フェニックス・クリズム(不死鳥の聖油):中編(2)
「狼!」
背中を叩かれて、我に返った。
「会いにきてみれば……、落ち込んでるのかな?」
先輩が立っていた。顔を覗きこまれるまで気づかなかった。
驚きを隠して、見返した。シヴァとヴァシュンヌも一緒だ。
「……先輩」
「ボーっとしてたわね」
「……ちょっと……、振り返っていました」
ウォーター・サーバの前に、狼は立ったままだった。
5分? いや10分? 半日か?
時計を見ると、30秒も経っていない。
「反省? 反省なら、グッド。成長の始まりだわね」
身長173センチ、体重61キロ。体脂肪率16%しかないスリムなボディ。それにしては豊かなライン。胸の大きさは、大胸筋の厚さではないのかといわれる。彩文ランカ、19歳。大学1年。彼女が、狼の先輩であり、教官だった。2年前、17歳の先輩は仁王立ちになり、1500ボルトの刃を持ち、ブローカーとして活躍していた。以前は、ショート・ヘアだったが、今ではロング・ヘアに変わっている。教官からチーフになり、ファンデーションにピンク・リップが加わった。今年1月から数ヶ月で、戦う戦士から平凡な美人に見た目が変わっていくのを、狼は日々驚きで見ていた。
制服を卒業して。スーツを着こなしている。
しかも、スカートだ。
制服時代はスラックス姿しか見たことがない。
スカート。しかも膝上。
朱紺にピンクグレー・ピンホールのラインがきれいなドレスタイプのスーツ。ドレスシャツ。ロング・ヘアがかかった胸元のⅤカット・ラインの盛り上がりは学園中の魅力に変わった。「なぜか、女の子からコクられることが多いんだよ」と、ランカ本人から狼は聞いている。
「先輩、当たり前です」
男性より逞しい女性、しかもバリバリのビジネスもできる大学生、クレヴァーな頭脳……。「言い寄る前に萎えます」狼は、その言葉を表情で隠すのに苦しんだ。
多くの教官がいたが、統率力にすぐれたランカが、現在ローズマリーのヘッドとなって、狼の前にいる。
それは、とても晴れがましく、嬉しいことだった。
「試薬は守れました。敵も撃破しました。さて、狼ちゃんは、何が不満なのかな?」
「誰も守れなかった。それが、不満です」
「凍りついた情熱家、狼にしてはめずらしくヒューマンだな? メスでも盛られたか?」
「メス? とってもダウンです。そんな気分じゃない」
「マジか? なら、妹をブローカーとして歩くのを許した理由は? このふたりに意趣返しさせた理由は? 因果応報の理を断ってまで自らを突き通してきた狼ちゃんの心臓はどこに捨ててきたの? 相手を調べて挙げてまで、敵を助けたいという気持ちとミッションはチキンだと思わなかったの? メスと私、どっちがいいのかな? ばか者を励ましたいと優しい私からの質問をもっと受けたいのかな?」
笑顔のランカからは、矢じりのような質問が降り注いできた。
「相手を間違えた」と狼が思い返した時には、遅かった。
すでに、ランカという猫の前に連れ出された、狼は小魚、またはモルモットである。
爪の先でいたぶられて、引き回されて……、かわいがられるのだ。
「2年たって、背丈ほどに中身も伸びたと思ってたんだが……、基本、やわだわねえ。無口な狼ちゃん。いいたいことがあれば話しなさい。お姉さんが、聞いてあげるから」
「結構です」
「うん? おねえさんのやさしいお声に、結構とは、恥ずかしいのかな?」
「聞いていただかなくても、大丈夫という意味です」
「本当か? オッケー。なら、真っ直ぐ歩け」
「はい。ランカ教官」
狼はホッとした。今日は、猫の爪がオヤスミだったらしい。かわいがられずに済んだ。
背中を向けて歩き出す。
「ところで、狼ちゃん……。いや、聖狼。話がある。昼休みの12時40分、この高校棟3階のミーティング・ルームに、鞠と一緒に来てくれ」
真面目な声に、狼は振り返る。
ランカが真面目な目で見ていた。
「イエス、マム」
命令だった。