55話
サクとアサヒと神官の三人は、テーブルを挟んで椅子に腰掛けた。
「お体の具合はいかがですか?」
神官は開口一番、真顔でサクに尋ねた。
「全く問題ないです。急に眠気に襲われただけなので。たぶん、睡眠薬のせいだと思います」
「そうですか。ひとまず安心しました」
サクは一呼吸置いて言った。
「あの……エマさんは」
「まだ眠っておられます。あの方にはマリさんがついてますから、ご安心を」
どういう意味での「ご安心を」なのか分からなかった。サクはなんとも言えない感情を抱きながら、エマのいる「7」の部屋の方角に目を向けた。
「少し、あの方の話をさせていただいてもよろしいですか」
神官がゆっくりとした口調で言った。
サクは小さな声で「はい」と答えた。神官は静かに頷くと、先ほどと変わらないゆっくりとした口調で語り始めた。
「あの方は、王家に生まれた唯一の王女として、ご家族からも国民からも大変愛されていました。明朗で、親しみやすく、誰に対してもお優しい……そんなお方でした。
前王一家の仲は大変よろしかったのですが、王や成人された兄君達は公務で忙しく、王妃は病弱な弟君に付き添っていたため、あの方がご家族と一緒に過ごされる時間はあまり多くはありませんでした。
ただお一人だけ、長く一緒に過ごされた方がいらっしゃいました。それは、前王の六番目の子である、双子の兄君です」
「双子……」
サクは呟きながら、二つ並んだベッドになんとなく視線を向けた。
「このフロアにある部屋は当初客室として、一部の部屋を除き、全く同じに造られました。この部屋だけ綺麗にそのままだったのは、やはりここが六番目の部屋だったからでしょう」
視線を元に戻す。神官も同じようにサクに視線を戻した。
「……あなたはとても似ていらっしゃいます。あの方の兄君に。亡くなられたのが今のあなたと同じくらいの年齢でしたから、余計にそう感じてしまうのでしょうが」
エマはホテルのロビーで双子の兄によく似た少年を見かけ、無意識のうちに近づいた。最初は他人の空似かと思ったが、腕に見覚えのある時計があるのを見て、少年が自分の産んだ子であると気がついた――。
まるでエマに成り代わったかのように、サクの頭にはその時のエマの心情や行動がまざまざと浮かび上がった。
アサヒが言った。
「エマさんは、マリさんのことを双子のようにそっくりだったと言ってました。だけど本当の双子はお兄さんで、マリさんは本当の双子じゃない。……マリさんは、どういった人なんですか?」
「マリさん――元はエマというお名前だった方ですが、若い頃は本当によくあの方と容姿が似ていらっしゃいました。それは他人の空似で、本当に偶然です。ただ彼女自身は、運命めいたものを感じていたのでしょう。幼い頃からずっとあの方に親近感を持たれ、そして憧れていたようです。
あの方の表情や仕草、話し方などを研究し、何から何まで同じになるよう努力をされた。ただ唯一、声だけは似せることができなかった」
神官の顔にわずかな影が差した。
「誰かに憧れ、その人自身になろうとすることは特段珍しいことではありません。若い方なら特にそうでしょう。
ですから、彼女が利用されたことに関して、彼女自身に非はないのです」
「利用された……」とサクは呟いた。
「アステール王国は当時、急速に広がる砂漠化によって混乱状態にありました。王はこの状況をなんとかしようと、大臣や役人を集め、日々議論をなさっていました。成人した王子たちも各地へ赴き、逐次状況を王に報告されていました。決して国民を見捨てて、優雅な生活を送っていたわけではありません。そのことは国民もよく知っていました。
しかしそんな中、状況を変えるには王制及び国家を解体するしかないと考える者たちが密かに計画を練っていました。王制を解体するには、そうせざるを得ない状況に持っていくしかない。すなわち、王族を全員殺害するしかないと彼らは考えたのです」
サクは口を閉ざし、唾を飲み込んだ。アサヒも同じように口をつぐんでいた。
「病弱だった末子の王子は、治療の甲斐もあって健康なお体になられました。その時を見計らって、王は後継者を決める『天頂の儀』を執り行うことを決定しました。
彼らにとって、これは好機でした。王族を全員殺害するなら、この時しかないと思ったのです。
彼らは計画を練る中で、同時に王制解体後のことを話し合いました。どうすれば民の心をまとめられるのか。さらなる混乱をおさめられるのか。
そこで浮上したのが、マリ王女でした。王女にそっくりな人物を王女と偽って一旦即位させ、女王の口から王制の解体を宣言させる。元女王を新たな特区の首長にと声をあげ、多くの民に賛同させる。その後は偽の元女王を使って、特区として新たに生まれ変わったアステールを発展させていく。これが、彼らの計画でした。
しかし、マリさんの存在がなければ、このような計画は思いつかなかったでしょう。マリさんの両親はこのテロ組織のメンバーであり、国の役人でもあったのです」
「全部思惑通りということ……」
アサヒが目を丸くしながら呟いた。サクも驚いて言った。
「それなら、テロリストたちの計画は全て成功したということですか?」
神官は頷くでも首を横に振るでもなく、静かにまばたきをして言った。
「たった一つだけ、誤算がありました。それはあの方――本物のマリ王女の処遇です。当初テロリストたちは、あの方を誘拐し、遺体が見つからないよう宮殿とは別の場所で殺害する計画を立てていました。
しかし、その計画は失敗しました。誘拐の実行犯がミスを犯し、行き先を間違えたのです。到着した場所には、テロリストらに洗脳され、自身を本物の王女と思い込んでいるマリさんがいました。しかしマリさんの洗脳は、あの方と対峙した瞬間にとけてしまいました。
マリさんは状況を理解されておらず、目の前に憧れの王女がいることに驚き、そして大変喜んでいらっしゃいました」
サクは目を伏せた。あまりにも酷な話に、頭も心もついていけなかった。
「マリさんが全てを知った時、すでに他の王族は全員亡くなっていました。誰にもどうすることもできませんでした。
マリさんは両親らに、全ての命令に従う代わりに、王女の命だけは保証して欲しいと懇願されました。彼らは仕方なくその条件を受け入れたのです。
彼らにとっては誤算でしたが、それはかえって助けになりました。彼らは当初、誰も信じていなかったのです。棺を開けられるのが、ゼニス王の血を引く“真天”の子であり、ゼニス王に選ばれた者だけであるということを」
「棺……」
サクはハッとして顔を上げた。
「今度こそ教えてください。ゼニス王の棺がどこにあるのかを」
あらゆる覚悟を持って、臨まなければならなかった。
神官が「7」の部屋のドアを四回ノックした。サクはアサヒとともに、その背後に立っていた。
ドアが開く。顔を出したのは、マリだった。
「あの方は、目を覚まされましたか?」
神官の問いに、マリは小さく頷いた。
サクは左腕につけた時計を見ながら、拳を握った。
――行こう。
昨夜と変わらず、真っ白な明るい部屋にエマはいた。奥にあるベッドの縁に腰掛け、どこか遠くを見るような目をしていた。
エマはサクの顔を見ると、微かに唇の端を上げた。
「まさか、また会えるとは思わなかったわ。てっきりここから出て行ったと思っていたから」
「まだここに来た目的を達成していないので」
「目的?」
エマは不思議そうに呟いた。サクはエマに左腕を見せた。
「俺たちは父さんにもらったこの時計の針が指す方を目指して、ここへ来ました。針が指す方へ行けば、父さんが失踪した理由が分かるはず。俺の目的はそれを知ることだけです。
針は、あの棺を指していた。だからどうしても、もう一度棺に触れなければいけないんです」
「……そう。私を迎えに来てくれたわけじゃなかったのね」
「迎え?」
サクは眉間にしわを寄せた。アサヒが前に進み出て言った。
「エマさん。あなたはずっとお兄さんの元へ行きたかったんじゃないですか? サクのことを自分の産んだ子と知っていながら、同時に双子のお兄さんと錯覚していた。……あなたは本当は、生きることを望んでいなかった」
「あなた、本当に鋭いわね。……そうよ。あなたの言う通り。私は今まで、この真っ白な明るい部屋で、他人に望まれるままに生き続けてきた。それは私の意思ではなかったわ。
あなたたちを殺さなくてはいけないと知った時、これでやっと兄のところへ行けると思ったの。
死のうと思えばいつでも死ねた。だけどきっかけがなかった。特別なきっかけがなければ、あちらへ行くことはできないと思ったのよ」
「エマ……」
マリが何かを言いかけて、口をつぐんだ。エマは優しい口調で言った。
「あなたも辛かったでしょうね、マリ。私なんかに似てしまったばかりに、他人に決められた人生を歩むしかなくなった。私はあなたのことを、心から憐れに思うわ」
「……そうね。私は自分でも、自分のことをとても憐れな人間だと思っているわ。この世で最も大切な人を不幸にしてしまった、憐れな人間だと。
私はあなたのためにできることは何でもしてあげたかった。できることなら、あなたの苦しみも悲しみも全部引き受けたかった。
だけど、所詮は自己満足。全部自分のためでしかなかった。あなたの一番望んでいることは叶えてあげられなかった」
エマは表情を険しくした。先ほどとは打って変わって、低く、鋭い口調で言った。
「私はあなたのことが嫌いよ。私にそっくりだったあなたも、全く似ていないあなたも、どっちも嫌い。
あなたがどんなに私のことを愛していても、私は決してあなたを愛することはない。私は誰のことも愛さない」
エマはそう言うと、静かに立ち上がった。黒く冷たい瞳をサクに向けた。
「棺の場所を教えてあげるわ。ついてらっしゃい」
エマは部屋の右奥にあるドアを開けた。神官のあとに続いて、サクはドアの向こうへ足を踏み入れた。
天井の高い部屋の真ん中に、星礼の柱と同じ八角形の白い柱があった。
その柱の根元にはガラスの扉があり、奥で銀色の棺が不思議に光り輝いていた。
サクは引き寄せられるようにガラス扉に向かった。扉は自動で開いた。
左肘を曲げ、時計を見る。針は「12」を指していた。
隣でアサヒが呟いた。
「その時計と同じだね」
「え?」
「棺と時計、全く同じ色に光ってる」
「言われてみれば……」
『天頂の儀』の時、棺に触れた右手にほのかな温もりを感じた。
「全く同じ材質なのか? もしそうだとしたら、この棺は――」
神官が言った。
「この棺は、まさに伝説の棺です。時折緑や紫色に光り輝き、触れるとほのかに温かい。そして、背負えるほど軽いのです」
「背負えるほど軽い……」
やはり時計と同じだと思った。常識では考えられないほど軽く、しかし硬い。
「昔ある時、このアステールの地で一つの民族が分断し、争い、戦っていました。戦力はほぼ互角でなかなか決着がつかず、戦いは長引くばかりでした。
そこへ突如として、一人の男が現れたのです。男は武器を持っていませんでしたが、その代わりになぜか棺を背負っていました。
男は棺を背負ったまま、双方から剣を一本ずつ奪い、たった一人で戦いを終結させました。その後、双方によって長と認められた男は、国を築きました。これがアステール王国の始まりです」
「つまり、国が築かれる前から棺はあったということですか?」
「はい。しかし、この話の出典はゼニス王本人の書いた自叙伝ですから、信憑性は定かではありません」
「自叙伝……」
サクは口元をひきつらせながら、再び棺に目を向けた。
この棺には、何百年も前から魔法がかけられている。親から子へ、代々受け継がれる血の盟約。初代王ゼニスの呪い。
時代を考えると、この魔法に父は関わっていないはずだ。時計の針が指すのは、父が魔法をかけた物ではなかったのか?
サクは眉をひそめながらも、棺に近寄った。片膝をつき、左手を伸ばす。
――何にしても、進むだけだ。
時計の針がくるくると回り始めた。




