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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第四章 北の深淵が光り輝く
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90話

 北部の大半の地では、年間を通して降水量が少なく、寒さの割に雪はそれほど深くは積もらない。おかげで足を取られることはないが、だからと言って楽に進めるわけではない。

 背負っている荷物の重みと、全身を覆っている防寒具の重み。それに加えて、氷点下にまで下がった空気が、容赦なく体力を削っていく。


「今日中に村までは行けそうにないな」


 ユーリがそう言った瞬間、安堵と落胆が同時にサクの心中に湧いた。

 次の村までは、休むことなく歩いても、真夜中にようやくたどり着けるかというくらい距離がある。体力的にもこれ以上進むのは厳しい。

 だが、これからさらに寒くなるであろう、この真っ白な大地の上で一夜を明かすというのも、無謀ではないだろうか。


 サクがユーリたちと行動をともにするようになって、一週間が過ぎた。これまではなんとかその日の移動で村にたどり着けたが、幸運は続かないようだった。


 ユーリは背中から荷物を下ろすと、シャベルを地面に突き立てて言った。


「よし。まず、アーロンは穴を掘れ」


「またかよ……って、今度は何のために穴を掘るんだ?」


「寒さを凌ぐために決まっているだろ。穴を掘って、そこで夜を明かす。だから、五人分のスペースが必要だ」


「そんな大仕事を俺一人にやらせる気か?」


「誰も一人でやれとは言っていない。シャベルはソイツとコイツで二本あるしな。他に動けそうなヤツは……」


 ユーリは疲れ切ったミリアとサクの顔を見て、「駄目だな」と呟いた。

 そんなことはないと言い返したいところだったが、サク自身、今からシャベルを握る自信はなかった。

 ユーリは小さく息を吐いて言った。


「早く暖をとれるように、俺は先に焚き火を用意する。それが済んだらそっちもやるから、待ってろ」


「いや、ユーリは休め。お前も疲れているだろう。穴掘りは俺一人でやる。この通り、筋力と体力だけが俺の取り柄だからな」


 アーロンは力を誇示するように、右手に持ったシャベルをひょいと肩に担いだ。


「分かった。穴掘りはお前に任せる。前のように深く掘る必要はない。風を防げれば十分だ」


「おう」


 アーロンは威勢よく答えると、早速地面にシャベルを突き刺して穴を掘り始めた。


「よし。――まだ動けるヤツは、焚火の用意を手伝ってくれ」


「待って」


 膝を屈めてリュックを開けようとしたユーリの動きを、アサヒが止めた。


「わたしは穴を掘るのを手伝うよ。二人で掘った方が早いでしょ?」


 ユーリは眉根を寄せて、近づいてきたアサヒの顔を見上げた。


「……大丈夫か?」


「大丈夫って、何が?」


「いや、何でもない。――頼む」


 ユーリは立ち上がって地面に突き立てたシャベルを抜き、アサヒに渡した。


「ラジャーです!」


 アサヒは顎をくいっと上げると、すぐにアーロンの元へ向かっていって、せっせとシャベルを動かした。


「あの体のどこにそんな力があるんだろう……」


 ミリアが不思議そうに呟いた。ユーリが渋い顔で頷く。


「全く同感だ。アサヒは万が一の時の保険だ。いざという時に頼りにならないようでは困るんだが……あの様子じゃ、心配無用だな」


「ふぅん、そういうこと。だからユーリはアサヒに甘いってわけ」


「甘い?」


「自覚ないんだ。私とアサヒじゃ、全然扱いが違うように感じるんだけど」


「は? どこがどう違うんだよ」


 サクは話を断ち切るように、ユーリの足元に置かれた薪を手に取って言った。


「焚き火を用意するんだろ」


 薪はユーリが運んできたこの一束のみ。念のためにと、今朝村を出発する前に、泊めてくれた家の主人に分けてもらった。

 村の住民たちの貴重な資源だ。一束譲ってもらっただけでもありがたい。

 だが……当然、これだけでは足りない。落ちている枝や、生えている木の枝を切り落として足す必要がある。


「枝を取ってくる。その鋸を貸してくれ」


 手のひらを向けると、ユーリは鋸を手にして立ち上がった。


「俺が取ってくる。お前らは先に火を起こして、番をしていてくれ」


 さっきまでユーリがいた場所に、ミリアが腰を下ろす。リュックの上に載っているマッチ箱を手に取って、囁くように言った。


「ユーリが一番甘いのは、実はアサヒじゃなくてサクかもね。……まぁ、二人とも私たちにはない特別な力を持っているんだから、当然か」


 組み上げた薪の下の新聞紙に、パッとオレンジ色の火が灯る。

 互いの目的のため、協力してエクシオンを目指すことを表明したあの日。サクは、ユーリから聞いた話をアサヒ以外には口外しないと約束した。その代わり、魔法によってできる「あざ」が命を削った証であることを、アサヒには内緒にしてほしいとユーリに頼んだ。

 自分と違って、アサヒにはあざがない。そもそも使える魔法がまるっきり違う。際限なく魔法を使えるアサヒに、あざの真相を伝えて余計な心配をかけたくない。


 最後に、あざを消すと記憶も消えることをサクはユーリに告白した。

 もしアサヒが魔法で自分のあざを消せば、最初に魔法を使った以後の記憶が全て消えてしまう。周囲の人間のことも、自分がここにいる理由も分からなくなってしまう。

 アサヒと出会い、ともに旅をしてきた記憶の全てを失ってしまう。

 だから、アサヒと約束をした。決して自分に魔法を使ってはならないと。


 ユーリがそのことをどう受け止めたのかは分からない。だがそれ以後、ユーリはサクに対して特別に気を配るようになった。

 道中、サクが疲労を顔に浮かべると、ユーリはすぐに休憩を宣言した。もう少し進んでからにしないかとアーロンたちが言っても、全く聞き入れなかった。

 勾配の急な道や凍った道を通った時には、幾度も「滑って転ぶなよ」と忠告された。ユーリは全員に向けて言っていたが、自分にだけ言われているような気がして、サクはその度にうんざりした。

 アサヒの魔法は、死んだ人間には通用しない。事故や災害……あの列車の時のように、誰かに命を狙われていなくとも、危険は常に身近にある。アサヒという保険があるからといって、安心しきれるわけじゃない。命を落としたら終わりだということに、変わりはない。


 だからこそ、サクはさっきのユーリの態度にも不満を持った。「お前は何もしなくていい。安全な場所でじっとしていろ」そう言われた気がした。

 自分だけが特別扱いされる筋合いはない。心配症はアサヒだけで十分だ。

 そのアサヒはというと、「よっこらせ」だとか、「よいしょ」だとか言いながら、元気に穴を掘っている。疲れを見せる様子は一向に無く、むしろ楽しげだ。

 このところアサヒの過度な心配症は、皮肉なことに、ユーリのおかげで少し軽くなったようだった。


 炎の熱と眩しさに、だんだん目がチカチカしてきた。サクは自然とまぶたを閉じた。

 暗闇の中でも火はしばらく消えず、ぼんやりと明かりを灯し続けていた。だがほどなくして、疲労による眠気がその小さな残り火を消し去った。




 傷だらけの椅子やテーブル。欠けた食器。破れたカーテン。

 うら寂しい部屋の片隅で、ただ一日が過ぎるのをじっと待つ。

 日が昇り、雲が流れ、風が吹き、時々雨が降る。日が沈む。

 こうして一日は過ぎていく。

 変化のない日々。


 ……突然、窓の外から声がした。耳がピクッと反応する。

 小鳥のざわめきに混ざって、優しい声が聞こえる。

 耳慣れた優しい声――と、初めて聞いた声。鈴の音のようなかわいらしい声。

 小鳥が話しているのだろうか? 小鳥は言葉を話せただろうか?

 不思議に思って立ち上がる。玄関へ向かう。

 閉ざされたドアを開けた。




「もう! また毛布もかけずに寝て!」


「アサヒってば、お母さんみたい。それにしても座ったまま寝るなんて、サクって器用ね」


「寒くて固まってるだけなんじゃねぇか?」


「……やっぱり、ぐるぐる巻きのロールケーキの刑に処さないと」


「何それ?」


「サクが毛布もかけずに寝ちゃった時の罰。こうやって……毛布でぐるぐる巻きにして……できたっ」


「ロールケーキっていうより、ベーコン巻きみたい」


「だな。……んじゃ、火で炙って食うか」


「――は?」


 身の危険を感じて目覚めたサクは、勢いよく立ち上がろうとした。が、両腕が固定された状態では上手くバランスを取ることができず、ごろんと無様に転がった。


「ロールケーキでもベーコン巻きでもないわ。これはただのミノムシよ」


 ミリアの冷ややかな視線が容赦なく顔面に降り注ぐ。


「おーい。出てこい、ミノムシ」


 アーロンがシャベルの柄の先で、毛布にくるまれたサクの体をツンツンつついた。


「お前ら……」


 サクは自力で起き上がると、身体に巻かれた毛布を振り解いた。

 焚き火がパチパチと音を立てている。炎の中心部にある薪はすっかり焦げ、表面が黒く染まっている。三十分以上は眠っていただろうか。

 なんだか、妙な夢を見た気がする。このところ見ていた夢とは違うような……。


 ――夢?


 そうだ。夢を見ていた。これまでは夢を見ていたかどうかさえ覚えていなかった。

 だが今回は違った。夢を見ていたことも、おぼろげだが、夢の内容も少し覚えている。

 傷だらけの椅子やテーブル。殺風景な部屋。誰かの声……。


 最近の寝起きの頭痛と吐き気の原因は、見た夢を忘れてしまっていたことにあるのではないか。ふと、そう思った。

 その証拠に、今は頭痛も吐き気もしない。


「それにしても、ユーリはいったいどこへ行ったのよ?」


 ミリアが腕を組み、苛立った様子で森の方へ視線を飛ばした。


「……ユーリ、まだ戻ってきてないのか?」


 サクはアサヒに尋ねた。


「うん。穴はもう掘り終えたんだけど……」


 アサヒが背後を向く。白い雪に縁どられた長方形の穴。その上には緑色のタープが張られている。


「さっきあっちの森の方へ行ってみたら、すぐ近くの木の根元に、枝がひとまとめにして置かれていたの。ほら、これよ」


 ミリアは荷物のすぐそばに置かれていた枝を指差した。


「だけどユーリの姿が見当たらなくて……。全く、いつも私たちにああしろこうしろって指示するくせに、自分は黙って勝手にいなくなるなんて、どういうつもりよ」


 アーロンが地面からシャベルを拾い上げて、野太い声を発した。


「俺が捜してくる。足跡を辿れば見つけられるはずだ」


「待て」


 サクは強い口調でアーロンを制止した。


「俺が行く。足跡のつかない場所があるかもしれない。それでも俺になら、ユーリがどの方向にいるのか分かるから」


 ミリアが大きく目を見開きながら、「本当?」と言った。アーロンが二度まばたきをする。


「魔法か……? いや、なんでもいい。頼む」


 サクは力強く頷いて、振り返った。


「アサヒ」


「うん」


 アサヒはシャベルの柄を両手で強く握って頷いた。




「ユーリ! 聞こえてるなら返事をしろ!」

「どこにいるの? ユーリ!」


 眠っている森を叩き起こすかのように、サクとアサヒは声を張りあげた。

 雪に刻まれた足跡と時計の針を頼りに、一歩一歩進んでいく。


「アイツ、どこまで行ったんだよ。枝を切るだけなら、そんなに離れた場所へ行く必要はないだろ」


「うん……。何か、別の目的があったんじゃないかな?」


「別の目的って?」


「たとえば、食料になりそうなものを見つけた……とか?」


「そんなもの、見当たらないぞ」


「そうだね……」


 アサヒは不安げな表情で左右を見回した。サクは再び「ユーリ!」と声をあげた。

 すると数秒経って、ユーリからの返事の代わりに、どこかから「アオォーン」と遠吠えが聞こえた。


「今のって……」


 アサヒが青い顔で呟いた。


「オオカミの鳴き声だ」


 恐怖を無理矢理抑え込むような声で答えたサクに、アサヒがぴたりと身体を寄せた。

 悪い想像が頭に浮かぶ。それを振り払うようにサクは言った。


「仮に襲われたとしても、アイツなら大丈夫だ。鋸に――銃も持っているんだからな」


「確か、銃は三回まで使えるんだったよね? そのうちの一回は既に使っているから、残りは二回。もし使い切っていたら、銃は壊れてしまったはず」


「もし銃が壊れたら、魔法の効力もなくなる。そうなれば、この時計はユーリの居場所を示さなくなるはずだ」


 サクは左腕につけた時計から視線を上げた。

 冷たい風が薄い刃のように頬を引く。

 気温が下がってきている。もしもユーリが動けない状況にあるならば、早く見つけ出さないと危険だ。


「……あれ、なんだろう?」


 突然、アサヒが何かを見つけた様子で、前方を見ながら声を発した。

 近づくにつれて、その姿が明らかになっていく。

 森の中の少し開けたその場所に、こんもりと盛り上がった小山が横たわっていた。

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