33話
カラカラカラと高い音が鳴る。伏せられた銀色に光るコップに、アサヒが突き刺すような視線を向けた。
リサのグラスにマドラーが五本、アサヒのグラスにもマドラーが五本。
ゲームは引き分けだった――のだが、それではつまらないからと、リサが一戦追加を提案し、アサヒがそれに乗った。
「う~ん……」
「穴があくほど見たって、分かるわけないだろ」
サクはアサヒに向かって呟くように言った。
「そんなことない。念じれば……見えたっ! 奇数!」
リサがわざとらしい口調で言う。
「ホントに奇数でいいの? ホントにホントにいいの?」
「いいです! 二言はありません」
リサはじっとアサヒと目を合わせたまま、コップを持ち上げた。
サイコロの目は「2」と「5」だった。
「やったー!」
アサヒはサクに顔を向けると、どうだと言わんばかりに顎をくいっと上げた。
リサが言った。
「あーあ、負けちゃった。精算しないとねー。はいっ千エルン」
「ありがとうございます!」
「どうする? もう一ゲームやる?」
「いえ。今日はいいです」
「そう? もしかして飽き――」
言葉が途切れる。リサは一瞬意識を無くしたかのようによろめいて、カウンターに両手をついた。
「リサさん?」
「リサ?」
サクはアサヒとほぼ同時に声を発し、リサの顔を覗いた。
「……ゴメンゴメン。急に強い眠気が来ちゃって。これじゃ、真剣勝負にならないからダメだよね。シャキッとしないとね!」
リサはそう言うと両手で頬をピシャリと叩いた。その手を頬に置いたまま、どこかに視線を向けて固まった。
不審に思ったサクは、椅子を半回転させてリサの視線の先を見た。
たった今、ドアから入ってきた銀髪の男。安っぽいTシャツに、半ズボン。薄汚れたサンダル。その姿には見覚えがあった。
「あの人……」
呟くサクの袖を、アサヒが引っ張った。耳元でヒソヒソと声を出す。
「ねぇ。あの人って、屋台にいた常連のお兄さんだよね?」
サクは頷いて、リサに向き直った。
「あの人、リサの知り合い?」
「えっ」
リサは驚き、ひきつった顔で答えた。
「さぁ? 全然知らないなぁ」
「棒読みでバレバレだけど」
リサは観念したように、「はぁ……」と大きくため息をついてから言った。
「あの人は、あたしの元お客さん。あたしをこの店に連れてきてくれて、ゲームのやり方を教えてくれた人」
「あの人が?」
サクはもう一度後ろを振り返った。銀髪の男は反対側のカウンターの席についていた。
「スゴくカッコいい人なんだよっ。密かにインテリ風イケメンって呼んでたんだけど、本人にバレちゃって……。それからはインテリ風お兄さんって呼んでたんだよね」
インテリ“風”というのが、妙にしっくりくる気がした。
「あの人、ゲームにホント強くて。あたし一度も勝てなかったんだから」
「一度も?」
「うん。あ、ズルはしてないと思うよっ。必ず十回終わったこと教えてくれてたし。それで数えたら、なぜかいつも向こうが二点勝ってるんだよね。
それを何ゲームか繰り返すから、あたしの財布はいつもスッカスカ。他のお客さんで取り戻さなくちゃいけないから大変だったんだー」
「リサがやってたのって、コインかサイコロだよな? ほぼ百パー運のゲームで毎回勝つって……」
「スゴいでしょ? めちゃくちゃ運がイイんだよねっ」
サクは屋台で見た男の顔を思い返した。どことなく漂う悲哀。とても運のいい人物の顔とは思えなかった。
それに、もしそれほど運がいいのなら……なぜ大きなカジノではなく、こんなチンケな賭場に通いつめているのか。
「サクちゃん、今チンケな賭場とか思わなかった?」
「えっ」
リサは赤い唇の端をわずかに上げて言った。
「あの人が何年もずっとココに通ってるの、この店の七不思議の一つなんだよね。って言っても、残りの六つは知らないんだけど……。
フツーはさ、単純なゲームってすぐ飽きるものじゃない? それをあの人は、あたしがこの店に来る前からずっとやってるらしいんだよね。今も別の子と同じようなゲームしてるみたいだし。
おまけに勝っても大した儲けにならないでしょ? だから、ほとんどのお客さんはカジノとか別のトコに行っちゃう。その他のお客さんはだいたい女の子目当てか、基本仲間内でワイワイやりたいだけのパーリーピーポーだし」
「うん。俺ならたぶん一回やっただけで飽きると思う」
「一回は早いなっ。でもまー、そういうお客さんが大半なんだよね。……だけどあの人は少し前まで、ずっとあたしのトコに来てくれて、単純なゲームをして、他愛もない話をしてくれてたんだ……」
アサヒが尋ねた。
「どうしてリサさんのところに来なくなっちゃったんですか? ゲームに飽きたわけじゃないんですよね?」
リサは気まずそうな顔をして、再びため息をつきながら頬杖をついた。
「あたしがあの人のこと、誘ったから……」
その言葉にサクはドキッとした。リサは冷ややかな目をサクに向けた。
「誘ったって、変な意味じゃないからね? 食事に誘っただけなの。それも別に豪華なディナーとかじゃなくて、あの人がよく行ってる屋台に一緒に行こって言っただけ。それなのに……ごめん。リサのとこにはもう行けない。って」
「よく行ってる屋台……。リサさん、その屋台のこと知ってるんですか?」
「え? うん。休みの日に偶然入っていくところを見かけて、あとからこっそり入ってみたんだよね。
昔は昼も営業してたみたいだけど、今は夜しかやってないらしくて、それっきり行けてないんだけど。美味しいカレーワンタン麺のお店」
サクは急ぎ、ズボンのポケットから時計を取り出した。その時計を腕にはつけず、テーブルの下で覗き見る。
針は、真後ろを指していた。
サクはリサに訊いた。
「あの人、どこに住んでるか分かる?」
リサは首を横に振った。
「知らない。本名だって、屋台のおばちゃんに聞くまで知らなかったんだから。……どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、いや……」
口ごもるサクの代わりにアサヒが答えた。
「幻の鹿の彫刻のありかを、あの人が知ってるかもしれなくて!」
「そ、そうなんだよ。前に話しただろ? 幻の鹿の彫刻を探してるって」
リサは「そうだっけ?」と言って、首を傾げた。
「……ゴメン。力になれそうにないや。あたしはもう、あの人と顔合わせるつもりも話すつもりもないから」
「分かった。俺たちで聞いてみるよ。……ちょっとトイレ」
サクはそう言って、椅子を下りた。トイレは反対側のカウンターのすぐ左隣にあった。
時計を左腕にはめる。銀髪の男の背中を横目で捉えながら、トイレに向かう。
ドアノブに手をかける。時計を見た。
針は「4」の近く――右斜め後方を指していた。
――間違いない。あの人が「持ち主」だ。
若い女性が両方の手を握りしめて、男の前に出した。眼鏡をかけた男は左の拳を指差した。女性が拳を開く。
手のひらには、小さなサイコロが載っていた。
サクがトイレから戻ると、なぜかアサヒの姿がなかった。
「アサヒは?」
「アサヒちゃんなら、あっち」
リサの視線をたどる。アサヒは奥のテーブルで、他の客たちと何やらトランプを使ったゲームに興じていた。
「今日はもうやらないんじゃなかったのかよ」
「さっきの儲けだけじゃ、席料払ったらプラマイゼロだからねー。それにあたしのつまらないゲームじゃ、やっぱり物足りなかったんでしょ」
「そうか? 本気で楽しんでるように見えたけど」
リサはニヤリと笑った。
「そんなんじゃ、ころっと騙されるぞー」
「はー? なんだよそれ」
サクは不服顔で文句を垂れてから、「そういや」と話を変えた。
「リサって、なんでトーハにいるの? 家族は?」
四年前。サクの自宅近所に住んでいたリサ一家は、突然引っ越した。ちょうど退去勧告が退去命令に変わった時だった。
その後、次から次へと近隣の住民が退去していったが、大抵は町内の別の地域か、アルマなどの東部の別の都市へ転居したはずだ。
だから、なぜリサはロクから遠く離れた南部にいるのだろうかと、サクはずっと疑問に思っていた。
リサは透明の液体が入ったグラスを傾けてから、口を開いた。
「退去命令が出てすぐ、お兄ちゃんがアルマの上級学校に特待生で入学することになって……ちょうどいい機会だから解散しようってなったんだー」
「かいさん?」
それがどういう意味の言葉なのか、サクはすぐには思い至らなかった。
「一家解散っ。ケイちゃんに『それを言うなら一家離散でしょ?』って言われたんだけど、解散の方がピッタリな気するんだよね。実際、パパとママが『解散』って言ったんだから。
お兄ちゃんは『分かった』って。当たり前だよね。進路決まってるわけだし。家族のなかで行き場がないのはあたしだけだった。
でもお兄ちゃん、最後にあたしに言ったんだ。『トーハには行くなよ。あそこは馬鹿が行く場所だから』って」
「……それで?」
「しばらくはそのまま一人で住み続けるつもりだったんだけど、なんか居心地悪くって。学校に行くのもダルいって思っちゃったんだよね。それで、親がくれたお金を持って家を出て、あっちこっち転々として、次はどこに行こうかと思った時に、お兄ちゃんが最後に言った言葉を思い出したの。……バカが行く場所ってことはつまり、あたしが行くべき場所ってことなんじゃないかって。
実際来てみたら、バカな人なんて全然いなかったんだけどねっ。ケイちゃんなんて、すごく物知りだし、頭のいい学校行ってたみたいだし。ココで働いてるのは、ふぃーるどわーく? の一環とかなんとか言ってた」
「ふぅん……」
「ふぅんって、それだけ?」
わざとらしく頬を膨らませたリサに、サクは尋ねた。
「リサは居たくてここに居るんだよな?」
想定外の質問だったのか、リサは時が止まったかのようにしばらく固まった。
「……どうだろ? ツラいことも楽しいこともあったけど、ココがあたしの居場所だってそう思えた。でも今は――」
言葉が途切れた。
「リサ?」
リサはカウンターの上に両腕を置いて突っ伏した。
「ゴメン。すごく眠くて……。ちょっとだけこうしててもいい?」
「うん……」
サクはグラスに手を伸ばした。残った氷がとけて、完全に透明な液体になろうとしていた。
リサが起き上がった頃、タイミングよくアサヒが戻ってきた。
「見てみてっ。一万エルン!」
アサヒは千エルン札の束を見せびらかしながら、どうだどうだと言わんばかりに顎をくいっと上げた。
「アサヒちゃん、スゴい!」
「ただのビギナーズラックだろ」
「サクは明日も明後日もバナナでいいの? せっかく山分けしようと思ったのに」
「……すみませんでした」
サクはこっそりと後方に目を向けた。銀髪の男が立ち上がり、帰ろうとしていた。
尾行しようか悩んだが、こんな時間に危険を冒してまですべきではないと思い、やめた。
それから少しして。そろそろ帰ろうと席を立ったサクは、なぜか酒に酔ったパーリーピーポーに絡まれ、閉店間際まで賭けビリヤードをさせられた。
初めてやったにも関わらず三戦三勝し、そしてなぜか一万エルンを手に入れた。
アサヒが目を輝かせて言った。
「すごい! ビギナーズラックだねっ」
「嫌味か」
サクとアサヒを残して、すべての客が店からいなくなった。どこからか流れていたジャズが、プツリと途切れた。
リサは入口のドアに肩を寄りかからせて言った。
「よい子は早く寝るんだぞー」
「リサこそ、早く帰って寝なよ」
「あたしはまだ仕事が残ってるから、すぐには帰れないの! ……じゃ、ふたりともおやすみっ」
リサは赤い唇の端を上げてウインクを決めると、静かな店内へ戻っていった。




