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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
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45話

 サクとアサヒは、エマから一枚のカードキーを受け取った。


「探したんだけど、予備はこれしかなかったわ。だから絶対になくさないで頂戴」


 サクは「はい」と返事をして、エマに尋ねた。


「ここって、エレベーターでしか来られないんですか?」


「えぇ、そうよ。それ以外に手段はないわ。だから二人とも、離れ離れになっちゃ駄目よ。さっきも言ったけど、エレベーターに乗るにはそのカードキーが必要だから」


「分かりました……」


「それと、このフロアにある部屋の鍵は、カードキーではなくて普通の鍵なの。どこかの棚の中にあるはずだから、悪いんだけど探して頂戴」


「はい」


「私のことは気にせず、何日でもいてくれて構わないわ。宿泊代もあとでまとめて請求するから」


 アサヒが確認するような口調で言った。


「一泊一万ですよね?」


「そうよ。二人合わせて一万。……そうそう。余ってる食材があるんだけど、よかったらもらってくれないかしら? この部屋、キッチンあるでしょう?」


 アサヒが目を輝かせた。


「いいんですか?」


「えぇ。時々買いすぎちゃうのよ。だからもらってくれると、こちらとしても助かるわ」


 アサヒは喜びの表情でサクを見た。

 夕飯代が浮いてラッキーと思っている顔だ。と、サクは思った。

 エマは続けて言った。


「ルームサービスは頼めないから、食事はどこか別の場所でとるか、買ってくるかして頂戴。

 私、身の回りのことはすべて自分でやると決めているの。だから、ここには侍女はいないし、ホテルの従業員もやってこないから」


 サクは驚いて尋ねた。


「この広いフロアに一人で宿泊しているんですか?」


「そうよ。静かで、とても居心地がいいのよ。……だけど時々話し相手が欲しくなるの。あなたたちに出会えてラッキーだったわ」


 エマは赤い唇の端を上げて微笑むと、アサヒに言った。


「それじゃあ、あとで食材を持ってくるわね。邪魔にならないように、ドアの前に置いておくわ」


「はいっ! ありがとうございます!」


 エマが去ったあと、アサヒは両手の指を折って何やら数えだした。


「一人一日五千エルン。食費も合わせると六千エルンくらい? とすると……ここにいられるのは……約三週間。それだけ時間があれば!」


 アサヒは希望に満ちた目をサクに向けた。サクは身を硬くした。


 ――まさか三週間も過ごすのか? この部屋で一緒に。


「サク? どうかしたの?」


「心身に不調をきたしそうな予感が……」


「気分でも悪いの?」


「今のところはなんともない」


「どういうこと?」


 アサヒは眉間にしわを寄せて、首を六十度傾けた。


「……こんな埃っぽいところにいたら、病気になるって意味だよ。早く掃除に取り掛かろう。部屋の鍵も探さないといけないし」


 サクはそう言うと、すぐに掃除を始めた。トーハでの清掃の仕事の経験がここで活きた。

 段取りよくテキパキと、埃っぽい部屋を隅々まで掃除した。

 部屋の鍵は存外すぐに見つかった。キッチンを掃除している最中、アサヒが食器棚の中から見つけた。



 壁に取り付けられた時計が、夜の七時を指していた。

 アサヒは部屋のドアの前に置いてあった食材をキッチンに持ってきて言った。


「何食べたい?」


「何ができるか分からないから、何でもいいよ」


「う〜ん。……そうだ! 野菜がいっぱいあるから、トマト煮込みにしよっ!」


 久しぶりに料理できるのが嬉しいのか、アサヒは終始楽しげな様子だった。

 テーブルに完成した料理を並べる。向かい合って席につく。

 食べながら、アサヒが不思議そうな顔で言った。


「エマさんって、何者なんだろう……」


「分からないけど、すごい金持ちってことだけは確かだな。こんなところに泊まってるんだから」


「うん……ずっと泊まってるのかな? わたしたちに、何日でもいていいって言ってくれたけど」


「もはや住んでるんじゃないか? そんな口ぶりだったし。世の中にはそういう人もいるんだよ」


「そうだよね。そういう人もいるよね……」


 そう言いながら、アサヒは何か思案するような顔をした。


「どうかした?」


「ううん。なんでもない。食べ終わったらお風呂にしよっ!」


 サクはスプーンを口に持っていきながら、疑う目つきをして言った。


「風呂まで一緒に入るとか言い出さないよな?」


 アサヒは目をぱちくりさせると、訝しそうに眉間にしわを寄せた。


「どうしてわたしがサクと一緒にお風呂に入るの?」


 サクは顔を赤くしながら慌てて答えた。


「絶対に同じ部屋でって言うから」


「同じ部屋でとは言ったけど、一緒にお風呂に入るなんて言ってない!」


 アサヒは氷のように冷たい視線をサクに向けた。


「違う。誤解するなよ。そういうつもりは毛頭ない」


「……覗かないでよ?」


「当たり前だろ。アサヒこそ覗くなよ?」


「絶対に覗きません!!」


 アサヒは頬を赤く染めながら、ふいっとそっぽをむいた。

 サクはなぜだかほっとした。つかみどころのないアサヒに、一応の羞恥心があることが分かって安心した。




 一夜明けて、サクたちは動き出した。エマに借りた部屋を拠点とし、ひとまず最上階を調べることにした。

 そこは唯一、全ての人が全ての場所を自由に移動できる階だった。

 アステール駅や、今いる空中庭園。それ以外にも、大型の商店街、プール、美術館や博物館等々、さまざまな施設がこの階に収容されていた。

 大きなモニターに映し出された案内マップを見て、アサヒが目を輝かせた。


「すごい! 楽しそう!」


「遊びに来てるんじゃないんだから」


 サクは左腕につけた時計を見た。

 針は庭園を縦断するように通る、太い一本道の先を指していた。

 アサヒが言う。


「意外とすぐに見つかったりして」


「あまり楽観的に考えるなよ。あとで苦い思いをするだけだから」


 そう言いつつも、とにかく早く“目的の物”を見つけ出したいとサクは思っていた。

 金銭的にも時間的にも余裕はできたが、あまり長いことあの地下室にいたくはなかった。


 なんとなく息苦しいような感じがした。そのせいで、昨夜はなかなか眠りにつけなかった。

 酸素が薄いというわけではない。空気は天井のダクトを通って、循環している。

 それなのに、胸のざわめきがやまず、何度も深呼吸をした。

 それはアサヒと二人きりでいることへの不安からだと思った。

 近づきすぎては駄目だ。一定の距離は保たなければならない。

 このままでは、近づきすぎてしまう。


「どうしたの? 早く行こうよ」


「あぁ、うん」


 サクは頷き、足を踏み出そうとした。

 その時、モニターの映像が切り替わった。映し出されたのは、昨日と同じアステール首長の映像だった。スピーカーからも、昨日と同じくハスキーな声が流れた。

 近くのベンチに座っていた年老いた男性が、モニターに向かってうやうやしく頭を下げた。


 歩きながら、アサヒが言った。


「首長さんって、すごい人なんだね。あんなに敬われてるなんて」


「敬われてる……それはたぶん、元女王だからだよ。アステールは元々、八百年以上続く王家が治める王国だった。一時は、大陸で最も大きな王国だったほど栄えていたんだよ。

 それがある時から衰退していった。国土が急速に砂漠化して、大勢の人が住む場所を追われてしまった」


「砂漠化……。住む場所を追われたその人たちは、どうなったの?」


「国を出ていった人もいたけど、多くは砂漠化を逃れた別の町や首都近辺に移った。だけど、家も仕事も簡単に見つかるわけじゃない。街は路頭に迷う人で溢れた。

 元々そこに住んでいた人からは差別を受けたりして、諍いが起こった。暴動や略奪が頻発して、治安はどんどん悪くなった。

 零域――ここでは『禁忌の泉』って呼ぶらしいんだけど、絶対に入ってはいけないその場所に、多くの人が向かった。……そして、テロが起きた」


「テロ……」


「王女一人を除いて、王族は全員殺された。宮殿には火が放たれ、跡形もなくなった」


 アサヒの顔に、驚きと悲哀の色が同時に浮かんだ。

 サクはゆっくりと歩きながら、言葉を続けた。


「王族だけじゃない。何の罪もない人たちが巻き込まれて犠牲になった。テロが鎮圧されたあとも、アステールには大きな傷が残った。王制を維持することは困難な状況だった。

 前王の跡を継いで即位した女王マリは、その日のうちに王制の解体を宣言した。すでに建設中だったこのシェルターを新たに特区とすることも同時に表明した。

 火事の後遺症で掠れた声を必死に張り上げるマリに、多くの民衆が心を打たれたらしい。マリを新たな特区の首長にという声があちこちから上がった。マリはそれを承諾して、首長になった」


「それであんなに敬われてるんだね。元女王様だから……」


「あの人は、首長としてかなり長い期間在職してる。

 この特区はまだ過渡期で、前時代から完全には抜け出せていないんだよ。王国時代に行われていた星礼祭も、未だに行われているし。

 本には詳しいことが書かれていなかったけど、星礼祭で行われる『天頂の儀』っていうのは、初代王ゼニスの血を受け継ぎ、即位した者だけが行える儀式らしい」


「やけに詳しいと思ったら、また本?」


「たまたま見つけた本に書いてあったんだよ。それが、カントで買った本の続編で――」


「たまたま、見つけた、本?」


 アサヒは疑う目つきでサクを見た。


「ちゃんとあとで返すんだから、別にいいだろ」


「あっ! やっぱりくすねたんだ! 人には『くすねるなよ?』なんて言っておいて!」


 サクとアサヒは、太い一本道を歩き続けた。

 やがて、目の前に広い円形の空間が現れた。

 円周上に立つ、八本の太い柱。地面のタイルには、それらを繋いだ線である八芒星の模様が描かれていた。

 中央には八角形の台座のようなものがあり、そこへ上る階段があった。


『ゼニス廟』と呼ばれるその建物には現在、規制線が張られており、中で多くの人たちが祭事の準備をしていた。

 サクは腕時計を確認した。針はゼニス廟の中央を向いていた。


「周ってみよう」


 そう言うと、サクは時計を確認しながら規制線の周囲を歩いた。

 針はずっと、ゼニス廟の中央を指していた。

 ぐるりと一周し終えて、アサヒが言った。


「さっき言った通り! 意外とすぐに見つかったねっ」


「近づけないけどな。それに、時計の針は方角しか示さないから、あの台座みたいなところがそうとは限らない。その下のどこかの階にある可能性もある」


「う〜ん。近づけたら、わかるんだけどなぁ……」


「星礼祭の当日までは、関係者以外は入れないらしい。当日以降なら近づけると思うけど……」


 サクはゼニス廟の中央をじっと見つめた。父はあの台座のような場所に、何か魔法をかけたのだろうか。このアステールで、最も神聖な場所に。

 これまで見た父の魔法は、どれも大して意味のあるものではなかった。ある種、子どものいたずらのようなものであった。

 もし仮にあの神聖な場所に魔法をかけたのだとしたら、いたずらでは済まされない。そんなことを、父がするはずがない。


 しかし、よりによってゼニス廟の中央にある台座の真下に、「何か」が存在するだろうか。そんな偶然、あり得るだろうか。

 可能性としては、やはりあの台座に……。


 サクはしばし悩んで、アサヒに告げた。


「ひとまず全ての階のマップを手に入れて、あの台座の真下がどうなっているか調べよう。

 実際に行くとなると時間がかかるから、星礼祭までは調べるだけで。……って言っても、明日なんだけど」


「うん! 星礼祭、楽しみだなぁ。どんなお祭りなんだろう」


「お祭りって。遊ぶ気満々かよ」


「だって、せっかくのお祭りなんだよ? こういうことは楽しんだ者勝ちじゃない?」


「そんなことで勝ち負けが決まるのはおかしい。第一、俺は祭りとか昔から好きじゃないし」


「そうなの? わたしは好きだよ。特別な一日って記憶に残るから。だけど、そうじゃない日も好き。誰かと一緒に楽しい一日を過ごせたら、それだけで特別だから」


 アサヒはそう言って、にこりと微笑んだ。


 ――誰かと一緒に……。


 アサヒは自分と一緒にいて楽しいのだろうか。サクは無意識にそんなことを考えてしまった。

 ハッと我に返る。一体何を考えているんだ。道の隙間から生えた芽を、片足で踏みつぶした。


「とにかくマップを手に入れよう。あと、昼食もどうするか考えないと」


「昼食? もうお腹空いたの?」


「絶賛成長期なんだよ」


 近づきすぎては駄目だ。一定の距離は保たなければならない。絶対に。

 サクは今一度、心に誓った。

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