25話 コネクションⅡ(1/2)
細長いビルの屋上で、ユカリは双眼鏡を持つ手を下ろした。
隣に立って、同じように双眼鏡を覗いていたタツキが言った。
「異常なーし」
「うん。だけど、ちゃんと一つずつ項目を確認してね」
クリップボードに挟まれた紙の上で、ペンが急停止する。
縦一列に並んだ正方形の枠。その枠からはみ出した、雑なチェックマーク。
タツキは紙の上からペンを離すと、不満そうに言った。
「正直これ、意味ないと思うんですけど。時々ドローンを飛ばしたりして、零域内の調査をしているわけでしょ?
毎日同じ景色を眺めて……無駄じゃないですか? この時間」
「私はそうは思わないけど。こうやって毎日同じ場所を見ていると、いつもと同じ景色に見えて、少しずつ変わっているのがわかる。草木が成長して、葉の色が変わっていく。鳥の鳴き声も、虫のざわめきも。
……そういった小さな変化に気づくことは、『異常』を発見するのに役立つと思うから」
「異常、ねぇ」
ぼやくタツキにかまわず、ユカリは首から提げた双眼鏡をもう一度南西に向けた。
明るい空の下、深い青の稜線が見える。山より手前に広がる大地には、雑草が生い茂り、天に向かってどこまでも伸びていきそうに思えた。
「はい、チェック終了。今日も異常はありませんでしたー」
タツキは雑な口調で言いながら、ボールペンをカチッとノックした。
「お疲れさま。室長に報告を終えたら、あがっていいよ」
「はーい。お疲れさまでーす」
さっさと外階段を下りていくタツキの背中を、ユカリは静かに見送った。
零域が急拡大したあと、休む暇なく稼働していた北東観測塔・観測室も、近頃は通常の状態に戻っていた。
最初に死刑が執行されてから十五日後、別の死刑囚が零域へ送られた。さらに十五日後、また別の死刑囚が零域へ送られた。
その結果、急拡大は収まったと判断が下された。
ユカリは室長から正式に、タツキの教育係に任命された。
「ったく、近頃の若い奴は態度がまるでなっちゃいねーな。人が話してる最中に『定時過ぎたんで帰っていいですか?』って、何様のつもりだ?」
「……すみません。私の教育が行き届いてなくて」
ユカリはあからさまに苛立った様子の室長に頭を下げた。
背後から、「室長もいい加減態度悪いですよー」と野次が飛んだ。
「うっせー」
室長が言い返す。しかし自分の態度を省みたのか、室長は咳払いをしてユカリに向き直った。
「いや、悪かったな。お前には何の落ち度もない。――ありゃ、個人の問題だ。嫌々やってるんだろーよ、この仕事」
「そう、ですね……」
観測塔は常に人手不足だった。募集をかけても、応募してくる人間はほとんどいない。
何年経っても零域の謎は解明できず、死と隣り合わせの場所にあり、近隣住民や失踪者の家族友人知人に罵詈雑言を浴びせられることもしばしば。
そんな職に好き好んで就く者など、そうそういない。
「どうしたら仕事に前向きになってもらえるか、考えてみます」
「あぁ頼む。悪いな、大変な時に。……で、どうだ。従弟の件、進展あったか?」
「いえ」と、ユカリは呟くように返答した。
「そうか。あまり無理はすんなよ。お前が倒れたら元も子もないからな」
「はい。ありがとうございます」
ユカリは頭を下げ、職場をあとにした。
翌朝。起床したユカリは、重いまぶたをこすりながらベッド脇の目覚まし時計を見た。
昨日就寝したのが午後十時。半日も寝ていたことに驚く。このところずっと休日でも朝早く目が覚めてしまっていたのに、こんなに熟睡するなんて。
寝すぎたせいで少し頭が重い。ぼーっとしたまま、片足だけスリッパを履いた。
もう片方は、なぜか部屋のドアの前にあった。
なぜあんなところに……。と心の中でぼやきながら近寄り、そのもう片方のスリッパに足を入れかけた、その時だった。
「ピンポーン」
チャイムが鳴った。「えっ」と驚いた拍子にスリッパに入れかけた足がズルッと滑る。スリッパはそのまま後ろへ滑走し、
「ガンッ」
ユカリは大きな音を響かせて、額をドアに打ちつけた。
「いったぁ……」
今しがた打った額を手で押さえながら、その場にしゃがみこむ。
「――ユカリさん?」
外から聞き覚えのある声がした。
ドンドンドンとドアをノックしながら、その声はまたもや自分の名前を呼んだ。
「ユカリさん、大丈夫ですか? 何かあったんですか!?」
ユカリはハッとして自分の服装を見下ろした。祖母に昔貰った花柄のパジャマ。
ちょっとダサい。いや、ダサいとかどうとかの問題ではない。パジャマ。寝間着なのだ。おまけに、顔も髪も寝起きのまま……。
桶に入った水をバシャッと顔にかけられたかのように、瞬時に目が覚める。
居留守を使いたかったが、さっきの音で、いるのはとっくにバレている。
ユカリは急いで玄関に向かうと、ドア越しに言った。
「あの、シュウ君。……申し訳ないんだけど、十分、いえ五分だけ待ってもらえませんか?」
「はい……」
間の抜けた返事を聞いてから、ユカリは自室へ猛スピードでUターンした。
花柄パジャマを脱ぎ、最初に目に入ったワンピースを頭から被る。急いで洗面所へ移動し、寝ぐせを直す。うがいをして、顔を洗う。
化粧をしないまま、玄関にダッシュしてドアを開けた。
「ごめんなさい。おまたせし――」
シュウの姿がない。ユカリは目をぱちくりさせながら、アパートの共用廊下へ出た。
しばらくキョロキョロとあたりを見回していると、
「おーい」
下の方から声がした。アパートの三階から見下ろすと、紙袋を手に提げたシュウがもう片方の手を振っていた。
シュウは階段を上ってくると、玄関前でユカリに紙袋を手渡した。
「ごめん。何も持たずに来ちゃったから、すぐそこの店で買ってたんだ」
「ありがとう」
中に入っていたのは、近所のケーキ屋で売られているマドレーヌだった。
「……あ。もしかして、甘いもの苦手だった? そういや昔、そんなことを言ってた気が」
「よく覚えてるね。でも大丈夫。ここのマドレーヌは甘さ控えめだから。私の家族、みんな甘いもの食べなかったから、甘すぎるものは慣れなくて苦手ってだけ」
「そうなんだ。よかった」
「立ち話もなんだから、中へどうぞ」
ユカリはシュウをダイニングへ案内した。
インスタントコーヒーを二人分入れる。ひと息ついたところで尋ねた。
「それで、どうしてここへ? もしかしてサク君のことで――」
「うん。といっても、進展があったわけじゃないんだ。
実は生徒から聞いた話をもとに、サクがよく通っていた店を突き止めた。それで……よかったらこれから一緒にどうかな? って」
ユカリはすぐに頷いた。
「もちろん、行きます」
急いで椅子から立ち上がろうとした時、ぐぅとお腹が鳴った。
赤面するユカリに、シュウがテーブル上に置かれたマドレーヌを差し出した。
「そのお店、ここからそれほど遠くないし、それに十一時半にならないと開かないんだ。だから、腹ごしらえしてから行こうか」
「……はい」
ユカリは赤面したまま再び椅子に腰を下ろした。
シュウの運転する車で、ユカリは町はずれにある小さな骨董品店へやってきた。
「ここ?」
そう尋ねながら、ざっと店の外観を確認する。
店先に置かれた“ガラクタ”の山。陶磁器、子どものおもちゃ、家電等々。
一歩間違えれば、ゴミ屋敷と思われかねない。が、きちんと看板が掲げられていた。
『アマニ古物堂』
なぜ彼はこんなところに……? 外から見て、とても入りやすい雰囲気とはいえない。まして、子どもが気軽に入れるような店ではないのに。
「中へ入ろう」
シュウの言葉に頷いて、ユカリは店の中へ足を踏み入れた。
薄暗い空間に、間接照明のやわらかい明かりがぽっと灯っている。
壁に飾られた、昔の映画のポスターやペナントの数々。戸棚に詰まった古い食器。
すぐそばで、レコードがくるくると回っていた。
「いらっしゃい」
どこからか年老いた男性の声がした。周囲一面物だらけのせいで、姿をとらえることができない。
声のありかを探すように首を回していると、
「何か探し物かい?」
頭髪の薄い老人が、「よっこらせ」と言いながらダンボール箱をどかして姿をあらわした。
シュウが淡々と告げる。
「いえ。物ではなく、人を捜しているんです」
「人?」
「はい。サクという少年、ご存知ですか? 年齢は十五で、黒い短髪。身長は――」
老人は右手を上げて、シュウの言葉を遮った。
「よく知っとる。あの子が小さい頃からな」
ユカリは驚いて言った。
「小さい頃ってことは、もしかして、その子の父親のことも」
「あぁ、知っとる。……亡くなったこともな。昔はよく親子で来ていたよ」
そんなに長いあいだ通っていたのか。もしかしたら、この人は自分よりも彼のことを知っているかもしれない。
ユカリは単刀直入に訊いた。
「サク君の居場所、ご存知ありませんか? 二ヶ月前から行方不明なんです」
すると老人は一瞬驚いた表情をみせたあと、眉間のしわを深くして答えた。
「いや、知らん。まさか行方知らずになっておったとは……。どうりで来ないわけだ」
ユカリは落胆して、「そうですか」と呟いた。老人が訝しげに眉を寄せる。
「あなたがたは、あの子の……」
「僕は担任の教師でシュウといいます。この人は、サクのいとこで保護者のユカリさんです」
「あぁ。あなたが」
老人はそう言って、ユカリを見た。
「あの子が最後にここへ来たのが、引っ越しの前々日でな。いつもはそこの箱に入っとるジャンク品やらを買いに来るのに、珍しく売りに来たんだよ。それも前にここで買っていった物をな。
まぁ、修理はしてあったが売り物にはならんから、小遣い程度の金額で買い取ってやったんだ」
「どうして売りに?」
「理由を訊いたら、引っ越すからだと言った。持っていけばいいじゃないかと言ったら、迷惑をかけたくないから、できるだけ荷物は少なくしたいと言っておったな」
「そんなことを……」
ユカリはまたも落胆した。彼は自分にそんなにも気を遣っていたのか。一緒に住むことで、かえって気苦労を増やしてしまったのではないか。
シュウがトンとユカリの肩を叩いた。
ユカリは自分がうつむいていることに気がついて、顔を上げた。
老人が言った。
「そんな顔しなさんな。あの子に、引っ越し先に怖い人でもおるんか? って訊いたら、首を大きく横に振って言っておった。『とても優しい人だから、余計に迷惑かけたくないんです』と。
ワシはあなたのことは知らんが……似た者同士なんじゃないかね?」
「確かに」と、シュウが真面目な顔で言った。
ユカリは目をぱちくりさせた。似た者同士……。そうだろうか?
「私……サク君が小さい頃、少しだけ一緒に暮らしていたんです。五歳くらいまでだったから、本人は覚えてないかもしれませんけど。
それから長いあいだ、ほとんど会うことも話すことも無かったので、彼が何を好きで、普段どんなことをしていたのか。趣味とかそういうものが全くわからなくて。交友関係も私より学校の先生の方が詳しいですし……。
だからどうしていなくなってしまったのか。どこへ行ったのか。全く見当もつかなくて……。
心当たりはありませんか?」
少しのあいだ、老人は腕を組んで考える表情をした。
「申し訳ないが、分からんな。そもそも、あなたに迷惑をかけたくないと思っている少年が、行き先も告げずにどこかへ行くかね?」
シュウがすぐさま言った。
「実は、記憶を失くしている可能性があるんです。
サクはいなくなった日、祖母が入院していた病院を訪れたそうです。そこの看護師によると、既に亡くなっている祖母の“見舞い”に来たとサクが言ったらしく……そうだよね?」
ユカリは大きく頷いた。
「祖母が亡くなる前――少なくとも八ヶ月前から、いなくなったその日までの記憶を失くしているんだと思います」
すると、老人は難しい表情でしばらく静止したあと、ユカリのそばにあったレコードプレーヤーに近づいて音を止めた。
そのまま店の外へ出ていったかと思うと、少ししてから戻ってきて言った。
「店を閉めた。手がかりになるかは分からんが、ワシとあの子と、あの子の父親の話を聞かせよう」




