14話
短い船旅だった。飛行船はバスよりも遅いスピードでブロッコ山脈の上空を航行したが、それでも二時間ちょっとでセッカに到着した。
結果――目的地は、山の中ではなかった。
草原に降り立ったサクは、腕時計を見た。地図を広げ、針の指し示す方角を確認する。
「もしかしたら、目的地はカントかもしれないな。だけど、途中ってこともあるし……。ここで悩んでても仕方ない。とりあえず歩くか」
「そうだね。ちょっと歩いてから、お昼ご飯にしようよ」
アサヒがそう言って手提げ袋を見せた。そこには今朝、アサヒがミヨさんと作ったお弁当が入っていた。
湿った草の上を歩き、木の柵をまたぐと、ややぬかるんだ道に出た。
その道をしばらく歩いていると、突然、背後から軽快な音楽が聞こえてきた。
『シャララーン ラララーン』
音はだんだん大きくなり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
すぐそばまで来たかと思った時、マイクを通した女性の声が響いた。
『左手に見えますのは、メェメェ牧場です。ここには約二百匹のヤギさんがいます。ほら、見てください。ヤギさんたちが草を食べていますよー』
「ガイドのおねえさん。ヤギはメェって鳴くんですか?」
『そうですねー。メェというより、ウェェェとか、ヴェェェって感じですねー』
やたらと完成度の高いヤギの鳴き真似が聞こえたあと、観光用らしき小型のバスがサクたちの横を過ぎてすぐ、停車した。
『牧場へ行きたい方は、ここで降りてくださいねー』
風雨をしのぐことなど到底無理であろう通気性抜群のバスから、数人が降りていく。
『そこのお二人さん、乗っていきませんか?』
「えっ」
突然の呼びかけに、サクは驚き、立ち止まった。
ガイドの女性がマイクを持ったまま言った。
『タダですよー』
アサヒがバスの方へ進み出た。
「タダなら乗るしかないですねっ」
そう言って、乗り込んでいく。車内にどっと笑いが起こった。
サクは恥ずかしさと呆れの混ざった表情を浮かべながら、バスに乗った。
前後左右どこを見ても、目に入るのは牧歌的な風景だった。
セッカという町は、大陸の南東海岸沿いの中都市・カントの北北西に位置する、保養地らしい。その中でも山脈に近い北側はほとんどが牧草地で、飛行船はその一部分を基地兼飛行場として使用していたようだった。
サクがぼーっと景色を眺めていると、突然ぽんと肩を叩かれた。
「ねぇ、どこで降りる?」
前にもこんなことがあったような……と思いながら、サクは運転席近くの案内図に目を向けた。
「このバスは町をぐるりと一周しているらしい。南東を目指せばいいんだから……『セッカ正門前』ってところで降りよう。いかにも入口っぽい名前だし、たぶんそこからカントに行ける」
「わかった。バスに乗れてラッキーだったね! タダだし」
アサヒはそう言って、満面の笑みを浮かべた。
――けっこう金にシビアだよな。まぁ、散財するよりかいいけど。
サクはアサヒを横目で見てから、ガラスのない窓のふちに肘を置いて呟いた。
「そりゃあ、同じ道を歩くならバスに乗った方が早くていいよ。……多少は」
バスはのろのろと走った。時々、車やバイクや馬やロバに抜かされながら。
サクたちは「セッカ正門前」――ではなく、その一つ前でバスを降りた。
なぜかというと、アサヒが突然「あっ!」と言って降りてしまったからだった。
「なんで急に降りるんだよ」
「ごめんごめん。だって、ほら」
そう言って、アサヒは前方を指差した。
大きな噴水。その向こう側には、きれいに舗装された広い道がまっすぐ伸びている。道の左右には建物が並び、大きく突き出した軒が向かい合っていた。
さっきまで見ていたのどかな風景とは打って変わって、そこはほどよく人で賑わう商業エリアだった。
「写真屋と郵便局があるよ。ちょうど向かい合って」
サクはぼんやりと左から右へ視線を動かした。たしかに写真屋と郵便局が、ここから一番近いところにあった。
「それで?」
サクが尋ねると、アサヒはポシェットを開けて、小さな筒型の物を取り出した。
「フィルム。ミヨさんから預かったの。現像しようと思って。あの写真屋さんで現像してもらって、向かいの郵便局からミヨさんに送れるでしょ?」
「そのフィルム、現像しないんじゃなかったのかよ……」
サクは仕方なく、アサヒのあとをついて写真屋に入った。
「いらっしゃいませ」
アサヒはカウンターまで一直線に進むと、フィルムを置いて言った。
「このフィルム、プリントしてください」
「かしこまりました。……今、少し立て込んでまして。お急ぎであれば、追加料金にて承りますが、いかがいたしましょう?」
「お急ぎでないです」
アサヒはすぐさま答えた。
サクはカバンを開いて財布を取り出しながら、店の人に尋ねた。
「どれくらいかかりますか?」
「そうですね。明日の朝には仕上がりますよ」
「えっ」
サクは手から財布を落としそうになった。明日までかかる? 早く先へ進みたいのに。「やっぱり急ぎで」そう言おうとしたが、
「わかりました。よろしくお願いします!」
アサヒが言った。店の人が紙を差し出す。
「では、ここにお名前をご記入願います。――お代はお引渡しの際に頂戴しますね」
「あ、はい」
サクは取り出した財布をカバンにしまった。……仕方ない。明日まで待つか。
店を出たサクたちは、近くのベンチに腰掛け、遅めの昼食をとった。
サクはアサヒに言った。
「明日まで待たなきゃいけないってことは、どこかに泊まるってことだろ。ここ、見た感じけっこうなリゾートだぞ。かえって高くついたかもな」
するとアサヒは、一瞬ハッとした顔をして、すぐにバツが悪そうな顔になり、しかしまたすぐにいつもの微笑をたたえて言った。
「高い宿ばかりとは限らないでしょ? 激安宿、探してみようよっ」
激安宿……。もっといい言い方はなかったのか。
サクはおもむろにベンチから立ち上がった。
ちょうど近くに、大きな地図が描かれた案内看板が立っていた。
「予想通り、セッカ正門というのはカント方面からの入口みたいだな。宿もこのあたりに集中してる」
アサヒが近づいてきて言った。
「じゃあ、当初の予定通り『セッカ正門前』に行こう!」
「……目的は当初の予定と全然違うけど」
サクたちは歩いて“セッカ正門”に向かうことにした。バスを待つ時間と、自転車並みのあの速度を考えたら、歩いた方が早い。そう思ってのことだった。
だが、思った以上に距離があった。もうすぐ到着するというところで、バスに抜かされた。
“セッカ正門”――それは想像以上に大きく、重厚な造りをしていた。
頭の中で勝手に出来上がっていた『ようこそ! セッカへ』と書かれた陳腐な門のイメージが、瞬く間に払拭される。
左右に直立する、四角い石造りの門柱。その一辺の長さは両腕を広げても余りそうなほど。高さはだいたいビルの三階くらいはありそうだった。
その門柱の上に、黄金に輝く竹筒のようなものがあった。角度をつけ、今にも発射しそうな勢いで尖った先端をきらめかせている。
サクは考えた。門は一見新しく、歴史的建造物には見えないが、もしかすると意外に古いものなのかもしれない。するとあの竹筒のような物は、戦乱の時代に兵器として――。
「……ししおどし?」
アサヒが首を六十度傾けて言った。
「は? そんなわけ――」
サクは呟きながら、門柱に貼り付けられた金属製のプレートに近寄った。
そこにはこう書かれていた。
『黄金の鹿威し カビトル作
※突然滝のように水が落ちることがありますので、雨の日は特にご注意ください。
なお、苦情は受け付けません。』
アサヒが両手を打ち合わせた。
「なるほど! だからクロセに鹿がいっぱいいるんだ! この鹿威しから逃げてきた鹿たちだったんだね!」
「なわけないだろ」
わけのわからない前衛芸術作品にかまけている暇はない。サクはあたりを見回した。すると近くに、案内所を見つけた。
「あそこへ行ってみよう」
「うん!」
入るなり、アサヒが直球で尋ねた。
「この町で一番安い宿はどこですか?」
激安宿と言わなかっただけよかったものの、サクはその場を離れてしまいたい衝動に駆られた。
眠たげな目をした老爺は、髭をなでつけながら「んーまぁ、ここかなぁ~」と言って、宿泊施設の名前と簡単な地図を描いた紙を渡してくれた。
そして、現在――。地図に描かれた星印の場所に、サクは立っていた。
見たこともない巨大な建造物を前にして、サクは苦々しく呟いた。
「一番安い宿って言っても、見かけはな……リゾートなんだし」
ほぼ同時にアサヒも呟いた。
「うわぁ。高そう」
サクは、その白く輝く建造物を見上げたまま微動だにしないアサヒに言った。
「どうせなら、案内所でいくらなのか聞けばよかったのに」
「サクが聞けばよかったでしょ?」
まったくもってその通り。サクは咳払いをして言った。
「……とりあえず入ってみるか」
ホテルのロビーは絵に描いたように豪華絢爛だった。高い天井。大きなシャンデリア。毛足の揃った赤い花柄の絨毯。
――こんなところが町で一番安い宿? あのじいさん、適当に答えたんじゃ……。
サクが疑念を抱きながら館内を見回している最中、アサヒがフロントの女性に向かって言った。
「ここで一番安い部屋は空いてますか?」
「申し訳ありません。本日すでに予約で埋まっておりまして、二番目にお安いお部屋でしたらご用意できますが――」
女性が言い終わらぬうちに、アサヒは尋ねた。
「いくらですか?」
その質問に対する回答を聞いて、サクは体を硬直させた。アサヒは即座に言った。
「すみません。やめておきます」
身を翻し、足早に玄関ドアに向かっていく。
「あっ。ちょっ」
サクは慌ててアサヒを追った。
「たぶん、あのじいさんが間違えたんだよ。案内所に戻ってもう一度聞いてみ……って、どこ向かってるんだよ? 案内所はそっちじゃないぞ」
アサヒは振り返り、斜め前方を指差した。
「ねぇ、あっちに行ってみない?」
そこは草木の茂る森だった。と言っても、手つかずの自然というわけではなく、歩きやすいように整備された人工的な森だった。
アサヒがぐんぐん進んでいく。その少し後ろをサクは歩いた。
この先に何があるのか――。その答えを、サクは案内看板で見て知っていた。前を歩く彼女も、その足取りを見るに、知っているようだった。
森を抜けると、そこにあったのは大きな湖だった。
マニマニ湖。セッカ中央よりやや南に位置し、その大きさは町全体の面積の四分の一ほど。
すぐ右手に、三角屋根のコテージが十数戸建っていた。
ここに泊まるつもりだろうか。サクはアサヒの背中に目をやった。
が、その問いはすぐに消え失せた。
アサヒは迷うそぶりも見せずに、湖畔を左に向かって進んだ。
夕陽がまぶしい。もうじき暗くなる。サクはアサヒに「どこまで行くのか」と尋ねようとした。ちょうど、その時。
「ここにしよっ」
アサヒが突然、立ち止まって言った。
サクは目の前の建物を見上げた。
三角屋根。だが、コテージではない。
屋根を支える四本の柱。中央に置かれた、正方形の広い台。それはただの、ただ屋根があるだけの、休憩所。つまり、あずまやだった。
アサヒが笑顔で言った。
「別に、泊まる必要なんてなかったんだよ。天気もいいし、こんなに暖かいんだし」
「野宿……」
サクはウッドデッキのような台を睨んだ。ところどころささくれている。うっかり手をついたら痛そうだ。
その台に、アサヒが無言で右手を置いた。――ささくれが、修復されていく。
魔法だ。クロセで何度も目にした。彼女は右手で触れた物を修復できる。そのことはもう、紛れもない事実だった。だが……。
サクはずっと抱いていた疑問を口にした。
「物を直すところしか見たことないんだけど、それしかできないの?」
アサヒは「うん」と答えた。
ということはやはり……。サクは腕につけた時計を見た。奇妙な動き。これも魔法だというのなら、その魔法をかけたのは彼女ではなく、父――。
「父さんは、他のこともできたんだよな?」
「うん。でも先生が魔法を使うところ、ほんの数回しか見たことないの。なんでかはわからないけど、できるだけ使いたくないって言って」
「……そうか」
サクは呟くと、頭を切り替えた。他にも色々と訊きたいことはあった。だが今は、別の問題がある。
「やっぱり戻って宿を探そう」
「なんで? ここなら屋根もあるし、お金もかからないよ?」
サクは左右に首を回し、人がいないことを確認してから言った。
「今このカバンにいくら入ってるか、分かってる? 財布に入りきらなくて工具箱にも入れてる。
こんな大金持って、落ち着いて外で寝られるわけがない」
「誰かが盗むかもってこと? ……誰もいないよ?」
「今はそうだけど。夜になったら分からないだろ」
「贅沢」
アサヒは不満げに呟くと、サクのカバンを指差した。
「そもそも、なんでサクが全財産持ってるの! 二人で稼いだお金のはずなのに」
「今はそんなことどうだっていいだろ? 第一、財布持ってるの俺だけだし。その小さいカバンに直接入れる気か?」
そう言いながら、サクはアサヒのポシェットに目を向けた。
アサヒは視線を逸らすことなく、真顔で言った。
「二つ持ってるでしょ」
「は? 何を?」
「財布」
瞬間、サクは身を凍りつかせた。
たしかに財布は二つあった。一つは使い古したボロ財布。もう一つは――カバンの内側のポケットに入っていた、黒の革財布。
ミヨさんの家を出る直前、荷物の整理をしている最中にたまたま見つけた。
見覚えのない新品の財布と、祖母からの手紙。その手紙には『十五歳の誕生日、おめでとう』と書いてあった。
現在、年齢詐称中。咄嗟に元の場所に戻したのだった。
サクは仕方なくカバンを開いた。内側の隠しポケットから、黒い財布を取り出す。
「これにいくらか入れて渡すから。それでいいだろ?」
「だめだよ。その財布は大事な人からのプレゼントでしょ? わたしはボロ財布でいい。魔法で直せるし」
「ボロ……まぁ、いいか」
サクは古びた財布をカバンから取り出して、そのままアサヒに手渡した。
「あのさ……歳のことだけど――」
「わかってる。十五歳だと色々困るもんね」
アサヒはそう言うと、微笑みながら顎をくいっと上げた。
この少女が自分より一つ年上であるということに、やや釈然としない思いを抱きながら、サクは告げた。
「行こう。もう案内所は閉まってると思うから、自分たちで宿を探さないと」
身を翻し、来た道を引き返そうとした。ところが。
「待って」
腕を掴まれ、引き止められた。振り返ると、青い瞳が鋭く光っていた。
「ちゃんと二等分しよう、お金」
「そんなのあとでいいだろ。だいたい、千エルン札ばかり何十枚もあるし、二等分したって財布に入りきらない。工具箱の中に入れたままにしておくしか――」
「魔法を使えばいい」
「……なんて?」
「だから、魔法を使えばいいんだよ。今思い出したの。先生が見せてくれた、ほんの数回の魔法のうちの一つ」
アサヒは背筋を伸ばし、軽い口調で話し始めた。
「先生の持ってたカバンに、荷物が入りきらないことがあって。不器用なせいじゃなくて、たまたま荷物が増えてしまって……あっ。やっぱり不器用なせいか。
とにかく、どうしようってなった時に、先生がカバンに魔法をかけたの。『このカバンの容量を十倍に。重量は十分の一に』そう言って。
そしたら、あっという間に荷物が片付いたの。しかも、持ってみたらすごく軽くてびっくり。一瞬、手品? って思ったけど、不器用な先生が手品なんてできるはずないし――」
サクはあ然とした。言葉が羽のようにふわふわと舞って、落ちてこない。そんな感覚だった。
やっとのことで口を開く。
「物を直すことしかできないんじゃなかった?」
すると、アサヒは真顔で言った。
「サクは、魔法を使えないの?」
「……父さんの子だから? 前にも言ったけど、俺と父さんは本当の親子じゃない。魔法なんて知らないし、使えるわけがない」
「でも、親子でしょ? やってみたらできるかもしれない」
アサヒは表情を崩さなかった。サクが黙ったままでいると、アサヒはあずまやの台の上に寝転がって言った。
「お金を二等分するまで動かない」
やや棒読みな言い方だった。たぶん、ここで野宿したいだけなのだろう。
「そんなところで寝たら風邪引くぞ」
「大丈夫だよ。わたし、風邪なんて引かないから」
――馬鹿は風邪引かないって言うからな。
サクはため息をついた。ほっといて、一人で宿に泊まろう。そんな考えが頭をよぎった。
だが冷静に考えると、大金を持ったまま外で寝ることよりも、無防備な少女を夜中にこのまま一人にしておく方が怖かった。
それにもし何かあれば、目的の遂行に支障が出る。
「夕飯買ってくる」
サクは仕方なく、どこかで夕飯を買って戻ることにした。




