第2話 赤の隻眼
「あの親父が旅狼……?」
そう呟くシヴァは1人、森と一体化した集落の中を歩いていた。橙の光が糸のように降り注ぐ中で彼は、片手に毛皮が剥がれた一羽のウサギをぶら下げている。
「いやいや……」
程なくして、シヴァは大樹の根元を囲い込む大きなテントに辿り着く。思考の最中でも歩速を緩めることはなく、すり抜けるように入っていった。
「ただいま、母さん」
そう呟くシヴァの視線の先に灯りはない。窓のないテントの中は真っ暗で、空気は少しジメッと淀む。
彼の目が暗闇に慣れる前に、その耳に声が届いた。
「あら、ウサギを丸ごと⁉︎ 今日はどこも狩が上手くいったのね〜」
女性の明るい声と鼻歌が聞こえる先では、二つの暗い青色の瞳が浮かんでいた。
シヴァの瞳が段々とその人物を捉え始める。彼と同じ色の瞳だが、毛は白みがかった灰色。穏やかな頬をした中年の女ワーウルフだ。
「こんな立派なウサギをシヴァが⁉︎ あんたはほんと優秀ね〜。私の育て方が良かったのね」
そう言って笑うと彼女はウサギを受け取って奥へ。
「お父さんが帰って来たら、ご飯にするから待っていてね〜」
その母の言葉に返事をしたシヴァは、入り口から離れたところで腰を下ろした。時間をかけて踏み固められた腐葉土の床。硬い木の幹に背をもたれ、彼は息を吐く。
伸ばした足と壁際に置かれた大きな布袋の間には50cm程の距離がある。それでもシヴァは少しだけ膝を曲げた。
狭く静かで、何もない。隔たりは壁と天井だけの回遊できる住居には、いくつかの布袋が壁際に置かれているだけ。
木の匂いがする。
母親の息遣いが聞こえる。
「ねぇ」
そうシヴァが言うとすぐに、母から「何?」と問いが返ってくる。
「父さんが旅狼だったって本当なの?」
「え? ええ、そうよ。お父さんから聞いてなかったの? 」
母の答えにシヴァは沈黙で返す。すると彼女は自分の言葉を追うようにさらに言った。
「隠してたわけじゃないと思うわよ。そもそも何を考えてるかわからない人じゃない?」
その言葉にシヴァは小さく鼻で笑う。
「本当に、自分の話をしないよね。昔から"父親である前に族長だ"って態度でさ。そんな人が、どうして旅狼になったんだろ……」
「聞けば答えてくれるわよ。《《族長として》》ね」
そんな時、2人の耳に届くのは足音だ。腐葉土を踏み締める早い歩速に彼女は「あーあ」と言葉を漏らす。
「全部聞こえてるわね、今の会話。はぁ、地獄耳の旦那なんて持つんじゃないわね〜。愚痴の一つも言えないんだもん」
そんな笑い声の後にすぐ、室内には光と人影が差し込んでくる。
「戻った」
そんな低い淡々とした声が後を追う。
その主が入ると、また室内は暗闇に戻った。
シヴァの背がいつのまにか、木の幹から離れている。伸ばした膝を抱えている。
彼の目はずっと、暗闇に浮いた、一つの瞳から離れられない。
シヴァと同じ暗い青の混じった灰色の毛並み。よく似た体格。しかし、右目は潰れている。
そのたった一つの瞳は烈火の如く紅蓮で、血のように冷たかった。
「おかえりなさい、父さん」
それがシヴァの父であり、この集落の族長だ。




