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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
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60話

 二度目の腕相撲の結果は、二対一でサクの勝利だった。

 翌日丸々一日使って、サクとアサヒは「4」の部屋を隅々まで掃除した。

 ホールに一旦出した物を部屋に戻す。依然として物置部屋ではあったが、寝る分には問題ない。


「俺は今日からこの部屋で寝るから」


 サクがそう告げると、アサヒは小首を傾げた。


「どうして?」


「どうしてって言われても……。誰だって一人になりたい時があるだろ」


 アサヒはしばらく口をつぐんで、それから小さく頷いた。


「わかった。でも、ご飯の時は一緒だよ。二人分一緒に作った方が安いんだから」


「分かってるよ。買い物にも行くし、風呂と寝る時以外は今までと同じってことで」


「うん。何かあったらすぐに呼んでね」


「アサヒの方こそ何かあったら――」


 そう言って、サクの心は一瞬揺らいだ。自ら距離を取ろうとしておいて、何を言いかけているのか。


「……って、何があるっていうんだよ。この超安全な場所で。せいぜいゴキブリが出るくらいだろ。まさか、ゴキブリが出たくらいで呼んだりしないよな」


 アサヒが初め、絶対に同じ部屋でと言ったのは、危険を察知したからだった。

 一人になることに恐怖心があったのだろう。危険が解消された今、アサヒにとっても絶対に同じ部屋で過ごさないといけない理由はなくなったようだった。

 アサヒは顎に手を当てて、う〜んと唸った。


「ゴキブリって、食べられるのかな?」


 サクは針金のような目でアサヒを見た。



 この日を含めて五日間、サクは「4」の部屋で夜を過ごした。


 ベッドに入り、借りていたゼニス王の自叙伝を開く。

 自身の名を残すことを神から与えられた使命と受け取ったゼニス王は、優秀な指揮官を集め、いくつかの軍団を編成した。そしてそれらをまとめ上げ、次から次へと隣国に攻め入り、領土を広げた。


『俺は神に使命を与えられた。この身を尽くしてその使命を果たした時、俺もまた神となろう。』


 ゼニス王は壮年期、多くの時間を征服行に費やした。

 その合間、最初に結婚した妻ローザとのあいだに六人の子をもうけ、他にも五人の妻とのあいだにそれぞれ一人ずつ子をもうけた。そのうち三人は、生後五年以内に亡くなった。


 この本には書かれていないが、ゼニス王の死後、棺を開けて後継者に選ばれたのは、四人目の妻が産んだ三男だった。しかし、それによって兄弟間に確執が生じたという史実はない。

 ゼニス王は自身の子どもたちに「調和」を説き、血の繋がりは絶対的な絆であるとして、血族間での争いや暴力を禁じた。それは法として制定され、国民にも適用された。

 この厳しい法により、王族同士で表立った争いが起きることはなく、内政は安定し、アステール王国はさらなる強国へと成長した。


「血の繋がりは絶対的な絆と言っておきながら、法で縛った……。結局ゼニス王も心から信じてはいなかったんだな」


 そう呟きながら本を閉じ、サクは卓上ランプのそばに置いた腕時計を見つめた。


「血の繋がり……。そういえば、アサヒは家族がいないって言ってたな……。家族がいないってことは、施設で育ったとか? いや、でも、小さい頃からずっと一緒だった人もいないって……。どういうことだ? そういや、どこの出身なのかも結局聞いて――」


 口を閉じる。

 なぜゼニス王の自叙伝の内容がアサヒに結びついたのか。なぜアサヒの顔が浮かんだのか。

 これでは別の部屋で寝る意味がない――こともないが。


「あー、あっつい!」


 サクは腰にかけていたガーゼを蹴飛ばした。卓上ランプの明かりを消して、目を閉じる。


 ――余計なことは考えるな。父さんがいなくなった理由にたどり着くことだけ、考えろ。




「ねぇ、今日は何して過ごす?」


 朝食を終えたあと、アサヒがテーブルに身を乗り出して言った。

 サクはテーブルの端に置いていた、ゼニス王の自叙伝を手に取った。


「悪いんだけど、少し待っててくれない? この本、あと少しで読み終わるから。今日中に返しに行かないと罰金取られるし……」


 アステール大図書館では、通常十四日間本を借りることができる。

 しかし、外部の人間であり、かつ身分証明書を持っていない場合、貸出期間は十日に短縮され、さらに期限を過ぎたら罰金を支払う旨の誓約書に住所と名前を書く必要があった。

 サクはまぁいいかと思い、誓約書に更地になっているロクの自宅の住所と名前を記していた。


「わかった。じゃあ、わたしも一緒に読む!」


「え……。まぁいいか。あと数ページだし」


 アサヒはサクの隣に座った。椅子を寄せ、体も寄せる。肩がぶつかる寸前まで距離を詰めた。


「ちょっ、あまり近寄るなよ。暑いだろ」


「仕方ないでしょ? こうしないと読めないんだから」


「……勝手にページめくっていくから、まだだったら言って」


「うん!」


 サクはしおり(アサヒの書いた献立メモ)が挟まれたページを開いた。


『俺は神から与えられた使命を果たした。この世に思い残すことは何もない。我が名は偉大なる王の名として、未来永劫残ることだろう。

 ……しかし一つ、死ぬ前にどうしても叶えたい願いがある。』


 ――思い残すことはないんじゃなかったのかよ。


『あぁ、ローザ……。俺は今でもお前を一番愛している。何人妻を娶ろうと、お前が一番であることに変わりはない。この気持ちは本当だ。

 こんなことを書けば、他の妻たちが嫉妬するかもしれない。いや、それでも俺は書かずにはいられない。

 初めてお前と出会った時、この世にこんなにも俺を虜にする女が存在することに感謝した。まさに神からの贈り物だと思った。

 ようやく願いが叶って夫婦となれた時、俺は人生で最大の幸福を感じた。そしてお前を抱――』


 サクはさくさくページをめくった。アサヒが声をあげた。


「まだ読んでない!」


「俺も読んでない。これは読み物じゃない。ただの文字の羅列だ」


「そんなはずない」


 アサヒはそう言って、ページをめくろうとするサクの手に手のひらを重ねた。

 サクはぴたっと動作を止め、体を硬直させた。


「だから……ただの文字の羅列だって……」


「……サクの手、熱い。もしかして熱があるんじゃ」


「あ、あるわけないだろ。大体アサヒはいつも風邪とかケガとか、やたらと心配しすぎなんだよ」


「だって……サクがいなくなったら困るから」


 その言葉で、サクの体温はピークに達した。アサヒの手が離れたのと同時に、最後のページまで一気にめくる。


「いなくなったらって、風邪引いたくらいで死ぬわけ……ゲホッゴホッ」


 激しく咳こんだあと、サクは喉に違和感を感じた。なんだかズキズキと痛いような……。

 めくったページに視線を向ける。文字が蜃気楼のように揺れている。それでもなんとか記されている文章を読むことができた。


『お願いだ、ローザ。俺の元に帰ってきてくれ。死ぬ前に一度でいいからお前に会いたい。ローザ、愛している。お前を心から愛している。だから帰ってきてくれ、ロ』


 文章はそこで途切れていた。

 サクは開いたままの本の上に突っ伏した。


「サク……?」


 近くにいるはずのアサヒの声が、遠くから聞こえた気がした。




「本、返してきたよ」


 その言葉に、サクは返事をしようとした。しかし喉が痛くて無理だった。

 サクは「6」の部屋のベッドの上で横になっていた。「4」の部屋に戻りたかったのだが、一刻も早く横になりたい気持ちが勝った。

 体は重く、動く気力も体力もほとんど残っていなかった。今無理に動いたら、広いホールの入口付近で力尽きるかもしれない。そう思い、もう少しここで寝ていようと思った。

 薄く開けた目を再び閉じる。


 ――何やってんだ、俺……。


 心の中で、ぼそりと呟いた。そばにアサヒの気配を感じた。目を開けると面倒なことになると思い、そら寝を続けた。


「サク……」


 アサヒは小さな声で呟いた。


 ――うつるから、離れろよ……。


「わたしにはサクが必要なの。だから、絶対に死んじゃだめだからね」


 ――大げさだな。風邪くらいで死ぬわけないだろ……。


 その時、額にヒヤッと冷たい何かが当たって、サクは反射的に体をこわばらせた。氷のうが載せられたようだった。

 起きていることがバレないよう、まぶたを固く閉じて耐える。サクはそのまま眠りについた。



「――サヒ。どこに行って……」


 夕方。うなされながら目を覚ましたサクは、ベッドに片手をついて上体を起こした。

 全身にかいた汗がベタベタとして、気持ち悪い。頭はぼーっとして、支えるのがやっとなほど重かった。

 アサヒが近寄ってきて言った。


「大丈夫?」


「うん……。ちょっとは……声も……」


「無理に話さなくていいよ。ご飯食べる?」


「……いい」


 何か食べた方がいいとは思ったが、食欲が湧かなかった。サクは卓上ランプの横にあったコップに手を伸ばし、水を飲んだ。


「ご飯は食べられなくても、きっとあれなら食べられると思うから……。ちょっと待ってて」


 アサヒはそう言うと、キッチンへ向かった。少しして、フォークとガラスの丸い器を持って戻ってきた。

 器に入っていたのは、缶詰の桃だった。


「これなら食べられる?」


 サクは頷きながら、差し出されたフォークと器を受け取った。

 あの時の話、覚えていたのか……。サクはハルモニア寺院に向かう道中で、アサヒに桃の缶詰の話をしたことを思い返した。


「ごちそうさま」


 空になった器とフォークをアサヒに返す。甘いシロップのおかげか、喉の痛みは若干引いたように感じた。頭も体も、さっきより軽くなっている。今なら部屋に戻れそうだ。

 サクはベッドから降りようとした。


「トイレ?」


「いや、部屋に戻ろうと。……うつしたら悪いし」


「だめ!」


 アサヒは即座に食器を卓上ランプのそばに置き、立ち上がりかけたサクの両肩をがしっと掴んだ。

 サクはその勢いで、再びベッドに尻をついた。アサヒが真正面から、真剣な表情で言った。


「ここにいて。じゃなきゃ……二度とオムライス作ってあげない。三食、白米牛乳ひよこ豆」


「白米牛乳ひよこ豆……」


 謎の呪文を唱えると、再び頭がくらくらしてきた。

 このまま動いたらまずい。大人しくアサヒの言うことを聞いてここにいよう。――という気になって、サクはもう一度眠りについた。




 風邪を引いて寝込んだ日から、三日が経った。

 サクはこの間ずっと、「6」の部屋でアサヒとともに過ごした。

 何度も出ていこうとしたが、完治していないからだめだと、強く引き留められた。

 それを振り切る気持ちはなぜだか起きなかった。


「よかった。風邪が治って」


 そう言って、アサヒは口の上に牛乳ひげを生やしたまま微笑んだ。


「うん……。迷惑かけてごめん」


「ううん。とにかく留守番中でよかった。移動してる最中だったら、大変なことになってたかもしれないし」


「あぁ……」


 サクは口元に手をやった。


「そういや移動のこと、全く考えてなかった」


 これから行くべき方角は分かっている。目的地はおそらく大陸西部。しかし、その移動手段やかかる金額、ルート、日数等はまだ調べていなかった。


「今日これから図書館へ行こう。どのルートを通ればいいか、調べないと」


「うん。明日エマさんが戻ってきたら、すぐに出発できるように準備もしておかないとねっ」


「そうだな」



 急がば回れ。この留守番期間は、旅立ちの準備のための期間だった。とすれば、全く意味のない時間ではなかった。

 着実に前進している。何もかも順調だ。そう、思っていた。


 図書館で地図とガイドブックを広げたサクは、額に手を当てながら声を漏らした。


「これじゃ、進めない……」


「どうしよう?」と、アサヒが困り顔で呟いた。


 大陸西部へ行くには、大まかに分けて二通りの方法があった。

 一つは、この特区アステールから西へ出て、元はアステール王国の領土であった砂漠地帯を横断する方法。

 もう一つは、東へ戻り、途中の町にある港から船で移動する方法。

 しかし、どちらもある物が必須だった。


 それは、成人であることを証明する身分証明書だった。

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