52話
夜七時になる、五分前。
サクとアサヒは、エマのいる「7」の部屋に向かった。
アサヒは両手でトレーを持っていた。その上で白いババロアが三つ、ぷるぷると揺れている。
なんとなく自分だけ食べないのは後ろめたい気持ちがして、サクはアサヒに自分の分も用意してもらった。
甘いものは苦手とはいえ、全く食べられないわけではない。
子どもではないのだから、嫌いなものを主張して場の雰囲気を壊すくらいなら、我慢すべきだ。そう思った。
サクは左腕から時計を外してズボンのポケットに入れると、ドアを三回ノックした。背筋を伸ばして、開くのを待った。
「いらっしゃい。どうぞ入って頂戴」
エマは先に風呂を済ませたのか、毛先が少し濡れていた。しかし以前のようなバスローブ姿ではなく、きちんとしたドレスに身を包んでいた。
深い青。深海のようでもあり、明け方の空のようでもある色。
そのドレスは、朝見たものとは違っていた。一昨日見たドレスとも、なんとなく違う気がした。
隣を歩いている水色のワンピースの少女と同じように、同じ色ばかり着ているのだなと、サクは思った。
エマに案内され、サクたちは廊下の突き当たりにある部屋に入った。
そこは、一人で過ごすにはあまりにも広い部屋だった。
ピカピカに磨かれた真っ白な床。細かい文様の装飾が施された真っ白な壁。閉ざされた真っ白なカーテン。
置かれている家具や調度品も、ほとんどが白だった。そして、
「明るい……」
サクは思わず感想をこぼしながら、天井を見上げた。
床や壁と同じく真っ白な天井に、水晶のようなシャンデリアが三つぶら下がっていた。そこから光があちこちに分散し、広い部屋を隅から隅まで照らしていた。
自分たちの泊まっている部屋と比べて、十数倍は明るかった。外のホールと比べても、遥かにこの部屋の方が明るかった。
エマはアサヒからトレーを受け取って言った。
「ありがとう。最後のデザートの時まで、冷やしておくわね」
「はいっ」
「どうぞ、お好きな席に座って頂戴」
エマはそう言い残して、奥の方へと姿を消した。
白い大理石のテーブルの上に、色鮮やかなサラダやローストビーフ、トマトとオリーブの載ったピザが並んでいた。
サクはその料理の豪華さにごくりと唾を飲み込みながら、テーブルに近寄った。
四脚ある椅子のうち、一脚の椅子の上に、なぜかあの銀色の仮面が置いてあった。
その椅子の向かい側にサクは座った。右隣に座ったアサヒが、戻ってきたエマに尋ねた。
「これ全部、エマさんが作ったんですか?」
「えぇ、そうよ」
「すごい!!」
「ありがとう。だけど、美味しいかどうかは食べてみなくちゃ分からないわよ」
エマの作った料理は驚くほど美味しかった。アサヒも感動したのか、目を輝かせながら何度も「おいしい!」と声をこぼしていた。
「このサラダ、すごくおいしい。塩がかかっているだけなのに……」
「素材がいいから、余計なことはせずに、特別な岩塩をかけて野菜の甘味を引き立たせているの」
「特別な岩塩……高そう」
サクは呆れた目でアサヒを見た。エマはウフフと笑った。
「よかったら、あとで分けてあげるわ」
「いいんですか?」
「お安いご用よ」
「やったー!」
アサヒはすっかり上機嫌だった。その後も何度もエマに料理について尋ねていた。
テーブルに載った皿が全て空になりかけた頃、サクは呟くように言った。
「この部屋、すごく明るいですね」
「落ち着かない?」
「いえ、そういうわけでは……」
エマは赤い唇の端を引き上げた。
「この部屋がなぜこんなに明るいかと言うと、白い物ばかり置いているからよ。白は光を一番多く反射する色だから」
「……白が好きなんですか?」
「いいえ、全然。むしろ嫌いだわ。だって、汚れが目立つでしょう? 私、料理は好きだけど、掃除は嫌いなの。だけど白いと汚れが気になるから、嫌々掃除をする羽目になるのよ。汚れだって認識できなければ、掃除しなくても構わないのに」
サクは口元をひきつらせた。もし黒い部屋だったら、どれほど不衛生な部屋だっただろうかと思った。
アサヒが尋ねた。
「それなら、どうしてこの部屋は白い物ばかりなんですか?」
「どうしてか……当ててごらんなさい。デザートを運んでくるから、そのあいだに答えを考えておいて頂戴」
そう言うと、エマは立ち上がり、そのまま奥の方へ消えていった。
アサヒはサクに顔を向けた。
「どうしてだろう?」
「ここが借りてる部屋だからじゃないか? さすがに備え付けの家具を自分で選ぶことはできないだろ」
「う〜ん。だけど、わたしたちの借りている部屋は真っ白じゃないよね。白が嫌いなら、別の部屋を使えばいいと思わない?」
「まぁ、確かに……」
正直なところ、どうでもいいことだとサクは思った。
頭の中は今朝上った階段のことでいっぱいだった。
上と下に分岐した階段。しかし見方を変えれば、そちらが一本の幹で、自分たちが上ってきた方がそこから分岐した枝なのかもしれない。
上から下へ、一本の階段が続いている。その先にあるのは……。想像が最大に膨らんだ時、エマがトレーを持って戻ってきた。
トレーにはポットとカップが三つ。そして、真っ赤なベリーソースに塗りつぶされたババロアが載っていた。
「わぁ! 美味しそう!」と、アサヒが言った。
「ごめんなさい。少しソースをかけすぎてしまったわ」
「たくさんかかっていた方がきっと美味しいと思います。それにソースがかかることを考えて、前よりも甘さを控えめにしたので大丈夫です」
「あら、そうなの。……ところで、さっきの答えは分かったかしら?」
エマはトレーをテーブルの端に置いて、席についた。左手でポットを持ち、人数分のカップに紅茶を注ぎ入れる。ババロアはトレーに載ったままだった。回答するまで、配るつもりはないようだった。
サクはひとまず口を開いた。
「たまたま『7』の部屋が白い部屋だっただけなんじゃないですか? 家具は借りている部屋だから備え付けで」
「もしそうなら、白が嫌いな私はどうして『7』の部屋にいるのかしら?」
「えっと……」
サクは言葉に詰まった。アサヒが言う。
「ヒントをください!」
「そうね。ヒントは、『並び順』よ」
「並び順……」
サクは受け取ったカップに口をつけながら、今朝、円形のホールの中央に立った時のことを思い返した。
――1、4、5、3、7、8、2、6。
なぜかバラバラに並んだ、部屋番号。やはりこの並びには意味がある。
その時ふと、ゼニス廟が頭に浮かんだ。
以前からこのホールはゼニス廟に似ていると思っていた。
広い円形の空間。その周囲に、等間隔に並んだドア。おそらくこれは――。
「このフロアにある部屋の並び順って、もしかして、アステール王国で最初に行われた王位継承者を決める儀式で、棺に触れた順番なんじゃないですか?」
サクはたった今浮かんだ考えを、そのまま口にした。
エマは表情を変えない。
サクはその先の答えをつらつらと述べた。
「ゼニス王の八人の子は、くじで決まった順に棺を囲んだ……。『天頂の儀』では階段の左側にいた人から、時計回りに棺に触れました。それと同じ順だとすると、廊下を抜けて左側にある部屋の番号が「1」。次が「4」。その次は「5」。
数字の意味はおそらく、生まれた順。「1」は一番目に生まれた子を指している……」
エマはわずかに微笑んで、「それで?」と続きを促した。
「だから……ここは七番目に生まれた子の部屋ということに……なって……」
サクは戸惑った。今までに言った言葉が正しいとして、それがこの部屋が白いこととどう繋がるのか、エマがこの部屋にいる理由も、全く思い浮かばなかった。
しばらく沈黙が流れたあと、エマが口を開いた。
「このフロアは建設時、宮殿を移設しようとして造られたの。焼失した宮殿内には元々、ゼニス廟と同じような円形の広い空間があった。
そこは、アステール王国で最初に王位継承者を決める儀式が行われた場所。長い歴史の中で何度も改築されて、存続してきたのよ。より多くの民衆にゼニス王の復活と王位継承者を示すため、外のゼニス廟に儀式の場が移されたあとも、ずっと……」
エマは静かに一回まばたきをした。
「けれど、建設中にテロが起きて、王制は解体された。宮殿を移設する必要は無くなってしまったわ。
幸い、宮殿の入るフロアの建設作業はまだ十パーセントも進んでいなかった。作業は一時中断され、建設計画は書き換えられた。
宮殿となるはずだったエリアは、外から来た人が宿泊するためのホテルとなることが決まった。すでに完成していた広い円形のホールの周囲にも、当初予定になかった部屋を作り、ここはホテルの一部になったのよ。表向きはね」
サクは二回まばたきをした。言葉は何も出てこなかった。
「これだけで答えにたどり着くのは困難でしょうから、もう一つヒントをあげるわ。
アステールでは遥か昔、ゼニス王の時代から、白は調和の色とされているの。調和――つまり、争いのない色。“偽天”のローブが白色なのは、“偽天”同士で争うことのないようにという意味も込められているのよ。
そして王家では代々女の子が生まれると、その子に白い部屋をあてがった。誰に対しても慈悲の心を持ち、慎ましく寄り添い、決して争うことのないようにという想いを込めて。
……さぁ、ヒントはここまでよ。制限時間は一分。それまでに答えが分からなければ、この話は一旦終わりにしましょう。せっかくのババロアがぬるくなってしまうから」
エマはそう言うと、テーブルの端に目を向けた。
サクは真剣に考えようとした。しかし、頭が言うことをきかなかった。
考えようとしても、あの階段のイメージが邪魔をする。
早く棺にたどり着かなくては。早くここを離れ、アサヒと同居しているこの状況を解消しなくては。焦るような思いに支配されていた。
そうこうしているうちに、一分経ってしまったようだった。
「タイムオーバーよ。……さぁ、ババロアを食べましょう」
エマはそう言うと、トレーに載ったガラスの器に手を伸ばした。と、その時。
「待ってください」
アサヒが真剣な口調で言った。
「……あら。答えが分かったのかしら?」
「はい」
「いいわ。聞かせて頂戴」
アサヒは少しの間を置いて、口を開いた。
「この部屋が白いのは、サクの言った通り、ここが七番目の子の部屋だからです。……ゼニス王のではなく、前王の」
サクは目を見張った。
「それって、つまり……」
アサヒはこくりと頷いた。
「ここは、元女王であるマリさんが王女時代を過ごした部屋を、復元した部屋なんです」
「……それだけ?」とエマが言った。アサヒは口を閉ざしたまま、沈黙を続けた。
「五十点よ。肝心のところが抜けているわ。なぜ私はこの部屋にいるのか」
――なぜ。
その時、サクの頭に『天頂の儀』の光景が蘇った。
七番目の子――七番目の人物。自分よりも低い背丈。華奢な手。
『天頂の儀』で見たその手と、テーブルの上に置かれたエマの手を比較した。
ローブの袖から伸びた左手。おそらく左利き。
――間違いない。あの時台座に上がった七番目の人は、この人だ。
その瞬間、点と点が繋がり、同時に何かが崩れたような感覚がした。
初めから二着もローブを持っていた。
最初の説明の時にはいなかった。
『天頂の儀』を終えたあと、皆がローブを脱いで礼拝堂を出た時にもいなかった。あの時感じた違和感の正体はこれだった。
サクは呟くように言った。
「くじは仕組まれていた……。エマさんが『天頂の儀』に参加することは初めから決まっていた。七番目の“偽天”として。なぜなら――」
顔を上げ、エマを見た。
「あなたがいなければ、儀式は成り立たない。あなたが本物の元女王、マリだから」




