24話
ドアを開けると、店主がカウンターの内側に立って夕食の支度をしていた。
店主はサクを見て、
「おかえり。暑かったでしょう。何か冷たい飲み物でも飲むといいよ」
と言い、隣で皿洗いをしていたアサヒにも、「何でも好きな物飲んでいいよ。パフェでも」と言った。
「パフェは飲み物じゃないですよ!」
アサヒは笑いながらそう言うと、パフェを作りはじめた。
「サクも食べる?」
「いい。甘いものあまり好きじゃないし」
「ふぅん。じゃ、アイスコーヒーでいい?」
サクは「うん」と返事をしながらカウンターの椅子に座った。すぐにテープの剥がれかかった不格好なコースターが出てきて、その上に水滴のついたグラスが載った。
アサヒはパフェを完成させると、立ったままぱくぱく食べ始めた。
「それで、ルゥさんには会えたの?」
「いいや。ルゥさんには会えなかったけど、偶然ルゥさんの言ってた北部出身の画家に会えて、少しだけ話を聞いた」
「へぇ〜、よかったね」
アサヒは一言そう言うと、またパフェをぱくぱく食べた。話の内容に興味はないらしい。
サクの方も、老人から聞いた話以上のことを知りたいとは思わなかった。「アリエス」とは北部の伝承上の人物で、そのことを物知りな父は知っていた。それだけのことだ。
アイスコーヒーを飲み終える寸前、店のドアがカランコロンと鳴った。
「ただいま」
「ただいまー!」
「おかえ……」
ドアの方を向いた店主が絶句した。アサヒが驚いた表情で言った。
「モモちゃん、髪」
「かわいいでしょー」
右腕に薄ピンク色のクマのぬいぐるみを抱えたモモが、朝と同じようにくるりと回った。
しかし、朝とは大きく違う点が一つ。
両耳の下にあったはずの、三つ編みのお団子が――ない。
「モモがお母さんと同じ髪型にしたいって言うから、美容室で切ってもらったんだよ。ついでに僕も切ってもらっちゃった」
ヒロはそう言いながら、サクの隣に座った。モモは先にクマを座らせ、ヒロとクマのあいだの椅子によじ登った。
店主がひきつった笑みでモモに言った。
「か、かわいいねー。似合ってるよ」
「でしょー」
モモは得意げに顎をくいっと上げた。
「うん。暑くなってきたし、明日からアサヒさんはいないし、お父さんはあまり髪結ぶの上手じゃないし……うん」
なんとか納得しようとしている店主に、娘がショートカットになったのがそんなにショックなのか? と、サクは首をひねった。
アサヒがヒロとモモの前に、不格好なコースターとオレンジジュースの入ったコップを置いた。
ヒロとモモは声を揃えて「ありがとう」と言うと、ジュースをぐびぐび飲んだ。
店主が小声で呟く。
「でも……せっかく今朝、かわいい髪型にしてもらったのに。もったいないなぁ」
「髪型なんて、一日だって持ちませんよ? それに」
アサヒはカウンターを出て、モモの隣に立った。ポシェットからピンク色の小さな花の髪飾りを出すと、モモの左耳の上につけた。
「こうすれば、朝よりもっとかわいい」
モモはパチパチとまばたきをした。自分の頭に手をやり、指先で髪飾りの存在を確かめている。
「本当は明日渡そうと思ってたんだけど、今の方がいいと思って。――モモちゃん、前にわたしの髪飾りを見て『いいな~』って言ってたでしょ? モモちゃんはピンクが好きだから、ピンクのお花にしたよ」
「マーちゃんといっしょ?」
「うん。いっしょ」
アサヒはそう言って、微笑んだ。
店主が鏡を持ってきて、モモの前に置いた。鏡に映った自分の姿を見たモモは、「かわいー!」とはしゃいだ。
「よかったね、モモ」
「うん!」
それからずっと、夕食中も、モモは嬉しそうにニコニコしていた。
翌朝。起床したサクは、シンプルなモスグリーンの半袖Tシャツと黒のズボンに着替えた。
床に広げていた新聞紙と、その上に載っていたコースターを持って、一階へ下りる。
「あまりに不格好だったので、テープを外して、側面をやすりがけしておきました」
サクは八枚のコースターを店主に渡した。
店主は驚いた表情でコースターを一枚一枚めくった。
「これ全部? やすり、わざわざ買ったの?」
「いえ、たまたま持っていたんです」
やすりは工具箱の中に入っていた。
「たまたま? やすりを? あー、なるほど。冒険に使うんだね! サク君たちは、冒険家だから」
店主の想像の世界で、やすりがどんな使われ方をしているのか、全く分からなかった。
「本当にありがとう」
そう言って、店主は穏やかに微笑んだ。
アサヒ、モモ、ヒロの三人が二階から下りてきた。
アサヒはいつもの袖の短い水色ワンピースを着て、これまたいつもと変わらず、金髪のポニーテールに青い花の髪飾りをつけていた。
すでに荷造りを終えたのか、肩にポシェットをかけ、手には布製の手提げ袋を持っていた。
サクたちは、いつものように店の奥のテーブルで朝食を食べた。ヒロがいつものように、凄まじい形相でコーヒーを飲み干した。
朝食を終えると、サクは再び屋根裏部屋へ上がった。
荷物をまとめる。来た時と変わらず、どこにでもある帆布のカバンに、財布と工具箱。
そこに最低限の着替えやらが加わっている。暇つぶしに読んだ本は、昨日ヒロにあげた。
カバンを肩にかける。元通り、ベッドが二つあるだけの簡素な部屋を見回して、階段を下りた。
サクが一階へ下りたのと同時に、アサヒが手提げ袋を持ってソファから立ち上がった。
店主がカウンターの内側から出てきて、
「二人とも、これを持って行って。暑さで喉が渇くだろうから」
そう言って、冷たい円筒形のボトルを手渡してくれた。
波模様の描かれた透明なボトルの中に、水が満たされていた。
店主が横を向いて言った。
「ヒロ、モモ。お見送りするよ」
カランコロン。ガラスのドアを開けて、サクたちは店の外へ出た。
雲一つない青空。生ぬるい風が吹いている。その風に乗って、ほのかに潮の香りがした。
サクとアサヒは振り返って、頭を下げた。
「お世話になりました」
「いっちゃやだ!」
モモが勢いよく、アサヒに抱きついた。
アサヒはにこりと微笑んで、何も言わずにモモを抱きしめた。
「モモ、困らせたらダメだよ」
そう店主に言われたモモは、大人しくアサヒから離れた。店主の手を握り、目をうるませている。
ヒロが面倒くさそうな顔をして言った。
「早く行かないと、モモが泣き出しちゃうよ」
「うん。もう行くよ」
とサクは答えた。店主がいつもと変わらない、のんびりとした口調で言った。
「またいつでも来てくれていいからね」
「はい。またいつか」
サクはそう言って、歩き出した。隣を歩くアサヒが振り返って、
「さようなら」
と小さく呟き、大きく手を振った。
モモのすすり泣く声が、かすかに聞こえた。
サクは通りを歩きながら、腕につけた時計を見た。
針は父が魔法をかけた物を示しているはず。とすると、そこは父の行った場所である可能性が高い。
三年前。父はルゥに「すぐに列車に乗るつもりだった」と言っていた。店主に絵を渡して店を出た父は、どうにか財布を取り戻すと、すぐに列車に乗ったはずだ。――大陸南部へ向かう列車に。
駅までは歩いて五十分もあった。バスがないわけではなかったが、「最後だから、ゆっくり歩いて行かない?」というアサヒの言葉に、サクは渋々同意した。
腕にジリジリと日差しが突き刺さる。歩けば歩くほど、体温が上昇していくような感じがした。
この暑さの中、ノンストップで歩くのはせいぜい三十分が限度だろう。
広場を通り抜ける途中、木陰で一休みすることにした。
サクはカバンの中から、店主に貰ったボトルを取り出した。蓋を開け、ゴクゴクと音を立てて水を飲む。
「列車の運賃っていくらだろう? お金、大丈夫かな?」
アサヒはそう言うと、財布の中身を確認し始めた。
「全然使ってないんだから、余裕だよ」
サクは呆れ顔で正面を向いた。
鮮やかなピンク色の花々が、向かいに並んだ建物を縁取っている。
その建物の前に、ゴミ収集車が停まった。やせ細った男が下りてきて、重そうに黄色いコンテナを持ち上げた。
――あっ。
その男は間違いなくルゥだった。首にかけたタオルで汗を拭いながら、黙々とコンテナを運んでいる。こちらに気づく様子はない。
アサヒが財布をポシェットにおさめて言った。
「何見てるの?」
その瞬間、ゴミ収集車はルゥを乗せて動き出した。
「なんでもない。そろそろ行こう」
サクはボトルをカバンにしまうと、再び歩き出した。
バイバイ、と胸びれを振る黄金の魚の横を通り抜けて、カント駅へ入る。
このガラス天井のターミナル駅からは、大陸南部へ向かう列車が二種類出ていた。
特急と、各駅停車の鈍行。迷わず鈍行に乗る。五両編成の列車に、乗客はあまりいなかった。
サクとアサヒはボックス席に向かい合って座った。
頭上にベッドがあるため、天井は低い。頭をぶつけないように気をつけなければ。と、サクは思った。
数分後、列車が動き始めた。
窓から見える景色がグラデーションのように変化していく。建物の密集したカラフルな街並みから、木立が混じった郊外へ。
だんだん建物らしき影は少なくなり、大きな川を越えると完全に緑一色になった。
カントから大陸南部の大都市・トーハまで、“都市”と呼べるようなところはない。ゆえに、この鈍行列車は終点トーハまで、人口の少ない田舎町にしか止まらない。
しかも、トーハまでは三日もかかる。夜のあいだはどこかの駅で停車し、朝になると再び発車するらしい。
切符には「五日間有効 途中下車可」と書かれていた。
アサヒが窓を開けた。車内に生ぬるい風が流れ込んだ。
サクはボトルの蓋を開けた。水を喉に流し込んだ。
「聞きたいことがあるんだけど」
サクの声に、窓の外を見ていたアサヒが振り向いた。
「父さんと、どこで出会った?」
アサヒは少しの時間、どこか一点を見つめてから答えた。
「……森の中、だったかな?」
「は?」
「ある日突然、手紙をもらったの。『僕に会いに来てくれませんか?』って書いてあったんだけど、どこへ行けばいいのか書いてなくて。
その手紙を持って見知らぬ場所を彷徨い歩いてたら、目の前に先生が現れて、わたしの名前を呼んで……たぶんそこは、森の中だったような気がする」
「いやいや。なんで見知らぬ場所を彷徨い歩いてたら出会うんだよ。しかも森の中って、熊じゃないんだから。……あっ」
手紙に魔法がかけてあったのだ。ということに、サクは気がついた。手紙を読んだ彼女が自分に会いにくるようにと。
父がそうまでして彼女に会いたがった理由は何か。魔法のことを教えるためだというのならば、なぜ自分には何も教えてくれなかったのか。
それに――。
頭に、父が熱心に見ていたあの絵が浮かんだ。アリエス。青き花飾りの乙女。
父が北部の伝承を知っていたことには何の疑問もないが、あそこまで熱心に見ていた理由が分からない。考えられるとすれば、やはり彼女に似ているからか。
あの時見た幻影に、彼女の姿はなかった。これから会いに行くところだったのだろうか……。自分の息子と同じくらいの年齢の少女に。
サクは顔をしかめて、また水を一口飲んだ。
「どうしたの? 乗り物酔い?」
アサヒが心配そうにサクの顔を覗き込んだ。
列車が止まった。
「違う。むしろ空腹で――」
「そんなあなたにオススメなのは、こちらの駅弁!」
突然、窓の外から聞こえた声に、サクは驚いてむせかえった。
背の低い中年男性が窓枠からちょこんと顔を出して、早口で言った。
「一つ六百エルンですヨ!」
「い、いただきます」
サクとアサヒは弁当を一つずつ購入した。
「はいおつり! と、おまけネ! よい旅を!!」
そう言うと、駅弁売りのおじさんは足早に去っていった。
「冷てっ」
サクは手のひらにのった小銭と冷凍みかんを、座席の上に転がした。
弁当を開けてみる。俵型のむすびが四つ、唐揚げにポテトサラダ、ミニトマト等が彩り豊かに並んでいた。
列車がまた動き始める。
弁当を食べ終えると、眠くなってきたのか、正面の金髪少女がこくりこくりとし始めた。
「上で寝れば?」
「……うん」
アサヒは眠たそうな声でそう答えると、ポニーテールをほどいて三つ編みを編み始めた。青い花の髪飾りを結び目につけて、そのまま座席の上で横になる。
――ここで寝るのかよ。
サクはぬるくなった冷凍みかんを頬張りながら、呆れた目をアサヒに向けた。
この無防備さに腹立たしくなる。父のことだってそうだ。普通、どこの誰かも分からない男に会いに行ったりなどしないだろう。
そう心のなかでぼやきながら、左腕につけた時計を見た。
針はまだ先と告げていた。




