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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第一章 東の空に陽が昇る
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15話

 空が白み始めていた。ようやく朝がやってくる。

 サクは近くにあった小石を拾い、湖に向かって投げた。小石は三回跳ねて、ポチャンと沈んだ。

 もし父が隣にいたなら、「はぁー」と感嘆し、自分の真似をして小石を投げただろう。その小石は真っ逆さまに落ち、水しぶきをあげて湖の底に沈む。父は「はぁ……」と息を吐いて、肩を落としたはずだ。


 父は不器用だった。

 外見だけ見れば、そうとは分からない。すらりと高い背。赤く、癖のある髪。眼鏡の奥にのぞく瞳は知的で優しく、口調は常に落ち着いていた。父の年齢を聞いた人は、全員もれなく仰天していた。

 博識で自分よりも賢いが、自分よりも不器用な父を、時に尊敬し、時に小馬鹿にしていた。「だっせー」と言ったら、「ださくて結構」と開き直っていた。


 小石を拾う。


「魔法ってなんだ……よっ」


 そう言って、また投げた。今度は四回跳ねた。


 昨日。サクが夕飯を買って戻ると、アサヒは髪を三つ編みにして、寝息をたてていた。

「早っ。まだ七時にもなってないのに……たぶん」そう言いながら隣に座り、買ってきた弁当を食べた。わざわざ起こしたりはしなかった。

 腹が空いていたので、彼女の分と思って買った弁当も食べてしまった。



「よく寝るなぁ」


 サクは後ろを見て呟いた。少し離れたところに見えるあずまやの台の上で、金髪の少女が横になっている。

 彼女が起きたら、父の魔法について、もっと詳しい話を聞いてみようか……。


 近くに置いていたカバンを開ける。中から、黒の革財布を取り出す。そのままじっと手の中の財布を見つめた。

 昨日聞いた、父が使ったという魔法の話がまだ頭に残っていた。

 魔法なんて知らないし、使えるわけない。そう言ったが、内心、もしかしたら自分にも魔法が使えるかもしれないと思っていた。


 そう思うのはたぶん、父に対して対抗心があるからだ。不器用で、何の特技もなく、頭と容姿がちょっといいだけの父親が、実は魔法使いだった。それも「先生」と慕われるほどの。

 その事実に、なんとなく腹が立った。


 ――「魔法」を使ってみよう。


 急にはっきりと思い立った。

 サクはアサヒの魔法を思い返した。物に手で触れるだけ。特に呪文を唱えたりはしていなかった。とすれば、念じるだけでよいのだろうか。

 話によると、父は声に出していたようだが、あれは単にどのような魔法をかけるか、彼女に伝えるためだったのかもしれない。


 とりあえず念じてみようと思った。財布を持つ手が少しだけ震えた。

 別に軽量化は必要ない。容量が十倍、いや、せっかくなら百倍にしたい。

 財布を見つめたまま、深く息を吸って、吐いた。


 ――この財布の容量を百倍に。


 心の中で念じてみたが……何か変化が起きたようには思えなかった。財布の感触も何も変わらない。

 財布を開けて見たものの、やはり何の変化も感じられなかった。

 うーんと唸って、もう一度だけやってみようと思った。次は声に出して。


「この――」

「おはよう」


 財布が宙に浮いた。心臓が小石のようにポンポン跳ねた。十回は跳ねた。

 アサヒが不思議そうに目をパチパチさせて言った。


「どうしたの? びっくりした顔して」


「いや、足音もなく急に現れるから」


「え? そんなはずないよ。この辺、石ころだらけだし」


 そう言うと、アサヒは片足を上げて小石を踏んだ。ジャリッと音がした。

 あっ。また無駄に集中して、周りの音が聞こえなくなっていたのか。サクはズボンの後ろポケットにそっと財布を隠した。


「あぁ腹減ったなー。そろそろ朝食の時間だよな」


 本当は全くもって空腹ではなかったが、焦ったためか言葉が口をついて出た。


「そうだね」


 そう呟いて、アサヒはなぜか湖に近寄った。

 白くまぶしい太陽が、水面をきらめかせている。アサヒは右手で陽光を遮りながら、水中を覗き見るように膝をかがめた。


「魚いるかな?」


 デジャブ。サクは財布をカバンに戻して、肩にかけた。


「行こう。写真屋の近くで、適当に何か買って食べればいいよ」


 と言いながら、下腹部をさする。二人分の弁当がずっしりと溜まっている。

 だけど、彼女は昨晩何も食べていないから、きっと腹を空かせているはずだ。


「うーん。いないなぁ……。あっ、貝ならいるかな」


「俺は行くからな」


 サクがそう言うと、アサヒは諦めた様子で立ち上がった。




 商業エリアの入口にある噴水が、高くしぶきを上げた。と同時に、どこかで鐘の鳴る音がした。

 サクはトイレを済ませてから、アサヒと近くのキッチンカーでホットドッグを買って食べた。そのあと、写真屋が開く時間までベンチに座って待っていた。

 サクはアサヒに言った。


「俺、銀行に行って両替してくるからさ、そのあいだに写真受け取ってきなよ。昨日財布渡したんだから、代金払えるだろ?」


「うん、わかった。済んだら、またここに戻ってくるね」


 アサヒは意気揚々と、水色のワンピースの裾を翻して去っていった。

 その姿を見送ると、サクはカバンから財布を取り出した。


 よく考えれば、両替すれば済む問題だった。それに、一つの財布に手持ちを全額入れるのは防犯上よくないと思う。結局、工具箱にも分けて入れるつもりなのだから、魔法なんて必要なかった。……だけど。


 ――実はかかってたりして。


 軽くあたりを見回す。工具箱の中から、さっと千エルン札の束を掴んで出した。

 何枚あるかはわからない。厚さからして、四、五十枚と推定する。

 折りたたみ財布にはギリギリ入るか、入らないかといったところか……。いや、入ったところでパンパンになった財布が折りたためなくなるのは確実だ。

 その財布には、既に札が二枚入っていた。左手の親指で二枚の札を押さえながら、財布を大きく開き、右手に持った札束を横に突っ込んでみる。


「へ?」


 三回まばたきした。


 札束が、消えた。

 指で押さえていた二枚を除いて、突っ込んだ札束は財布に飲み込まれたかのように消えてしまった。持っていた札束分、財布は重くなった気がした。だが、その札束はどこにもない。


「ちょっ」


 サクは財布を大きく開いて覗き込んだ。はたから見れば、おかしな奴だと思われたかもしれない。だが今は、そんなことはどうでもよかった。


 ――魔法が……かかった?


 心臓がバクバクした。自分に魔法が使えた。その事実よりも、今は札束の行方が気になった。

 財布に指を突っ込んでみる。「戻ってこい札束ー!」と心の中で叫びながら、人差し指と中指を、自転車を漕ぐように動かした。

 すると、指先に何かが触れた感じがした。二本の指で咄嗟に挟む。引き上げる。――そこにあったのは、三枚の千エルン札だった。

 財布に残った五枚を左手で押さえ、右手で自転車を漕ぐ。挟んで引く。今度は四枚だった。……漕ぐ、引く、漕ぐ、引く。


 財布の中に、二十枚の札が揃った。

 サクは顔の筋肉をこわばらせた。まるで手品だ。タネも仕掛けも本当にない手品。

 一体どうなっている? 頭が混乱した。魔法に理屈を求めても意味がないことは、これまでの経験で分かっていたが、自分がその魔法を使ったという事実を飲み込むのにはしばらく時間がかかった。


「写真、受け取ってきたよ」


 その声に、ハッとして顔を上げる。

 アサヒが白い封筒を胸に抱いて言った。


「銀行の方が早かったんだね」


「……あ。今から行ってくる」


 サクは慌てて財布をカバンにしまい、銀行に走った。



 両替を終えて戻ると、アサヒが真剣な表情で写真を見ていた。


「本当に鹿のお尻しか写ってない」


 サクは写真をちらりと覗き見た。どの写真にも、白くてふわふわしたものが写っていた。……これを見て、店の人はどう思ったんだろうか。

 

 サクは両替したお金のうち、半分よりも少し多い額をアサヒに渡した。まだ財布の中に、飲み込まれた札がいくらか入ったままだったからだ。

 アサヒは受け取ったお金をさらりと数えてから、ピカピカの財布に入れていた。

 それから郵便局へ行き、短い手紙を添えて、写真をミヨさんに送った。


 郵便局を出てすぐ、アサヒが言った。


「用事も済んだことだし、そろそろ出発しよっか」


「……うん」


 サクは生返事をした。アサヒが不思議そうに首を傾げた。


「どうかした?」


「なんでもない」


 そう呟いて、サクは昨日と同じく、セッカ正門へと続く道を歩き出した。


 道中、サクの頭の中は魔法のことでいっぱいだった。

 自分に魔法が使えた。その事実は受け入れたが、実感は全くない。物に触れて願っただけだ。こんなに簡単なら、誰にでもできるんじゃないかと思った。

 だが、そんなことはあり得ない。誰にでもできるなら、世界中魔法使いだらけのはずだ。

 考え事をしている最中、頭のてっぺんにヒヤッと冷たい感触があった。


「雨だ」


 アサヒが手のひらを上に向けて言った。ポツリ、ポツリ、と水滴が落ちてくる。

 サクはぐるりと首を回して、雨宿りできそうな場所を探した。だが、そんな場所は見当たらなかった。

 雨が激しさを増す。

 傘を買っておけばよかった。いっそ引き返そうか。そう思った時。


「あっ」


 アサヒが何かを見つけた様子で、道端の茂みに駆け寄った。


「傘だ!」


 そう言って、手に持ったビニール傘を猛々しく天に突き上げた。

 その傘は複雑に折れ曲がっていた。数秒前までは。


「はい」


 アサヒは新品同様にピカピカになった傘を、サクにさしかけた。


「……ありがとう」


 便利な力だ。こういう時に役に立つし、いざという時には金を稼ぐ手段としても使える。ゴミを拾って直して売ってもいいし、人が大勢いる場所なら、手品と称して稼ぐこともできるだろう。

 まさか自分にもそんな力があったとは――。

 サクはアサヒに、魔法が使えたことを言い出せずにいた。昨日「使えるわけない」と言っておいて、今日「使えた」と言うのは気が引ける。

 それに、魔法は彼女の専売特許ということにしておく方がいい気がした。だから、しばらくはこのまま黙っておこうと思った。



 セッカ正門に到着した頃、雨は上がりかけていた。

 雲の切れ間から射し込む光に照らされて、門柱の先にある『黄金の鹿威し』が神々しく輝いている。

 ちょうどその横を通り過ぎた時。


 ガコーンッ。後方上から、風情とはほど遠い音がした。


 アサヒが素早く振り返って、傘を体の前に向ける。

 バッシャーッ。飛んできた水しぶきが傘に当たった。


「これぞ現代アート!」

「素晴らしきモーメント!」


 あちこちで感嘆の声があがった。中にはびしょ濡れになって「ブラボー!」と言っている人もいた。

 アサヒは傘を閉じると、嬉々として言った。


「虹だ!」


 突然の滝。一瞬の虹。

 サクは顔にかかった水滴を指で拭った。

 芸術というものはよく分からない。カントは芸術の街と聞いたことがあるが、こんな物がそこらじゅうにあるのだろうか……?


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