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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
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56話

「今ならまだ間に合う。あの老いぼれに、無理だと言ってやる」


「実の父とはいえ、国王陛下を老いぼれ呼ばわりはいけませんよ、殿下。普通の人間なら老いぼれって年でもねぇし。……というかここ、やけに声が響くな。外から丸聞こえなんじゃねぇか?」


「聞かれたってどうってことはない。心がないんだ、あの人には。息子にどう思われようがこれっぽっちも気にならないはずだ。あの人が気にしているのは、自分がかけた魔法の効果だけなのだからな」


「それなら益々断るわけにいかないじゃねぇか。――それに俺は、この役目が与えられたことを光栄に思ってるよ」


「ゼニス……」


 その名前を聞いて、目を開けた。正確に言うと、霧がかかったように真っ白で何も見えなかった景色が、突然開けた。


 ――どこだ、ここは……?


 そこは見たことのない場所だった。

 あのハルモニア寺院と同じように、人工的な広い池があり、その中央に平坦な橋が架かっている。

 しかしその先にあったのは寺院ではなく、人の背丈の五倍ほどはありそうな、大きな銀色の門だった。


 その門は、広大な部屋の中央に黙然と立っていた。

 四方を塞ぐ石造りの壁に窓はなく、高い天井はまるで夜明けの空のような色をしている。

 内でも外でもないような、不思議な空間。この部屋が門のために作られたものであることは、疑う余地もなかった。


 威風堂々佇む門の前には、二人の若い男が立っていた。

 一人はがたいがよく、いかにも武勇に優れていそうな男だった。反対にもう一方の男は、線が細く、貧弱な感じがした。


 がたいのいい男が門柱に片手をついて言った。


「俺はこれからこの門を通って、三百年前の世界へ行く。そこで名を残し、この門にかかった魔法を証明する。それが俺の役目ってことで、合ってるよな?」


「あぁ」


「しかしこの門を通ったら、それ以前の記憶はなくなるんだろ? 自分の名前すら覚えていない可能性もあると……条件厳しいな」


「それだけじゃない。陛下がおっしゃるには、この門は通った者を三百年離れた過去か未来のどちらか、それもこの国ではない場所に転移させる。過去か未来か、どこへ転移するのかを自身で決めることはできないそうだ」


「なんだってそんな仕様に」


「詳しいことは私も知らない。ただの気まぐれか、あるいは欲張ったが魔力が足りずに半端なものとなったか。……いずれにせよ、これは単なる陛下の戯れだ。お前が辞めると言うなら、私が辞めさせてやる。魔法に関しては、陛下よりも私の方が位は上なのだからな」


「そんなことをすれば益々険悪になるだろうが。それに、さっきも言っただろ? 俺は自分にこの役目が与えられたことを光栄に思っていると」


「――お前の前に、この門を通った者が二人いた。しかし、いずれも失敗に終わった」


「門の魔法を証明するという意味ではな。その二人が悲惨な目にあったとは限らない。過去へ飛ばされたが名を残せなかった。あるいは未来へ飛ばされた。どちらの可能性もあり得る。

 でもって、そこで目も眩むような美しい女と運命の出会いを果たしてしまったかもしれない。夢のある話じゃねぇか」


 線の細い男は深いため息をついた。


「お前の意志がそこまで固いとは思わなかったよ」


「そりゃそうさ。でなければ、こんな物を用意してはいない」


 そう言って、がたいのいい男は膝を屈めた。男の前に、銀色の棺があった。


「なぜ剣や銃ではなく、棺なんだ」


「剣は現地で調達すればいい。銃は……無いかもしれないな。それに、武器に魔法をかけていただくのは俺の信条に反するからな」


「それで、なぜ一つだけ持っていける魔道具に棺を選んだんだ」


「棺なら、俺の名を後世に残すという目的に適うと思ってな。しかしそれだけじゃない。

 前にも話したことがあると思うが、俺の実の両親は俺が赤ん坊の頃に火事で死んだ。その後、孤児院にいた俺は、棺職人の夫妻に跡取りとして引き取られた。だが力の加減を知らなかった子どもの俺を、夫妻は一方的に職人に向かないと決めつけ、捨てた。

 まぁ、おかげさまで職人よりも向いてる職につけたんだから、今となっては感謝しているさ。あの時は、まさかこうして自国の次期王と腹を割って話せる仲になっているとは、思ってもみなかったしな」


 がたいのいい男は口の両端を引き上げて笑うと、再び棺に視線を落とした。


「二ヶ月前、十数年ぶりにその棺工房に行ったんだよ。『勅命を奉じまして、魔道具となり得る棺が必要なのですが、至急製作していただけますか』ってな。大枚をはたいて言ったんだ。

 そうしたら、二人とも恭しく頭を下げて引き受けてくれたよ。俺があの時捨てた子どもだとは、全く気づいていなかった。

 棺を受け取った時も同じだ。結局気づかれなかった。俺はその時、はっきりと思い知った。親と子は、血の繋がりが全てだと。

 棺にかけてもらう魔法はその時閃いた。仕様書はこの棺の中に入れてある。一回は読んだだろ?」


「あれは仕様書じゃなくて、お前が自分自身に宛てた手紙だろう……」


 そう言いながら、線の細い男は片膝をついて棺の蓋を開けた。中から取り出した手紙のようなものを黙読する。


「血の繋がり、か……。私にはよく分からないな。それが絶対的に信じられるものだとは思えない」


「子どもができたら分かるんじゃないか?」


「それも全く想像できないな。私に子など――」


「おいおい。この国の将来がかかってるんだ。それくらいはちゃんと考えておいてもらわないと、安心して出ていけねぇぞ」


「……分かった。そのことについては真面目に考えることにする」


「相変わらず頭固いな。冗談の一つくらい言えるようにならないと、意中の女性に振り向いていただけませんよ、殿下」


 線の細い男は耳を赤くした。


「意中の女性などいない。……そろそろ陛下がいらっしゃる頃だろう。覚悟は決まったか?」


「当然。元より決まっていますよ」


「本当にいいんだな?」


「はい」と、がたいのいい男は覇気に満ちた声で答えた。


「……分かった」


 線の細い男は、両手を小刻みに震わせながら棺の上に置いた。それから大きく息を吸って言った。


「“一の位”の魔法使い、ラゴウの名において命ずる。お前はゼニスと、ゼニスの血を引く一人の子にのみ開けられる。ゼニス亡き後も、後世にわたって親から子へと受け継がれよ」


 その瞬間、棺は打ち上げられた花火のように、緑や紫色の大きな輝きを放った。

 がたいのいい男が感嘆の声を漏らしながら、手を叩いた。


「さすがプテロ銀でできた棺だ。俺のような普通の人間にも、魔法がかかったことが一目瞭然なんだからな」


「そもそもプテロ銀製で、それもこれだけ精巧に作られた棺でなければ、こんな無茶で複雑な魔法はかけられなかっただろう。

 どんな魔法使いも、その願いに応えられるだけの優れた物が存在しなければ、力を行使することはできないのだからな」


「いくら棺が優れた物だったとしても、殿下ほどのお力を持った魔法使いでなければ、こんな無茶な魔法はかけられなかったでしょう」


「最後の最後にへつらうのはよせ」


 その時、背後からドアの開く音がした。二人の若い男はすぐさまその場で跪いた。

 大柄で白髪の交じった長髪の男が、ズカズカと橋の上を歩いてくる。男はあざだらけの両腕を大きく広げて言った。


「やぁやぁ、ゼニス君。此度は誠にありがとう。君なら必ず引き受けてくれると思っていたよ」


「重要なお役を頂けたこと、至極光栄に存じます」


「そうだろう。この門は私が生涯で生み出した魔道具のうちの、最最最高傑作だ。歴代王が誰も成し遂げられなかったことを、私は成し遂げたのだ!

 しかし、その効果はいまだ証明できていない。証明できなければ、本当の最最最最高傑作とは言えない」


 長髪の男は手を後ろで組み、がたいのいい男を見下ろした。


「君は大変優秀な戦士だ。我が息子にも剣術の手ほどきをしてくれた。しかし全く身にならなかったようだな。やはり我が息子に剣術など不可能だったろう。

 せめて銃くらいは扱えるようにと、君は我が息子に情けをかけてくれた。しかし我が息子はそれも無駄にしてしまったようだ」


 長髪の男は視線を動かすことなく続けた。


「君の努力は残念ながら水泡に帰した。しかし新たな役目ではそのようなことはないはずだ。

 生まれながらに能力のある人間の努力は、必ず報われる。たとえ記憶をなくしても、その者の本質が失われることはない。勇猛果敢な君ならば、必ずや成し遂げてくれるだろう」


「はい。必ずや、成し遂げてみせます」


 二人の若い男は立ち上がった。がたいのいい男は棺を背負うと、線の細い男に右手を差し出した。


「今生の別れだ。友よ」


「……あぁ。健闘を祈る」


 二人は固い握手を交わした。

 棺を背負った男は、両手で大きな門扉を押し開けた。

 長髪の男がその背中を見送りながら、不敵な笑みを浮かべて呟いた。


「天頂の王ゼニスよ、アステールに永遠をもたらしたまえ」


 その瞬間、あたりは白く眩い光に包まれた。

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