34話
朝の太陽はすべてを光り輝かせる。目の前の川面も、流れる小舟も、その船上のバナナでさえも。
いや、バナナを見てこんなにも気分がいいのは、当面食べなくていいからだとサクは思った。
大きな水車を通り越した先にある眺望用のデッキで、サクは朝食を食べた。魚と野菜が挟まれたパン、それとコーヒー。アサヒはコーヒーの代わりに牛乳を飲んでいた。
食べ終えると、サクはフェンスに背中を向けた。腕時計を見ながら、口を開く。
「昨日リサの店で、針があの人を指した」
「あの人って、リサさんの元お客さんで、屋台の常連のお兄さん?」
サクは「うん」と言って頷いた。アサヒが唸りながら首を傾げた。
「あのお兄さん、何か持ってたっけ?」
「持ってるというより、かけてる物だと思う。……たぶん、眼鏡だよ」
「眼鏡? よく忘れるあの眼鏡?」
「リサが言ってただろ? ゲームであの人に一度も勝ったことがないって。あの眼鏡にはもしかしたら、手の中やコップの中を見透かせる魔法がかかってるのかもしれない」
わずかに怒気を帯びた声でアサヒが言った。
「それって、透視ってことだよね?」
「えっ。あぁ、うん……」
手の中やコップの中が見透かせるなら、他にも色々な物を見透かすことができるのではないか。という考えにサクは至った。例えば、服とか。
アサヒは憤慨した表情で言った。
「そんなのずるい! 全然真剣勝負じゃない!」
「そっちか」
「ん?」
「いや、何でもない。とにかく、あの『カド』って人に近づいて話を聞かないと」
「うん。だけど、いきなり話しかけたら警戒されないかな?」
「そうだな……」
なかなか難しいことだとサクは思った。
偶然を装って、何度も顔を合わせる。最初は挨拶だけで、徐々に会話を増やしていく。そうしたのち、身の上話でもして打ち解けあえば、自然と父の話を引き出せるかもしれない。
自分には難易度が高いが、アサヒなら楽勝だろうと思った。
問題はその先だ。
眼鏡を手渡してもらわなければならない。
そのうえ先へ進むには、その眼鏡にかかっている魔法を解く必要がある。
最悪、解いた後にもう一度同じ魔法をかければいいが、できることならそれは避けたい。かけたくもない魔法をかけて、あまり自分の命を削りたくない。
「ひとまず作戦を練ろう。まず、あの人とどうやって接触するかだけど」
「それならやっぱり、屋台とリサさんのお店に通いつめるしかないよね?」
「あぁ~バナナ地獄の次はカレーワンタン麺地獄か」
「文句を言わないの!」
「分かってるって」
顔見知りになることを第一目標に掲げて、サクたちは屋台とリサの店に連日通った。
三日ほど経てば、いくらか会話ができるようになると見込んでいたのだが、そう上手くはいかなかった。
屋台でサクが挨拶しても、アサヒが挨拶しても、カドは「あぁ」としか返さず、それ以上会話ができなかった。
無理に話しかければ警戒されかねない。挨拶は続けたが、それすらも疎ましく思われているように思え、サクは頭を悩ませた。
ある時、サクはカドが帰ったあとで屋台の店主に尋ねた。
「あの人って、前からああいう人なんですか?」
「いやいや! 前はあんなじゃなかったよ。特に十代の頃のカドは今とはまるで別人だね。
金は持ってなかったけど、女の子にはモテててねー。昼間外で見かけた時なんか、いっつも女の子連れてたよ。それも毎回違う子だよ? 呆れて笑っちゃったよ」
「へぇ……」
もしそんな光景を目の当たりにしたのなら、呆れて笑うどころか、呆れてバナナの皮を男の足元に落としただろうとサクは思った。
「あっ、でも! 連れてた女の子、みんな似た感じだったねー。好みはハッキリしてるみたいでさ」
アサヒが言った。
「似た感じって、どういう感じですか?」
「そりゃーもう、胸がデカい。この一言に尽きるね!」
「なるほど……」
アサヒは神妙な顔をした。
「胸が大きくないと相手にしてもらえないってことか……」
「変な言い方するなよ」
サクはそう言いつつ、リサの姿を思い浮かべた。
カドの好みには間違いなく当てはまる。それに以前は毎日リサの元へ通って、他愛もない会話をしていたという。それはつまり、好意があったということだろうか。
しかし、魔法のかかった眼鏡でイカサマをして金をせしめていたのだとしたら、リサはただ利用されていただけとも言える。
ろくに返ってこない挨拶。幼馴染への詐欺容疑。……プラス、覗き容疑。
――何がインテリ風イケメンだ。
サクは今すぐカドから眼鏡を奪い取って、魔法を解きたい衝動に駆られた。
その気持ちをぐっと抑え込むため、マムシ粉末入りティーをぐいっと飲んだ。
昼の太陽はすべてを焼き焦がす。目の前のマンホールも、その上を歩こうとする人間の体も、手に持ったバナナでさえも。
サクは眺望用デッキの張り出した部分の真下にある、わずかな日陰のスペースに移動すると、バナナの皮をむいて食べた。
それはぐにゃりと柔らかく、そして温かかった。
「うぇ……あっま」
温かいバナナはいつも以上に甘く感じ、食べ終えると気分が悪くなった。
周りに誰もいないのをいいことにゲップをしようとしたが、出そうで出なかった。
諦めて、ボトルに入ったぬるい水を飲んだ。
もはやバナナは主食と言えた。
サクは毎夕屋台でカドに声をかけた。
短い挨拶だけでは埒が明かない。「毎日暑いですね」「今日は雨が降らなくて、ずっといい天気でしたね」等々、警戒されない程度に話しかけた。……のだが、返事は決まって「あぁ」だった。
疎ましそうに「あぁ」と言うこともあれば、どこか上の空といった様子で「あぁ」と言うこともあった。
そして時々眼鏡を忘れていた。そのたび手を伸ばしかけたが、すぐに店主が気づくため、触れることは叶わなかった。
サクは途方に暮れた。所持金は減っていくばかりだった。アサヒも財布を開いてため息をついていた。
ビギナーズラックは二度も三度も起こらない。リサの店でひと儲けしようとしたアサヒは、もう二度とやらないと言って、財布を持つ手を震わせていた。
一方サクも、気前のいいパーリーピーポーが酔っぱらって絡んでこないかと期待したが、あれきり姿を見かけることすらなかった。
次にやろうとしたことは、壊れた物を直して売ることだった。
が、やはりそう都合よくはいかなかった。金になりそうな廃品など、そう簡単に見つかるものではない。
路上に落ちている物を見つけるたび、あるいは路上に設置してあるゴミ箱を見つけるたび、近寄っていくアサヒに辟易したサクは「仕事を探そう」と言った。アサヒは「そうだね」と言って頷いた。
その仕事も、どうせ簡単には見つからないだろうと思っていた。……のだが、帰りに立ち寄ったマーケットで思わぬ幸運が舞い込んできた。と言っては不謹慎であるが、とにかく仕事が一つ見つかった。
それは、目の前でギックリ腰になったバナナ屋の主人に代わって、バナナを売ることだった。
売り子は一人で十分。というわけで、そこではアサヒだけが働くことになった。
アサヒが働いているあいだ、自分だけのんびり過ごすわけにはいかない。
今から一時間前。サクは仕事を探そうと、滞在しているホテルの部屋を出た。すると、ドアレバーにバナナがかけてあった。それを持って、真昼の太陽の下を歩いた。
あちこち歩いたが、なかなかよい仕事は見つからなかった。
元々長く滞在する予定では無かったし、あの眼鏡さえ手に入れば、すぐにでもここを発つつもりなのは変わりなかった。
それを踏まえると、短い期間でも雇ってもらえるような仕事でなければならなかった。
一旦休憩にしようと思った時。眺望用デッキのすぐそばに、川岸へ下りられそうな階段があるのを見つけた。
その階段を下りたところに、静かな日陰の空間があった。サクはそこで、手に持っていたバナナの皮を剥いたのだった――。
バナナによってエネルギーは充填された。
だがしかし、このまま出て行っても、また焼けるような日差しの下をさまよい歩くだけだろう。
考えてから動くか、動きながら考えるか。この場合、どちらがよいのだろうか。
金や仕事のことも、カドのことも、何一つ解決策が浮かばない。考えても考えても、見つからない。
「はぁ……」
大きくため息をついた直後、階段の方から声がした。
「サクちゃん? こんなトコで何してるの?」
そこにいたのは、Tシャツにショートパンツという、珍しくラフな格好をしたリサだった。髪型もいつもとは異なり、後ろで一つにまとめられていた。
サクは驚いた表情で答えた。
「いや、ちょっと休憩してただけなんだけど……。リサこそ、なんでこんなところに?」
「ココはあたしのヒミツの場所なの。時々ココに来て、川を眺めるんだー」
「川を眺めるなら上の方がいいんじゃ……」
そう言いながら、サクは張り出したデッキの裏側を見上げた。
「ヤだよっ。暑いし、日焼けするし。それに、明るすぎて落ち着かないんだよね」
「うん。たしかに暑い」
「そういえば、アサヒちゃんは?」
「アサヒなら朝から仕事。マーケットでバナナ売ってる。俺も仕事を探してたところ」
「サクちゃん……無職なの? 住所不定無職なの?」
正否で言うと、答えは「正」だった――が。
「違うよ。大富豪のおばあさんに頼まれて幻の鹿の彫刻を探してるって、前に言ったろ? それがなかなか見つからなくて、そのおばあさんが滞在費を送金してくれないから、とりあえず食いつなぐために仕事を探してたんだよ」
どうしてこんなにもスラスラと嘘が出てくるのか。サクは自分のことを少しばかり恐ろしく感じた。
リサは苦笑いして言った。
「ゴメン。あたしバカだから、また忘れちゃってた」
「……別に、馬鹿だからってわけじゃないんじゃない? 興味がなかったとか、他のことに気をとられてたとか、眠かったとか。それで覚えてないだけじゃないの?」
「え?」
「いや、ごめん。リサってしょっちゅう自分のこと馬鹿って言うだろ? それがなんか引っかかって。たまに言うなら気持ちも分かるんだけど」
「あー。口癖になっちゃってるんだよねー。ケイちゃんにもよく怒られるんだけど、なかなか直らなくって。不快にさせちゃったかな」
「不快ってわけじゃないけど……。ただ、昔はそんな口癖無かったと思ってさ。忘れっぽいのは昔からだけど」
「無邪気な子どもの頃と比べられても困るなー。ほら、あの頃はこんなナイスバディじゃなかったでしょ?」
リサは背筋を伸ばして腰に手を当てた。
「……仕事探さないと」
サクは暗い日陰から明るい日向へ足を踏み出した。
「はぐらかしたなー! あっ、そうだ。仕事なら、一つだけ心当たりがあるんだけど」
「え?」
サクはリサに紹介された仕事を、四の五の言わずにやることにした。
それは、ラブホテルの清掃だった。




