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  作者: のり
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暗黒魔界

 一方その頃、夢二は鬱蒼とした森を駆けていた。潤いの失せた黒い髪をぱさぱさとなびかせ、眼は獣の如く異様に輝いている。

 やがて目前に泉をみとめた時、夢二は、駆ける速度を緩めながら、その周辺に視線を走らせた。

 誰も居ないことを確かめた夢二は完全に立ち止まると、手の甲で額の汗を拭った。肩で息をしていた。


 息の整った夢二は、畔一面に生えた渋苔のうえにゆっくり腰を下ろすと、そのまま惰性で寝そべった。

 ふと見上げた空はいつもと変わりがない。珈琲みてぇな色してやがる、と、夢二は思い、時折の稲光に苛立ちを覚える。

 朝でもなければ夜でもなく、また昼でもない。いつも同じ空。太陽はどこかわからない。夢二はそれにちっとも慣れない。



 夢二は今、マリアを思い出している。

 マリアと過ごした短くて切ないひととき、マリアが見せた美しく儚い微笑み、そして、マリアを失った瞬間の悲しい記憶。

 夢二の心の中に、マリアだけが冷たく凍っていた。凍り漬けのマリアは、いつまでも変わらぬ美しさを讃えたまま、夢二の唯一永遠の存在となった。


 贖罪を続ければいつかマリアに…、などと、夢二は考えているが、しかし期待はしていない。

 なにしろドグがそう簡単に罪人を許すはずがないからだ。ドグは皆に対して平等に無慈悲だが、だからこそ究極的な博愛であるらしかった。



 夢二はいつしか眼を閉じ浅い眠りについていた。一筋の温かい雫が流れ、夢二の肌を光らせる。



 物音に目覚めた夢二が、ハッとして脇に茂る藪の中に身を隠した。衣擦れの音と枝を踏む音とが交互に聞こえた気がしたのだ。そしてそれが幻聴などでなかったことが判明する。

 木々の乱立する彼方に揺れる影らしきものが見えたことから、何者かがこちらへ向かってゆっくり近づきつつあるのだ、と、夢二は確信した。

 音から察するに一人のように思えるが、はて、あれはどっちの人物だ? 夢二は緊張の為に乾いた唇を一舐めし、影のある方を凝視する。


 やがて姿を現した人物はさっきの夢二みたいにキョロキョロ辺りを見回して肩をすくめた。

 白粉を塗りたくった純白の肌、真っ赤な付け鼻に、真っ赤な口紅を唇に塗り、赤い髪、極彩色の衣服を纏ったその人物の風体はまるで道化師そのものだ。


 その異様な姿を確認した夢二は、ついに来るべき時が来たのだ、と、強く決意した後、腰にぶら下げた大だんびらをゆっくり静かに抜いた。

 情報の通りに【気狂いピエロ】が、この泉へと姿を現したのだ。今やらずしていつやるというのか。


 道化師は、げふっ、と、咳をして、今し方まで夢二の横たわっていた渋苔の上に座り、ただただ泉を見つめている。


 昂ぶる夢二は、大だんびらの刃先を獰猛な目付きで一睨みし、それから、ひと思いに藪を飛び出した。

 瞬間、【気狂いピエロ】に駆け寄ると、だんびらを振りかぶる。

 異変を察知した【気狂いピエロ】も咄嗟に振り返ったが、今まさに太刀を振り下ろさんとする夢二に対して、もはや何の抵抗も出来ず、ただ腕を振り上げるしかなかった。

 夢二は躊躇なくダンビラを垂直に振り下ろし、道化師の腕を斬り飛ばした。


 ビュッ、と、鮮血が吹き上がり、夢二の肩へ掛けて飛び散った。


 【気狂いピエロ】は凄まじい形相で、激痛によって絶叫した。が、夢二は返す刀で更に一歩踏み込み、道化師の腹部にずぶり、と、切っ先を食い込ませ、それから力を込め、一気に深々と腹を刺し貫いた。


「あ…あ…あ」


 【気狂いピエロ】は眼を見開いたまま、三回ほど息を洩らしていたが、その腹部からだんびらを引き抜いた夢二が、再度改めて肩から胸部に向かって袈裟切りに斬りつける頃には絶命した様だった。

 頭から返り血を浴びた夢二は、荒々しい吐息を弾ませ、血を噴出させて仰け反ったピエロを足蹴にして泉に落とし、だんびらを渋苔の上に置いた。


 幸いにして夢二は上半身裸であるから、浴びた返り血をすぐに洗い落とすことができる。

 水面を赤く濁しながら、夢二は道化師の血を洗い流し、ついでに汚れで黒ずんだ肉体の節々もこすり、念入りに洗顔した。


「よう、もう終わったみたいだな」


 夢二が泉から出て、大だんびらに付着した血液を拭っていると、背後から声を掛けるものがいた。そう、情報屋のザジだ。

 夢二は一瞥して視線を泉に向け、静かに溢した。


「殺して沈めた。臓器は取り出してない」


「へっ、早業だな」


 ザジが引きつった笑いを浮かべて、赤濁した水面に視線を落とす。

 夢二は、まあな、と、頷きながら立ち上がり、ザジに向き直る。


「でもな、ザジ。決心しないとなかなか出来るもんじゃない」


 たった今、人を斬殺したばかりの夢二が放った意外な一言に、ザジは唇を窄めて小さく相槌を打った。

 いつも半裸で、物騒な大だんびらをぶら下げ、全身が薄汚れた謎の青年・夢二を、ザジは不気味に感じていたから、彼の見せた一縷の人間らしさに少し安堵を覚える。

 だがそんなことザジには関係ないことだ。ザジは例え相手が人間らしかろうと魔物らしかろうと、貰えるものさえ貰ってしまえば、それでいいのである。

 ザジは思い出したように言った。


「それで夢二、その…約束の報酬なんだが…」


 ザジの言葉に、夢二は無言で頷く。

 それを見たザジはにこりと笑って手を差し出した。が、夢二は無表情のまま抜き身のダンビラを水平に薙ぎ、ザジの首を刎ねた。

 ずるりと半回転したザジの首が落下し、血飛沫巻き上げた身体が力なく崩れ落ちる。

 夢二は最初から報酬など払う気もなく、また、払う報酬など持ち合わせていなかった。

 その頭のなかでは、あの日旅立ったマリアが未だありありと浮かび、夢二の胸を締め付ける。

 俺はこれでよかったのかマリア?

 夢二は今も胸中に生きるマリアへ問い掛け、淋しく笑ってみた。


 【気狂いピエロ】は男ばかりを殺害した、男色の連続殺人鬼と聞く。ならば、俺は、一体何の罪を犯したのだろうか、と夢二は深く気を揉み、やがて答えを見出だすことなど出来ず、暫くして泉を後にした。


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