欲がないとも言えるが、これ以上ないほど贅沢な願いとも言えるな」
「はい、まこと素晴らしき贈り物でした」
老人は両手を広げて、広々とした部屋、そこに置かれた品の良い調度の類を示して、深々と頭を下げました。それは老人が何十年も頑張って来たその結果でした。
「五十三年前に貴方様に願いを叶えて頂いてから、私は遣り甲斐のある仕事に毎日精を出し、妻の支えも借りて事業を興し、これを大きく育てあげました。人々のためにもなり、国も潤い、いまでは子供達がそれぞれ立派に独立し、孫達も生まれました」
老人はその国で、今や誰も知らないもののない偉業をなしていたのでした。
国の誰よりも金を持ち、国の誰よりも土地を持ち、そして国の誰よりも他人のことを思いやる、一角の人物でした。
成程、すっかり顔にはしわが刻まれてしまっていました、願いを叶えてもらった当時の、前向きな直向きさがそのままでした。
「成程、成程。儂の叶えてやった願いだけで満足することなく、大いに栄えたようだな。人の身に置いてこれに勝る人生はそうそうあるまい。
だがそれならば、猶更何用で呼んだのか。
下らぬ用で儂を呼んだのならば、貴様に残った短い生涯を忽ちの内に失うぞ」
凄む魔神に、やはり老人はにこにこ笑っていました。
子供のように皺くちゃに笑って、老人は恭しく答えました。
「五十三年前に、三つの願いを叶えて頂いたのに、お礼をしておりませんでした。
ランプを探すのに手間取って、すっかり遅くなってしまいましたが、私にできることならどんな願いも三つだけ叶えて差し上げます」
魔神は暫くぽかんと大きく口を開けて驚いていましたが、やがてそれはそれは大きな声で、腹の底から笑い出しました。
「そうか、そうか、礼がまだであったか! 面白い奴め!」
魔神は笑いながら、指折り願いを言いました。
「それではまず一つには美味い酒。
二つには美味い料理。
そして三つ目には五十三年ぶりに会う友と語り合う時間だ!」
老人はそれからなに一つ魔神に願いを叶えてもらうことはありませんでしたが、生涯を共に歩く友を得たのでした。