50話
ゼニス廟を離れたサクとアサヒは、礼拝堂へ向かった。
棺の在処。もう一度あの棺に触れるには、それをまず知る必要があった。
神官に尋ねれば分かるかもしれない。一縷の望みをかけて、両側に開かれた扉をくぐった。
天井近くの窓から、薄暗い堂内に一筋の光が差し込んでいた。
スポットライトのように照らされた床の上に、一人の女性が背中を向けて立っていた。
深い青のドレス。艶のある長い黒髪。その女性は紛れもなく、エマだった。
サクたちが近寄ると、エマは足音に気がついた様子で振り向いた。
「あら、あなたたち。どうしてここに?」
驚いた表情を見せるエマは、両手で白い花束を持っていた。
「えっと」と少し戸惑いながら、サクは答えた。
「神官の方に尋ねたいことがあって」
「神官? あいにく今は誰もいないわよ。星礼祭の翌日だから、まだ後片付けやら何やらで忙しいんじゃないかしら」
「そうですか……」
それなら、また明日来てみようとサクは思った。棺の在処を教えてもらえるかは分からないが。
アサヒが尋ねた。
「エマさんはここで何をしていたんですか?」
するとエマは口を閉ざしたまま、奥にある祭壇に顔を向けた。少ししてから、声を発した。
「ここには、テロで亡くなった王族が祀られているの。本来なら、“真天”である前王だけが神格化されて祀られるのだけれど、特例として、家族皆一緒にここで祀られているのよ」
――前王とその家族……。
サクは祭壇を見つめた。そこには昨日と同じく、こぼれ落ちそうなほどたくさんの白い花束が置かれていた。
「テロが起きたのは、星礼祭当日。王位継承者を決める、最も重要な『天頂の儀』の最中だった。
地上にあったゼニス廟は、今のものよりもずっと大きくて、一万人近くの人が集まっていたの。……その中に、テロリストたちがいたのよ。
テロリストたちはゼニス廟と宮殿を同時に襲撃した。ゼニス廟では台座に上がった“真天”である前王と、“偽天”である息子たち、八名全員が殺された。同時に多くの民間人が巻き添えになった。宮殿には火が放たれ、王妃も亡くなった。
王家で唯一生き残ったのが、マリ王女だった」
エマは祭壇に向かってゆっくりと足を運びながら、言葉を続けた。
「前王には八人の子がいたの。そのうち七番目に生まれたマリ王女だけが女子で、あとは皆男子だった。
歴史上、女性が“真天”に選ばれたことはただの一度もないわ。だから、マリ王女は初めから“偽天”に選ばれなかった。
襲撃を受けた時、彼女は一人で自室にいた。侍女から火事の知らせを聞いて逃げ出した彼女は、喉に火傷を負いながらもなんとか助かったのよ」
サクはエマのあとに続いて、静かに祭壇に近寄った。上に置かれた、たくさんの白い花束。よく見ると花はしおれ、花弁の先が茶色がかっているものもあった。
「この花……」
「星礼祭が始まる前に、多くの人がここへ来て花を捧げたの。
何百年も続いた祭事を、赤く塗ることはできないの。だから、祭りの最中は一切このことには触れないのが掟となっている。
祭りの前はあまりにも人が多いから、私はいつも後に来ているの」
エマはそう言うと、手に持った花束を祭壇に置いた。両手を胸の前で握りしめ、目を閉じる。時が止まったかのように静寂が漂った。
手を解いたエマは、アサヒに顔を向けて言った。
「ここへ来る前、仮面の話をしたでしょう? あの仮面には、他にも逸話があるのよ」
「逸話?」
「昔、戦いで亡くなった兵士を葬る際、顔にあの仮面を被せたそうよ。そうすることで、ゼニス王の導きにより、死者の魂は迷うことなく天の向こうへ行けた。……そんな話があるの。
そこから仮面は、死者への祈りの意味も込められるようになった。アステールの人々は、祭りの最中には決してテロのことは口にしない。けれど仮面をつけることで、犠牲になった人々を心の内で弔っているのよ」
「なるほど。それで、仮面をつけた人がたくさんいたんですね」
「えぇ。だけど、いつでもつけていいわけじゃないのよ。生きている者が仮面をつけていいのは星礼祭の時だけ。もしもそれ以外の時につけたら、魂を抜かれて天の向こうに連れていかれると言われているわ」
「えっ」
驚くアサヒの顔を、サクは横から見た。たしか、祭りの前日に仮面をつけていたような……。
エマは手で口元を隠しながら、ウフフと笑った。
「伝えていなくてごめんなさい。でも気にすることはないわ。だって迷信だもの」
「そう、ですよね」
そう言って、アサヒはぎこちない笑みを浮かべた。
サクたち三人は礼拝堂を出た。
「それじゃあ、私はこれで失礼するわね」
背を向けたエマは、小さくヒールを鳴らして階段を下り始めた。その足が途中でピタリと停止した。
「そうだわ」
エマは何かを思い出したかのように、振り返って言った。
「またババロアを作ってくれないかしら? 私の部屋に、美味しいベリーソースがあるの。何もかけなくても美味しかったけれど、あのソースをかけたらきっともっと美味しくなるわ!」
「はいっ、もちろんです! ベリーソース、きっと合うと思います」
アサヒが答えると、エマは赤い唇の端を上げて微笑んだ。
「楽しみにしているわね」
去っていくエマを目で追いながら、サクは呟いた。
「やっぱり何者なんだろうな。外の人間とは思えないほど、アステールのことに詳しいし」
「うん……」
「もしかして、さっきの仮面の話気にしてる?」
「え?」
「あんなのはエマさんも言ってた通り、迷信だよ。気にする必要なんかない」
アサヒは目をぱちくりさせた。
「気にしてないよ?」
「……じゃあ、なんでそんな神妙な顔を」
「ババロアのことを考えてて。あと、夜ごはんの献立何がいいかなって」
「献立……」
「何にしよう? とりあえず買い物に行かないと、材料がないんだけど」
「スーパーに行ってから考えよう。どうせ安さ優先だろうし」
サクは足を踏み出した。その隣をアサヒが歩調を合わせるように歩く。
「安くて美味しければ、十分でしょ?」
「安くて、美味しくて、満腹になるだけの量があって、栄養が偏ってなければ」
「注文多い!」
「冗談だよ」
「冗談言ってる暇があったら、真面目に献立考えて!」
サクは頷きながら、別のことを考えた。棺は一体どこにあるのか。そしてその棺に、父がどう関わっているのか……。
明くる日。サクとアサヒは再び礼拝堂を訪れた。
中へ入ると、奥にある祭壇の前に白い人影があった。その背格好から、星礼祭を取り仕切っていたあの神官だと、サクは気がついた。
ゆっくりと歩み寄る。神官は気配に気づく様子もなく、祭壇に置かれた花をせっせと足元のカゴに入れていた。
サクはその背中に呼びかけた。
「あの、すみません」
「はい」
振り向いた神官は、一瞬驚いたように眉をぴくりとさせた。
「あなたは……何かご用でしょうか」
「お尋ねしたいことがあるんですが」
サクは意を決して口に出した。
「ゼニス王の棺が今どこにあるのか、教えてもらえませんか?」
すると、神官はサクを真剣に見据えたまま沈黙した。少しの間を置いて、口を開いた。
「目的は何でしょうか。棺の在処を知って、どうするおつもりですか?」
「えっと……」
追及される可能性は考えていた。だが、どう返答するかまでは考えていなかった。
仕方なく、一番無難な理由を口にする。
「本当に棺は元女王のマリ首長にしか開けられないのか、確かめたいんです」
神官は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、お教えすることはできません。いかなる理由があったとしても」
それならばなぜ目的を訊いてきたのか。と思ったが、その返答自体はむしろ予想通りだった。
仕方ない。しつこく尋ねたところで、教えてくれることはないだろう。ましてや下手すると、このアステールを追い出されるかもしれない。
「そうですか。変なことを聞いてすみませんでした」
サクはあっさりと引き下がったようにそう言うと、神官に背を向けた。
「お待ちください」
振り向いたサクの前で、神官は両手を握りしめた。目を閉じ、祈るように言葉を唱える。
「どうかあなたに、ゼニス王のご加護があらんことを」
ゆっくりと目を開けた神官は、真剣な表情で言った。
「道は一つではないはず。きっとあなたの道は開けると、私は願っています」
「ありがとう……ございます」
サクは神官に礼を言うと、再び背を向けて歩き出した。
神官の言葉の意味はよく分からなかったが、とにかく別の道を探さなくてはと思った。
棺は柱の内部にあるエレベーターを通って、台座に出現した。時計の針は、今も台座の中心を示している。ということは、どこかの階の柱の中に、ゼニス王の棺があるはずだ。
「問題はそれがどの階なのかってことだけど……。もし地下七階よりも下だったら、そもそも入れないんだよな」
「だけどわたしたちの泊まってる場所は、地下八階なんだよね? 本当なら、アステールの人しか入れないはずの」
「エマさんが言ってた通り、マップが全て真実とは限らないのかもしれない……。ホテルには外部の人間しか入れないわけだし。地下八階だろうと、あそこにはアステールの人は来られない」
「そうだね。でもわたしたち以外、誰も来られないんじゃない? カードキーがなければ、あのエレベーターに乗ることはできないんだし」
「言われてみればそうだな」
サクはどこへ向かうでもなく歩いた。歩きながら、棺の在処について考えた。
最下層まで貫く一本の柱。ひとまず地下七階までは、ホテル内から行って調べることができる。
が、そこに棺があるとは思えない。外部の人間が宿泊する施設の中に、王国最古の宝を保管しておくはずがない。
ザーと水の流れ落ちる音がした。踏み入った空中庭園は、祭りの最中とは真逆で、ほとんど人の声がしなかった。
サクは階下へ落ちていく水を眺めた。その横で、アサヒが呟くように言った。
「どうしてエマさんは、わたしたちに部屋を貸してくれたんだろう?」
「偶然困っている俺たちを見かけたから……じゃないか?」
「本当にそれだけなのかな。エマさん、時々話し相手が欲しくなるのって言ってたけど、その割にはあまり話をしていない気がするの」
「まぁ……確かに。最初にカードキーを渡された時以来、一度も部屋を訪ねてこないし、招かれたこともない。
話をしたのは、用があってこっちから訪ねた時か、外で偶然会った時だけ。おまけにアステールのこと以外話してない」
「うん。わたしたちのことも、わたしたちがここに滞在している目的も、一度も訊かれたことがないよね」
サクは沈黙した。何かが引っかかる。この感覚は、一昨日『天頂の儀』を終えた後と同じ。
アサヒは神妙な顔をした。
「なんだかエマさん……わたしたちとわざと距離を取ろうとしているような感じがする。近づくことを恐れているみたいに」
その言葉に、サクはドキッとした。
近づきすぎては駄目だ。一定の距離は保たなければならない。
胸に刻み込んだ言葉が、浮かび上がる。
「考えすぎだよ。実はそんなに人と話すのが好きじゃないだけかもしれないだろ? エマさんにとっては、きっと俺たちは今でも十分話し相手になってるんだよ」
「そう……なのかな。それならいいんだけど」
アサヒはすっきりしないような表情を浮かべていた。
考えすぎ。そう言ったが、サクも内心ではエマに対して疑念が湧いていた。
特別仕様のフロアに一人で泊まっていること。
そのフロアにある部屋を期限もなく格安で貸してくれていること。
ローブを二着持っていたこと。
やたらとアステールについて詳しいこと……。
しかし、そのことにかまけている暇はなかった。今最も優先すべきは、棺にたどり着くこと。
何としても、あの棺ともう一度対面を果たさなければならない。
そうでなければ、父の失踪の理由を知ることはできないのだから。




