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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第三章 西の大地が赤く色づく
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65話

 夜間だけでなく、昼間の気温もこのところすっかり下がっていた。

 陽の当たらない石畳の小道を歩いていると、長袖長ズボンでもやや肌寒さを感じた。

 右隣を歩いているアサヒも、袖の短いワンピースから長袖のワンピースに変わっている。

 ちょうど頭上に広がる空と同じ、やや暗く深みのある水色。


 アサヒが水色ばかり着ているのは、ただ単にその色が好きだからではなく、大切な髪飾りに合う色を無意識に選んでいるからではないかと、サクは思った。

 つい髪飾りを見てしまっていることに気がついて、視線を戻そうとした時、タイミングよくアサヒが振り向いた。


「ねぇ、サク……どうかした?」


 サクはつりそうになった首を右手で押さえた。


「いや、別に。それより何?」


「何か聞こえる気がしない?」


 足を止め、耳をすます。確かに、遠くから聞こえる音があった。


「……ピアノ?」


 その曲はとても速く、カワセミが飛び回っているかのようにせわしなかった。

 アサヒが興味を引かれた表情で言った。


「ちょっとだけ行ってみようよっ」


「いいけど。陽が沈む前には宿を確保したいから、少しだけだぞ」


 サクとアサヒはおよそひと月ものあいだ、バスや列車に乗って町から町へと移動し、歩き回りながら時計の針が指す物を探した。しかし未だ、たどり着けず。

 簡単に見つからないことは分かっていた。新たな町へ到着するたびに沸き上がっていた期待も、徐々に薄くなっていた。

 この町ルバートでも同様、期待感はほとんど無く、ひとまず宿を確保してから淡々と探し歩こう。そう、サクは思っていた。


 小道から伸びる、さらに狭い道を前後に並んで歩く。左右に建つ建物の壁は古く、ところどころにひびが入っていた。

 気配を感じて上を見る。オレンジに近い明るい茶色の瓦屋根の上に、屋根と同じ毛色の猫がいた。

 まるで道案内でもしてくれているかのように、猫はサクたちの数歩先を同じ速度で歩いた。


 だんだんピアノの音が近づいてくる。

 突然、猫が姿を消した。ずっと連なっていた屋根はそこで途切れていた。

 崩れたレンガの山をまたいで、明るい場所へ出る。

 古い建物に囲まれた、正方形の空間。中心に置かれた、黒いグランドピアノ。そのピアノを演奏していた少年は、鍵盤から離した指をそっと体の横に下ろした。


 アサヒが手を叩いた。サクも無意識にパチパチと手を鳴らす。

 その瞬間、少年は驚いたように目を見開いた。早口で「ありがとうございます」と言い、逃げるように近くの建物の中へと消えていった。

 しんと静まり返った空間で、アサヒが呟いた。


「びっくりさせちゃったかな?」


「かもな。……他に誰もいないし、まさか聞いてる人間がいるとは思わなかったんだろ」


 自分もいるぞと言わんばかりに、先ほど見失った猫が近くへ寄ってきて「ニャー」と鳴いた。

 サクとアサヒ、そして一匹の猫の他には本当に誰もいなかった。

 地面に敷き詰められたタイルの目地から、雑草が顔を出していた。

 周囲に建つ古びた建物の窓には、ところどころ目張りがしてあった。

 ピアノを演奏していた十五、六歳くらいの少年が入っていった建物のガラスドアは大きく開かれたままになっており、中の様子がうっすらと見えた。

 明かりのない薄暗い部屋の隅に、何組かの机と椅子が積まれている。


「戻ろっか」


 そう言ったアサヒに、サクは「うん」と答えながら、なんとなく腕時計を見た。

 針は「12」を指していた。

 妙な予感がした。

 ゆっくりと前進する。「ご自由に演奏ください」と書かれた札の前で立ち止まる。

 ピアノから少し距離をとったまま、体を左へずらす。針は小さく右に振れた。


 ――まさか。


 そのまま時計回りにピアノの周囲を歩き、さっきと反対側の位置で立ち止まった。

 もう一度時計を見る。針は「12」を指していた。

 驚きのあまり言葉が出てこなかった。

 立ちすくむサクの元に、アサヒが寄ってきて言った。


「もしかして」


「……あぁ。ようやく見つけた」


「やった! やっと見つかった!」


 サクとアサヒは同時に安堵のため息をついた。


「さっきの人のおかげだな。あの演奏がなかったら、今日ここにたどり着くことはなかっただろうから」


 サクはそう言いながら、再び「ご自由に演奏ください」と書かれた札の前に立った。札には小さく、演奏可能な時間帯が書かれていた。午後四時から午後六時。

 今が何時なのか正確な時間は分からないが、さすがに六時を過ぎてはいないだろう。そもそも、演奏するわけではないのだから関係ないはずだ。

 サクは肩にかけたカバンを地面に下ろすと、ピアノの前の椅子に腰掛けた。

 アサヒが隣に立って、わざとらしい口調で言った。


「何を弾くの?」


「うーん。そうだな……ここはやっぱり、『迷い猫のロンド』だな」


「へぇ。どんな曲? 弾いてみて!」


「よし」


 サクは両手を鍵盤の上で浮かせて――体の横に戻した。アサヒに真顔を向ける。


「やめろよ。俺は真剣に、ピアノにかけられた魔法が何なのか確かめようとしているんだから」


「弾こうとしているように見えたから、つい。でもサクも乗ってきたよね? ありもしない曲名を言って」


「なんでバレて……」


「顔にそう書いてあったから」


「……とにかく、ふざけるのは無し。あと、俺はピアノなんて弾けない」


「うん。わたしも弾けない」


 サクはピアノに向き直ると、大きく息を吸って吐いた。左手を伸ばし、そっと触れる。

 時計の針がくるくると回り――ださなかった。 


「なんで……」


 一度手を離し、再びピアノに触れる。鍵盤をゆっくりと沈める。ジャーンと低い音が鳴った。しかし結果は同じだった。

 鍵盤に触れたのが駄目なのかと思い、蓋を閉めて手を置いた。譜面台に触れた。立ち上がって、屋根にも触れた。が、またしても結果は同じだった。

 アサヒが眉をひそめて言った。


「もしかして……さっき調子に乗ったせいで、ピアノがへそを曲げたんじゃ」


「なわけないだろ」


 サクはそう言って、はたと気がついた。


「そういや、魔法がかけられた物は、壊れたら効力を失うんだったよな? もしかすると、このピアノはどこか壊れてるんじゃ」


「壊れてる?」


 アサヒはピアノを上から覗き込んだ。サクも立ち上がって、上下側面を目で見て確認した。

 しかし、一目で分かるような傷は見当たらず、先ほどの少年の演奏からも大きな故障はないように思えた。


「う〜ん。壊れてるようには見えないけど、一応直してみるね」


 アサヒがそう言って、そっと右手をピアノの上に置いた。

 表面についた細かい傷が消えていく。


「……はい。これで直ったはずだよ」


 サクは頷いて、ゆっくりと蓋を開けた。

 鍵盤は新品のように輝いていた。が、よく見れば分かるという程度で、大した変化はないように見えた。

 今度こそと意気込む。両手のすべての指で鍵盤を押す。ジャーンと大きな音が響き渡った。


 しかし、何も起こらなかった。


「どうして……」


 苛立つ気持ちを抑えるように、息を吸いながら両手を鍵盤から離す。

 その時、「あっ!」とアサヒが声を上げた。


「もしかして、ちゃんと一曲弾かないとだめなんじゃない? 眼鏡の時もかけないとだめだったでしょ?」


「ちゃんと本来の用途で扱ってから、ってこと?」


「うん!」


「なるほど、確かに。……って、誰が弾くんだよ」


 アサヒは首を六十度傾けた。


「もちろん、サクでしょ?」


 サクはおずおずと視線をピアノに戻した。


「……嘘だろ」


 一瞬、視界が暗転しかけた。これだけ苦労して見つけたというのに、その先にまだ苦労があったとは。


「大丈夫! 器用なサクなら、きっとすぐ弾けるようになるよっ」


「……とりあえず、宿を探そう」


 サクはうなだれたまま立ち上がった。

 地面に置いたカバンを肩にかける。先ほどの少年が入っていった薄暗い部屋に目をやる。

 もしかしたらこの先に出口があるのでは。そう思い、来た道を戻らずに建物の中へと足を踏み入れた。

 アサヒがきょろきょろと周囲を見回しながら言った。


「ここって、何なんだろう?」


「さぁ? 廃墟ってわけじゃなさそうだけど……。この部屋、今は使われていないみたいだな」


 薄暗い部屋を抜けると、狭い廊下に出た。何も貼られていない緑色の掲示板らしき板が、白い壁を飾りつけている。

 静けさに包まれながら、サクは懐かしい気持ちになった。


「もしかして……ここって学校だったんじゃ」


 口に出した途端、そうに違いないと思った。

 右に向かって、廊下を突き進む。すると、明るい吹き抜けの玄関に着いた。

 大きな戸を押して外へ出る。開け放たれた鉄製の門から道へ出た直後、振り返って、三階建ての建物を見上げた。


 年季を感じる古いレンガ造り。

 先ほど出てきた玄関の部分だけが高く突き出しており、その上部には古めかしい時計があった。

 あの時計が合っているとしたら、時刻は午後五時十五分。早く宿を確保しなければならない。

 そう思って再び回れ右をしたサクは、腰を抜かしそうになった。

 いつの間にか真後ろに立っていた老齢の男性が、ほうきを片手に、ニコニコと尋ねてきた。


「宿泊をご希望で?」


「……宿泊?」


「ええ」


 老人はほうきの柄を門の横に向けた。


「そこに看板がありますでしょう? 『トリス・ドミトリー』と」


 門の横の生垣の前に、白い看板が立っていた。建物に比べて随分新しい看板だった。

 まさしく灯台下暗し。こんな近くに宿があったとは。サクは驚いた顔をアサヒに向けた。アサヒも全く同じ表情をしていた。

 アサヒは数回まばたきをしてから、老人に尋ねた。


「一泊、いくらですか?」


「千エルンです」


「安っ」


 サクは思わず口に出した。アサヒは両手を握りしめて、瞳をキラキラ輝かせた。


「どうなさいますか?」


 二人は声を揃えて答えた。


「泊まらせてください!」




 老人に案内されて、サクとアサヒは再び建物の中へ入った。

 先ほど歩いた廊下を、先ほどとは別方向に向かって進む。


「ここって、元々学校だったんですよね?」


 サクの問いに、まるで用務員のような風体をした老人は「ええ」と頷いた。


「元は『トリス音楽寄宿学校』と言いまして、プロの音楽家を目指す子どもたちのための小規模な寄宿学校でした」


「寄宿学校……」


「五年前に廃校になった後、寮だった部分を一般の方に泊まっていただける宿泊施設にしようということになり、『トリス・ドミトリー』と名を変えたんです」


「なるほど」とアサヒが呟いた。


 端まで行ったところで直角に曲がり、接続している別の建物に入った。


「ここがその寮だったところです」


 老人は電話台の横にある、「受付」の札が提げられたカウンターに向かうと、内側から施設の案内図を取り出した。

 サクたちは売店や食堂、シャワールーム等の場所と利用方法について、一通り説明を受けた。


「……さて、お部屋ですが。二人一部屋の相部屋となっています。お二人とも同じ部屋でよろしいですか?」


 サクは驚いて尋ねた。


「男女で分かれていないんですか?」


「ええ。特に分けてはおりませんが……。もしや、別々の部屋をご希望で?」


「えっと」


 サクは言葉を詰まらせた。“シイタケ”夫妻の家に泊めてもらった時以降、幸いにもアサヒと同じ部屋やテントで寝泊まりすることはなかった。

 だがそれは、たまたま一人部屋しか空いていなかったり、たまたま男女別の相部屋だったりしたためで、自ら希望したわけではなかった。


 もし別々の部屋を選んだら、どうなるのか。客が少なければ、誰とも相部屋にならず、一人で過ごせるかもしれない。しかし、男女で分けられていないとは……。

 考えを巡らせている最中に、老人が言った。


「昼間は皆さんお出かけになってますから、このように閑散としてますけどね。そこそこ人気があって、満室になることもあるんですよ。

 今は少し余裕があって、えっと……四部屋空いてますね。ですから、別々の部屋に泊まっていただくこともできますけど。ただもし、他にお客さんがいらっしゃった場合には、どなたか見知らぬ方と相部屋になる可能性があるということだけは予めご了承ください」


「はい」


 そう言って、サクは横目でアサヒを見た。アサヒは「サク」と呟きながら、静かに目線を上げた。


「わたし、サクと同じ部屋がいい。どうしても嫌って言うなら、我慢するけど。……だめ?」


 一瞬、胸のあたりに電撃を食らったかのような衝撃を受けた。

 サクは平静を装って老人に告げた。


「同じ部屋でお願いします」



 三階へ上がる。窓が一つだけある、広くも狭くもない部屋にサクたちは案内された。

 左右の壁際に置かれたベッドは、どちらも下に勉強机のような物がついた、高さのあるものだった。それ以外に、ロッカーのような収納棚がある。


「本当に学校の寮って感じだな……」


 そう呟くサクの隣で、アサヒが天井をキョロキョロと見回していた。


「どうかした?」


「うん。ベッドのところにカーテンが見当たらなくって」


「……本当だ。元から無いのか?」


 これまで泊まった相部屋の宿には、ベッドを隠すカーテンが必ずついていた。だが、この部屋の天井にはカーテンレールすらなかった。

 アサヒが呟くように言った。


「着替える時は言うから、絶対にこっちを見ないでね」


「そりゃあ」と言いながら、サクは天井からアサヒに視線を移した。アサヒは頬をわずかに赤く染めていた。

 草原での言葉がとてもよく効いたようだった。アサヒに植えつけた羞恥心は、予想以上に大きく育っていた。

 結果的にはよかった。あのままでは隙だらけで危険だった。それに加えて、自分の精神衛生上もよくなかった。

 ただ、変態と認定されたのではないかと、サクは今頃になって心配になった。

 うわずった声で告げる。


「アサヒも、俺が着替える時は絶対にこっちを向くなよ」


「わたしはサクのパンツを見ても、裸を想像したりしないよ?」


「そういうことじゃない。俺は見られたくないんだよ。分かったな?」


「うん。わかった」


「分かればよろしい」


 サクはそう言うと、棚の前に移動してカバンの中身を整理し始めた。

 別に下着を見られたくないわけじゃない。体のあざを見られたくないのだ。

 あざや代償のことはまだバレていない。このまま隠せるだけ隠そうと思っていた。


「これから、どうしよっか?」とアサヒが言った。


 サクは棚の扉をパタンと閉じた。カバンの肩ひもに手をかける。


「そうだな。ひとまず腹ごしらえをして、それから……」


 顔を曇らせ、どんよりとした声で呟く。


「楽譜を買おう」


 まずは楽譜の読み方から復習しなければ。学校で習ったはずだが、その内容を覚えているかどうかは怪しかった。

 そんな自分に、ピアノが弾けるだろうか。

 不安がずしりと肩にのしかかった。そのせいか、軽くしたはずのカバンが前と変わらないほど重く感じた。

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