51話
何の進展もないまま、夜が明けた。
滞在している部屋の照明は、どこかで制御されているらしく、午前五時になると淡い光を灯す。そこから徐々に強さを増し、明るくなっていく。
サクはまだ薄暗い部屋で一人、テーブルに広げたマップを眺めていた。
――棺は一体どこにあるのか……。
心の中で呟きながら、八角形の黒枠を見つめる。
ゼニス廟の真下、地上一階から最下層まで貫く、一本の柱。
――もしかしたら、最下層にあるのかもしれない。
柱はゼニス王の通り道。最も深いところにあってもおかしくはない。
もし最下層である地下二十一階にあるのだとしたら、ここからどうやって行くのか。
地下七階よりも下へ行くには、専用のエレベーターに乗る必要がある。
そのエレベーターに乗るには、アステールの住民しか入れない区画に立ち入る必要がある。
その区画に立ち入るには、身分証明書を提示し、申請費用を支払い、許可を得る必要がある。
サクは頭を抱えた。
「どうすれば……」
手も足も出ない状況に、苛立ちが募っていく。
その時、ふと閃いた。魔法を使えば、棺の在処が分かるかもしれない。
サクは急いでテーブルに並べたマップをかき集めた。一瞬、脳裏に「代償」のことがよぎったが、これしか方法はないと決心した。
紙の束を一直線に見つめ、両手に力を込める。
――ゼニス王の棺の在処を示せ。
しかし、魔法はかからなかった。
「なんで……」
テーブルに両手をついたまま立ち上がり、再び広げたマップを見下ろした。
どこにも印がない。さっきまでと何も変わらない。
「マップに書いてあることが、全て真実とは限らない……」
その言葉を口に出してから、一瞬、背筋が凍るような感覚がした。
昨日、最上階から一つ階を下りて、再び星礼の柱の前に立った。手がかりがないか周辺を捜索したが、何も見つからなかった。
同様に、ホテル内の全ての階の柱も確認した。しかし結果は同じだった。
その時点で、今行ける範囲に棺はないと決めつけていた。が、しかし――。
「まだ調べてない場所がある」
今いる、このフロア。マップに載っていないこの場所に、もしかすると……。
サクは奥にあるベッドに顔を向けた。白いガーゼに包まれた三つ編みの少女が、小さく寝息を立てている。起きる気配はない。
サクはアサヒを起こさないように、そっとドアを開けて部屋を出た。
円形の広いホールの中心に立って、周囲を時計回りにぐるりと見回す。
――1、4、5、3、7、8、2、6。
ドアに刻まれた部屋番号は、昇順でも降順でもなくバラバラだった。
今まで気に留めていなかったが、この並びには何か意味があるのかもしれないと思った。
サクは自分の目で見ていない部屋を確かめようと、「2」のドアを開けた。そこはアサヒの言っていた通り機械室で、もしかするとここで照明や空調を制御しているのかもしれないと思った。
ドアを閉め、隣の部屋の前へ移動する。最後の部屋――「8」の部屋のドアは、開かなかった。
――ここに、もしかしたら……。
左腕につけた時計を見る。
針はこの「8」のドアと隣の「7」のドアのあいだを指していた。
エマに鍵のかかったこの部屋について尋ねるべきか、サクは考えた。
もし本当にここに棺があるとしたら……。ずっとこのフロアに宿泊しているエマは、その存在を知っているかもしれない。知っていて、隠しているのかもしれない。
そもそもエマがここに滞在している理由は、あの棺にあるのではないか。棺の見張り役として、誰かに頼まれてここにいるのではないか。
そんな考えがふっと浮かんだ。
誰かとは、無論、あの神官だ。
エマは“偽天”当選者しか購入できないローブを二着も持っていた。
おそらくそのローブは当選して購入したものではなく、あの神官から別の機会に手に入れたものだろう。
エマと神官は繫がっている……。
そう確信したサクは、エマのいない隙を狙って、このドアを開けようと思った。
幸い、このフロアにある八つの部屋の鍵は、どれも通常のシリンダー錠だった。
膝を屈めて鍵穴を覗く。以前自動販売機の鍵を開けた時と同じように、精密ドライバーと針金で開けられるかもしれない。
そう思った時。左側からガチャッとドアの開く音がした。
ビクッと跳ね上がりそうになりながら、体勢を戻す。
「あら。こんな朝早くから、何をしているの?」
サクは取り繕うようにエマに答えた。
「早く目が覚めてしまったので、ちょっと外のホールに出てみようと思って。……えっと、それで今……ここの隅に溜まってる埃を観察してたんです」
「そう……。変わった趣味を持っているのね」
エマは一昨日と同じく深い青のドレスを身にまとっていた。しかしよく見ると、袖の長さや襟の形状が、一昨日着ていたものとは異なっていた。
「エマさんはどうしたんですか?」
「私はいつもこの時間に出かけているのよ。上へ行って、朝の太陽を浴びるの。自然の光はいいものよ。こんな人工的な光と違って」
エマはそう言いながら、体を右に向けて高い天井を見上げた。サクもつられて上を見る。
そのきらびやかなシャンデリアは、どの時刻も変わらず眩い光を降り注いでいた。
「ねぇ、サク君」
視線を戻したサクを、エマが真っ黒な瞳で見つめて言った。
「今夜、私の部屋でディナーをしない? もちろんアサヒさんも一緒に」
部屋に招かれたことを意外に思いながら、サクは「はい」と答えた。
「決まりね。時間は七時でいいかしら?」
「はい。大丈夫です」
「それじゃ、今夜七時に。楽しみにしているわ」
エマはそう言って微笑むと、広いホールを抜け、長い廊下へと消えていった。
――そうだ。今のうちに鍵を。
サクは工具箱の中から道具を取ってこようと、宿泊している「6」の部屋に向かった。
ドアを開けたその瞬間、目の前にアサヒの顔が現れた。
「うわっ」
驚いたサクは、ドアに体を挟まれそうになった。
アサヒは閉じかけたドアを瞬時に片手で押さえると、ほっとした表情で呟いた。
「よかった……」
サクはごくりと唾を飲み込んでから、口を開いた。
「何が?」
「何がじゃない! 黙っていなくならないで!」
「いなくなるって……ちょっと外に出ただけなんだけど。カードキーはテーブルに置いてあるし、一人で上に行ったわけじゃないことくらい、見れば分かるだろ」
「そんなことはわかってる」
「じゃあ何が問題なんだよ。今までは別々に行動してたこともあっただろ。急に寂しがり屋になったのか知らないけど、四六時中一緒にいるなんて無理だからな」
サクはそう言いながら、アサヒの横を通って部屋の中に入った。
「違うの。わたしはただ……」
消え入るような声が後ろで聞こえた。サクは気まずい思いで、振り返って言った。
「そういや、さっきエマさんに会って、夕食に誘われた。今夜七時にエマさんの部屋でって」
「今夜?」
「うん。何か問題ある?」
「ううん、大丈夫。……そうだ! ババロア作らないと! あ。その前に朝ごはんだった」
アサヒはそう言うと、椅子の背もたれにかけてあったエプロンを取ろうとした。
「待って。先に、確かめたいことがある」
サクは工具箱の中から精密ドライバーと針金を取り出すと、アサヒとともに再び「8」のドアの前に立った。
「もしかしたら、ここに棺があるかもしれない」
「でもここ、鍵がかかっているんじゃ……」
「だから、これで開けるんだよ」
サクは両手に持った精密ドライバーと針金を、堂々とアサヒに見せた。
ためらうことなく、鍵穴に針金を差し込む。数分で、鍵はカチャッと開いた。
「すごい! さすがサク! やっぱり器用だねっ! まるで空き巣みたい!」
「最後のは余計……」
サクは腰を上げると、ドアの取っ手を掴んだ。ゆっくりと手前に引く。
そこは、外のホールよりも数段暗く、ほとんど照明がない場所だった。
それでもそこに何があるのかは、はっきりと認識できた。
「階段だ」
アサヒが呟いた。
サクは拍子抜けしながら、視線を上げた。
そこには柱はなく、当然棺もなく、ただどこへ続いているのか分からない階段があるのみだった。
「……非常階段か?」
予想と違っていたことに落胆しながら、じっと目の前の階段を見つめる。
幅はさほど広くはない。目測で二メートル半程度。左右をコンクリートの壁に挟まれているため、圧迫感で実際の幅よりも狭く感じられた。
その階段は、先が見えないところまで真っ直ぐ伸びていた。
「少しだけ上ってみよう。針の方向とは違うけど、何か手がかりが見つかるかもしれない」
「うんっ! 探検みたいだね!」
「……足元暗いから、気をつけろよ」
サクは時折、ひやりと冷たい壁に触れながら慎重に階段を上った。
やがて踊り場に到着した。左を向くと、さらに階段があった。
今度はその先にある踊り場まで視認できた。そこまで上ってみる。
すると左右にまた階段があった。片方は上へ、もう片方は下へと続いていた。
アサヒが言った。
「どっちに行く?」
「いや、これ以上先に進むのはよそう。もし迷路みたいになっていたら、戻れなくなるかもしれない」
「そうだね。ババロアを作らないといけないし、朝ごはんもまだだし」
「探検みたいとか言って、最初から食べ物のことしか頭になかっただろ……」
なぜ上と下に分岐しているのか。先に何があるのか気になったが、今は探検している場合ではなかった。
――あの人が戻ってくる前に、ここを出ないと。
サクは体の向きを変え、上ってきた階段を下りた。
元の場所まで戻った時。ふと、あることに気がついた。
「あれ……」
「どうしたの?」
アサヒが不思議そうに訊く。サクは入口のドアに近寄った。
「このドア、こっち側に鍵がない」
「本当だ」
ドアには取っ手しかついていなかった。
つまり、ホール側から鍵を差し込むことでしか、開けたり閉めたりできないようになっていた。
「でも、どうして?」
「分からない。設置した時のミス……ってことは考えにくいよな」
他の部屋には鍵がかかっていないのに、なぜここだけ鍵がかかっていたのか。
もしここにある階段が非常階段なのだとしたら、なおさらおかしいと思った。
それに、ホール側からしか鍵がかけられないということは、このドアの鍵をかけたのはエマということになる。だが、一体なぜ……。
その時、遠くの方からコツコツと足音が聞こえた。
エマが戻ってきたのだと察知したサクは、開きかけたドアを慌てて閉じた。
人差し指を立て、アサヒにしーっと合図を送る。アサヒは黙ったままこくりと頷いた。
サクは息を潜めながら、左耳をドアに向けた。じっと耳をすます。
ドクドクと自分の心臓の鳴る音が聞こえた。その音は、ドアの向こうから聞こえる小さな足音をかき消すほどだった。
だがやがて、足音の方が大きくなった。しばらく経って、足音はピタリと止んだ。
ガチャッとドアが閉まる音がした。
サクは肩の力を抜きながら、ふぅと小さく息を吐いた。再び目の前のドアの取っ手を掴み、ゆっくりと押す。
誰もいないことは分かっていたが、念のためあたりを見回してから外へ出た。
アサヒが出たあと、サクは静かにドアを閉めた。
鍵はかけなかった。いつまたエマが部屋から出てくるか分からない。その状況で、怪しまれるような行動はできなかった。
それに――鍵穴を見た時に感じたが、このドアはあまり頻繁には開閉されていないようだった。それならば、一日二日鍵を開けたままでも気づかれる恐れはないだろうと思った。
部屋へ戻ると、アサヒはすぐに朝食の支度を始めた。昨日買った三割引のパンをスライスし、中にハムとレタスを挟む。
その隣で、サクは二人分のグラスに牛乳を注いだ。
口のまわりにうっすらと白いあとをつけて、アサヒが言った。
「やっぱりさっきの階段って、非常階段なのかな?」
「非常階段なら、ドアに鍵をかけたりしないだろ、普通」
「そうだよね。ここへ来るにはエレベーター以外手段はないって、最初にエマさん言ってたし」
「うん……」
非常階段ではない。だとすると、あの先には何があるのか。もしかしたら、あの先に棺があるのではないか。
ドアの鍵は開いている。行くとしたら明日の朝、今日と同じ時間帯に。
……いや、それではさっきのように出くわしそうになるかもしれない。運悪く出くわせば、侵入したことがバレてしまう。
――今日の深夜、あの人が眠りについた頃がいい。
「グラス、空だよ?」
サクはアサヒに言われて、口をつけたグラスが既に空だったことに気がついた。
手に持ったグラスをテーブルに置く。
「今日の深夜、もう一度あの階段を上ってみよう。今度こそ棺にたどり着けるかもしれない」
「うん、わかった」
アサヒは真剣な表情で、こくりと頷いた。




