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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第二章 南の風が吹き荒れる
28/104

27話

 列車がトーハ駅に到着したのは、午後二時を過ぎた頃だった。


 ゴンッ。後ろから来た人の腕と自分の肘がぶつかった。


「すみません」


 背中に向かって謝りながら、サクは腕時計を見ようと曲げた肘を伸ばした。

 駅のホームに溢れる人、人、人。カント駅とは比較にならないほどの人ごみ。

 おまけに、皆急いでいるのか、歩くスピードが速い。

 アサヒがサクのカバンの肩ひもを掴んで言った。


「ねぇ。はぐれちゃうから、ここ持っててもいい?」


「むしろそうしてくれると助かる」


 サクたちは雑踏に流されながら、大陸南部で二番目に大きな駅を出た。


 けたたましいクラクションの音が鳴り響く。次から次へと猛スピードでバイクが過ぎ去っていく。

 奥に見えるは摩天楼。手前にあるのは朽ちた建物、大きな街路樹、そして人、人、人。

 サクは砂埃に覆われた歩道の上に立って呟いた。


「あっつ」


 同時に、むわっとした空気が口と鼻に入ってきて、不快感がこみ上げた。

 ただ暑いのではない。じっと立っているだけで汗がじわじわ湧き出てくる、蒸し暑さ。

 北東出身のサクには、体感したことのない暑さだった。


 時刻も関係しているだろうが、この炎天下を歩くのは無理だと思った。

 現に、目の前を行き交う人達は次から次へとタクシーに乗り込んでいる。


「タ――」


 タクシーに乗ろうと言いかけたサクの左腕を、アサヒが掴んだ。

 腕時計を見て、斜め前方に体を向ける。


「あっちの方向だね」


「……歩く気?」


「もちろん」


 涼しげな顔のアサヒに、サクは抗議の顔で言った。


「無茶言うなよ。このまま歩いたら、ぶっ倒れるに決まってる」


「じゃあ、倒れる直前まで歩こっ。倒れそうになったら言って?」


「鬼か」


 サクは仕方なく歩き出した。五分も経たずに音を上げてやると、謎の決意を持ちながら。


 カントから列車に乗り、トーハに到着するまでのあいだ、サクは何度か途中下車をした。

 時計の針が示すのは方角のみ。途中の田舎町ということも十分あり得た。

 時間の許す限り探索したが、結局何も見つからなかった。

 そして、ここトーハにその「何か」があるという確証も無い――。


 サクは結局、三十分ねばった。三十分ねばって、頭痛がしてきたところで、これはまずいと思って声を出した。

 建物の陰に入ってしゃがみ込む。ボトルに満たした水をがぶがぶ飲みながら、Tシャツの首を掴んで引っ張った。

 正面でアサヒが膝をかがめて、心配そうな表情で言った。


「大丈夫?」


「ちょっと休めばなんとか。……全然汗かいてないけど、暑くないの?」


「あんまり」


「へぇ。慣れてるとか? 実は前にも来たことあったりして」


 頭のズキズキから意識をそらそうと、軽口を叩いた――だけだった。

 ところが。


「うん。前に先生と来たことがあるよ」


 アサヒは変わらず涼しげな顔で答えた。

 サクは水を飲もうとした手をぴたりと止めた。


「父さんと?」


「うん。――そうだ! 美味しいお店があるの。夜はそこで食べない? ちょうどこっちの方角だったと思うんだよね」


 アサヒはそう言って、足を止めたまま道の先へ顔を向けた。

 サクはボトルの蓋を閉めると、ゆっくりと立ち上がった。

 まだ頭痛はしていたが、その痛みはだんだんとさざ波のように小さくなっていった。



 人気のない薄暗い路地を、風がヒューと警笛のような音を鳴らして吹き抜けた。

 歩きながら、サクはアサヒに言った。


「父さんとここに来たことがあるなら、針が示すのって、その時父さんが魔法をかけた物なんじゃないか?」


「……たしかに」


 たった今気がついたという口調だった。

 サクは冷ややかな目でアサヒの横顔を見た。途中下車した時間は無駄だったのではないか。


「それで、父さんは何にどんな魔法を……?」


「う〜ん」


 アサヒは唸り声を出しながら、眉間にしわを寄せた。


「……だめ。思い出せない」


「は?」


「美味しかった食べ物は覚えてるのに」


「それでも本当に教え子かよ」


「しょうがないでしょ? 思い出せないものは思い出せないんだから」


「それじゃ困るんだけど。小さなことでもいいから――」


 その時。あたりが一瞬白く光った。

 ゴロゴロと雷鳴が鳴り響き、空から大粒の雨が矢のごとく降ってきた。


「げっ」


 サクたちは急いで近くにあった閉店中の床屋の軒下に避難した。

 地面の砂埃が泥となって跳ね上がる。突風が吹いて、雨粒が腕や肩にバチバチと当たった。


「これってスコールかな」とアサヒが呟いた。


 サクは空を見た。雲がどこにあるのかもわからないほど、白くぼやけていた。

 スコールなら、きっと短時間で止むだろう。


「このままここで雨宿りしよう。……といっても、すでにびしょ濡れだけど」


「うん。……サク、風邪引かないでよ」


「そっちこそ」


「わたしは大丈夫」


 アサヒはそう言うと、両手を頭の後ろに持っていった。ポニーテールの結び目から青い花の髪飾りを外して、胸の前で握りしめるように持つ。

 風でワンピースの裾がはためいていた。

 時折めくれ上がりそうになる水色の裾から、サクは視線を外し、黙ったままこの場をやり過ごすことにした。



 三十分ほど経って、雨と風は徐々に弱くなっていった。

 小一時間経つ頃には、陽が差し、青空が広がった。


 アサヒは手に持った髪飾りを再び頭につけた。濡れたワンピースの裾を手で絞ってから、日向の道へと足を踏み出す。


「行こっ」


 うん。と答えて、サクは雨上がりの道を歩き出した。

 時々腕時計を確認しながら、あちこちにある水たまりを避けて歩くのは至難のわざだった。

 実際、何度も水たまりに足を入れかけた。その度にサクはアサヒにカバンのひもをぐいっと引っ張られ、間一髪で回避した。

 スコールの前よりも歩くのに神経を使ったが、風雨により暑さが和らいだおかげで、ほとんど休むことなく歩を進められた。



 真っ赤なマネキンと真っ青なマネキンが、道を挟んで向かい合っている。

 軒と軒を繋ぐ色とりどりのフラッグが、穏やかな風に揺れている。

 道行く人々が、楽しげに会話したり鼻歌を歌ったりしている。

 そんな通りを歩きながら、サクはアサヒに尋ねた。


「ところで、何か思い出した?」


「何か……あぁ! 美味しいお店の名前? えっと――」


「とぼけるなよ。真面目に思い出してくれないと、手がかりがないんじゃいつまで経ってもたどり着けないかもしれないだろ」


 サクは呆れた声でそう言うと、また腕時計を確認した。

 針は「12」を示していた。


 進むべき方向はわかる。迷いもなく進める。が、カントの時のように目的地にたどり着けるかどうか不安だった。

 トーハの面積はカントの何十倍もあり、人口も比較にならないほど多い。

 人も物も溢れたこの都市で、たった一つの「何か」を見つけることは、砂漠でダイヤモンドを探すようなものだと思った。


「……ごめん。でも本当に思い出せないの。言ったでしょ? 先生が“ソレ”を使うところ、ほんの数回しか見たことないって。

 わたしの記憶の限りでは、ここでは見ていない。だけど、わたしが見ていないところで使ってる可能性もあるから」


「そう、か……」


 サクは顎に手を置いて考えた。

 彼女が単に忘れているだけ――という可能性も無くはない。が、魔法は心の中で願うだけでかけることができる。それならば、父が誰にも気づかれずに魔法をかけた可能性は十分にある。カントで見たあの絵と同じく――。

 だが、どうして父は教え子であるはずの彼女に「ほんの数回しか」魔法を見せなかったのだろう……。

 考えても分からなかった。


 今はとにかく進もう。この大都会には、きっと何かがあるはずだ。

 そんな予感がしていた。


 服屋が軒を連ねる通りを抜けて、屋台の立ち並ぶエリアを歩く。漂ってくる匂いのせいか、サクは急に空腹を感じた。


「腹減ってきたな……」


「本当? ちょうどよかった。先生と前に行ったお店、たしかここらへんだったはず…………あっ」


 アサヒは左斜め前方を指差した。


「あった! ちょっと早いけど、夜ご飯にしよっ」


 サクとアサヒは赤いテントの中へ入った。

 陽はまだ沈んでいない。先客は一人しかいなかった。

 その先客も、サクたちと入れ替わるように代金を払って出て行くところだった。

 食器の横に置かれた五百エルン硬貨に、女店主が引き締まった褐色の腕を伸ばした。


「いつもありがとねー。……って、カド!」


 慌てた口調で男性客を呼び止める。


「メガネ! また忘れてるよ!」


「どうして……」


 小声で呟きながら、男性客はテーブルの上から銀縁の眼鏡をつまみ上げた。


「もう。気をつけてよー!」


「あぁ」


 そう言うと、男性客は眼鏡をかけて店を出て行った。



「らっしゃい! 何飲むかい?」


 席に座ったサクとアサヒの前に、店主が愛想のいい笑顔を見せながら空のコップを置いた。


「酒かい? ティーかい?」


 酒かティーの二択のようだった。サクとアサヒは声を揃えて「ティーで」と言った。

 すると得体の知れない茶色の液体がコップに注がれた。それは薬草のような独特の匂いがした。


「精がつくからね! それ飲んで、ちょいとお待ち!」


 メニューは一種類しかないらしかった。

 店主はどんぶり鉢を二つ並べると、お玉を持ったり、湯切りのざるを持ったりして、せっせと動いた。


「お待ちどーさん」


 出てきたのは、黄色く濁ったスープに沈んだ麺。浮かび上がる白い何か。そこに玉子と、ネギのような葉が添えられていた。

 さっきのティーの匂いよりも数倍強い、スパイスの香りが鼻の奥を刺激した。


「何だこれ」と、サクは小声で呟いた。


 聞こえていたのか、店主が威勢よく言った。


「カレーワンタン麺さ!」


「カレー……ワンタン麺?」


 いまいち味の想像がつかないまま、サクは勢いよく麺をすすった。

 思いのほか辛くはなかった。スパイスが効いたスープにはほどよい酸味があり、食べれば食べるほど食欲が湧いてくる。

 ワンタンは透けるほど薄く、つるっとしていて、玉子は半熟でとろとろだった。

 そこにネギのような葉のツンとした香りと苦味が交わることで、決してしつこくならず、絶妙なバランスを保っていた。


 だが、暑い。体の芯に着火したような暑さを感じた。

 雨のあとだからよかったものの、もし昼間のような暑さの中だったなら、絶対に食べたくはないと思った。




 あたりはすっかり暗くなっていた。

 店を出た頃には赤く染まっていた空も、今は濃紺の夜空で、月が白く輝いていた。

 サクは半分廃墟のような路地裏を歩きながら、アサヒに言った。


「今日のところはこれ以上先に進むのはよそう。通りに出て宿を探さないと」


「泊まれるところ……それなら、そこの建物は?」


 そう言ってアサヒが指差した先にあったのは、見るからにボロい廃屋だった。

 サクはため息をついて、ひとりごとを呟いた。


「観光客用でも何でもいいから、駅で地図を買っておくんだった」


 と、その時。


「へぇ~。兄ちゃんたち、観光客かい」 


 背後からした男の声に、サクは振り返った。

 そこに立っていたのは男一人……ではなく、いかにもガラの悪い顔つきをした四人の若い男たちだった。

 全員がタンクトップと半パンという出で立ちで、むき出しになった肌に派手な刺青が彫られているのが暗がりの中でも分かった。

 そして、男たちはそれぞれ、片手に何かしら凶器のような物を持っていた。

 チェーン、鉄パイプ、金属バット、ハンマーのようにも見える頑丈そうなライト。

 金属バットを持った男がニヤついて言った。


「こんなトコロに入り込んじゃうなんて、迷子にでもなったのかなぁ~?」


 ライトを持った大きな男が無言で近づいてきて、サクの顔を真正面から照らした。

 反射的に目をつぶる。その直後、右肩に強い衝撃を感じた。


「サク!」


 目を開けると地面に転がっていた。突き飛ばされたのだと気づいた。


「いっ……て……」


 サクは地面にぶつけた背中の痛みをこらえながら、何とか上半身を起こした。


 ライトはアサヒと、そのすぐ後ろの老朽化したブロック塀を照らしていた。

 金属バットの男が口笛を吹いて言った。


「こりゃあ、上玉だ。高く売れるぞ」


 チェーンの男がジャラジャラと金属音を鳴らしながら、文句を垂れる。


「売っちまう前に遊ばせてくれよー。兄貴ィー」


「バカ言うな。売り物に傷をつけてどうする。遊べる女なら他にいくらでもいるだろうが」


「男と一緒なんだから、どーせ新品じゃないってー」


「そうかぁ? そうとも限らないとオレは思うがなぁ〜?」


 そう言うと、金属バットの男は蔑むような笑みをサクに向けた。

 鉄パイプの男が首をバキバキ鳴らしながら言った。


「男の方はどうしやすか?」


「とりあえず、身ぐるみ剥がしとけ。だが殺すなよ? 生かしたままじゃねぇとドブ送りにできねぇからなぁ」


「うっす。五本くらい骨折っときゃいっすね」


 鉄パイプを引きずりながら、男がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 サクは恐怖のあまり身動きできずにいた。喉はカラカラに渇き、地面についた手はブルブルと振動していた。

 やられる。と思った、その時だった。


 目の前で、白い光が弧を描いた。

 コンッ。ライトが地面にぶつかって、跳ねた。もう一度着地したライトはそのままコロコロ転がって、サクの前で止まった。


「何しやがる」


 ライトを持っていた男が手首を押さえて、低い声で言った。

 男たち全員の視線がアサヒに注がれる。

 リズムを刻むかのように金属バットを地面に叩きつけながら、男が気色の悪い声を出した。


「あんまり怒ると、かわいい顔が台無しになっちゃうよぉ~?」


 そう言って、アサヒの頭に手を伸ばす。


「触らないで!」


 パンッと音が響いた。

 払いのけられた手を左右にひらひら振りながら、男は空を仰いだ。


「……やっぱやめるわ」


「やめるって、何をやめるんすか?」


 と、鉄パイプの男が訊いた。


「だぁ〜かぁ〜らぁ〜。売るのをやめるっつってんだよ」


「マジっすか! うっひょー、さすが兄貴ィ!!」


 チェーンの男がジャラジャラと音をかき鳴らした。


「うっせぇなぁ」


 金属バットの男は、また蔑むような笑みをサクに向けた。


「その鎖でそいつを縛っとけ。なぶり殺すのは、このかわいい女がヤられる一部始終を見せつけてからだ」


「兄貴ィ、殺しちゃダメだってー」


「あぁ。そういやぁそうだったわ」


 下劣な笑い声の合唱が、古びた塀に反響した。


 サクは激しく鳴る心臓の音を聞きながら、震える手足に力を入れようとした。

 今、立ち上がらなければ。何としても立ち上がらなければいけない。

 だけど……立ち上がってどうする? 一人で逃げるのか? 一人で逃げて、助けを呼べばいいのか?


 いや、それでは駄目だ。絶対に駄目だ。

 サクは胸に溜まった空気を吐き出すと、地面に転がっているライトを持って立ち上がった。そして叫んだ。


「アサヒ!!」


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