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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
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41話

 陽が沈みかけていた。

 サクは駅前のロータリー近くにあるベンチに座って、頭を抱えた。


 ――もう一度思い出せ。


 昼に食堂で支払った時には、たしかに財布はあった。カドをテーブルに残し、アサヒとともに食券を買いに行った。

 そのあと財布をズボンの後ろポケットに入れた。いつもはすぐにカバンに収めるが、その時はたまたま忘れていて、ポケットに入れっぱなしにしていた。

 もし落としたなら食堂か、もしくは駅までの道のどこかだ。だが、捜しても捜しても、財布は見つからなかった。

 落とした財布を誰かに盗まれたか。あるいは最初から、ポケットにあったのをすられたか。


 魔法を使って捜すことも考えた。しかし、そこまでの大金が入っていたわけでもない。なくした財布のために、代償を払うのはためらわれた。

 隣に座っていたアサヒが呟いた。


「どうしよう……。このまま進んでも、わたしの所持金だけじゃ厳しいよね」


「この度はご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません」


 サクは頭を抱えたまま、「はぁー」と長いため息をついた。

 砂埃に覆われた地面を見つめながら、ひとりごとを呟く。


「本当にどうするか……」


 すると突然、視界に影が差し込んだ。サクはゆっくりと顔を上げた。

 目の前に、銀髪で眼鏡の男が立っていた。


「カドさん……」


「腑抜けた面しやがって。ほら」


 手渡されたのは、黒い革製の財布だった。サクはすぐにそれが自分の財布であることを認識した。


「どこでこれを?」


「ん? 食堂を出た時だが」


「え?」


「……お前。そんなんじゃ、ころっと騙されるぞ」


 サクはハッと気がついて、立ち上がった。


「他人の財布盗んで何やってたんですか!」


 カドはニヤリと笑った。今まで見た中で、最上級の笑顔だった。


「カジノへ行ってたんだよ。けっこう稼げたぞ。ちょっと前まで昼飯代すら持ってなかったのにな。どうやらお天道様が俺の門出を祝福してくれたみたいだ」


 サクは開いた口が塞がらなかった。


「ついでにお前の所持金も増やしてやったぞ。感謝するんだな」


「どこの世界に泥棒に感謝する人間がいるんだよ!」


 そう言いながら、サクは財布を開いた。札がびっしりと並んでいた。どうやら、この財布の持つ摩訶不思議な収納力はバレていないようだった。

 アサヒが財布を覗き込んで、「おぉ!」と感嘆の声をあげた。


「お金持ちだ!」


「喜ぶなよ」


 カドはサクの肩をぽんと叩いた。


「じゃあな。お前の父親に……ダンによろしくな」


 サクは声を発しようとしたが、言葉にならなかった。

 カドはそのままどこかへ消えていった。

 父がもうこの世にいないことは、伝えられなかった。



 駅に入ったサクは、今度こそ切符を買った。ちょうど最終列車の発車時刻まで、あと十分というところだった。

 列車に乗り込みながら、アサヒが言った。


「わたしたち、ついてるねっ」


「ついてる? どこが。財布が戻ってきたのはよかったけど、はらわたは煮えくり返ったままだよ。リサはなんであんな奴のことが好きなんだか」


「う~ん。わたしにはそういう経験がないから、リサさんの気持ちはやっぱりよくわからない。サクは?」


「え……」


 それはつまり、恋したことがあるか? という意味だろうかとサクは考えた。


「ノーコメントで」


「なんで?」


「そういった質問は受け付けない主義なので」


 実際のところ、サクは誰かを好きになったことがまだ一度もなかった。アサヒも同じなんだなと、なんとなく安心するような気持ちがした。



 列車はガタンゴトンと揺れながら走った。

 丸二日かかって、とある街に到着した。そこで水や食料を買い、また列車に乗った。

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 やがてとうとう、終点に到着した。列車を降りると、あたりは真っ暗闇だった。

 サクはアサヒに言った。


「今夜、どこに泊まろうか」


「外じゃだめなの?」


「野宿はノー。いい加減、危ないって学んでくれない?」


「そっか……でも先生と一緒の時は野宿したよ?」


「嘘だろ?」


「嘘じゃないよ。だって、あまりお金持ってなかったし、節約しないといけなかったから」


「……テントを持ってたとか?」


「ううん。買おうと思ったけど、高いからやめたって言ってた。だから、人が来そうになくて、屋根があるところを見つけたら、そこを寝床にしてたの」


 父と少女が二人きり、外で寝泊まり。サクには全く想像がつかなかった。

 アサヒが一歩踏み出して言った。


「とりあえず歩こ? 人が来そうになくて、屋根があるところを探そうよ」


「野宿する気満々かよ」


 サクは仕方なく歩き出した。

 そこは人気のない田舎町だった。

 降りた駅は屋根すらない小さな無人駅で、周辺には見事に何もなかった。

 駅前の舗装されていない道の脇には、だだっ広い草原があるのみだった。

 ここならたしかに危険は無いかもしれない。が、そもそも寝る場所も無いかもしれない。


 暗い夜道をひたすら歩く。最初は何もないと思ったが、周囲をよく見てみると、ぽつりぽつりと民家があった。

 突然、アサヒが何かを見つけたように左前方を指差した。


「あ! ちょうど良さそうな建物があるよっ」


 道から少し離れたところに、古びた茅葺きの小屋があった。まさしく「人が来そうになくて、屋根があるところ」だった。

 中を覗いたアサヒは、「ここじゃだめ?」と遠慮がちな声で言った。

 今さら遠慮されても……と思いながら、サクはため息をついて言った。


「……分かった」


「やったー!」


「そんなことで喜ぶな」


 サクは小屋の中へ入った。全く使われていないのか、物は何一つ置かれていなかった。

 少し埃を被った床板からは、古びた木の匂いがした。

 アサヒはその床に、リュックから取り出したタオルを敷いた。

 サクは驚いて言った。


「さっそく寝る気?」


「うん。だって、もう眠いから」


 そう言いながら、アサヒは髪を三つ編みにして、タオルの上に寝そべった。


「おやすみ、サク。……ちゃんとわたしのそばにいてね」


 暗い小屋の中。アサヒの顔はよく見えなかったが、無防備な寝顔をしていることは想像できた。

 ちゃんとそばにいてというのは、一応守れということなのか? 自ら野宿を希望したくせに、どこぞのお姫様気取りか? と、サクは若干不満に思った。

 仕方なくアサヒの隣にタオルを敷き、横になる。


「いてっ」


 硬い床板に背骨が当たった。タオル一枚だけでは、心もとなかった。


 ――そもそもこの小屋って、誰かの所有物なんじゃ……。


 低い天井を見上げながら、心の中で呟く。


 ――そうだとしたら、これって不法侵入だよな……。


 まぁ、バレなければいいか。と思った。

 横から、すぅすぅと静かな寝息が聞こえた。視線をそちらに向ける。

 三つ編みの先についた青い花の髪飾りが、アサヒの胸の上で、湖に浮かぶ小舟のように揺らいでいた。


 ――父さんも、こうやって寝泊まりしてたんだよな……。


 その時父は、何を考えていたのだろうか。アサヒに対して、何を思っていたのだろうか。

 このままこうやって、悶々と何かを考えながら朝を迎えてしまうのではないか。

 そう思ったが、サクは自分でも気づかないうちに眠ってしまっていた。



「いって……」


 目を覚ました瞬間、サクは肩と背中にジンジンと鈍い痛みを感じた。肘をついて上体を起こす。

 その直後、アサヒが目をこすりながら起き上がった。


「……どうしたの?」


「どうしたの? って、こんな硬い床の上で何時間も寝てたら、体が痛くなるだろ?」


 アサヒはまだ眠いのか、座ったままぼーっとした表情で首を傾げた。


「あぁそうですか。なりませんか。さすが野宿のプロは違いますね」


 サクは首を左右に倒したり、肩を回したりした。痛みが和らいだところで、膝に手をついて立ち上がった。


「暑くなる前に出発しよう」

 


 道を歩いて進む。すると、しばらくして線路に出た。そこは昨日降りた駅の先にあった、廃線跡だった。

 線路の上を歩きながら、サクは言った。


「この先にあるハルモニア寺院ってところに、白い塔がある。たぶんそれが、アサヒの言ってた鐘の鳴る塔だと思う」


「ハルモニア寺院……。たしかに、そんな名前だった気がする」


「ハルモニアっていうのは地名で、そこは昔、戦場だったんだよ。南部には大陸最大の王国があって、その王国が領土を広げようと侵攻し、ハルモニアは激しい戦いの場所になった……って、カントで読んだ本に書いてあった」


「そんな本読んでたの?」


「あぁ。まさか、たまたま読んだ本に書いてあったことが役に立つとは……。その戦場となったハルモニアにはのちに、寺院が建てられた。戦いで命を落とした者たちを弔うために」


「そうだったんだ……。知らなかった」


「父さんに聞かなかった? 父さんだったら、絶対に知ってると思うけど」


「う~ん。きっと、聞いたけど忘れたんだと思う」


「そうか。けど、なんで廃線になってるんだろうな。あまり有名な場所じゃないのか?」


「よく覚えてないけど、わたしが前に行った時もそんなに人はいなかったと思う。たぶんわたしと先生以外に、五人くらい?」


「そんなにマニアックなところだったのか……」


 一体そこで何をしていたのか。疑問に思ったが、到着してから尋ねればいいかと思った。


 蒸し暑さの中、サクは時々水を飲んで歩き続けた。

 じわじわと汗が湧く。Tシャツが体の前後にぴったりと張りついた。首元をつまんで引っ張り、空気を入れようとする。しかし風が無いため、涼しさは微塵も感じられなかった。

 疲れた。休みたい。涼みたい。トイレに行きたい。

 心の中で、子どものようにごねた。が、口には出さなかった。

 アサヒはここでも涼しげな顔をしていた。

 サクはもう少し我慢しようと思った。せめてアサヒが疲れた顔を見せるまでは――。


「休憩しよっ」


 突然、アサヒが立ち止まって言った。

 サクは驚いてまばたきをした。アサヒはサクの顔をまじまじと見ながら言った。


「さっきからずっと休みたいって思ってたでしょ? 顔に書いてある」


「そういうアサヒは全然平気そうだけど」


「わたしもちょっと……疲れたかも」


「嘘つけ」


「サクが疲れてるなら休めばいいでしょ。ついでに、トイレにも行きたいんでしょ?」


「え……」


「顔に書いてある」


 自分は一体どんな顔をしているのか。サクはすぐに鏡で自分の顔を確認したい気分だった。


「けど、ここらにはトイレなんて無いだろ……」


 アサヒは顔を右に向けた。


「うん。だから、そこの茂みでどうぞ」


「どうぞじゃない!」


 野宿に抵抗がなければ、外で用を足すことにも抵抗がない。一体この少女は今までどういう生活をしてきたんだろうか。

 そう思いながらも、サクはカバンを地面に置いて、背の高い雑草の茂みに赴いた。


 アサヒの元へ戻ったサクは、日陰を探してしばし休憩をとった。

 しゃがみ込んでカバンを開ける。中から二つ缶詰を取り出した。

 それは桃の缶詰だった。暑い中でも腐らせずに持ち歩ける物にしようということで、購入した物だった。

 サクはアサヒに訊いた。


「白桃か黄桃、どっちがいい?」


「どう違うの?」


「さぁ? 言われてみれば、どう違うんだろう……」


「じゃあ、半分こしよっ」


 フォークで半分に分けて食べることにした。

 アサヒは口をもぐもぐさせて言った。


「白い方が甘いかも。サクはどっちが好き?」


「別にどっちでも」


「ふぅん。どうしてこれにしたの? 甘いもの、あまり好きじゃなかったよね?」


「そうだけど、これは別。昔、風邪をひいたときにばあちゃんがよく買ってくれた。

 あと、父さんが入院してた時にも持って行ってた。父さんも甘いものは食べなかったけど、これだけは好きだったから」


 ぬるくて甘いシロップが、喉に染みわたった。体にこもった熱がゆっくりと消えていく感じがした。


「そうなんだ……知らなかった。先生とサク、最初はあまり似てないって思ってたけど、やっぱり似てるね」


「そりゃあ家族なんだから、食べ物の好みくらいはある程度似るだろ」


「食べ物の好みもそうなんだけど、他のところも。カドさんもやっぱり似てるって言ってたでしょ?」


「……たとえばどういうところが?」


「たとえば……あっ。トイレに行きたい時の顔!」


 ゲホッ。ゴホッ。サクは思いきりむせた。シロップが喉の奥でツンとした。


「大丈夫? 先生もよくむせてたけど、サクもよくむせるよね。やっぱり親子だから?」


「もうその話は終わり」


 サクは水を飲んで立ち上がった。


「行こう。きっと、もうすぐたどり着ける」


 西の方角に何かが見えた。それは白く細長く、空に向かってそびえていた。

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