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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第四章 北の深淵が光り輝く
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95話

「まさかこんなに早く見つかるとはな」


 外で見た表情とは打って変わって、落ち着いた表情でユーリが言った。

 サクたちはナイラが迎えにやってくる時刻を考え、宿舎に引き揚げていた。エクシオンへ来た真の目的は別にあるが、表向きの目的はあくまで巡礼だ。巡礼者として振る舞うことが、今は何よりも優先される。

 椅子に腰掛けたミリアが頭を抱えて、ひどく混乱した口調で言った。


「一体、どういうことなの? なんでお父さんたちがエクシオンの兵士になっているの?」


 数人の兵士の中に、ユーリの父親とミリアの父親がいた。アーロンの父親は見当たらなかったが、同じようにエクシオンの兵士として別の場所にいる可能性は高かった。

 ユーリが低い声で答える。


「詳しいことは何も分からないが、親父たちが自らの意思でここに留まり、兵士をやっているとは考えにくい」


 アーロンが苦々しい口調で呟く。


「……つまり、リックと同じということか」


「おそらくそうだ。親父たちは、魔法で誰かに操られている」


 サクは一瞬、アサヒを見た。

 魔法で人を操る。つまり、魔法を使える人物がこの町にいる。その人物は、アサヒがずっと会いたがっていた人物なのではないか?

 そう思い至った瞬間、胸がざわざわとざわめくのを感じた。

 ユーリがサクに問いかけた。


「お前に、親父たちにかかっている魔法を解くことはできるか?」


 サクは自信なく答えた。


「魔法を解くことができるのは、その魔法をかけた本人か、その人間よりも強い力を持った魔法使いだけだ。俺に解くことができるかどうかは、現時点では分からない」


「そうか」


 ユーリは大きく息を吐くと、物々しい口調で言った。


「どうやって親父たちを解放するのかは、ここへ戻ってから話し合おう。今はとにかく巡礼者としての責務を果たすことが最優先だ。

 リックや親父たちを操った人間は、おそらく神殿の近くにいる。巡礼者でないと知られたら、俺たちもリックや親父たちのように魔法で操られるかもしれない。そうなったら終わりだ。気をつけろ」




 ナイラは予定通り、午後三時ちょうどにやってきた。


「皆様、準備はよろしいでしょうか」


 含みのある言い方だと、サクは思った。ナイラは懐から白い布を取り出すと、手のひらに広げて差し出した。ユーリが代表して、全員から集めた拝観料をその布の上に載せた。

 ナイラは「ありがとうございます」と言うと、布を畳み、懐にしまった。


「それではこれより、皆様を神殿へご案内致します」


 サクたちは宿舎を出ると、ナイラのあとをついて歩いた。神殿のある高台まではかなりの距離があった。エクシオンにはバスも電車もなく、交通手段は車か馬だったが、神殿へ礼拝に行く者は遠くても歩いて行くのが通例らしかった。

 ナイラは終始無言で、わずかに勾配のある道を慣れた足取りで歩いた。ここへ至るまでひと月近くも険しい道を歩いてきたサクにとって、ついていくのは容易いことだったが、高台の上に建つ神殿が大きくなるにつれて、後ろに足を引っ張られているような感覚になった。


 厳然と、粛然と、神殿は高台の上にそびえていた。中央には高い鐘楼があり、その左右に翼のように白い石造りの建物が伸びている。

 神殿の玄関へと続く長い階段の横には、斜面を昇るエレベーターが設置されていた。ここまで歩いてきたのに最後はエレベーターなのかと拍子抜けしたが、すぐに気を引き締めて乗り込んだ。

 エレベーターを下りて、短い階段を上がる。エントランスに足を置いたサクは、後ろを振り返った。

 眼下に美しいエクシオンの町が広がっている。それを囲む高い壁。その先に続く雪原や森林。その向こうには人家が見える。さらにその先では、エクス族とノウミ族が睨み合っているのだろう。

 不安が波のように押し寄せてくる。何かよくない予感がする。胸の中で、空にあるのと同じく灰色の、もやもやとした雲のようなものが漂っている感じがした。


 それでも、先に進むしかない。


 神殿の玄関となっている鐘楼の下をくぐり、中へ入る。外からは城のようにも見えたが、予想に反して荘厳さは微塵もなく、何の飾り気もない薄灰色の壁と天井があるだけだった。

 真っ直ぐ歩を進めたナイラが、古びた木製の扉の前で立ち止まって言った。


「礼拝はこの先で行っていただきます。本日は特別に、我がエクス族の族長でもあります、神殿守様が皆様のために礼拝を取り仕切られるそうです。私は別の仕事を命じられておりますので、これにて失礼致します」


 サクたちは開かれた扉から中へと足を踏み入れた。先ほど歩いた場所よりも高い天井。張りつめた空気。正面上部の大きなステンドグラスの丸窓から、淡い光が差し込んでいる。静謐で、神秘的な空間。

 背後で、扉がパタンと小さく音を立てて閉まる。ここにいるのはサクたち五人と、もう一人――。


「ようこそ、エクシオンへ」


 その男は、柔和な笑みをたたえていた。年齢は三十代半ばくらいだろう。雪のような白い肌に、切れ長の目。黒い長髪を後ろで一つに結び、袖の長い水色の装束をまとっている。

 男は気品のある足取りで、こちらへ歩み寄ってきた。


「私はエクス族の長であり、この神殿を守る者。名はラゼルという」


「お初にお目にかかります、ラゼル様。私はユーリと申します」


 サクたちは敬意を表した態度で、順に名乗った。

 ラゼルはにこやかに微笑んだ。


「こんな時期に来る巡礼者はそうそういないからね。私が直々に取り仕切ることにしたのだ。さぁ、こちらへ来なさい」


 ラゼルはそう言うと、向きを変え、大きな丸窓の下にある石壁に向かった。


「この大きな窓や天井は、六十年前に造られた物なんだ。それ以前は、野ざらしの状態でこの石壁だけが存在していた。さらにおよそ百五十年前に遡ると、神殿は高台の上ではなく、平地の真ん中に建っていた。神殿の周囲を削って、今の状態になったんだ。

 昔は毎日村人たちがこの神殿に集まって祈りを捧げていた。ここは神聖な場所であると同時に、村人たちの憩いの場だったんだ。年が経つごとに様相が変わっていき、今ではこの町に住む者たちも、年に数回しか訪れない特別な場所になっているけどね」


 それはあまりに高い拝観料(という名目の献金)のせいでは、とサクは心の中で呟いた。

 ラゼルが振り返る。


「知っての通り、およそ二百年前、このエクシオンを大地震が襲った。幸い神殿は倒壊を免れたが、村の惨状は酷いものだった。村の中心にある神殿には負傷者が次から次へと運び込まれた。その中には、放っておけば一日ともたない状態の者たちもいた。先祖たちはひたすら神に祈りを捧げ、救いを求めた。――そして、奇跡は突然起きた」


 そう言って、ラゼルは石壁の中央に彫刻のように浮かび上がる“扉”に触れた。


「この硬い石の扉が突然開き、中から神の使いが現れた。……ご存知、アリス・エイオス様だ」


 ――アリス・エイオス……アリエス……。


 サクは妙な緊張で胸が締め付けられるのを感じながら、心の中で名を呟いた。


「アリス・エイオス様が瀕死の子どもに触れた瞬間、柔らかな光がその子どもを包み込んだ。全身の怪我が一瞬のうちに治り、すぐに起き上がって元通りに歩けるようになった。そうして、多くの者が命を救われた。残念ながら、すでに死んでしまった人間は生き返らなかったが……。先祖たちは感服し、アリス・エイオス様を神の使いとして崇め奉った。

 しかし、アリス・エイオス様はある日突然この町から姿を消してしまわれた。それから二百年ものあいだ、我が一族は代々この大切な神殿を守り、神と、先祖たちを救ってくださったアリス・エイオス様に祈りを捧げている。この神殿が神の手に渡る、その時まで」


 ラゼルは長い袖を後ろに振り、くるりと向きを変えた。“扉”に向かって跪く。サクたちも同じようにして、その場で跪いた。


「さぁ、祈りを捧げなさい」


 サクは両手を組んで目をつぶった。


「聖なる神々と神の使い、アリス・エイオスよ。我らを永遠なる神の国へとお導きください」


 握りしめた手に力がこもる。身が引き締まるほどの冷たい空気。背筋をすぅーっと何かが流れていく。謎、予感、恐怖。

 三年前、一体何のために父はここへやってきたのだろう。

 父がエクシオンへ向かったあと、エクス族とノウミ族の争いが止まった。父は自ら争いを止めると宣言していた。

 しかし、それが父がエクシオンへ向かった本当の目的だとは思えない。ここには別の何かがあるはずだ。

 時計の針は今、ユーリの拳銃を示している。針に頼らなくとも、ここへ来れば分かるのではないかと思っていたが……。

 このラゼルという男が果たしてそうなのか? この男が、アサヒの会いたがっていた人物で、“魔法使い”なのか?

 だとしたら、ユーリの父親を操ったのもこの男なのか?


「……呼吸が乱れている」


 サクはハッとしてまぶたを開けた。汗が一筋、こめかみを流れる。

 ラゼルはサクに視線を向けながら、にこやかに微笑んだ。


「恐れる必要はない。我々は神の導きによって、救済される。憎しみも、悲しみも、犯した罪も何もかも忘れ、苦しみから解放される」


 ラゼルは袖の中から、銀色のハンドベルを取り出した。振り子に巻かれた白いリボンをくるくると解いていく。

 スローモーションのように目の前で繰り広げられる動作。不思議な光を放つハンドベル。


 ――ベル。


 羽根のように軽く、触るとほのかに温かい。触れてもいないのに、なぜか手に感触が伝わってきたような気がした。そしてその瞬間、そのベルの正体が分かった。


「心を落ち着かせ、もう一度静かに祈りなさい」


「いいえ」


 サクはズボンのポケットから取り出した鈴を密かにアサヒに渡し、立ち上がった。緊張のせいか、顔が引きつり、わずかに笑みが浮かぶ。


「祈りは不要です」


 アサヒが立ち上がる。光り輝く鈴が、サクの手元に戻ってきた。


 ――鳴り続けろ。


 瞬間、まるで警報器のように鈴がリンリンと鳴り始めた。けたたましい音の中、声を張り上げる。


「そのベルには魔法がかかっている。そのベルを鳴らしながら命じれば、相手を意のままにすることができる。違いますか?」


「鈴の音を止めなさい」


「“魔法”と言ったのに、驚きも疑いもしないんですね。あなたは魔法を知っている。けれど、あなたは魔法使いではない」


 サクは鈴を再びアサヒに渡し、ラゼルににじり寄った。


「そのベルを渡してください。鈴の音が止まない限り、どのみちそのベルは使えないはずだ」


 ラゼルは力の抜けた笑みを浮かべた。


「全身にあざのある少年と報告を受けた時、すぐに思い至ったよ。我が父に停戦を宣言させた、あの男に関係のある人物だと」


 サクは差し出した右手をぴくりと痙攣させた。


「彼らは君たちと同じように、巡礼者としてここへやってきた。戦乱の最中だったが、武器も持たず、吊り上げた通行料も支払えるような人間を、エクシオンは拒まなかった。

 しかし迂闊だったのは、神殿にいた男たちが悉く兵となり、宝物庫の警備が手薄になっていたことだ。その頃は今のように、巫女に案内をさせていなかったのも問題だった。男は宝物庫に侵入し、このベルを手に入れた。そして祈りを捧げたあと、ベルを鳴らして父に命じたのだ――停戦を。

 たったそれだけのことで、争いは止まった。こちらにとって圧倒的に不利な条件だったが、父に逆らって意見する者は元々いなかったんでね。その父は昨年、心臓発作で倒れて亡くなった」


 ラゼルは袖に手を入れ、ゆっくりと息を吐いて続けた。


「なぜ私が、このベルの効果を知っているのか――。答えは、私もその場にいたからだ。後継者として、私は日頃から父と行動をともにしていた。その時も、父が礼拝を取り仕切るというので同行した。

 ……偶然、運よく、祈りの最中に耳鳴りが始まった。子どもの頃からそういった体質でね。男が懐からこのベルを取り出し、父に何かを言っている最中も、ずっと不快な高い音が鳴っていた。男がなんと言っているのかも分からなかったほどだ。父が大急ぎでこの部屋を出ていくと、私はよく分からないまま後を追った。事の次第に気がついたのは、父が停戦を宣言した後のことだった」


 そうか、とサクは気がついた。

 鈴をくれたゴタニエ村の少年も、よく耳鳴りがすると言っていた。

 あの村の人たちは絶対的な信仰心を持っていた。それは、ベルによって植え付けられたものだった。

 村人を一箇所に集め、ベルを鳴らして命じた。その時も少年は耳鳴りがしていた。だから彼には効かなかった。


「どうすれば父にかけられた呪縛が解けるのか、私には分からなかった。だが解いたところで、後戻りはできないのだ。父のことは諦め、私は即座にあのベルを手に入れたいと願った。願望はすぐに実現した。盗みがバレるのを恐れたのだろう。ベルは宝物庫に戻されていた。

 私はあっさりベルを手にすると、あの男を捜した。最初にあの男を脅して、昨日行ったことやこのベルに秘められた力の詳細を訊こうと思ったのだ。だが、男は見つからなかった。夜のうちにひっそりと町を出たのかもしれなかった。

 朝になると、男の同行者たちがエクシオンを発つために門へやってきた。私は三人を誰もいない部屋へと誘導し、ベルの効力を確かめた」


「よくも親父たちを……」


 ユーリが拳を握りしめ、絞り出したような声で言った。


「なるほど。やはり君たちはあの者たちの関係者だったか。最初の三人はいわば“お試し”だ。この町に留まり、衛兵となるよう命じた。ただそれだけのことだ。悪いようにはしていないだろう?」


「リックは」


「誰だね? それは」


「ノウミ族の男だ。お前が命じたんだろう? 列車を沈めろと」


 ラゼルは口元に左手を当て、思い出そうとするような表情をした。


「はて。そのような具体的な命令をノウミ族の男にした覚えはないな。ただ味方を裏切れと……まさか、そんな命令で!? あぁ、何てことだ! 何て面白い!」


 ラゼルは袖に手を差し込んだまま、ケタケタと笑った。


「最高だ! この世界で何をしたって、神の国へ行けばどうせ何もかも忘れて、無かったことになるのだ。ならば、楽しむだけ楽しんだほうが得だろうが!!」


 ラゼルは袖の中から右手を出した。握られた拳銃が、黒く光った。

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