第二話
目覚めた朝、晶子はまず──途方に暮れた。
「……これ、どっから腕入れるのよ……?」
ベッドの端に掛けられたドレスは、まるで舞台衣装。豪奢なレースと刺繍、見たこともない数のボタンにコルセット。
現代のファスナー文化で生きてきた彼女にとって、それは「戦闘装備」にしか見えなかった。
しかたなく部屋を出て、廊下にいたメイドを見つけ声をかけた。
「すみません、ちょっと。着替え手伝ってくれる?」
メイドは振り返るなり、あからさまに顔をしかめた。
「ご自分の担当に言ってくださいまし」
突き放すような声音。晶子は一瞬まばたきし、それから静かに問い返す。
「……私の担当って、誰?」
その言葉に、メイドは薄く笑いながら毒を吐いた。
「担当も忘れたんですか? さすが王子に捨てられた令嬢様」
ぴくり、と晶子の眉が動いた。
──ナメられたもんだな。
晶子は無言でメイドの胸元をぐいと掴んだ。
顔を寄せ、低く静かな声で囁く。
「……今すぐ担当を呼んで。じゃないとあんた、この屋敷、今月で追い出されるわよ」
その一言に、メイドの顔色が見る間に青ざめる。
「……し、承知しましたっ」
背筋を伸ばしたまま駆けていくメイドを見送りながら、晶子はひとつ鼻で笑った。
──令嬢だからって、黙って耐えると思ったら大間違いよ。
ほどなくして、渋々と現れた担当のメイドに、晶子は淡々と命じる。
「着替え、手伝って。次サボったら、罰か解雇。選ばせてあげる」
その目には、かつてのティエナにはなかった鋭さが宿っていた。
怯えたメイドはただ小さく頷くしかなかった。
*
身支度を整えた晶子は、優雅に食堂へと向かった。
その広間では、侯爵アレクシスと、目の覚めるような美貌の愛人が並んで朝食を楽しんでいた。
水彩画のように美しいふたり──だが、晶子は眉ひとつ動かさず、すっと席につく。
……目の前に置かれたのは、パン一切れと薄いスープだけ。
晶子はしばらく沈黙し、それから平然とこう言い放った。
「これ……ダイエット食? それとも犬用?」
しんと静まる空気。
隣の使用人に手を伸ばし、さっさと指示を出す。
「そこの二人と、同じメニューをお願い」
使用人たちは動揺しながらも命令に従い、まもなく侯爵夫妻用の豪華な朝食が運ばれてきた。
クロワッサンは焼きたて。
卵は香草とともにふわりと香り、フルーツは彩りも完璧。
晶子はナイフを手に取り、優雅な手つきで口に運ぶ。どうやらテーブルマナーはティアナの手が覚えているようだ。
「うん、美味しい。こういう朝ごはんなら、生きていけるわね」
笑みを浮かべるその姿に、アレクシスと愛人は小さく顔を見合わせた。
──ティエナが……変わった?
無表情だった令嬢は、今や堂々と笑い、毅然としている。
甘やかされもせず、媚びもせず、それでいて体にしみた気品を失わない。
その存在感に、食堂の空気がわずかに変わっていた。
アレクシスはパンを一口かじりながら、静かに思った。
(……面白い)