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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第三章 西の大地が赤く色づく
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79話

「やぁ、待っていたよ」


 艶々とした漆黒のドアが開き、ブラムリーが顔を出した。

 サクは頭を下げた。


「遅れてすみません。今日に限って、隣の席の人に捕まってしまって……。社長も二十分ほど遅れるそうです」


「そうか。まぁ、いつものことさ。見越して夕食の支度を少し遅らせてもらったから、問題ない」


 ブラムリーはそう言うと、くるりと方向転換した。上機嫌な足取りで奥の部屋へと入っていく。

 サクもあとに続いて、昨日と同じ部屋に入った。

 テーブルの上には、人数分のフォークとナイフ、それから空のグラスが用意されていた。


 ブラムリーに勧められて席につく。

 そこへ、白いエプロンを着けたアサヒが小走りでやってきた。


「いらっしゃ――あれ? サクだけ?」


「社長ももうすぐ来るよ。手伝おうか?」


「今は大丈夫! ゆっくりしてて」


「分かった。必要になったら呼んで」


「うんっ。……あっ。スープ、温めないと!」


 アサヒはそう言って、スタスタとキッチンに戻っていった。


「……彼女のことが心配かい?」


「え?」


 サクはまばたきしながら、ブラムリーを見た。

 ブラムリーはわずかに笑みをたたえて言った。


「器量がいい。気立てもいい。変な男が寄ってこないか、兄としてはさぞ心配だろう」


「えっと……まぁ……」


 苦笑いを浮かべながら同じる。


「彼女の方も、いつも君のことを心配しているようだな。よくそこの窓から、工場の方角を見ている」


 サクはゆっくりと視線を窓に向けた。道路を隔てた向こう側に建つビルの窓枠が、暗がりの中でかろうじて確認できる。

 ここから自分の勤めている工場は、決して見えない。たとえ昼間であっても。

 全く甘くないクッキーの味が、口の中にじんわりと広がった。消えたはずの苛立ちが戻ってくる。


「……アサヒは、俺がいなくなるのが怖いんです。俺がいなくなったら、一番大事な目的を遂げられないから」


「父親に会うという?」


 サクは一瞬迷って、肯定した。父親に会いに行くというのは嘘だが、アサヒにとって一番大事な目的は、「誰か」に会うことだ。嘘とはいえ、遠くはない。


「二人一緒でなければ、駄目なんです」


「なるほど」


 ブラムリーは少し間を置いて、口を開いた。


「“心配”というものは難しい。愛情と捉えることもできるし、相手を支配したいがための利己的な感情と捉えることもできる。

 それを受け取る側の気持ちも複雑だ。全く心配されないのも悲しいが、心配されすぎると信用されていないのかと思い悩む。時には苛立ちを感じることもある」


 見透かすような薄茶色の瞳が、サクをじっと見つめる。


「……私は子どもの頃から、体が弱くてね。家に引きこもりがちで、友達は一人もいなかった。そんな私を、両親はいつも心配していた。どうにかして友達を作らせようとしていた。近所の子どもたちが遊ぶ声を聞いて、散歩に行こうと言ったり、わざと一人では遊べないおもちゃを与えたりして。

 ある時、数キロ離れた親戚の家から、私と同じ年頃の子どもがやってきた。両親はその子どもを私の部屋に連れてきて、強引に対面させた。

 コックスの、私に対する印象は最悪だったろう。何しろ私は、顔を合わせるなり、出ていけと怒鳴り散らしたのだからね。

 コックスは驚いた顔をしてすぐに出ていったが、次の日もその次の日も、私の家にやってきた。……それはなぜか。分かるかい?」


 戸惑うサクに、ブラムリーは口の両端を上げて言った。


「彼は、リンゴを収穫しに来てたんだ」


「……リンゴ?」


 サクは目をぱちくりさせた。


「私の家は、その町で一番大きなリンゴ農園だったんだ。毎年収穫の時期になると、臨時で人を雇っていた。つまりコックスは、単に小遣い稼ぎに来てたってわけだ。

 私はそれを知って、猛烈に恥ずかしくなった。両親には、私とコックスを引き合わせ、あわよくば……という思惑があっただろうが、コックスにはあずかり知らぬところだったろう。

 毎日悶々としながら過ごした私は、ある日思いきってコックスに話しかけた。コックスはまた驚いた顔をしたが、気さくに話をしてくれた。私は最初の態度を詫び、その日を境に私たちは友となった」


 ブラムリーは壁に掛けられた時計に一瞬、視線を向けた。


「コックスはそれから毎年、収穫の時期になると小遣い稼ぎにやってきた。

 昼は仕事に励み、夜は私の部屋で遅くまで話し込んだ。翌朝になると、また大きな脚立を持って収穫に向かった。私もついて行った。……そして、事故が起きた。

 前日、私と遅くまで話し込んだせいで寝不足だったのだろう。コックスは足を踏み外して、脚立の一番上から落ちてしまった。

 頭から血を流し、呼びかけても返事をしなかった。私は気が動転し、頭が真っ白になった。このまま彼が目を覚まさないのではないかと、不安に駆られた。

 それからすぐに、コックスは病院に運ばれた。彼が目を覚ますまで、私は生きた心地がしなかった」


 サクはなるほどと思い至って、呟いた。


「それであの時社長は、『リンゴ農家の百倍は安全』って……」


「あぁ。コックスはああ見えて小心者でね。あの事故以来、脚立には一度も登っていない。ついでに今でも高い所が怖いらしい」


 ブラムリーは立ち上がると、暗い窓に近寄ってカーテンを閉めた。ゆっくりと振り返り、暖かな照明の光を吸い込んだ瞳をサクに向ける。


「突然、自分の元からいなくなるかもしれないという不安は、そう思う相手が大切であればあるほど、大きいものではないかな?

 彼女の君に対する心配は、そうした不安の表れのように、私には見えるがね」


「それって、つまり――」


 その時、ブーとドアブザーが鳴った。


「ようやくお出ましだ」


 ブラムリーはいそいそと玄関に向かっていった。



「やぁ、諸君。待たせてすまなかった」


 コックスは工場で会った時とは違い、くすんだオレンジ色のセーターにベージュのパンツというラフな装いをしていた。

 サクはすっと背筋を伸ばした。


「お疲れ様です。社長」


「おいおい、よしてくれ。この格好が目に入らないか? 今の私は、君の知り合いのただのおじさんだ」


 コックスはおどけた顔で、両腕を広げてみせた。

 その片方の手に握られていた細長い紙袋を、ブラムリーが掴んで言った。


「ちゃんと冷えているだろうな?」


「当たり前だ。コイツがぬるけりゃ、今日の宴は台無しだからな」


 奥のキッチンから、アサヒが小走りでやってきた。


「こんばんは! コックスさん」


「おぉ、嬢ちゃん。嬢ちゃんの手料理、楽しみにしてたんだ。今日はご馳走になるよ」


「はいっ。もうテーブルに運んでいいですか?」


「よろしく頼む」と、ブラムリーが答える。


「手伝うよ」


 サクはそう言って席を立った。


 料理を運び終えて、再び席につく。

 メニューは、茄子とキノコのサラダ、スペアリブ入り玉ねぎスープ、パン、牡蠣のベーコン巻きソテー。

 デザートは無いらしいが、代わりにナッツのキャラメリゼが皿一杯に盛り付けられていた。

 コックスがヒューと口笛を吹いた。


「これはこれは。期待以上だ」


「さぁ、乾杯しよう」


 ブラムリーがグラスを手に持つ。

 サクも自分の前に置かれたグラスを持った。席を立った隙に注がれたのか、グラスには既に少し黄色がかった炭酸飲料が入っていた。


「素晴らしい料理と、素晴らしいサイダー。そして私たちの出会いに、乾杯」


「乾杯」


 サクはグラスを大きく傾けた。ゴクッゴクッと喉を鳴らし、ほのかに甘いこの飲料を胃に流し込む。


「うまい」


 思わず口から声が出た。

 ブラムリーが誇らしげな笑みを浮かべた。


「そうだろう。このサイダーは世界一美味いんだ。何せ、私の妹たちが丹精込めて作ったリンゴから出来ているんだからな」


「おいおい。うちの家族も忘れるなよ。兄貴達が丁寧に丁寧に造り上げて、初めて世界一のサイダーになってんだ。リンゴがくるっとそのままサイダーに変身するわけじゃないぞ」


「何を当たり前のことを言ってるんだ、お前は。……さぁ、もっと飲むがいい。今年は特に出来がいいからな」


 サクはぺこっと頭を下げて、グラスに再び爽快で癖になる飲料が注がれるのを待った。

 コックスが言った。


「それにしても、素晴らしい料理だ。このメニューはお嬢ちゃんが考えたのかい?」


「それが、最初は一人で考えたんですけど、よく分からなくて。いつも行くお肉屋さんに相談して、一緒に考えてもらいました」


「あぁ。あの眉目秀麗な若人だね」


 ブラムリーの言葉に、サクの耳はピクッと反応した。

 コックスが眉根を寄せた。


「お前はちょいちょい言葉が堅いな。普通にイケメンと言え」


「……そういえば、そのイ――美男子は、以前は料理人を目指していたそうだね。父親が病気になって、店を継ぐことに決めたようだが」


「やけに詳しいじゃないか」


「あの肉屋の入っているビルは、私のものだ。知らなかったのか?」


「あぁ、そういやそうだったな」


 コックスは自分の皿のナッツを素手でつまむと、大きく開けた口に放り込んだ。

 サクは手に持ったグラスが空になるまで傾けた。

 ポンッと、テーブルに置いたサクのグラスに、ブラムリーがサイダーを注ぎながら言った。


「君の方はどうだい? 仕事は順調かい?」


「……はい」


 コックスがぐいっと前のめりになる。


「ん? 声が小さいぞ。社長の前だからって遠慮はいらない。不満があるならこの機会に言ってくれ。――と言っても、あと一週間も無いんだから、ちょっとのこたぁ我慢してくれよな」


「別に不満なんて無いですよ。仕事をさせて頂いて、その上北部まで連れて行ってもらえるんだから、文句を言えた義理じゃないですし。

 けど、可能なら席を替えて欲しいです。隣の人がいつも仕事が終わらずに残っていて、その仕事を俺に振ってくるんですよ。おまけに食べ方も汚いし」


「おかしいな。彼には君のサポート係を頼んだはずなんだが……」


「どちらかと言うと、俺の方がサポートしてますけど。設計図と手順書を最初に渡されただけで、何を作るのか尋ねても教えてくれなかったし。というか、知らないって言ってましたけど、あの人」


「ん? なんだ。君は今まで、自分が何を作っているのか知らなかったのか?」


「はい」


 サクは答えて、グラスをぐいっと傾けた。ぐびぐび、ゴクッ。直後、胃からせり上がってきたガスを、すんでのところで飲み込んだ。

 なんだか頭がクラクラするな。そう思いながら、テーブルに視線を戻す。ナッツのキャラメリゼがキラキラと輝いて、本物の宝石に見えた。


「悪いが、今席を替えるのは無理だ。もう少し辛抱してくれ。それと、君が作っているのは――だ」


「え? なんて?」


「だから、」


 コックスは両手で何かを持つようなジェスチャーをしながら、ウインクをした。


「――だよ」


「はぁ」


 サクは眉をひそめながら、コックスの真似をしてウインクをした。

 コックスは口を大きく開けて笑うと、皿に載った宝石を手でつまみ、口の中に放り込んだ。

 ブラムリーがしげしげとサクを見ながら呟いた。


「君……」


 アサヒが不安な面持ちでサクの体を揺する。


「サク? ねぇ、どうしたの? 様子がおかしいよ?」


 サクはフッと鼻で笑った。


「どこがおかしいって? 顔か?」


「何を言ってるの?」


「肉屋のイケメンとやらと比べるなよ。それとも、父さんか? 血が繋がってないんだから、似てないのは当たり前だろ」


「ねぇ、本当にどうしちゃったの?」


 コックスがハッハッと笑った。


「こりゃ、完全に出来上がってるなぁ」


 ブラムリーがアサヒに向かって言う。


「水を飲ませてあげなさい。どうやら彼は、酒に弱い体質のようだね。美味しそうに飲んでくれるものだから、つい次から次へと注いでしまったが、これ以上はやめておいた方がよさそうだ」


「お酒?」


 アサヒはサクのグラスに残った、薄黄色の液体に目を向けた。

 ブラムリーが不思議そうに眉根を寄せる。


「サイダー、つまりリンゴ酒のことだが」


「……サイダー……リンゴしゅ……?」


 サクは呟き、揺れる頭に両手を当てた。



 それからどうやって自分たちの部屋へ戻ったのか、サクは覚えていなかった。

 気がつくと、天井も床も壁も全てが白い部屋にいて、黄色い二人掛けのソファの背もたれに寄りかかっていた。


 立ち上がり、よろよろとキッチンに向かう。

 グラスに水を注ぎ、飲み干す。また注ぐ。どんなに水を飲んでも、体がふわふわと浮いているような感覚が消えない。

 まさかサイダーが酒だったとは。完全に油断していた。


「大丈夫?」


 アサヒが心配そうな顔をして言った。サクは頷きながら、赤く染まった顔を背けた。


「先生と一緒だね。お酒に弱いところ」


「一緒にするな」


「もう。比べるなって言ったり、一緒にするなって言ったり。サクは先生のこと、本当は嫌いなの?」


「そんなわけ」


「うん、わかってるよ。……サクが今まで絶対にお酒を飲まなかった理由も、知ってる」


 サクは横目でアサヒを見た。


「先生が飲まなかったから。でしょ?」


 サクはゆっくりと水の入ったグラスに視線を移した。

 父は酒が苦手で、家でも外でも飲まなかった。祖母も同じだった。だから、自分も飲まないと決めていた。

 父と祖母が飲めない酒を飲めても嬉しくない。二人と同じでいたかった。そんな些細なことでも、繋がりを持っていたかった。

 優しく、わずかにエコーがかった声が耳に届く。


「サクの中に、いつも先生の存在を感じる。温かくて、優しくて、時々厳しい。わたしの知らない先生の姿。

 先生はわたしにいろんなことを教えてくれた。魔法だけじゃない。お金の使い方とか、乗り物の乗り方とか。だけどきっと、サクはもっと長い時間をかけて、もっとたくさんのことを先生から受け取っていたんだと思う」


 サクは虚ろな目でアサヒを見た。

 顔が熱い。一際、目が熱い。酒のせいか?


「サクにとって先生は特別な存在だけど、先生にとってもそうだったんだと思う。二人は見えない絆で繋がっている。そう感じるの。やっぱり、親子だからかな」


 そう言って微笑むアサヒを、サクは強く抱きしめたいと思った。

 両腕を伸ばした時にはもう遅かった。

 衝動は抑えきれなかった。

 酒のせい――と完全に言い切ることはできない。その欲望は、確かに自分の中にあったものなのだから。

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