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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第四章 北の深淵が光り輝く
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86話

 ユーリは拳銃を持った手を握りしめて、仲間の男女に言った。


「運転室へ行く」


 男の方が野太い声で「あぁ」と答えた。


「何が起きているのか、確かめる必要があるな」


 女の方も無言で頷く。ユーリたちは連れ立って、車両前方のドアから出ていった。

 ドアが閉まって数秒後、乗客たちはおそるおそる腰を浮かし、ざわざわとざわめき始めた。


「おい。一体何が起きてるんだ?」

「分からない……が、今なら逃げられるんじゃないか?」


 その時、乗客の一人が立ち上がった。


「今のうちに逃げましょう。それが、神の思し召しであることは間違いありません」


 車内が再びしんと静まり返る。その乗客は大仰に両手を広げて言った。


「ご覧なさい。これが神の御業でないというのなら、一体何だというのでしょう?」


 導かれるまま周囲を見た他の乗客たちは、その時初めて気がついたかのように、目を見張った。

 壁に、天井に、床に、座席に……。すべてが真新しく輝いている。その光り輝く列車は、つい数分前、絶望の淵から生還を果たしたのだった。

 それはあまりにも奇妙で、あまりにも奇跡的な出来事だった。


「神の思し召し……」


 乗客たちはおぼろげに呟くと、突然意識を取り戻したように口々に言った。


「神が……神が、お助けくださったんだ」

「早くここから逃げなくては」

「そうだ。今のうちに逃げるべきだ」

「ここから西へ七キロのところに村がある。そこまで歩いて逃げよう」


 乗客たちは慌ただしく動き出した。荷物を持ち、一斉に乗降ドアに向かっていく。


「ほら、あんたたちも。早くしないと置いていくぞ」


 そう言われ、サクの心に一時迷いが生じた。

 身の安全のために、この列車から離れるべきなのは確かだった。ここに居続ければ、またいつ何時危険にさらされるか分からない。

 ユーリと呼ばれていたあの男と、その仲間の男女。

 あの者たちは何者なのか。何の目的があってこのようなことをしているのか。なぜ列車は急加速したのか。

 何もかも不明な状況で、ここに残るのは最善ではない。

 しかし――。

 サクは腕時計に目をやった。針は、ユーリが出ていったドアの方を指している。


 いつの間にか、サクとアサヒを除く乗客全員が列車を降りていた。

 離れていく暗い人影が、窓の外に見える。ここにいる自分たちのことを気に留めている人間など、あの中にはもはや一人もいないだろう。


「わたしたちはここに残ろう。あとちょっとのところまで来たんだから」


 緊張と恐怖を押しとどめるような、力のこもった声でアサヒが言った。

 サクは拳を握って頷いた。


「あの男……ユーリは、魔法のことを知っていた。きっと父さんのことも知っているはずだ。問いただして、必ず目的の物を手に入れる」


 サクは互いの意志を最終確認するようにアサヒと視線を交わした。それから、再びユーリたちの出ていったドアに目を向けた。

 閉ざされた鋼鉄のドア。あの向こうで、一体何が起きているのか……。

 その時だった。

 パンッ、と一発の銃声が響いた。連続して、女の叫び声が耳に届く。


「ユーリ!!」


 その瞬間、アサヒが弾かれたように駆け出した。勢いよくドアを開け、前の機関車に飛び移る。


「アサヒ!」


 サクは慌ててアサヒを追った。

 エンジン室横の狭い通路を走り抜けて、運転室に突入する。


 その光景を目にした瞬間、サクは言葉を失った。

 血塗られた床。その上に、二人の男が倒れていた。体の一部が重なり、それぞれの胸から流れ出た血が床で混ざり合っている。

 石膏のような白い顔。目は大きく見開かれ、びくともしない。

 そのすぐ隣に、右手で脇腹を押さえながら、苦しそうに呼吸をしている別の男の姿があった。女が声を震わせながらその男の名を呼んでいる。


「ユーリ……ユーリ! しっかりして! ユーリ!!」


 ユーリはおもむろに顔を上げると、消えかかった蝋燭の火のような目をサクに向けた。

 お前に話したいことがある。揺れる瞳がそう言っているように見えた。

 サクは目を見開き、鋭い声を発した。


「俺もお前に訊きたいことがある。だから死ぬな!」


「大丈夫」


 アサヒが静かに呟くように言い、前へ進み出た。


「わたしが治してあげるから」


 膝を屈め、右手を伸ばす。その手がユーリの左肩に触れた瞬間、ベールのような淡い緑色の光がユーリの全身を包み込んだ。

 それが実際に起きている現象なのか、錯覚なのか、サクには判別がつかなかった。

 ただ、人に魔法をかけるということは、物にかけるのとは全く違うのだと感じた。

 神の存在を信じているわけでもないのに、「神に背く行為」という言葉が頭に浮かび、同時に「神の使い」という言葉が浮かんだ。

 もしもアサヒが神の使いであるならば、この行為は許されるのだろうか――。


 やがて光は消え去り、ユーリの瞳に精彩が戻った。


「これでもう大丈夫!」


 そう言って、アサヒはすっくと立ち上がった。


「これって……」


 仲間の女が目を見張って呟く。

 ユーリは撃たれた脇腹からそっと手を離し、驚いた目でアサヒを見た。


「お前は――」


 その時、


「ユーリ!」


 サクの背後から野太い声がした。

 ユーリの仲間の大柄な男は、運転室に飛び込んでくるなり、目を白黒させた。


「お前……撃たれたはずじゃ……」


 ユーリはすぐに腰を上げ、目の色を変えて言った。


「訳はあとだ。それよりリックはどうした」


「リックは……川の中だ。すまない」


「そうか」


 ユーリは静かにため息をついた。窓の外に目を向け、すぐそばの崖の下を流れる大河を見つめる。


「あの川に飛び込んだんなら、今頃はあの世だろうな。元々俺たち全員を道連れにするつもりだったんだ。躊躇う気持ちなんてこれっぽっちもなかっただろう」


 サクは混乱した。一体どういうことだ?

 ユーリは二つの死体の前で腰を落とした。


「二人とも、至近距離から心臓を撃ち抜かれている」


「あぁ。まさかあの二発の銃声が、運転士とヒネクが撃たれた音だったとはな」


 女が足元をふらつかせながら言った。


「どうしてこんなことを……。リックとヒネクは仲間のはずでしょ? 子どもの頃から互いのことをよく知っていて、兄弟みたいな間柄だって話していたのに……」


 ユーリが感情を押し殺したような、低い声で答えた。


「おそらくヤツらの仕業だ。リックは、ヤツらの手先だったんだ。事故に見せかけてノウミ族の連中の計画を妨害し、ついでに俺たちを消し去ろうとした」


「そんなまさか。リックもヒネクたちと同じ、ノウミ族のはずでしょ?」


 大柄な男が乱暴に頭を掻いた。


「クソッ。何がなんだかさっぱり分からん。俺たちはこれからどうすりゃいいってんだ」


 ユーリは右手に銃を持ったまま、窓のそばへ寄った。


「ひとまず列車を動かす」


 女が眉をひそめる。


「何言ってるの? この列車は故障して動かないじゃない」


「いいや、動く。――だよな?」


 突然向けられた視線に、サクはぴくりと肩を震わせた。

 大柄な男が割って入る。


「ちょっと待て。そういや、なんでコイツらはここにいるんだ? お前が撃たれたのに無傷なことと、何か関係があるのか?」


 女がハッとした表情でアサヒを見た。言葉にならない衝撃と、畏怖の念が顔に浮かんでいる。


「訳はあとだって言ったろ」


 ユーリはそう言うと、サクに近寄り、手に持った銃をみぞおちに突きつけて囁いた。


「列車を動かせ。できるよな? ――魔法使いの息子」


 一瞬の驚きのあと、サクは確信に満ちた目でユーリを見返した。

 魔法について、父について。知っていることを話してもらう。何もかも、全てを。

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