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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第一章 東の空に陽が昇る
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3話

 揺れるバスの車内で、サクは目を覚ました。

 左肩が重い。見ると、金髪の少女が自分の肩に頭をのせて、すぅすぅと寝息を立てていた。



 昨夜。サクはこの不思議な少女、アサヒと南東へ向かって歩いた――。


 歩き始めて数十分。その間、サクはアサヒとほとんど言葉を交わさなかった。

 アサヒはきょろきょろとあたりを見回しながら、時折「あれは何?」とサクに尋ねた。サクはぼんやりとその質問に答えるだけだった。


 現実感がない。色々と聞きたいこと、知りたいことがあるはずなのに、頭の中が混沌として言葉にならない。

 一方で、足はまだ迷うことなく動いていた。


 暗がりの中、街灯の明かりを頼りに、腕につけた時計を見た。

 針は「11」のあたりを指していた。歩くたび、少しずつ針は動く。大きく方向転換すると、針も大きく動いた。だが、示す方角は変わらない。


 方向は合っているはず。にしても、どこまで行けばいいのか……。

 頭を悩ませていると、唐突にアサヒが言った。


「たぶん、そんなに近くじゃないと思う。だから歩くのは一旦やめにしない?」


「え?」


 どういうことかと聞き返す前に、アサヒは前方を指差した。


「あのバスに乗るとか」


 見ると、数メートル先のバス停に一台の大型バスが停まっていた。その車体の上部に「クロセ」という文字が白く浮かび上がっていた。

 クロセ……クロセ……。サクは歩きながら、必死に「クロセ」という地名を思い出そうとした。頭の中に適当な地図を描き、点を打とうとする。が、どこにも打てない。

 うーんと唸り声が口から漏れかけた時、ふいに手首を掴まれた。

 アサヒは掴んだ手首にはまっている時計をちらりと見てから、体をよじってもう一方の手を伸ばした。


「このバスはあっちに行きますか?」


 問われたバスの運転手は、サクと同じく「へ?」という顔をしていた。

 サクは慌てて補足した。


「えっと、このバスは南東へ行きますか? 俺たち南東を目指してて。えっと、クロセ……じゃなくて途中でもいいんですけど、とにかく南東へ行きますか?」


 南東南東と連呼したのを恥ずかしく思い、顔を赤らめた。変に思われたのではないかとどぎまぎしていると、


「えぇ、行きますよ。クロセはここより南東にあります。まもなく出発しますので、どうぞお早くご乗車ください」


 思いがけず、運転手は紳士的な口調でにこやかに答えた。

 アサヒが軽快なステップでバスに乗り込んでいく。サクは慌ててその背中を追った。


 アサヒは奥の窓側の席に座った。

 車内を見回すと、席はちらほら空いていた。けれど、離れたところに座るのはなんとなく不自然な気がして、サクは隣の席に座った。

 少しして、ドアが閉まり、バスは走り出した。


 何に興味を惹かれたのか、アサヒは熱心に窓の外を眺めていた。

 サクはその隙間から外を見た。電灯の光がチカチカと瞬く。景色は暗く、はっきりしない。それでもどこを走っているのか大体見当がついた。


 ――もうこの町に戻ることはないかもしれない。


 なんとなく、そう思った。

 なんとなく、戻れなくたっていいと思った。

 家族はもう誰もいない。学校の友人達とは、クラスが替わればほとんど話さなくなるような希薄な関係だった。自分の帰りを待つ者などいるはずがない。

 ただ、自分がどこで暮らしていたのか、少しだけ気になった。

 現実的に考えれば、どこかの施設で集団生活をしていたかもしれない。けれど、そんな光景は微塵も頭に浮かんでこなかった。

 古い木造の一戸建て。薄暗いリビングに一人きり。頭に浮かぶイメージが、土色に塗られていく。更地になる……。


 気がつくと、窓から見える景色は真っ暗闇になっていた。

 しばらくして、カーテンを閉めるよう運転手からアナウンスがあった。アサヒがカーテンを閉めたのと同時に、サクはまぶたを閉じた――。




 目を覚ましたサクは、左肩にのった頭をそっと向こうへ押しやった。

 座席に座り直す。首を左右にひねり、両腕をぐいっと天井に向けて伸ばした。

 固まった上半身の筋肉がほぐれるのを感じる。一度眠ったおかげなのか、昨日よりも頭はすっきりしていた。


 Tシャツの袖を軽くたくし上げ、左腕につけた時計を確認する。

 針は、揃って「12」のあたりを小さく揺れ動いていた。

 奇妙な動きだ。この時計は時刻を示さない。

 通路に身を乗り出して正面を見ると、窓の向こうに白地の案内標識が見えた。「クロセ」は進行方向の先らしい。

 ひとまず目的地を通り過ぎてはいないことが分かり、ほっと一息ついた。


 再び隣の金髪少女を見る。無防備な顔で、まだ寝息を立てている。

 聞きたいことが山ほどある。

 父さんと、いつどこで出会った? 何をしていた? 魔法って何だ?

 時計の針が指す方に何があるっていうんだ!


 サクは感情が加速していることに気がついて、自ら線を断ち切るように思考を止めた。

 それは怒りの感情だった。彼女に対してではない。父に対しての怒りだった。


 サクが十二歳の誕生日を迎えた数日後、父は突然失踪した。理由も何も告げられなかった。

 ただ一言、『旅に出ます』と書かれた紙切れがテーブルに残されていた。


 その半年後。真夜中に突然、父は帰ってきた。顔にいつもかけていた眼鏡は無く、全身あざだらけで、今にも倒れそうなほど衰弱していた。

 祖母がすぐに救急車を呼び、父は病院へ運ばれた。体はあまり動かせない様子だったが、会話はできた。

 医師にあざの原因について尋ねられた父は、「分かりません」と言っていた。誰に何度尋ねられても、首を小さく横に振るだけだった。

 けれどサクの目には、父は何かを隠しているように見えた。


 サクは父と二人きりの病室で、あざの原因について真面目に訊いた。

 父は口の端をわずかに上げて、


「山で熊と取っ組み合ってるうちに、足を滑らせて転がり落ちたんだ」


 と冗談を言った。

 父はよく冗談のようなくだらない嘘をついた。意味があるのかないのかも分からない。思いつきでヨタを飛ばしているようにしか思えなかった。

 以前だったら、ため息をつくか、どつくか、鼻であしらっただろう。けれどその時ばかりは、何も反応できなかった。

 少しして、腹の底の方から沸々と怒りが湧いてきた。握りしめた拳が勝手に震え出した。

 拳の中に、誕生日に父からもらった腕時計があった。それを父の枕元に投げつけようとした。

 父は低く静かな声で、念を押すように言った。


「――サク。その時計を、絶対に手放すな」


 父と会話したのは、それが最後だった。



 サクはまたゆっくりと考え始めた。平静を保ち、ただ一つのことを。


 ――父さんはいなくなったあと、この子と会っていた。


 憶測でしかない。が、彼女が父のことを親しげに「ダン先生」と言っていたのを考えると、そう思えてくる。短くはない。ある程度の長さの時間をともに過ごしていたような、そんな口ぶりだった気がする。

 サクはタイミングを見計らって、アサヒに父のことを尋ねようと思った。

 感情をきちんとコントロールして、冷静に。慎重に。父の失踪の真実に繋がっているかもしれない糸を、断ち切ってしまわぬように。


 サクはそれ以上、考えることをやめた。



「わぁ。きれい!!」


 横から、勢いよくカーテンを開ける音とともに、子どものように無邪気な声が聞こえた。

 急に差し込んできた強い光に、サクは思わず目をつぶった。

 ゆっくりとまぶたを開けて隣を見ると、窓の外に、地平線まで続く水田が見えた。水面は鏡のように空を映して、青く輝いている。

 その景色をぼーっと眺めていると、突然、ぽんと肩を叩かれた。


「ねぇ、どこで降りる?」


 アサヒに訊かれ、サクは今一度腕時計を見た。


「目的地はまだ先らしい。さっき標識を見たら、クロセってあった。このまま終点まで行くんじゃない?」


「そっか。……ところで、運賃て後払いかな?」


「あっ」


 サクは思わず声をあげた。

 今の今まで、お金のことを全く考えていなかった。

 慌てて棚からカバンを下ろし、開ける。すぐに見覚えのある財布を見つけた。

 色褪せて白っぽくなった紺色の布地、角には擦ったような傷。昨日一度カバンを開けた時にこの財布を見つけて、確かに自分のカバンだと思った。

 なぜあの時、中身を確認しなかったのか。


 額に冷や汗をかきながら、財布を開いた。仕切られた場所に、一万エルン紙幣が五枚入っていた。

 ほっと胸をなで下ろす。これだけあれば足りるだろう。


「おぉ、お金持ち……」


 アサヒが財布を覗きこみながら、ひそひそ声で感嘆した。

 サクは首を傾げた。


「お金持ち……というか、手持ちにしては多すぎるような。なんでこんなに入ってるんだ?」


 周りに他の乗客はいなかったが、一応用心して声を小さくする。

 アサヒは安心したように顔を綻ばせた。


「よかった! お金が必要ってこと、さっきまですっかり忘れてて。急に思い出して焦っちゃった」


「あぁ、俺も忘れてた。危ないところだった」


「わたし、お金持ってないから、サクが持ってなかったらどうしようかと思ったよ」


「……は?」


 サクはあ然とした顔でアサヒを見た。


「金持ってないってどういうことだよ」


「言葉の通りだけど」


「じゃあ、そのカバンには何が入ってるんだよ」


「これ?」


 アサヒは肩にかけたポシェットをくるりと体の前に持ってくると、口を開いてひっくり返した。


「何も入ってないよ」


 当たり前のような顔をして言う。


「だってこれ、昨日拾ったものだもん。初めから中には何も入ってなかったよ」


「拾った?」


「うん。ゴミ箱の中から。ボロボロだったから自分で直したの」


 アサヒは得意げに顎をくいっと上げながら、右手でポシェットをパンパン叩いた。 


 はぁ。とサクは息を漏らした。はぁ。としか出てこなかった。

 直したというのは、例の「魔法」でということだろう。

 物を修復できるという彼女の右手。時計の奇妙な動き。それらが「魔法」なのかはわからないが、不思議な力は確かに存在しているように感じた。

 だが、そう簡単に常識は覆らない。彼女は何か理由があって、自分を騙しているのではないか。何かトリックがあるのではないか。そんな考えがまだわずかに残っていた。


「魔法」とは何か。父とどう関係しているのか。いずれ知ることになるかもしれない。いや、知る必要があるのかもしれない……。


『まもなく終点、クロセ、クロセに到着します。ご乗車、ありがとうございました』


 車内にアナウンスが流れた。

 とうとう終点か。サクは腕時計を確認した。針はさっきから、ほとんど変化していなかった。

 バスを降りたら、そこが目的地なのだろうか。それとも、もっと先なのだろうか。そもそもクロセがどんなところかさえ分からない。


 数分後――。サクは「ん?」と首をひねった。

 さっきから腰のあたりにガタガタと振動を感じる。外の様子を確認しようと、窓の方を向いたのとほぼ同時。

 ガクッと体が前後に一度だけ揺れて、バスが停止した。振動も止んだ。


「降りよっ」


 そう言って、アサヒが座席から立ち上がった。窓から外を見ようとしたサクの視界は、水色のワンピースによって遮られた。


「あ、うん」


 サクは腰を上げると、カバンを肩にかけ、通路を進んだ。

 前を歩く者はいない。座席はすべて空になっている。カーテンもほとんど閉められたままだ。他の乗客は皆、だいぶ前に降りたのだろう。


 サクは運転手に、二人分の運賃を支払った。計一万六千エルン。

 必要経費みたいなものだとは思うが、一言も礼を言わないのはどうなんだと、隣をちらっと見てからバスを降りた。


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