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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第一章 東の空に陽が昇る
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2話

 背中に当たる、石のような硬い感触。視線の先には、やわらかな水色の空。高く昇った太陽が白く輝いている。

 今見ている景色が本物であることを確かめるように、何度もまばたきをする。


 ――なぜ。


 一体なぜ自分は地面に寝そべっているのだろう? 困惑しながら、サクは石畳の地面に手をつき、起き上がった。


 ――ここは……。


 前方は青々と茂る木ばかり。

 右を向くと、石の階段がすぐそばにあり、左を向くと、まばらに並んだ木のあいだから道路が見えた。見覚えがあるような、ないような……。


「やっと起きた」


 突然後ろから声がして、サクはビクッと肩を跳ね上げた。

 振り返ると、自分と同い年くらいの少女が凛とした姿勢で立っていた。

 空よりも淡い水色のワンピース。柔らかそうなウェーブがかった金髪。瞳と同じ青色の、小さな花々の髪飾りがよく映えている。


 サクが呆然と突っ立っていると、少女はどこか得意げに言った。


「階段から落ちたみたいだけど、痛いところはある?」


 ――階段から落ちた?


 サクは怪訝に思いながら、自分の体を確認した。

 どこにも痛みなど感じない。傷もない。Tシャツもズボンもきれいなままだ。

 第一、階段から落ちた覚えなんてない。

 くりくりとした目でじっと見つめてくる少女を、サクは不審に思った。


「ごめん。何を言って……」


 発した声に違和感を覚えて、言いかけた言葉を飲み込んだ。


 ――俺の声、こんなだったか……?


 その時、一台のバスが静かに道路を通り過ぎた。


「あっ」


 サクは思わず声をあげた。

 そのオレンジ色の車体には見覚えがあった。


 ――そうか。ここは病院の近くだ。


「行かないと」


 サクは無意識に呟くと、何も持たずに道路へ出た。そしてそのまま、バスと同じ方向へ早足で歩き出した。


「ちょっ、ちょっと待って。待ってってば!」


 後ろから慌てたような声がするも、気にせず前進する。

 声はだんだん小さくなり、やがて聞こえなくなった。


 どこかで見た景色だと思ったのは、何度もバスの窓から見ていたからだ。

 なんであんな場所で眠っていたのか。疲れて仮眠でもとっていたのか? いいや、そんなはずはない。それに――謎めいた発言の怪しい女子。あの子は一体……。


 あれこれ考えながら歩いていると、いつの間にか目的地に着いていた。目の前にそびえ立つ白い建物。その敷地に足を踏み入れたとたん、さっきまでの雑念はきれいに消え去った。

 玄関をくぐり、エレベーターで五階へ上がる。

 ナースステーションへ向かうと、若い女性看護師が驚いた様子で声をかけてきた。


「サク君? 久しぶり! 見ないうちに、けっこう身長伸びたんじゃない?」


 サクは困惑を露わにした。


「何言ってるんですか。昨日も会ったじゃないですか」


「もぉ~、何冗談言ってるの! 大人をからかっちゃダメでしょ!」


 そう言いながら、看護師は手をひらひらさせた。

 からかわれているのはこっちではないかと、サクは眉をひそめた。

 柱に掛けられた時計を見る。面会時間はあとわずか。雑談をしている暇はない。言わなくても分かるだろうにと思いながら、用件を口にする。


「あの、祖母の見舞いに来たんですが」


 すると、若い看護師は短く「えっ」と呟き、怪訝な表情のまま沈黙した。

 彼女のすぐ隣にいた年配の看護師が、同じく怪訝な顔をして言った。


「おばあさまは半年も前に亡くなったでしょ。サク君、あなた大丈夫? 本気で言ってるのなら、診察を受けた方がいいわ」


 二人の心配そうな眼差しが、嘘ではないことを証明しているように思えた。

 だけど真実とも思えない。そんなことはあり得ない。


 ――これは、夢だ。


 思えば変な場所で寝ていたし、変な女子に変なことを言われた。何もかもが変だ。

 サクはすぐさま左を向くと、廊下を突き進んだ。「504号室」と記されたプレートを一瞥し、部屋へ入る。そこに祖母の姿はなかった。


 ――やっぱり夢だ。それしかあり得ない。


 身を翻し、すぐに部屋を出た。廊下を駆け抜け、階段を飛ばし飛ばし下りる。

 ふわっとした不思議な感覚に包まれて、足に着地の衝撃を感じない。それとは反対に、心臓はドクドクと大きく鳴っていた。


 サクは病院を出ると、来た道を走って戻った。

 夢ならいつか必ず醒めるだろう。コンクリートで舗装された道を、力いっぱい蹴ったつもりで走る。いつもバスで通っている道を、走って走って走り続けた。


 三十分ほど経って、自宅近くにたどり着いた。


 ……が、そこに家はなかった。

 あたり一面土色の景色に、「観測塔管理地」と書かれた看板が寂しく立っている。

 サクはまばたきもせず、それを見つめた。

 未だ静まらぬ呼吸と鼓動。喉の奥を流れる血の味。突っ張るような足の感覚――。

 到底、夢とは思えない。

 サクはただ呆然と、その場に立ち尽くした。




 風が、地表にこぼれ落ちた花びらを無情に蹴散らしている。

 そばにある堅固な建物に人影はなく、その周囲にも誰もいない。


 いつの間にか、歩いて高台の公園に移動していたらしい。

 サクは錆びついた鉄柵に寄りかかり、がらんとした景色を見下ろした。

 やや離れたところに細長い建物が見えた。その先に、薄暗く、輪郭のはっきりしない山々の凹凸が横に広がっている。

 遠くに向けた目を順に戻す。


 零域、それを観測する塔、価値のない土地。


 零域はゆるやかに拡大する。隣接する土地の住民は、当然立ち退かなくてはならない。たとえ飲み込まれるのが十年以上先だとしても、もうその土地に価値はない。


 ポツポツと消えていく人家を、よくここから見ていた。とうとう最後の一軒になってしまったかと、自分の家を眺めた。

 最後の一軒になっても立ち退かなかったのは、祖母が帰ってきてから、どこへ行くか決めればいいと思っていたから。子どもの自分には、決めることはできないと思っていたから――。


 サクは、心にぽっかりと穴があいたような気持ちでいながら、これは夢ではなく現実なのだと認識した。

 これが現実だということは……。

 頭を無理矢理切り替えて、置かれている状況を考える。

 なぜか地面に寝そべっていたこと。自分の声が低くなったように感じたこと。祖母が既に亡くなっていること。自宅が更地になっていること……。


 ――間違いなく、記憶を失くしている。


 色々なことがありすぎたせいか、妙に冷静な気持ちになって判定を下した。

 これからどうするか。今、自分はどこで誰と暮らしているのだろう。答えやヒントとなるものがないか、自分自身を確認する。

 持ち物は何もない。ポケットにはどうせ壊れた時計しか入っていないはずだ。

 そう思い、両手をズボンのポケットに突っ込んでまさぐる。が、何もない。後ろのポケットにも入っていない。


 ――なんでないんだ? あの時計はいつもポケットに入れているはずなのに。


 どこかに置いてきてしまったのか。落としたのか。まさか捨ててはいないだろう。

 心臓がドクドクと鳴る。脈がどんどん速くなる。

 サクは焦る気持ちを押さえるように、深く呼吸をした。


 冷静さを取り戻したところで、まわりの景色が暗くなっていることに気がついた。

 もうじき陽が沈む。完全に陽が沈めば、時計を探せなくなる。とにかく動かなければ。来た道を戻りつつ、時計を探そう。

 そう決意して一歩踏み出そうとした、その時だった。


「あっ! いた!!」


 声に振り向く。

 昼間会った謎めいた金髪の少女が、重そうに何かを抱えながら一直線に向かってきて言った。


「このカバン、あなたのでしょ! カバンを置いて立ち去るなんて、どういうつもり?」


 少女は両腕で抱えたカバンを押しつけるようにサクに渡した。

 これといった特徴のない、生成りのショルダーバッグ。どこにでもある普通のカバンだ。

 これが自分の物なのかどうか、サクには判別がつかなかった。


「それと、これも」


 少女はそう言って、左手を小さなポシェットの中に突っ込んだ。そこから何かを取り出すと、サクの前に突き出した。


「あっ」


 それは、見覚えのある機械式の腕時計だった。

 反射的に掴み取ろうとする。が、両手が塞がっていて無理だった。

 サクはカバンを地面に置いて、目の前の時計に手を伸ばした。――しかし、指先に触れることすらできなかった。

 少女は時計を掲げるように持って、真剣な表情で言った。


「どうしてこの時計をあなたが持っていたの?」


「それは、父さんの形見で――」


「お父さん? お父さんの名前は?」


「『ダン』だけど……」


 なぜそんなことを訊いてくるのか。サクは不審に思うと同時に苛立った。

 その時計は自分の物だ。奪われる筋合いはない。


「それは父さんが絶対に手放すなと言って俺にくれた物だ。返せよ!」


 すると、少女は一瞬驚いたように目を見開き、しかしすぐに元の真剣な表情に戻って言った。


「へぇ。あなた、先生の息子なんだ」


「……先生?」


 何のことだか分からない。

 父は郵便配達員をしていた。「先生」と呼ばれるような職業ではない。博識ではあったが、これといった特技はなく、誰かに何かを教えていたという話も聞いたことがなかった。

 少女は表情を変えることなく、サクの疑問に答えた。


「ダン先生は、わたしの“魔法”の先生なの」


「……まほう?」


 予想外のワードにぽかんとする。

 少女はサクの呆気に取られた顔など気にも留めない様子で、右手を見せて言った。


「朝、階段の下で仰向けになっているあなたを見つけて。怪我をしていたから、この手で治したの。覚えてない?」


 言葉が出ないサクに、少女は眉間にしわを寄せて首を傾げた。


「もしかして、頭を打ったせいで記憶なくしちゃった? ……あれ? でも、魔法で治したのに記憶だけ戻らないなんてこと……まさか、しっ」


 少女は首をふるふる振って、得意げな表情で顎をくいっと上げた。


「とにかく、わたしは右手で触れた“モノ”をなおすことができる。これは魔法だって、先生が教えてくれたの」


 何を言っているのか理解できない。そっちこそ、どっかで頭を打っておかしくなったんじゃないか? サクは怪訝な顔をした。


「信じられないっていうなら……」


 少女は時計を右手に持ち替え、再びサクの前に突き出した。

 さっきは気がつかなかったが、時計の文字盤を覆っているガラスに無数のひびが入っていた。


「よく見てて」


 時計を持つ少女の指先が、力を込めたようにぎゅっと締まる。

 瞬間、すべてのひびがすぅーっと消えてなくなり、元の滑らかなガラスに戻った。


 ――手品か?


 サクは驚きと疑いが混ざった目で、時計と少女を交互に見た。

 少女は右手に持った時計を、そっとサクに手渡した。

 直後。時計の時針、分針、秒針が、カチカチと音を立てながらくるくる回った。

 少しの間を置き、すべての針は同じ位置でぴたりと停止した。

 それは、「2」と「3」のちょうど中間だった。


 ――何が起きたんだ?


 サクは大きく目を見開いた。

 手巻きの機械式時計が、こんな風に動くはずがない。何か細工をしたのか?

 表側に変わった様子はない。とすると、内部をいじったのか……いや、違う。そんなことはあり得ない。


 そもそも、これは本当に父の時計だろうか。

 サクは今一度時計の感触を確かめるように、手に神経を集中させた。

 銀色のそれは、一見どこにでもある普通の腕時計に見える。しかし、持ってみると信じられないほど軽く、ほのかに温かい。おまけに、時折緑や紫色の不思議な輝きを放つ。これが希少な物であることは、元より知っていた。


『世界中探しても、同じ物は二つと無いだろう』


 父は生前、そう言っていた。


 ――間違いない。これは父さんにもらった時計だ。


「……ねぇ、信じてくれた?」


 少女の声に反応して、サクは顔を上げた。


「この時計はずっと動かなかった。何度も蓋を開けたけど、異常は見当たらなかった。それがなんで今、突然動いた? なんで、すべての針が同じ位置で止まった?」


 少女は困ったように眉を寄せた。


「なんでなんでと言われても。魔法で直したんだから、動くのは当たり前でしょ? それに」


 少女は言葉を区切って、視線をサクの手の中に落とした。つられてサクも時計を見る。


「その針の位置には意味がある」


「意味?」


 再び顔を上げる。青く透き通った瞳に、視線がぶつかった。


「わたしは先生に、その時計の針が指す方へ行けと言われた。あなたは、その時計を絶対に手放すなと言われた。――それってつまり、二人で行けってことじゃない?」


 束の間の沈黙のあと、少女が言った。


「わたしはアサヒ。あなたの名前は?」


「……サク」


 問われるがままに答えると、目の前に白くて華奢な手が差し出された。


「一緒に行こっ。サク!」

 

 夕陽に照らされて赤みを帯びた金髪が、ふわりと風に舞った。少女の輪郭は光に溶け込み、おぼろに霞んでいた。

 掴まなければ、消えてしまう。

 気がつくと、サクはその手を握っていた。


 時計の針が指す方――。そこへ向かえば父の「真実」がわかるかもしれない。

 帰る場所がどこなのかわからない。そんなものは無いかもしれない。だから、迷いはなかった。


 サクは時計を左腕につけると、ぎゅっと拳を握った。


 ――行くしかない。これは必然なんだ。


 陽が沈む。それは旅立ちの合図だった。


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