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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
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57話

 守られているような安心感があった。そして少しだけ、懐かしい感じがした。

 大して心地がいいわけでもないのに、気がつくと眠ってしまっている。父の背中は魔法のベッドだった。――硬くて、ほのかに温かい。


 サクはゆっくりとまぶたを開けた。父の背中よりもずっと硬い、銀色の棺が視線のすぐ先にあった。

 慌てて体を離す。と同時に、右隣からアサヒの声がした。


「おかえり」


「…………ただいま」


 サクは膝に手をついて立ち上がった。額や胸のあたりに不快な汗が滲んでいた。

 カントで見た三年前の父の姿。トーハで見た十五年前の父の姿。

 今回は三年前でも十五年前でもなかった。それどころか、父の過去ですらなかった。

 足元に横たわる銀色の棺に、鋭い視線を向ける。


 見知らぬ場所。巨大な銀の門の前に立つ、三人の男の姿が脳裏に浮かんだ。

 一人は、陛下と呼ばれていた大柄で長髪の男。門に過去か未来へ行く魔法をかけた人物。

 一人は、棺を背負ったがたいのいい男。男は、アステール王国初代王・ゼニスと断定できた。

 そのゼニスとは反対に、貧弱な体格をしたラゴウという名の男がいた。棺に魔法をかけたのはゼニスではなく、そのラゴウという男だった。


 ――ラゴウ。


 その男の顔には、なぜか見覚えがあった。それどころか、どこかで会ったことがあるような気がした。

 誰か似た人物がいただろうか。知り合いの顔を脳裏に浮かべるも、該当する人間はいない。

 何かが胸につっかえる。もやっとした得体の知れない物がこみ上げてくるような感覚に襲われた。


「大丈夫?」


 アサヒが心配そうにサクの顔を覗き込んで言った。


「……大丈夫。少し混乱してただけだから」


 サクは棺から視線を外すと、深呼吸をした。

 本当は少しどころか、かなり混乱していた。一度ゆっくりと頭の中を整理する必要があった。しかし今は一旦、脇に置くことにした。

 コツ、コツ、と、背後からヒールの鳴る音がした。ガラス扉が開いたところで、足音は停止した。


「一体何が起きたのか分からないけれど、目的は達成できたのかしら?」


 サクは振り返り、毅然とした口調でエマに答えた。


「いえ、まだです。俺たちは先に進まないといけない。進むためには、この棺にかかっている呪いを解かなければならない」


 エマは一瞬驚いたように目を見開いてから、険しい目つきで棺を見つめた。そばにいた神官と近づいてきたマリは、怪訝な顔をしていた。

 神官がサクに言った。


「もしやあなたは、この棺にがんじがらめに縛りつけられた紐を、解くことができるのですか?」


「それは、やってみないと分かりません。でも、絶対に解かなければいけないんです」


 サクは再び棺の方を向き、片膝をついた。

 魔法は、かけた本人か、それ以上の力を持った魔法使いにしか解けない。この棺にかかっている魔法を解くには、あのラゴウという男よりも強い力を持っていなければならない。

 左手を伸ばす。時計の針は真っ直ぐ棺を指していた。


 ――何が何でも解いてやる。


 棺に置いた手に、ほのかな温もりが伝わってきた。


「血の繋がりは絶対的に信じられるものなんかじゃない。あなただって信じていなかったはずだ。……だから、こんなものはいらない!」


 パリンッと何かが割れたような音が――しなかった。その代わり、左の手のひらにヒヤッと冷たい感触があった。


 棺は、その温もりを失っていた。


「解けた……のか?」

 

 手のひらを見ながら呟く。そこへエマが近寄ってきて言った。


「あなたさっき、左手で触れたわよね?」


 サクは顔を上げて、「はい」と答えた。


「それなら、鍵はかかったままのはずだわ。初めて触れた時と同じ方の手でなければ、棺の鍵は開かないの。あなたは儀式の時、右手でこの棺に触れた。だから今も呪いがかかったままだとしたら、この棺は私とあなた以外には開けられないはずよ」


 エマは神官に顔を向けた。

 神官は無言のまま棺の前で腰を落とし、そっと蓋に両手をかけた。


「まさか、そんな」


 マリが両手で口を覆った。

 突如として目の前に現れた人骨に、サクは腰を抜かしそうになった。


「本当に……解いたというのか……」


 そう神官が呟いた。


「嘘だと思うなら、時間を置いてまた開けてみるといいわ」


 エマは落ち着いた口調で答えると、踵を返し、出口に向かって歩き出した。

 マリが慌てた様子で声をあげた。


「待って、エマ! どこへ行くつもりなの?」


 エマは歩を止めた。振り向くことなく、ひとりごとを言うかのように答えた。


「……そうね。上へ行って、ランチを食べて、それから映画でも見に行こうかしら」


「それなら私も一緒に」


「駄目よ。だって、あなたはアステールで一番の有名人でしょう? あなたがここにあるエレベーターを使って上へ行けば、騒ぎどころじゃすまないわ」


 口をつぐんだマリに代わって、神官が言った。


「では私がお供します」


「馬鹿なのかしら。あなたも同じでしょ。そんな目立つ格好で上へ行けば、神官長が戒律を破って、白昼堂々ホテルで女性と会っていたって噂が広がるわよ。……とにかく、一人にして頂戴」


 ドアはバタンと閉ざされた。アサヒが閉じたドアを見つめて言った。


「大丈夫です。エマさんは必ず戻ってきます」


「……そうですね。私もあの方を信じます。アステールの民として」


 神官が絞り出したような声で言った。その隣で、マリが静かに涙をこぼしていた。




 夜、眠りにつこうとした頃。サクはベッドの上で、部屋の外のホールに響くコツコツという音を聞いた。

 エマに対して、怒りや憎しみといった感情は湧かなかった。自分を二度も殺そうとしたことを非難する気もなかった。

 それは決して、エマが実の母親だからではない。過酷な境遇に同情したからでもない。


 はっきりとした理由は分からなかったが、エマに対する気持ちが何もないことだけははっきりしていた。それはこれからも、変わらないだろうと思った。

 エマも自分に対して、もう何の感情も抱いていないはずだ。

 元々彼女の憎しみは自分に向けられたものではなく、自身の血筋と、あの棺にかけられた魔法に対するものだったのだから。


 サクは自分の両手を静かに見つめた。魔法とは一体何なのだろうか。この力はどこから来たものなのだろうか。

 棺が見せた幻影を頭に浮かべる。

 三人の男の言葉から、あそこはどこかの王国であると推測できた。

 しかしこの大陸には現在、「王国」どころか「国」は一つも存在しない。

 あそこは過去に存在した王国。アステール王国の建国より約三百年後、つまり今から約五百年前に存在していた王国……。


 ――あそこは一体、どこなんだ?


 頭を回したところで分かるはずがなかった。だが、父ならきっと知っていただろう。

 父は魔法について一切何も教えてはくれなかった。自分が魔法を使えるということも、知らされなかった。

 最初はなぜ教えてくれなかったのかと不満に思った。しかし徐々にその理由が分かってきた。そして確信した。


 知られたくなかったから秘密にしていたのではなく、暴かせるためにわざと秘密にしていたのだ。


 魔法は父が失踪した理由と密接に繋がっている。魔法について知れば、父が失踪した理由に近づくことができる。

 だから、ここへ来たことも、あの幻影を見たことも、決して意味のないことではなかった。


 サクは深く息を吐くと、目を閉じた。


 ――明日、ここを出よう。

 

 ここを出て、これまでと同じように針の指す方向へ進む。

 大丈夫だ。確実に目的に近づいている。不安など、何もない。





 コツン。額に何かが当たったのを感じて、サクは目を覚ました。

 じーんと痛む額を擦りながら、上体を起こす。


「いって……」


「ごめん! ボールが跳ねちゃって」


「ボール? って、まさか、あのスーパーボール……」


 サクはベッドの上であぐらをかいたまま、床にしゃがみこむアサヒを見下ろした。


「早く起きちゃったから、準備をしようと思って……今日、出発するでしょ?」


「そのつもりだけど」


「それで、宿泊費を払わなきゃと思ってポシェットから財布を出したんだけど……その時一緒に……あっ。あった!」


 アサヒはサクのベッドの下に潜り込んだ。そこから素早く戻ってくると、立ち上がって右手を突き出した。

 そのキラキラ光る青いボールと同じように、アサヒは青い瞳を輝かせた。


「このボールがこんなに跳ねるなんて、知らなかった!」


「知らずに欲しがってたのかよ」


 サクは呆れた目を向けた。アサヒは右手に持ったボールをしばらく見つめた後、サクのベッドの上に落とした。


「あれ? 跳ねない」


「当たり前だろ。ここに落としても、衝撃を吸収するから弾まないよ。テーブルとか床とか、もっと硬いところじゃないと。

 それに、ただ落としただけじゃ元の高さは超えられない。高く弾ませたいなら、力を込めて叩きつけるように投げないと。……あと、温めるとより弾む」


「温める……」


「なんでかと言うと、地面に衝突した時にボールの持つ運動エネルギーが……って聞いてないし」


「そうだっ! ちょっとこれ貸して」


 アサヒはそう言うなり、サクの腰にかかっている大判のガーゼを引きはがそうとした。

 サクは慌てて片手で押さえ、それを阻止した。


「何するんだよ!」


 アサヒは目をぱちくりさせた。


「包んで温めようと思って。まだ温かそうだから」


「温かくなんかないです」


「そんなはず……もしかして寒い? まさか、また風邪引いたんじゃ」


「引いてない。熱もないし、寒くもないから」


「よかった! それならちょっと貸して」


「だから駄目って言ってるだろ」


「どうして?」


 サクはその質問には答えず、ガーゼを押さえていた手をアサヒの前に差し出した。


「温めてやるから、こっちに渡して」


 アサヒは訝しむように目を細めながら、胸の前でボールをぎゅっと握った。


「さっきは温かくなんかないって言ったのに」


「それは……」


 サクは返答に窮して、アサヒから目を逸らした。その瞬間、またガーゼがはがされそうになった。咄嗟に太ももを押さえてガーゼを食い止める。


「やめろって言ってるよな?」


「わかった。もうしない。それに、手で握ってるあいだに少しは温まったみたい。――えいっ」


 アサヒは勢いよく右手を振り下ろし、ボールを床に叩きつけた。

 ポンッ。キラキラ輝くボールは打ち上げられた花火玉のように跳ね上がり、天井から張り出した通気口の縁にぶつかって、角度を変え――


 ゴツン。


 サクは無言で頭のてっぺんを手で押さえた。


「ご……ごめんなさい……」


「……アサヒ」


「まさかこのボールがこんなに跳ねるなんて……」


「さっき教えたはずでは?」


 睨むようにアサヒの顔を見る。アサヒは反省した表情で「ごめんなさい」と頭を下げた。

 サクは「はぁ」とため息をついた。


「ったく。スーパーボールで遊ぶ時は、人に当たらないように注意すること。分かったな?」


「ラジャーです。以後、気をつけます」


 アサヒはぴしっと背筋を伸ばして答えた。

 と、その時。コンコンコンコンとドアをノックする音がした。

 サクは急いでベッドから下りると、アサヒとともに玄関に向かった。

 そっとドアを開ける。目の前に、白いワンピース姿のエマが訝しげな顔をして立っていた。


「あなたたち。朝から何をドタバタしていたのかしら?」


「すみません」

「ちょっとベッドで色々あって」


 ゲホッ。ゴホッ。サクはアサヒの言葉をごまかすように、わざと咳をした。エマは冷ややかな目をサクに向けた。


「まぁ、いいわ。あなたたちにお願いがあって来たの。――今日」


「その前に」と、アサヒがエマの言葉を遮った。


「わたしからもお願いがあります。……わたしたちに、謝罪してください。

 もしサクに何かあったら、わたしはあなたのことを絶対に許せなかった。サクは怒っていないみたいだけど、わたしは怒ってます!」


「アサヒ……」


 サクは驚いて隣を見た。アサヒは真っ直ぐエマを見つめていた。いつもと変わらない透き通った瞳の奥に、ほんの一瞬、青い炎が見えた。


「わたしには家族がいません。小さい頃からずっと一緒だった人もいません。だから、エマさんの気持ちは、わたしには分からないのかもしれません。

 それでも、大切な人を失う悲しみは知っています。サクはきっと、わたしよりもずっとそれを知っています。だから……」


 エマは無表情のままサクを見た。


「そう……。あなたのお父さんは、あなたのことをとても愛していたのでしょうね。私と違って。そしてあなたも同じくらい、お父さんのことを愛していたのね」


 エマは深く頭を下げた。


「ごめんなさい。私は自分を守るために、あなたたちを手にかけようとした。到底、許されることではないわ」


「……俺はあなたに対して、怒りも憎しみも感じていない。だから、いいです」


 エマがゆっくりと顔を上げた。サクはエマの大きな黒い瞳を一直線に見据えて、言葉を続けた。


「あなたが俺を産んだ人であることは認めます。だけど、たとえ血が繋がっていたとしても、あなたと俺は、これからもずっと親子ではないです」


「……えぇ、そうね。私もあなたも互いに愛情が芽生えることはない。だから私とあなたは、これからもずっと親子ではないわ」


 エマは微笑むと、胸にかかった長い髪をさっと後ろへやった。


「さぁ、そろそろいいかしら?」


 アサヒがパチパチとまばたきして言った。


「お願いってなんですか?」


「今日から二週間、あなたたちにここで留守番をして欲しいの」


「……え?」


 しばし沈黙が漂った。サクとアサヒはともに、口を半分開けたまま一時停止した。

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