12話 コネクションⅠ(3/3)
ユカリは約束の時間の十分前に、その場所に到着した。
そこはサクが通っていた学校だった。そして、自分の母校でもあった。
一瞬、懐かしい校舎を見上げ、ユカリは渡り廊下を突き進んだ。すぐ隣の体育館から、部活動に励む生徒たちの声が聞こえる。
コンコンコンと、ノックをして、ドアを開ける。
「失礼します」
教室に入ったユカリを出迎えたのは、同い年の男性教師だった。
ガッチリとした筋肉質の身体に、黒のスーツ。浅黒く日焼けした肌。そして黒髪のオールバック。
もしも後ろ姿だけを見たのなら、きっと威圧感たっぷりの恐ろしい顔を想像しただろう。
だが、彼の顔は予想に反してマイルドだった。
「お久しぶりです、シュウ君」
「ユカリさん。お久しぶりです。どうぞ、こちらに……」
緊張した様子のシュウに勧められて、ユカリは椅子に腰かけた。
「いつかこういう日が来るかもしれないとは思っていたんだけど、まさかこんなに早く来るとは。まだ二十六なのに」
そう言いながら、シュウはポリポリと頭をかいた。彼は、ユカリの同級生だった。
教師と生徒の保護者として、昔の同級生と相見える。あるとすれば、それはずっと先のことと考えていたのだろう。
初めて電話がかかってきた時にも、シュウは心底驚いた様子だった。いまだにその驚きが消えていないようだ。
「えっと……」
シュウは何から話せばよいのか考えあぐねているようだった。少しして、ゆっくりと口を開いた。
「いとこ、なんだよね?」
「はい」
「そう、か……。校外のことに関しては一切立ち入らない方針でさ。教師といえど、生徒の家庭事情まで把握してなくて」
歯切れの悪い言い方だった。ユカリはシュウが何を聞きたがっているのか、察して言った。
「サク君の父親は二年前に病気で亡くなりました。元々母親はいません。祖母と父親と、三人で暮らしていたんです。
その祖母も半年前に病気で亡くなりました。祖母の家のあった場所は、今は更地になっています。退去命令が出ていた地域なので……。サク君はそこで、ギリギリまで一人で生活していました」
「えっ。一人暮らし?」
「はい。もっと早く来てもらうつもりだったんだけど、その……準備に時間がかかってしまって」
言いながら、ユカリはゴミ置き場になっていた元の部屋を思い浮かべた。
「そうか……。サクのお父さんって、どんな人だった?」
「ダン君は――」
ユカリは少し悩んでから答えた。
「変な人? 過去に二回行方知れずになったんだけど、二度とも、半年後くらいに突然帰ってきて。何をしていたのか聞いたら『自分探しの旅』って。……ものすごく、変な人」
「自分探しの旅……」
シュウが消え入りそうな声で呟いた。たぶん、引いたんだろう。そう思ったが、
「それなら、サクも自分探しの旅に出かけたのかな」
真顔で、はっきりと聞き取れる声で、シュウは言った。
思いがけない言葉に、ユカリはしばらく固まっていた。
「ユカリさん」
シュウは真剣な表情のままユカリに呼びかけた。
「サクは零域に入っていないと、僕は思う。学校での様子しか知らないし、あまり自分をさらけ出さないタイプだから、本当は何か悩みを抱えていたのかもしれないけど……。
サクが学校に来なかった日、どうやらクラスの友人と約束をしていたらしいんだよ。放課後に古いカメラを直すだなんだって。
そういうのが得意なんだよなぁ、あいつ。しょっちゅう自転車通学してるやつに、パンク修理頼まれてて。だから、ずっと自転車屋の息子なんだと思ってたよ」
初めて知った。そんな特技があったなんて。部屋にあった謎の部品は、修理に使うものだったのか……。
手先が器用。父親とは真逆だ。
「それで……これまでにも何度か頼まれて、修理の約束してたみたいだけど。約束を破ったことは一度もないらしい。そんなやつが約束を破ってまで、わざわざ零域に入るとは思えないんだよなぁ。
何か突発的な衝動があったにしても、前の家より零域までずっと遠くなってるし、学校とは逆方向だし」
ユカリは首を傾げた。
「それなら、突然旅に出たっていうのも考えにくいと思うんだけど」
「うーん、そうだよなぁ。父親に放浪癖があったなら、息子もって一瞬思ったんだけど。
……ただあいつは、自分から零域に向かっていくような人間じゃないと思うんだ。リアリストだし、たぶん信仰心なんて持ち合わせていないだろうし。
それになんというか、生きるのも死ぬのもどっちでもいいって思ってそうなんだよな」
分かるような気がした。祖母の葬儀のあと、自分の家に来ないかと誘った時の返答。あの口調がまさにそうだった。
「さすが先生。生徒のこと、よく見てるんだね」
「いいや。もっとよく見ていたら、こんなことにはなっていないはずだ。……考えたくはないけど、何か事件に巻き込まれたのかもしれない。警察には行ったんだよね?」
「うん。だけど、失踪事件に関して警察はあてにできない。あまりにも数が多いから」
「そう、だよな……。校外の知り合いとか、サクが行きそうな場所に心当たりは?」
「私、サク君が行きそうな場所、全然知らなくて……。ただ、サク君のことを知っている人には片っ端から聞いてみようと思ってる」
「僕も生徒に聞いてまわったけど、手がかりは何も見つからなかった。わざわざ学校まで来てもらったのに、ごめん」
「ううん、ありがとう。サク君のこと、聞けてよかった。……私は何も知らなかったから。何か分かったら連絡します」
そう言って、ユカリは椅子から立ち上がった。シュウもほぼ同時に立ち上がる。
「それじゃ、また」
ユカリは別れの挨拶を交わすと、シュウに背を向けた。ドアを開け、教室を出ようとした時、
「待って」
焦燥に駆られた声で、後ろから呼び止められた。驚いて振り返る。
シュウが早足で寄ってきて言った。
「ユカリさん。僕にできることがあれば何でも言って」
シュウは真剣な眼差しでユカリの瞳をじっと見つめた。
「僕が教師になってから、生徒の失踪はこれで二度目だ。僕たちがこの学校の生徒だった頃も、隣のクラスの男子が失踪した。学校も警察も探そうとしない。はなから零域に入ったと決めつけている。そもそも零域に入ろうとする人間を止めようとさえしない」
ユカリは心臓を引っ掻かれたような感覚がした。自分も同じだ。決めつけていた。
観測塔は最後の砦。そこの職員であるというのに、零域に向かっていく者を止めたことなど一度もない。
零域に向かって行く者たちのほとんどは、塔から離れた場所を過ぎていく。わざわざ近くを通る者なんて滅多にいない。だから、止めようにも止められない。そう考えていた。
……でも。もし、零域に向かっていく人が目の前にいたとして。自分にその人を止めることができるだろうか。そもそも、本当に止めるべきなのだろうか……。
「警察や他の先生だけじゃない。僕もそうだ。学校の方針に従って、生徒とは一定の距離を保っている。
何か悩みを抱えていそうと思っても、向こうから話してこない限りは何もしない。それでいいのかと、ずっと思っていた」
シュウはユカリの瞳をじっと見つめたまま、両肩に手を添えた。
「ユカリさん。一人で抱え込もうとしないで」
ユカリはパチパチとまばたきをした。シュウがハッとした顔をする。
「ごめん。これじゃ、教師と生徒みたいだよね。そうじゃなくて、単純に頼って欲しいんだ。同級生なんだし」
「ありがとう」
そう言って、ユカリは少しだけ表情を緩めた。
シュウはほっとした顔で優しげに微笑んだ。
ユカリはシュウに校門の前まで送ってもらうと、再び今日の礼を言って頭を下げた。
シュウはユカリに尋ねた。
「これからどこへ?」
「おばあちゃんが入院していた病院へ行くつもり。サク君のことを知ってる看護師さんたちに聞いてみようと思って」
「そっか。僕もサクが行きそうな場所とか、校外に知り合いがいないかとか、もう一度生徒たちに聞いてみるよ」
「うん。よろしくお願いします」
ユカリはシュウと別れると、近くに停めていた車に乗り込み、発進した。
次の目的地までは、十分もかからなかった。
白く、大きな建物を見上げる。ここへ来るのは久しぶりだった。
ユカリは玄関をくぐると、迷うことなくエレベーターに乗った。「5」と表示されたボタンを押す。扉が開くと、真っ直ぐナースステーションへ向かった。
声をかけるより先に、若い女性看護師が驚いた表情で言った。
「ユカリちゃん?」
「こんにちは。お久しぶりです」
ユカリはそう言うと、すぐに本題に入ろうとした。ところが、相手の方が先に言葉を発した。
「そうだ! 十日くらい前にね、サク君が来て――」
「えっ」
思わず声が飛び出す。目を見開いたユカリを、若い看護師が覗き込むように見た。
「……もしかして、サク君のことで?」
ユカリは呆然としたまま頷いた。看護師は眉間にしわを寄せて言った。
「様子が変だったから、サク君、何かあったのかな? って私たちも心配してたとこなんだけど……」
「様子が変? どういうことですか?」
急いた声で訊くユカリに、看護師は訝しげな顔で言った。
「サク君、今どこに?」
ユカリは首を小さく横に振った。その動作で看護師はだいたいの事情を察したようだった。
「……サク君、おばあさんのお見舞いに来たって言ったの。冗談を言ってるようには聞こえなくて……。
おかしいと思って診察を受けるように勧めたんだけど、すぐにいなくなってしまって」
――おばあちゃんのお見舞い?
ユカリは少しのあいだ、時が止まったかのように静止した。やっとのことで声を出す。
「……他に、変わったところはありませんでしたか?」
「うーん。……たしか、私が『久しぶり!』って言ったら、『昨日も会ったじゃないですか』って言ってたような。あの時は冗談だと思ったけど、今思うと本気で言ってたのかな」
昨日も会った。おばあちゃんのお見舞い。――まるで、祖母が入院していた頃まで時間が巻き戻ってしまったかのようだ。
もしかしたら……。
「あの」
ユカリは頭に浮かんだ推論が正しいかどうか、確かめようとした。
「怪我とかしてなかったですか? 頭を打ったとか、そういうことは?」
看護師は首を横に振った。
「いいえ。むしろ前に会ったときより、顔色が良く見えたけど。身長が伸びて、凛々しくなったからかなぁ……?
……そうだ。サク君、前は顔にあざがあったよね?」
「はい」
ユカリはそう答えながら、頭に疑問符を浮かべた。「前は」とは、どういうことだろう……?
サクがいなくなった日の前日、最後に会話した時のことを思い出す。彼の左頬に、あざはあったはずだ。
「そのあざが無くなっていたから、前よりも元気そうに見えたのよね」
「本当に、あざが無かったんですか?」
「ええ。無かったけど……」
見間違いではないだろうか。ユカリは眉をひそめた。
ちょうどそこへ年配の女性看護師がやって来た。
「師長。サク君のことなんですけど――」
若い看護師がすぐさま状況を説明した。年配の看護師は難しい顔をして言った。
「たしかに、あざは無くなっていたわね。前に、どうしたのか訊いたことがあったんだけど、『分かりません』としか言わなくって。
お父さんと同じ病気なんじゃないかって心配していたんだけど、治っていたから安心したのよ。最初に顔を見た時にはね……」
二人の看護師は表情を暗くした。ユカリは二人を気遣い、落ち着いた声で言った。
「サク君の担任の先生が言っていたんです。サク君は自ら零域に向かっていくような人間じゃないって。だから、きっとどこかで生きていると思います。
見かけたり、何か情報を聞いたりするようなことがあれば、教えていただけませんか?」
すると、二人の看護師は表情を和らげて頷いた。
「ええ。もちろん」
「協力できることがあれば、何でも言ってね」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ユカリは頭を下げると、エレベーターに向かった。
一人、狭い箱の中で考えを巡らす。
まるで記憶を無くしたかのような言動。それに、あざも無くなっていた。彼に一体何が起こったのだろう……。
考え事をしながら駐車場まで歩き、車に乗った。まだ発進はしない。
――サク君のあざ。……あのあざ、いつからあったっけ?
ハンドルを指で弾きながら、記憶をたどる。
――たしか、ダン君のお葬式の時には無かったはず。それからしばらく経って、おばあちゃんのお見舞いで偶然会った時。その時には……。
ユカリの頭に、はっきりとその時の光景が浮かんだ。たしかにあざはあった。
父親と同じようなあざ。父親の病気は謎に満ちていたが、感染するようなものではなかった。遺伝性? いや、二人に血の繋がりがないのは明らかだ。
そもそも父親のあざとは全く関係がなく、どこかでぶつけただけかもしれない。
あの時はそう思った。でも――それからしばらく経って、まだ頬にあざがあるのを見た時。やはり「ただのあざではない」と思った。
いつどこで、どうしてあざができたのか、本人に訊けばよかった。いや、看護師に訊かれて「分かりません」と答えたなら、自分が訊いても同じだったろう。
それに、本当に分からないのかもしれない。
ユカリは「ふぅ」と息を吐いた。あざのことは一旦置いておこう。もし何らかの原因で記憶を無くしているとして、彼は病院を出てどこへ行ったのか。
入院しているはずの祖母の姿がなく、混乱したはずだ。その足で向かったとしたら――おそらく自分の家だろう。
けれどその家はもう無い。あの更地を見て、どこへ……。
ここで考えていても仕方がない。もう一度、あの場所へ行ってみよう。
ハンドルをぐっと握り、車を発進させた。
居どころの手がかりは何も掴めないまま。振り出しに戻った気さえする。
あと半日。たったそれだけの時間では、これ以上の情報を得ることはできないかもしれない。それでも動こうと思った。
今日、手がかりを見つけられなかったとしても、明日も明後日も時間を見つけて動こう。
きっと諦めてしまったら、また気持ちが空中をさまよってしまうだろう。だから諦めない。何ヶ月でも。何年でも。
ユカリは、自分自身のために、希望を持ち続けようと決めた。




