第12話
修復作業を終えた屋敷は、かつての重苦しさを微塵も感じさせなかった。
くすんでいた壁は白く塗り直され、窓の立て付けも滑らかに。床はきしみを失い、廊下には爽やかな風が通り抜ける。まるで屋敷そのものが、新しい命を吹き込まれたようだった。
そんな中、使用人たちはひとり、またひとりと晶子──ティエナに感謝の言葉を述べにきた。
「これで空気の流れが良くなります! 夏の蒸し暑さも軽くなりそうです」
「水が溜まる時間が早まりました。洗い物の手間が減って、本当に助かります」
「錆のない流し台は……まるで別の厨房のようです。これなら、もっと凝った料理も挑戦できそうです」
「床が抜けるんじゃないかと毎日冷や冷やしていました。奥様、ありがとうございます!」
皆の顔が、晴れやかに笑っていた。
かつて冷ややかに彼女を見ていた者たちでさえ、今は素直に喜びを口にする。
晶子はその様子を見ながら、心から微笑んだ。
「みんなが喜んでくれてよかった。私も嬉しいわ」
その穏やかな言葉に、かつて彼女に反感を抱いていた数名の使用人も、ただ黙って頭を下げた。
──彼女は、言葉でなく行動で信頼を勝ち取ったのだ。
と、その時。執事の穏やかな声が背後から聞こえた。
「奥様。侯爵様がお呼びです。書斎までお越しくださいませ」
重厚な扉を開けると、アレクシス・ヴェルハルト侯爵は書類に目を通しながら席に座っていた。
彼の表情はいつも通り無表情で、どこか冷ややかに見える。それでも、どこか違和感を覚えた晶子は、一歩近づき問いかける前に彼の口から言葉がこぼれた。
「君のおかげで、屋敷が随分と良くなったな。……使用人たちの働きにも変化が出ている。悪くない」
「ありがとうございます。それなりに頑張りましたから」
「だから提案したい。……どうだ、各家門の令息や令嬢たちを招いて、パーティーでも開いては?」
晶子は思わず眉を動かした。アレクシスの顔は、どこか愉悦すら浮かべるような──それはまるで「何かを見物したい」と言わんばかりの雰囲気だった。
(……ははーん。そういうことね)
彼女は心の中でふっと舌を鳴らす。
(“泣き虫ティエナ”が社交界で晒されて震える姿を見たいのね。趣味悪っ。わたしがあんたの思い通りに泣くとでも?)
だが、顔には出さなかった。
彼女はあくまでも“侯爵夫人”として、涼しい顔で微笑んでみせる。
「素敵なご提案ね。では、準備はこちらで進めさせていただきます。ああ、そうだわ」
彼女は一歩前に出ると、にこりとしながら続けた。
「その代わり、私の方からも“とっておきの演出”をご用意するので、楽しみにしていてくださいね」
アレクシスの眉が僅かに動いたが、すぐに押し隠すように口角を上げる。
「……君は本当に、何かを隠している時ほど面白い顔をするな」
「そちらこそ、“視察”の頻度が高すぎて、見張られてる気分だったわよ?」
ふたりの間に流れる空気は、もはやかつての冷たい夫婦ではなかった。
探り合い、試し合い、時に翻弄し合いながらも──確かに何かが動き始めていた。
そしてその夜、晶子は鏡台の引き出しから手鏡──Ducere──を取り出すと、ふっと小さく呟いた。
「次は社交界のステージね。さて、どう魅せてあげようかしら?」
鏡面が微かに揺れ、光がきらりと瞬いた。まるで、その挑戦を心から歓迎するかのように。
晶子は手鏡を手に取り、鏡面に優しく囁いた。
「季節に合わせた花を飾って、この屋敷のイメージに合った色を考えたいの。」
Ducereは鏡面に微かな光を灯し、映像が浮かび上がる。まず、広間に広がる華やかな花々。色とりどりの花が、陽光を浴びて輝く。次に、控室に飾られた深い紫色のリンドウや、庭の隅にひっそりと咲く白いローズマリー。その一つ一つが、彼女の求める雰囲気にぴったりと調和している。
「これでいいかしら?」晶子はうっとりとその映像に見入る。
Ducereの鏡面に映る映像が変わり、今度は料理と飲み物のイメージが浮かび上がる。豪華なシャンパンタワー、真珠のように輝くオードブル、鮮やかな色のカクテルが整然と並ぶテーブル。それぞれがどれも視覚的に魅力的で、屋敷にふさわしい華やかさを添えるだろう。
「この色合い、素敵。でも、もう少し温かみのある色を加えても良いかしら?」と晶子は考えを巡らせる。
Ducereの映像は即座に応じ、テーブルクロスや食器、カトラリーの色合いを変え、より温かみのあるトーンに調整される。
「完璧。」
彼女は満足げにうなずき、次に招待客のリストを作成することに取り掛かる。
手鏡の映像に、Ducereが招待客の名簿を映し出す。それは豪華な社交界の顔ぶれで、彼女の頭の中で一つ一つ名前を照らし合わせながら、どのような人物が必要かを吟味していく。
「侯爵の名を借りて、顔を揃えたからには、このパーティーもただの見世物じゃないものにしないと。」
晶子はリストを作り終えると、満足げにため息をつきながら言った。
「これで、少しは楽しませてあげるわ、あの冷徹な男にも。」
Ducereの鏡面に映る顔は、何も言わないけれど、その揺れる光にどこか喜びを感じ取ることができる。晶子の思いが、確かにこの不思議な鏡とともに進んでいくのを感じていた。




