76話 コネクションⅢ(2/3)
席について数分後、ミヨさんが若い夫婦を引き連れて戻ってきた。
ユカリは即座に立ち上がって言った。
「初めまして。ユカリといいます。えっと……サク君の従姉で、一応保護者です」
沈黙が流れる。今の言葉に、どこか変なところがあっただろうか?
ミヨさんの口ぶりから、二人もサクの知り合いだと思ったが、違ったのだろうか?
ユカリは困惑した目でシュウを見た。シュウの目はじっと正面に向けられたまま、微動だにしなかった。
「ユカリ……ちゃん?」
黒髪でボブカットの女性が、こちらに向けた目を大きく開いて言った。その声と口調に、突如ユカリは遠い過去に戻ったような、懐かしさを覚えた。
――私、この人を知ってる。
色褪せた記憶の中で微笑む、右目の横のほくろが特徴的な、小さな優しい女の子。
「……リサちゃん?」
その瞬間、リサは花が満開に咲いたような笑顔を見せた。
「よかったー! 覚えててくれて。最後に会ったのずーっと前だから、忘れられてると思ってた」
「リサちゃんこそ、私のこと覚えててくれたんだね」
「やだなー。どんなに忘れっぽくったって、憧れだった人のことは忘れないよ」
リサはそう言って、気恥ずかしそうに微笑んだ。しかしその笑みは徐々に消えてゆき、一転して気まずそうな顔をした。
「――リサ」
唐突に、ユカリの隣から声が発せられた。リサの目がおそるおそる声の主に向く。
「先生……」
ユカリはハッとしてシュウを見た。その表情から、ユカリは全てを察した。
僕が教師になってから、生徒の失踪はこれで二度目だ――。シュウが以前言っていた言葉を思い出した。
二度目がサク。一度目は、リサだったのだ。
リサは顔を引きつらせながら、震える声で言った。
「どうして、先生がここに?」
「サクを捜しに来たんだよ。僕は今、サクの担任をやってる。ユカリさんとは、元々同級生でもある」
「サクちゃんを捜しに? ここにはいないけど……」
「それは聞いた。知ってることがあるなら全部教えてほしい。……だけど、その前に。僕に言うことがあるんじゃないか? リサ」
リサは勢いよく頭を下げた。
「黙っていなくなって、ごめんなさい」
「はぁ……」
と、シュウは大きなため息をついた。がっしりとした両肩が波を打つ。
「まったく、お前は……。新任早々、受け持ったクラスの生徒がいなくなって僕がどれほど」
そこまで言って、シュウは口をつぐんだ。目に光るものが浮かんでいる。手を見ると、爪が食い込むほど固く握られていた。
シュウはもう一度大きくため息をついた。
「詳しい話はあとで訊く。とにかく今は、サクのことを教えてほしい」
黒褐色のテーブルを囲むように、ミヨさん、リサ、シュウ、ユカリの四人が席につく。
もう一人、背のすらっとした銀髪で眼鏡の男性が「お構いなく」と言って、リサのそばに立った。
男性の名前はカドと言って、リサとは最近結婚したばかりだと聞かされた。
ユカリは多少驚きはしたが、昔馴染みの女の子が幸せそうな顔をしていることが嬉しかった。なにより、彼女が元気でいることがシュウにとってどれほど嬉しいことか想像すると、ぽっと火が灯ったように胸が熱くなった。
カドが人数分のカップに温かいほうじ茶を入れて、全員の前に置く。
それを皮切りに、ミヨさんが口を開いた。
「半年ちょっと前に、あなたたちと出会った場所と同じ場所で、サク君とアサヒちゃんに出会ったのよ」
――アサヒちゃん。
その名前に、ユカリは全く心当たりがなかった。どんな子なのだろうと思ったが、ひとまず話の続きに集中しようと思った。
「二人とも十六歳で、修理屋をやってるって言ってたわ。それが嘘だということには薄々気づいていたけれど、何か事情がありそうだったから、あの子たちの言う通り、修理屋さんになってもらったの。
驚いたわ。あれもこれも直しちゃうんだもの。町のみんな――って言っても年寄ばかりなんだけど、みんなとっても感謝していたのよ。元々この町は陸の孤島みたいなところで、物を手に入れるのも一苦労なの。だから、どうしたって一つの物を長く使わないといけませんからね」
「そうだったんですか。サク君は、本当に手先が器用なんですね」
「ユカリちゃん、知らなかったの?」
と、リサが目を丸くして言った。ユカリは小さく頷く。
「私、サク君が幼い頃におばあちゃんちを出て行ったんだけど。それっきり、ほとんど会ってなかったから。……それで、サク君たちはどうしてそんな嘘をついたんでしょうか?」
「二人とも未成年だからでしょうね。バレると家に帰されてしまうと思って、咄嗟に嘘をついたのよ。最初は駆け落ちかと思ったのだけれど、二人の様子を見てると、とても恋人同士には見えなかったわね。
その代わりに何か、とても大切なものを二人で共有しているようだったわ」
ミヨさんはそう言うと、椅子の背もたれに手をついて、体を横に向けた。そのまま首を回して、窓の方へ視線をやった。
「あそこに山が見えるでしょう? あっちの方へ行きたいって、二人が言ったのよ」
「あれは……ブロッコ山脈ですか?」とシュウが尋ねた。
「えぇ、そうよ。さすが学校の先生ね。理由は教えてくれなかったのだけれど、二人ともとても真剣な顔をしていたわ。だけどその当時、山脈を越える道は閉鎖中でね。遠回りをするか、飛行船を使うかのどちらかしか、あの山の向こうへ行く方法はないって教えたの。
それで二人は、飛行船が来るまでのひと月ものあいだ、ここで、さっきも言った通り修理屋をやっていたのよ」
「そう、ですか……」
ユカリは眉をひそめながら呟いた。窓の向こうに見える山脈をじっと見つめる。
シュウがひとりごとを呟くように言った。
「ということは、カントへ行ったのか……?」
「カント?」
「うん。あの山脈の向こうには、セッカという小さな町があって、その先にある大陸南東部の中都市、カントと接続しているんだ」
「カント……。聞いたことある。たしか、芸術の街だったよね」
「正解。――あ、ごめん。つい癖で」
「謝らなくていいのに」
ユカリはクスッと笑った。ミヨさんが言う。
「二人は飛行船でセッカへ行ったあと、確かにカントへ行ったようね。でなければ、さらにその先のトーハへは行けませんからね」
「トーハ!?」
シュウが驚きの声をあげた。
「ユカリちゃん、先生。実はね」
リサが真面目な顔で告げた。
「あたし、ここへ来る前はトーハにいたんだ。家族がバラバラになっちゃって、一人で家にいるのも嫌になっちゃって、それで家を出たの。
お金はあったから、どっか都会に行って遊ぼうかなって思ったんだけど、虚しくなっちゃって。あたし、遊びたいわけじゃなかったんだよね。それで、トーハに行けばあたしでも働ける場所があるはずだって思ったの」
「働ける場所って、リサ……」
シュウが顔をしかめた。
「そんなあからさまな顔しないでよ、先生。あたし、後悔してないよ。トーハに行ってなかったら、親友にも大好きな人にも巡り会えなかったんだから」
リサはそう言うと、柔らかな笑顔を見せた。少しして、真面目な表情に戻って言った。
「……それでね、あたしが働いていたお店の前で、偶然サクちゃんたちに会ったの」
ユカリは確認のつもりで尋ねた。
「トーハで出会ったってことだよね?」
「うん」
「二人は、トーハで何をしていたの?」
「う〜ん。それがよくわかんないんだよねー。何か探し物をしてたみたいなんだけど、なんだったっけ。すごい大金持ちに頼まれて、黄金の……黄金の……」
リサは思い出そうと、必死に頭を巡らせているようだった。ユカリは黙ったまま、その様子を見守った。
だがすぐに、カドの声がリサを遮った。
「思い出そうとしなくていい。どうせ嘘に決まってる」
「え?」
ユカリは驚いて、カドの顔を見上げた。カドはかけていた銀縁の眼鏡を外した。
「アイツら、この眼鏡に用があったみたいだからな」
「眼鏡に? どうしてですか?」
カドは口を閉ざしたまま、なかなか開かなかった。ユカリは懇願した。
「どんなことでもいいので、教えてください」
「……分かった。最初に言っておくが、今から言うことは全部本当のことだ。一寸も嘘はない。だが信じるかどうかはあんたたち次第だ。いいな?」
ユカリは戸惑いながら、「はい」と答えた。カドは手に持った眼鏡に視線を落として、話し始めた。
「この眼鏡は、死んだ親父が作ったもので、最初はなんてことのない普通の眼鏡だった。それがある時から、かけると不思議な現象が起きるようになった。……数秒先の未来が見えたんだ。そうなったのは、アイツ……ダンに出会ってからだ」
ユカリは一瞬息が止まるほどの衝撃を受けた。
「ダン君……サク君のお父さんをご存知なんですか?」
「あぁ。昔ちょっと飲み交わしただけの関係だけどな。と言っても、アイツは全く飲めなかったが。
アイツが随分とこの眼鏡を気に入ってたから、やろうとしたんだ。けどその場で返されて、それからだ」
ユカリは横目でシュウを見た。シュウは信じられないといった顔をしていた。ユカリも同じだったが、なんとなく引っかかるものを感じていた。
疑念の目でカドが手にしている眼鏡を見つめる。
カドはユカリの視線を受けて、首を横に振った。
「だが、今はもう何も起こらない。この眼鏡は一度、壊して捨てたはずだった。それをアイツらが直したと言って、返してきたんだ。フレームは折れ曲がって、レンズも割れてたはずなんだけどな。直ったついでに、普通の眼鏡に戻ったのかもしれない」
カドは眼鏡をかけ直した。と、何かを思い出したような顔をして言った。
「そういや、アイツらはこの眼鏡が普通の眼鏡じゃないことを元々知ってたみたいだな。だから、俺のことをつけ回してたんだろうけど……。何が何だか、俺にもよく分からないんだ」
ユカリはカップの中に視線を落とした。透き通った茶に映る自分の目が、困惑と納得の両方を示している。
「……そっか」
シュウが「何か分かったの?」と言った。ユカリは首を小さく横に振った。
「何も。でも、なんとなく納得した部分がある。サク君がいなくなった理由は、やっぱりダン君なんだって」
「なるほど。もしかすると、亡くなった父親の痕跡を辿っているのかもしれないな」
シュウの言葉に、リサとカドが同時に「え?」と驚きの声をあげた。
「嘘だろ」
カドが石のように表情を固めたまま呟く。リサも同じ顔をして、震えた声を出した。
「そんな、聞いてないよ。……でも、そっか。なんでユカリちゃんがサクちゃんの保護者? って思ってたけど、そういうことだったんだね……」
ユカリはこくりと頷いた。
「去年おばあちゃんも亡くなって、それでサク君に無理を言って、私の家に来てもらうことになったの」
「そうだったんだ……。サクちゃん、お父さんのこともおばあちゃんのことも大好きだったのに、二人とも亡くなってたなんて……」
リサは言いながら、テーブルに視線を落とした。潤んだ目から涙がこぼれそうになる寸前で顔を上げ、微笑んだ。
「でもよかった。元気そうで。やっぱり、アサヒちゃんと出会ったからかなぁ?」
――アサヒちゃん。
ユカリは真剣な口調で、リサに尋ねた。
「アサヒちゃんって、どんな子なの?」
「どんな子……う〜ん。とにかく、ものすごーくいい子だよ!」
「大ざっぱすぎだろ」とカドが呆れた声で言った。ミヨさんがほほほと笑う。
「本当に、明るくてとてもいい子よ。……そうね、年齢はサク君と同じくらいで……身長も同じくらいだったわ。透き通るような白い肌で、華奢で、ふわふわとウェーブした綺麗な金髪で……瞳の色は青かったわね」
リサがこくりと頷く。
「アサヒちゃん、瞳の色と同じ青色や水色が好きみたいで。いつも同じような色の服を着てたし、髪にも必ず青い花のアクセをつけてたんだよね」
――ウェーブがかった金髪、青い瞳、青い服。そして、青い花の髪飾り。まるで……。
シュウがひとりごとを呟くように言った。
「まるで、アリエスみたいだな」
「アリエス?」とリサが首を傾げた。
「大陸北部に伝わる伝承上の人物のことだよ。たしか正式な名前は……」
「アリス・エイオス」
全員の視線がいっせいにユカリに集まる。ユカリは淡々と言葉を続けた。
「北部では、零域のことを『神の国』と呼びます。その名の通り、神の国には神様たちが住んでいると信じられている。その中で最も有名な神様が、エイオス」
リサが眉間にしわを寄せながら小首を傾げた。ユカリはリサに問いかけた。
「リサちゃん、“オーロラ・ウォール”は知ってるよね?」
「もちろん。ロクに住んでたんだから、知ってるよ」
「なんだそれ?」と、カドが口を挟んだ。
「一年のうち、たった数時間だけ現れる光の壁のことです。北部と東部を隔てる大地の割れ目に、オーロラのような美しい光の壁が現れるんです。私たちの故郷ロクでも、天候がよければ見ることができます」
「なるほど。それで、そのオーロラ・ウォールとやらと、さっきまでの話に何か関係があるのか?」
「はい。およそ五百年前、突然大地に亀裂が入り、同時に私たちが“零域”と呼ぶ空間が現れました。この亀裂を、北部の人は神の怒りによるものと考えているんです。人間が神様を怒らせてしまい、その結果、大地が割れたのだと。
神の怒りは未だ静まらず、今も大きくなり続け、いつしか人間世界を飲み込もうとしている。抗えない運命の中で、神様はたった一つだけ人間に希望を残した。それが、オーロラ・ウォールです」
ユカリは頭の中に、昔見た光景を描いた。遠くに見える山稜の向こう側。下から空に向かって、煌々と緑や紫色に輝く巨大な壁が屹立している。
祖母の家の近くにある高台の公園に、多くの人が集まって、皆祈るようにその光景を見ていた。ユカリも、祖母とダンとダンに肩車されているサクと一緒に、それを見つめながら心の中で祈った。
――どうか家族みんなが、幸せでいられますように。
ユカリは一旦閉ざしていた口を開き、言葉を続けた。
「全ての人間の魂は、天高くそびえるオーロラ・ウォールを伝って、宇宙の彼方にある別の星へ行く。そう、信じられています。オーロラ・ウォールは北部に住む人々にとって、希望の象徴であり、最も神の存在を身近に感じられるものなんです。
そのオーロラ・ウォールを出現させているのが、女神エイオスと言われています」
リサが再び眉間にしわを寄せた。
「むずかしくってよくわからないんだけど……。その、アリエス? アリス・エイオスって人と、神様のエイオスは違うの?」
「アリス・エイオスは、女神エイオスの使いとされているの。アリエスというのは愛称で、北部の中でも……たしか西の方でだけ呼ばれている名前だったはず」
シュウが感心した様子で言った。
「さすが。この手のことには詳しいね」
ユカリは半笑いの表情で答えた。
「観測員としてというより、私の個人的な関心によるものだけど。――シュウ君こそ、アリエスなんてよく知ってたね」
「たまたまだよ。昔、授業で聞きかじった程度で、ユカリさんみたいに詳しくはないから。それで……」
「うん」
ユカリは頷くと、ミヨさんとリサに向き直った。
「すみません、話が逸れてしまって。――それで、アサヒちゃんという女の子は、どうしてサク君と行動をともにしているんでしょうか?」
ミヨさんは困ったような表情で、頬に片手を置いた。
「私には分からないわ。二人とも、どうしても行かなくちゃいけないところがあるとしか、教えてはくれなかったし。
さっきも言ったけど、恋人同士というわけでもなさそうだったから、それぞれに何か大事な目的があるんじゃないかしら?」
「う~ん。でもなぁー」と、リサがにやけ顔で言った。
「あたし、サクちゃんはアサヒちゃんのこと、本気で好きになっちゃうんじゃないかなーって思ったんだよね。アサヒちゃんの方はわからないけど」
「そうなの?」
「うん。ね?」
リサはそう言ってカドを見上げた。カドは蔑むような表情で、フッと鼻で笑った。
「あぁ。百万エルンぐらい賭けてもいい。にしても、父親と好みが全く同じっていうのもな」
――ダン君と、好みが同じ……?
ユカリは丸くした目をパチパチと瞬かせた。




