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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第三章 西の大地が赤く色づく
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78話

 目の前に座る、痩身で顔の青白い中年男性に、サクは頭を下げた。


「もう少しだけ、貸してくれませんか。あと一週間でいいので」


「そんな深刻そうな顔をしないでくれ。何週間でも何ヶ月でも構わないって、最初に話しただろう? 君たちは私の命の恩人なのだから」


「ありがとうございます」


「あと一週間……ということは、なるほど。仕事が延びたんだな?」


「はい。それで、運搬車が出るのも一週間後らしいので」


「そうか。さらに一週間延ばされないように、気をつけるんだぞ。コックスのやつ、君の腕を買っていたからな。器用で筋がいいと。このまま働き続けないかって、君に打診しようとしていた」


「気持ちは嬉しいですけど、困ります」


 サクは苦笑いを浮かべた。

 そこへ、白いエプロンをつけたアサヒがトレーを持ってやってきた。


「クッキーが焼けました!」


「おぉ。さっきからゴマの香ばしい香りがすると思ったら、正体はこれか」


「昨日の夕食の材料が余ったので、生地を作って寝かしておいたんです。お昼ご飯の準備をする前に焼いちゃおうと思って。ぜひ、焼きたてをどうぞ」


「いただこう」


 男性は皿からクッキーをつまみ上げると、ひと噛みした。瞬間、白髪混じりの眉がぐいっと上がった。


「これはうまい! いくらでも食べられそうだ。……君、この仕事を続ける気はないか? 給料は今よりも三割増しってところでどうだい?」


「三割増し……」


 サクが鋭い視線を向けると、アサヒは口をきゅっとすぼめた。


「おっとすまない。君たちの仲を引き裂こうとして言ったわけじゃあないんだ。まぁ、気が変わったら言ってくれ。

 ……ところで。明日の夜、コックスとここで夕食の約束をしているんだが。よかったら君たちも一緒にどうだい?」


「いいんですか?」と、サクは遠慮がちに尋ねた。


「もちろんだよ。どのみち、彼女には夕食の用意をしてもらうからね。それならいっそのこと、四人で食事をしたらどうかとコックスが言ってきたんだ。だから遠慮することはない。無礼講で構わないよ」


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 男性は頷くと、アサヒに顔を向けて告げた。


「明日の夕食は、午後七時半からとしよう。いつも通り、何でもいいから君の得意な物を作ってくれ。四人分だから、材料費はいつもより多めに渡そう。

 おっと。何でもと言ったが、出来ればサイダーに合うものだとありがたい」


「わかりました! 早速考えます!」


 アサヒは笑顔で答えると、小走りでキッチンに向かっていった。

 サクは椅子を引いて立ち上がった。


「すみません。そろそろ仕事に行かないと」


「おっと。足止めしてすまなかった。明日の夜、また会おう」


「はい。ブラムリーさん」


 サクは軽く頭を下げ、玄関に向かった。

 キッチンから戻って来たアサヒが、クッキーの入った小さな袋を差し出して言った。


「はいっ、サクの分。お砂糖少なめで作ったから、サクでも食べられると思って取っておいたの」


「……ありがとう」


 受け取った袋はまだ温かく、熱を逃がすために口がわずかに開けられていた。そこからゴマの香ばしい香りが漂ってきて、鼻の奥を刺激した。と同時に、腹がぐぅぅと唸り声をあげた。


「もうお腹空いたの? さっき一緒に朝ごはん食べたばかりなのに」


「仕方ないだろ。減るものは減るんだから。……じゃ、行ってくる」


「うん……。いってらっしゃい」


 少し不安そうに微笑むアサヒに背を向けて、サクはドアを開けた。


 古い雑居ビルの最上階。このフロアは丸ごと、ビルの所有者の住居となっている。

 外観と違って、内装はリフォーム済みで新しく、住人の趣味なのか、天井も床も壁も全てが黒光りしている。

 その住人、ブラムリーとサクたちが出会ったのは、およそ二週間前のことだった。



 ルバートから北へ移動したサクとアサヒは、トラエスタという町で列車を降りた。

 そこは終点で、そこからさらに北へ行く方法はこれから調べなければならなかった。


 サクはカバンを肩から下ろし、ホーム上の案内板を見た。

 駅の出口は東西南北の四箇所。どちらへ向かうべきか思案する。

 案内板の後ろで、数本の煙突から煙がのぼっていた。トラエスタは、小さな工場の集まる町だった。

 もくもくとわく煙に気を取られていると、突然、見知らぬ男が近づいてきた。

 男はサクが気づいたその瞬間に、足元に置いていたカバンを盗って駆け出した。


 待て! と叫びながら、逃げる男を追いかける。さすが大胆不敵な窃盗犯というだけあって、男の足は速かった。

 しかし、足の速さでは負けていても、体力では負けていなかった。

 長いホームを突っ切り、階段を駆け上がり、反対側のホームに逃げ込んだ犯人に、サクはあと少しのところで追いつきそうだった。――ところが。


 すんでのところで、予期せぬことが起きた。

 窃盗犯とぶつかって、ホームにいた男性が線路に落ちてしまった。それも、十数秒後に列車が来るというタイミングで。


 悲鳴があがる。警笛が鳴る。

 サクは足を止め、肩を上下させながら、線路の上に倒れている痩せた中年の男性を見つめた。

 間に合わない。そう悟った時だった。


 体の横を、さっと風が通り抜けた。スモークブルーのコートが、目の前でマントのように翻った。


「アサヒ!!」


 考える間もなく、サクはアサヒのあとを追って線路に降りた。

 男性の腕を自分の肩に回して、無理矢理起き上がらせる。アサヒと力を合わせて、急いでホーム下の安全な場所へ避難した。

 幸い、列車はサクの元から十メートルほど手前で停止した。

 列車が完全に止まると、サクたちは駅員や他の乗客に手伝ってもらいながらホームに戻った。


 男性の怪我は手と足の打ち傷だけで、たいしたことはなかった。落下した直後に動けなかったのは、恐怖のあまり体が硬直してしまったためらしかった。


 駆けつけた警官に事情を訊かれ、答えている最中に、盗まれたカバンが見つかった。

 一見、何も盗られていないように見えたが、財布を開けると中身が空っぽだった。

 何枚か入っていた札がすべて抜き取られている。しかし、怒りも何も湧いてこなかった。何エルン盗られたのか、考える気にもならなかった。

 無意識に財布の奥に指を突っ込むと、新しい札が出てきた。


 ――あ。そういやこれ、魔法の財布だった。


 どうにも意識がはっきりしない状態で、サクはベンチから立ち上がった。


「泊まるところ、探さないと……」


「宿をお探しですか?」


 そう声をかけてきたのは、先ほど助けた中年男性だった。

 サクは掠れた声で「はい」と返答した。


「ならば、私の所有する物件をお貸し致しましょう。助けていただいた礼も兼ねて」


 男性はブラムリーと名乗った。この町、トラエスタに複数の不動産を所有しており、現在はその家賃収入だけで生計を立てているのだとタクシーの中で聞かされた。

 ブラムリーの家へ着くと、彼とは対照的にがっしりとした体で血色のよい男性が、玄関前で待ち構えていた。

 男性の名はコックス。ブラムリーとは遠縁の親戚で、幼馴染らしかった。


 仕事上の相談をしにきたコックスに、ブラムリーはサクたちと出会ったいきさつを説明した。

 コックスはブラムリーの無事を喜んで抱擁し、サクとアサヒの手を握ってブンブン振った。

 室内へ入ると、サクたちは早速二人から矢継ぎ早に質問を受けた。

 どういった関係で、どこから来て、どこへ行こうとしていたのか。

 これに、サクとアサヒはこう答えた。


 自分たちは大陸南部、アステール出身の十六歳。血はつながっていないが兄妹であり、自分たちを育ててくれた父親に会うため、北部を目指している。


 万が一他人に尋ねられた時のことを考えて、列車の中であらかじめ決めておいた回答だった。「万が一」が、この日は警官に事情を訊かれた時と合わせて二度も起きた。

 コックスはさらに二人に尋ねた。


「君たち、何か得意なことはあるかい?」


「得意なこと?」


 と、アサヒが首を傾げ、サクは目をしばたたかせた。

 アサヒはう〜んと唸って言った。


「サクは修理が得意です!」


「なんで俺のことなんだよ」


「間違ってないでしょ?」


「それなら、アサヒは料理だな」


「得意って言ってもいいのかな?」


「胸張っていいと思うけど?」


 アサヒは言葉通りに胸を張った。


「ハッハッハ。君たちは本当に仲がいいんだな。……それで、修理が得意というのはどういうことか、詳しく聞かせてくれないか?」


 コックスはサクに、これまでどんな物をどのように直してきたかを詳細に尋ねた。

 一通り話を聞くと、ニヤッと笑って言った。


「君に提案があるんだが」


 それは、コックスの経営する工場で少しのあいだ働かないかというものだった。

 工場では一定の量を生産し終えると、それを運搬車に載せて大陸北部へ運ぶ。その運搬車に、タダで乗せてあげようと言われた。

 ただし条件として、目標量に達するまで工場で働いてほしい――ということだった。


「手先が器用な君ならば、即戦力だ。どのみちここから北部へ行くには、車を使わなければならない。それも、通行許可証を持った車でなければならない。

 そのほとんどは運搬車だ。運搬車に乗れるチャンスなんて、そう簡単に巡ってくるものじゃあないぞ」


 と言われ、サクは拒否権をなくした。

 おまけにブラムリーが、


「それならば、そのあいだこのビルの三階にある空き部屋を特別に格安で貸してあげよう。何週間でも何ヶ月でも構わないよ」


 と言い、完全にその流れになっていた。

 サクは深く考えることなく、提案に従おうとした。が、その前にアサヒが口を開いた。


「その仕事は、危険ではありませんか?」


 コックスは一瞬不思議そうな顔をして、笑った。


「ただ部品を組み立てるだけさ。リンゴ農家の百倍は安全だ」


「それはそうだ。大きな脚立を使うこともないからな」


 ブラムリーは笑って言うと、立て続けにアサヒに言った。


「そうだ! 君はうちで働かないか? 昼と晩の食事を作ってくれるだけでいい。命を救ってもらった恩もあるから、給料は相場よりも多く出そう」


 しかし、意外にもアサヒの反応は鈍かった。こんないい話、そうそうないだろうと思ったサクは、アサヒの耳元で囁いた。


「何を迷ってるんだよ。料理ができて、金ももらえるんだぞ?」


「……うん。でもそのあいだ、わたしとサクは離れ離れになっちゃうでしょ? もしサクに何かあったらって思うと、不安で」


 アサヒは言葉そのままの目をサクに向けた。


「……不安?」


 サクは冷たい声で言った。ブラムリーに向き直り、頭を下げた。


「すみません、兄離れできない妹で。どうか妹のことをお願いします」




 ゴマの香ばしい香りが、鼻の奥に染み込んだ。ポリッとかじったクッキーは、全く甘くなかった。

 サクは一枚だけ残したクッキーを、袋ごとカバンの中にしまった。


 出会ってから時間が経つにつれて、アサヒは自分に対して異常なまでの「不安」を見せ始めた。

 離れ離れになるのを嫌がり、過剰に心配をする。

 その理由は明白だった。

 自分がいなくなれば、アサヒは目的を成し遂げられない。「会いたい人」に会えなくなる。

 そのことに、強い恐怖心を抱いているのだ。


 ……だからこそ、苛立ちが募る。

 人のことはあれほど心配するくせに、自分のことはまるで無頓着。無茶なことはするなと言ったのに、まるで無視。

 というより、そもそも「無茶」がどういうことかを理解していないような気がする。


 アサヒが線路に飛び降りた瞬間を思い出すと、また胃の底が熱くなった。

 一秒も考える余地の無い中で、サクは襲ってくる恐怖を振り払いながら、アサヒのあとを追った。正直、生きた心地がしなかった。

 あの時の感覚は、一刻も早く忘れてしまいたかった。

 ついでにこの苛立ちも、早く無くしてしまいたかった。


 工場に到着したサクは、タイムカードを切るといつもの席についた。

 横に積まれたコンテナの中から、真っ黒な部品をいくつか取り出す。

 それらを組み立て、レンズをはめ込む。完成した物を、左側のカゴへ入れる。

 また初めから繰り返す。


『キングフィッシャー X』


 というのが、今しがた組み立てた物の名前だった。最初に手渡された設計図と組立の手順書に、そう書いてあった。

 何かに取り付ける物であることは分かったが、これが何で、具体的にどう使用するのかは分からなかった。


 休憩時間になると、いつもと同じく隣の席の男に誘われて、食堂へ行った。

 浅黒い肌にひっつめ髪の男は、食べ物を口に含みながらぺちゃくちゃと自分の話をし、休憩時間が終わると、満足そうな顔をして席へ戻っていった。


 サクは黙々と作業を続け、終業時刻のチャイムが鳴る五分前には本日のノルマを達成した。

 帰り支度をする。唸りながら作業をしている隣の席の男をちらりと見て、目が合う前にそそくさと工場を出た。

 

 カバンの中から、残していたクッキーを取り出す。

 かじると、舌にほんのわずかに甘みを感じた。

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