62話
雄大な景色が広がっていた。
黄みがかった砂の大地と真っ青な空が、世界を二等分しているかのように見えた。
「ねぇ。あれ、なんだろう?」
そう言って、アサヒがサクの肩をトントン叩いた。サクは振り向き、見ていた窓とは反対側の窓に目を向けた。
砂地の上に何やら白く光る塔がそびえ、その周囲を無数の鏡のようなものが取り囲んでいる。
アサヒはう〜んと唸って言った。
「背の高いのが親分で、周りにいるのが子分かな?」
「何だよそれ。……あれはたぶん、集光型の太陽熱発電所だよ。真ん中に建っている塔に周囲の鏡を使って太陽光を集めて、その熱で蒸気を発生させ、タービンを回して発電する。そういう施設」
「なるほど。つまり、子分達が親分にパワーを送ってるってことだね!」
「パワー?」
「うんっ。こうして……えいっ! って」
アサヒは開いた両手をサクに向けた。
サクは一瞬、本当に目に見えない力がアサヒから送られてきたような気がした。その力の効果で、体がわずかに軽くなったように感じた。
たった数十分バスに乗っていただけで、あちこち体が痛み、どんどん疲れが溜まった。
今まで乗ってきたバスとは違い、乗り心地は最悪だった。
それは路面が凸凹した砂地であることと、窓から見える景色がずっと変わらないことに起因していた。
ホテルを出た後、サクとアサヒは最上階にある質屋で資金八十万エルンを調達し、それから地上一階、西側出入口に向かった。
閑散としたロビーを抜けて外へ出ると、すぐそこにバス乗り場があった。停留しているバスの運転手に身分証明書を提示して、定員十名ほどの小型のバスに乗り込んだ。
そのバスこそ、今乗っているこの乗り心地最悪のバスである。
バスは、旧アステール王国の領土である砂漠地帯を三日かけて横断する。
途中、いくつかの町へ寄るが、どこもゴーストタウンに近い状態とのことだった。
そんな場所で食料等の物資を調達することはほぼ不可能。その代わり、列をなしている他の車両に水や食料や日用品が載せられていて、乗客はそれを必要最小限の範囲内で購入することができると、乗車前に説明を受けた。
そういった意味では、この砂漠横断の旅は過酷でもなんでもない――はずだった。
「大丈夫?」
アサヒの言葉に、サクは力なく頷いた。
やっと到着した最初の町で、サクはバスを降りるなり思いっきり吐いた。
近くにあった廃墟らしき小屋へよろよろと向かい、陰になっている軒下に腰を下ろす。
「お水、飲む?」
そう言って、隣に腰掛けたアサヒがリュックから水の入ったボトルを取り出した。
サクはボトルを受け取ると一気に飲み干した。
「はぁー」と長いため息をつく。
吐き気はだいぶ落ち着いた。しかし、頭はまだクラクラしていた。前後左右に体が揺れる感覚もまだ残っていた。
サクは「ありがとう」と言いながら、アサヒにボトルを返した。
「お水汲んでこなくっちゃ。サクのボトルも貸して。空になっていたでしょ?」
「あ……」
サクはその時、さっき口をつけたボトルがアサヒの物であることに気がついた。
「いや、いい。あとで自分で汲みに行くから」
さっきのは単なる回し飲みだ。断じて間接キスではない。そもそもそんなことで動じるほど、子どもじゃない。子どもじゃないどころか大人だ。今自分は十六歳で、身分証明書だってちゃんとある。と、サクはまだクラクラする頭をぐるぐる回した。
立ち上がろうとしてふらつき、片手を地面につく。
「無理しちゃだめだよ。……そうだ! 元気が出るように、わたしがパワーを送ってあげる!」
サクはゆっくりと顔を上げた。アサヒの両手がパッと目の前に現れる。
「えいっ! ……どう? 元気出た?」
ほんの一瞬、溜まった疲労が吹き飛んだような気がした。だがすぐに元に戻った。
「即効性はあるけど、持続性は皆無」
「やっぱり本物の魔法じゃないとだめかぁ」
そう言って深いため息をついたアサヒを見て、サクはフッと笑った。
「なんでそんな大真面目なんだよ」
「だって、サクに元気になってほしかったから。……でもよかった! ちょっとはよくなったみたいだねっ」
アサヒはそう言って、太陽のような眩しい笑顔を見せた。
ドクン。サクの心臓は大きく鳴った。それをスタートの合図にして、どんどん脈が速まっていく。
まずい。拳を握り、爪を手のひらに食い込ませる。ゆっくりと呼吸をする。
少し経って、心臓は落ち着きを取り戻した。
――絶対に、近づきすぎては駄目だ。絶対に。
サクは強く自分に言い聞かせた。
砂漠の夜は、昼間と比べて格段に涼しかった。
初日は古びたモーテルで一晩過ごし、二日目はただの廃墟で一晩過ごした。
最初に受けた説明の通り、寄った町はどこもゴーストタウンのように寂れていた。しかし、全く活気がないわけではなかった。
バスやトラックの一隊が到着すると、どこからともなく人が集まってきて、食料や物資を受け取っていた。集まった人々はそのまま話に花を咲かせ、サクたちはそれに度々巻き込まれた。
そして、三日目。
陽が昇り出す前に目を覚ましたサクは、身支度を整えると、隣の部屋のドアをノックした。重い鉄製のドアが開く。
アサヒが眠そうに目をこすりながら、「おはよう」と呟いた。
服装は昨日と同じく水色のワンピースに、薄いグレーのジャンパー。髪型も昨夜見た時と同じ三つ編みのままだった。
サクは呆れた声を出した。
「陽が出る前に出発するって、昨日言ったよな?」
アサヒはこくんと頷くと、大きくあくびをした。サクは小さくため息をついた。
「歩いてる途中で寝るなよ? 砂に埋もれても知らないからな」
「大丈夫。砂に埋もれたら、地中を掘って進むから……」
「寝ぼけてないで支度しろよ。置いていくぞ」
「うん」
ギィー、バタンと再びドアが閉じる。
しばらく経って、支度を終えたアサヒが出てきた。
下ろした髪のサイドに青い花の髪飾りが移動している。それとリュックを背負っている以外には、さっきと変化がなかった。
「行こう」
壊れかけた建物から出る。と、その瞬間に夜明け前の空気に混ざって煙草の匂いがした。
「やぁ、お二人さん。随分と早いお目覚めですねぇ」
バスの窓から、運転手が顔をのぞかせて言った。外へ飛び出した手から灰がポトッと砂の上に落ちた。
サクは「おはようございます」と挨拶した。
「これから歩いて西部に向かうんでしょう? まだまだ砂地が続くし、人の住んでる村まではかなり距離がありますからねぇ……」
運転手はそう言って、渋い顔をした。
アサヒがまだ眠そうな声で言った。
「わたしたちなら、大丈夫です」
確かに、自分たちには「魔法」という特殊な力がある。この力があれば、多少の困難は切り抜けられるはずだ。だが、
「油断は禁物だぞ」
サクはアサヒに忠告した。
運転手は大きく頷いた。
「そうですねぇ。どんなに強く結ばれていたとしても、ほんの少しの油断で切れてしまうこともありますからねぇ」
「……切れてしまう?」
「お二人さんを繋いでる、赤い糸のことですよ」
「あ、赤い糸??」
「あれまぁ、違いました? だってお二人さん、どう見たって双子には見えないし。でも同じ生年月日で同じ住所でしょ? あれまぁ、そんな奇跡みたいな出会いってあるのねぇって、ちょいと乙女チックなことを思っちゃったんですけどねぇ」
「違います! お、俺たちは血の繋がってない兄妹で、断じてそういう関係では」
「兄妹?」
と、アサヒが眠そうな目をパチパチさせながら言った。サクは半目でアサヒを睨みつけた。
「あれまぁ」
乙女チックな運転手はクスクス笑うと、真顔になって言った。
「なんにせよ、気をつけてくださいねぇ。油断大敵、ですから」
陽が出始めると、徐々に気温が上がっていった。
着ていたジャンパーをカバンに収めて、ザラザラとした硬い砂の上をひたすら歩く。
時々小さな石の粒が靴の中に入り込んで、足裏をチクッと刺激した。
サクは靴を脱いで粒を出し、再び履いた。アサヒが立ち止まって、くるりと振り返る。
「ちょっと休憩する?」
「アサヒが疲れたなら。俺はまだ平気だけど」
「わたしも全然平気!」
アサヒは言葉通り全く疲れを見せない表情で、顎をくいっと上げた。
「その体のどこにそんな体力が……」
「何か言った?」
「なんでもない」
サクは進行方向に目を向けた。黄色い砂の大地に、ぽつりぽつりと草が生えている。その先に低い山が見える。
あの砂の山を越えた場所が、西部の入口だ。
「あの山の手前に着いたら、一旦休憩にしよう」
「うん。……ん? なんだろう、これ」
突然、アサヒが何かを見つけた様子でその場にしゃがんだ。
アサヒは手に、デコボコとした木の根のような物を持っていた。色は薄茶、サイズは五センチほど。よく見ると、管のように中が空洞になっている。
「何かの化石か? ……あ、うんこの化石かも」
サクがそう言った瞬間、アサヒは手に持ったそれをポーンと前方に放り捨てた。
「……いや、違うな。うんこの化石なら、中が空洞なのはおかしい」
「言われてみれば」
アサヒは投げ捨てたそれを再び拾うと、う~んと唸りながら右目に近づけた。
望遠鏡を覗くようにしながら右を向いて、次に左を向いて、「あっ」と呟いた。
「雨雲だ」
「雨雲?」
こんな砂漠で雨なんてと思いながら、サクも左の空を見上げた。
暗い灰色の雲が見える。
「こっちに来るかな?」
「どうだかな。少しくらいなら、濡れたって構わないけどな。どうせすぐに晴れるだろうし、そうしたら元通り乾燥した空気に当てられて服も乾くだろうし」
歩きながら再び上空を見上げると、もくもくとした分厚い雲がすぐそこまで迫っていた。
その時、雲の中でピカッと稲妻が光った。
「何甘いこと考えてたんだ……」
遮る物は何もない。逃げ込む場所もない。このだだっ広い砂の大地で、もし雷が落ちたら。
サクはみるみる顔を青くした。轟く雷鳴にかき消されないよう、声を張り上げる。
「しゃがめ! 雷が――」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
アサヒに告げたのと同時に、サク自身もその場にしゃがんだ。
それなのに、なぜか背中が地面にくっついている。頭も、尻も、足も。
サクは、砂の上で仰向けになっていた。
「……アサヒ?」
青い瞳が真っ直ぐこちらを向いている。柔らかな髪がするりと落ちてきて、頬を撫でた。
「大丈夫。こうしていれば安全だから」
アサヒはサクを囲うように両手両膝を地面につけていた。
身動きがとれないまま、なぜこのような体勢になっているのか理解できないまま、サクは口を開いた。
「何……言ってるんだよ。安全なわけないだろ」
とにかくこのままでは危ない。一刻も早く何とかしなければ。
サクはカバンに手をやった。この中にある物で何とかできないかと、高速で思考を巡らす。
そうだ。フードのついたジャンパーがある。左胸に星のロゴマークとバス会社の名前が入った、薄いグレーのジャンパー。
それは、気温差の激しい砂漠での防寒対策をすっかり忘れていたサクたちに、あの乙女チックな運転手が譲ってくれた物だった。
「そこをどけ。ジャンパーに魔法をかけて、雷から防護する」
「大丈夫だよ」
「は? 何が大丈夫なんだよ!」
その時、あたりが白く光った。ほぼ同時に破裂音のような轟音が空気を揺らした。
「どけろ!」
サクは腹に力を入れて上体を起こしながら、力一杯叫んだ。だが、
「我慢して!」
気迫に満ちたアサヒの声に、サクは腰を抜かして再び砂に背中をつけた。
「が……」
「大丈夫だから、わたしを信じて」
雨の匂いに混ざって、アサヒの髪の匂いがサクの鼻先をかすめた。
サクはアサヒと視線を合わせたまま、指一本動かすことができずにいた。
ドクドクと心臓が鳴っている。だんだん胸が苦しくなる。
落雷の危険がすぐそこに迫っている。この動悸はそのためだ。
だが不思議なことに、ここは絶対に安全だと思っていた。根拠はないが、確信があった。 アサヒの「大丈夫」という言葉は、決して嘘ではない。
ならば、この胸苦しさの原因は何なのか……。
頭の中で雷鳴が轟くように、さっきのアサヒの言葉が響いた。
――我慢して!
「我慢……は、もう……できない……」
口から漏れた小さな声は、遠のいていく雷鳴にかき消された。
近づきすぎては駄目だ。近づきすぎたら、父の真実にたどり着けないかもしれない。
だから今まで通り、一定の距離は保ち続けなければならない。
けれどこの気持ちは認めるしかない。
――俺は、アサヒが好きだ。




