93話
あと少しで目的地だというのに、足が重い。それはサクだけでなく、ユーリたちも同じようだった。
何度か短い休憩を挟みながら、やっとのことで残り半分という地点までやってきた。
サクたちはたまたま見つけた倒壊寸前の丸太小屋をアサヒの魔法で修復し、その中で少し長めの休憩を取ることにした。
「そういやこの鈴、鳴らねぇな」
ユーリがズボンのポケットから取り出した鈴を振る。確かに音はしない。カラカラともコロコロとも言わない。
「壊れているんじゃないか?」
そうサクが言った途端、アサヒが右手を差し出した。
「わたしにまかせて!」
「いや、その必要はない。騒がしいと耳障りだ。この方が却って都合がいい」
ユーリは鈴をポケットにしまいかけて、思い直したようにサクに向けた。
「やっぱりお前が持っていろ」
「なんで」
「なんとなく、な」
もしや今朝の魔法の礼のつもりだろうか? そう考えながら、サクは受け取った鈴をユーリと同じようにズボンのポケットにしまった。
「ねぇ、ユーリ。エクシオンに到着したら、どうするの?」
唐突にアサヒが尋ねる。すぐさまミリアが「そうよ」と言った。
「私たち、何も計画してないけど大丈夫なの?」
「計画ったって、エクシオンについて俺たちが知っていることといえば、神殿があることと、代々エクス族の族長がその神殿を守っているってことくらいだ。それ以上のことは何も知らない。つまり、現時点で決められることは何もないってことだ。
俺たちは巡礼者としてエクシオンへ入る。そこから先のことは、入ってから決めるしかない」
「エクス族の族長……」
アーロンが神妙な面持ちで呟いた。
「ソイツに訊けば、親父たちがどこにいるのか分かるんじゃないか?」
「アーロン。まさかリックのことを忘れたわけじゃないだろ? あの時俺たちがどんな目に遭ったか……。
リックはエクス族に操られていた。そのエクス族の族長が、リックを操った張本人かもしれないんだぞ」
「すまない。危機感が欠けていた」
冷たい空気が静かに沈んでいく。ミリアが重そうに口を開いた。
「……ユーリは、本当にお父さんたちが生きてるって思ってる?」
「何だ、今さら」
「今確認しておきたいの。エクシオンへ入る前に。私は……正直、生きている可能性は低いと思ってる。だって、三年も音信不通なのよ? もし生きているなら、連絡の一つくらいあったっていいでしょ」
ユーリはミリアに向けていた目を、静かにアーロンに移した。
「お前はどうなんだ? アーロン」
「俺は……俺も、ミリアと同じだ。お前が言い出さなかったら、ここまで来ることはなかっただろう。だが後悔はしていないし、ここで引き返すつもりもない。俺は自分自身のけじめをつけるために、エクシオンへ行く」
ミリアが同調するように力強く頷いた。ユーリは小さくため息をついた。
「ったく、まるで三年前の親父たちみてぇだな」
そう言うと、ユーリはリュックの片紐を掴んで立ち上がった。
「俺は、親父たちは生きていると信じている」
サクは決意に固められた琥珀色の瞳を見上げた。それから立ち上がったミリア、アーロン、そして最後に、アサヒの顔を見た。
目的は違えど、覚悟は皆同じ。サクは疲労を感じ始めたふくらはぎに力を込めて、立ち上がった。
町を囲む、堅固な壁を見上げる。石を一つ一つ組み上げて作られたその要塞は、聖地エクシオンと呼ばれるこの町が、長い時間変わらずここにあり続けていることを示している。
突然、ぎゅっと右手を掴まれて、サクは隣を向いた。
巨大な敵を前にしているかのように、青い瞳が慄いていた。
その瞬間、サクは自分自身の不安や恐怖を忘れ、アサヒの震えが止まることを願った。握られた手を強く握り返す。
「大丈夫。俺がついてるから」
アサヒは前を見据えたまま、小さく「……うん」と返した。
「行くぞ」
ユーリを先頭に、サクたち一行は門へ向かって突き進んだ。
黒い鋼鉄の扉が閉ざされた門の前に、二人の門番が立っていた。どちらも二十代から三十代くらいの体格のいい男だ。袖口や襟に金色の刺繍が施された茶色のコートを身にまとい、頭に毛皮の帽子をかぶり、肩に小銃を提げている。
「止まれ」
命令に従い、サクたちは全員ピタリとその場で足を揃えた。
「見ない顔だな。通行許可証は持っているか」
「いいえ」と、代表してユーリが答える。門番はわずかに眉をひそめたまま続けた。
「ならば、なぜここへ来たかを言え」
「もちろん、祈りを捧げるためです」
「巡礼者か。こんな時季に巡礼とは珍しいな」
門番は訝しげな目でサクたちを見回した。ユーリは臆する様子なく、すらすらと答えた。
「私たちは皆、農場で働く身寄りのない人間でして。農場主から仕事の少ない今の時季であれば行ってもよいと、やっとのことで許可を得ることができたのです。ですので、多少無理をしてここまでやって参りました。どうか神殿へ上がらせていただけないでしょうか」
すると、門番は短く息を吐き、無線でどこかへ連絡した。
「……そうだ。五人。男が三人、女が二人だ。……了解」
通信が切れる。
「この先、壁の両側に部屋がある。お前たちにはそこで身体検査を受けてもらう。その前に、通行料一万エルンを徴収する」
サクたちが通行料を支払うと、二人の門番は鋼鉄の扉を開けた。ギィーッと音が寒空に鳴り響く。足を踏み出した直後、その先にあるトンネルのような石壁の左側のドアが開いた。
「女性はこちらへ」
表情の薄い女が低い声で呼ぶ。アサヒはサクを一瞥すると、不安を隠すかのように正面を向いて、ミリアとともに部屋の中へ入っていった。
それからすぐに右側のドアが開いた。門番と同じ服装をした、しかめっ面の男が顔を出し、親指で後ろを示した。
「男はこっちだ」
天井からランプが吊り下がっているだけの、何もない簡素な部屋に通される。
バタンと、サクの背後でドアが閉じた。しかめっ面の男とは別の男が、閉ざされたドアの前で見張りにつく。その対角線上の部屋の隅にも別の男が、いかめしい顔をして立っている。
「早速だが、これは没収させていただく」
しかめっ面の男は、アーロンの手からシャベルを取り上げた。それから鷹のように鋭い目を向けながら、サクたちに名前、住所、職業を訊いた。サクたちは全員淀みなく、名前、偽の住所、偽の職業を答えた。
男はしかめっ面のまま「よし」と声を出すと、手にしたシャベルで床を指し示しながら言った。
「カバンやポケットの中にある物、身に着けている物をすべてここに出したまえ。安全確保のため、武器となり得る物は全て没収させていただく」
サクは命じられた通りに実行した。財布や水筒、毛布など、リュックに詰め込んでいる持ち物をすべて取り出し、床に並べる。その横に、腕時計と、ズボンのポケットに入れていた鈴を置く。
不安が心の中で渦を巻いた。いくらでも入る財布に、時刻を示さない腕時計。武器にはなり得ないが、一つ一つ詳細に調べられたらまずい。何より時計だけは、絶対に手放すわけにはいかない。
サクたち全員が持ち物を出し終えると、しかめっ面の男はリュックを全てひっくり返し、まさぐって、隠している物がないかを調べた。何もないことを確認すると、床に並んだ物を順に見て、折り畳み式の鋸やナイフを取り上げた。
「よし」
その号令にサクは安堵して、止めていた息を静かに吐いた。
「全員この場で服を脱ぎたまえ」
吐いた息と表情が凍りつく。
まさか、そこまでやるのか? と思ったが、門番は確かに「身体検査」と言っていた。荷物検査だけでは済まないことは初めから明らかだった。
サクは渋々服を脱ぎ始めた。寒さで体が震え、思うように動けず難儀する。
ストーブも何もない、こんな凍てつくような空間で服を脱がせようとは、ある種の拷問ではないか。
などという恨みごとを心の中で呟いたが、それどころではないことに気がついて、サクはすぐさま頭を切り替えた。
問題が二つ。一つは身体じゅうにある“あざ”のことだ。確実に理由を訊かれるだろう。
しかし、それよりも重大な問題がある。ユーリの銃だ。ユーリは銃をいつも上着の内側のホルスターにしまっていた。もし今もそこにあるとしたら、服を調べられたら見つかってしまうのではないか。
ユーリ以外の人間には見えない。だが、触れれば確かにそこにあるのが分かる。それがおもちゃの拳銃で、しかし人を撃つことができる拳銃だとは分からないとしても、まずい。非常にまずい。
サクは顔を青くしながら、なんとか服を脱ぎ切った。
「君……大丈夫か?」
サクはハッとして顔を上げた。しかめっ面――ではなく、心の底から憐れむような表情をした男が、サクを見下ろしていた。
「そのあざはどうしたんだ?」
「えっと……その……」
不意打ちに動揺し、うまく言葉が出てこない。男はスッと冷酷な表情になり、その顔を左に向けた。
「君は、日常的にこの者たちに暴力を振るわれているのか」
サクは慌てて否定した。
「違います! 断じて違います! 二人は絶対にそんなことはしません。このあざは、誰かに暴力を振るわれてできたものではありません。元々、そういう体質なんです。本当です。嘘はついていません!」
「……そうか。疑ってすまなかった」
男はサクの持ち物の中にあった毛布を手に取ると、そっとサクの両肩に掛けた。
サクは驚き、目をしばたたかせながら男の顔を見上げた。
「永遠なる神の国へ行けば、人はあらゆる苦しみから解放される。神の国は、私たちのすぐそばにあるが、真にその場所へ行くには神の導きがなくてはならない。ただひたすらに、その時がやってくるまで、祈りを捧げることだ」
男は目と口元に穏やかな笑みを浮かべた。
サクは急に態度の変わった男に恐怖心を抱きながら、「はい」と答えた。
「よし。検査はこれで終了だ。三分後にここへ女性が到着する。それまでに出る用意をしたまえ」
サクたちは大急ぎで服を着た。だが、完了した直後にやってきたのは、アサヒとミリアではなく、浅黒い肌をした若い女性だった。
女性は襟や袖口に金色の刺繍が施された、水色の丈の長い衣を身にまとい、白い綿毛のようなヘアバンドで耳を覆っていた。瞳の色と同じ、艶やかなダークブラウンの髪が、胸の下まで真っ直ぐ流れていた。
女性は両手を体の前で組むと、一礼して言った。
「巫女のナイラと申します。皆様をご案内するため、神殿より参りました。ですが、本日はすでに閉殿の時刻を過ぎましたため、神殿へは明日ご案内致します。それではこれより、皆様を滞在いただく宿舎へご案内致します」
ナイラは言い終えると、すぐに部屋を出ようとした。サクは急いで尋ねた。
「あの、他の二人は?」
「女性のお二人は、先にご案内致しました」
サクはふぅ、とひと息ついて、淡々と歩き出したナイラの背中を追った。




