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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第一章 東の空に陽が昇る
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10話 コネクションⅠ(1/3)

「はい……はい、そうですか。……はい、了解です。では、失礼します」


 ガチャッ。受話器を置いた男は、周囲に呼びかけた。


「ちょっと集まってくれ」


 同じ部屋で各々の仕事をしていた数名が、その男の元へと集まる。男は四十手前にしては若く、ここにいる誰よりも活発で剛健な風貌をしていた。


「なんですかー?」


 メンバーの中で最年少の青年が、最後にやってきて言った。

 男は全員が揃ったのを確認すると、机に軽く腰掛けて口を開いた。


「ま、大したことではないがな。ついさっき、東塔より連絡があった。先日知らせた通り、本日午前七時十三分、十五年ぶりに零域にて死刑が執行された。

 死刑囚は域内に入った――即ち卒倒した一秒後に心停止、三秒後に身に着けていた衣服もろとも消失したとのことだ」


 眼鏡をかけた女が呟く。


「普通ですね」


「そうだ。普通だ。特に変わったことはない。以上」


 青年がきょとんとした顔で言った。


「えっ。それだけ?」


「そうだが?」


「いや、何が何だかさっぱりなんですけど。だいたい、十五年ぶりってどういうことですか? 死刑の執行ってそんなに珍しいことじゃないですよね? たしか去年にも連続強盗殺人事件の犯人が」

「あー、めんどくせー」


 男はぼやきながら、若い赤毛の女に目をやった。


「こいつの面倒はお前に任せた。懇切丁寧に色々教えてやってくれ……って、聞いてるか?」


 反応がない。男は一段声を大きくして、女に呼びかけた。


「おーい。ユカリー」


 その瞬間、ユカリはビクッと肩を跳ね上げた。即座に目線を上げる。室長の鋭い視線とぶつかった。


「大丈夫か? 体調が悪いなら帰ってもいいぞ」


「いえ、大丈夫です。すみません」


「……そうか。じゃ、こいつの面倒よろしくな」


 室長はそう言うと、手を叩いた。「全員、自分の仕事に戻っていいぞ」その掛け声を合図に、各自が持ち場に戻っていく。

 ユカリも自分の席に戻ろうとした。


「ちょっと先輩。僕の質問に答えてくださいよ」


 声に反応して振り返る。

 明るい茶髪。くりくりとした大きな瞳に、丸眼鏡。あどけなさを残したその顔は、まだ学校へ通う年頃の少年のように見える。

 彼は……そうだ。昨日、この北東観測塔・観測室に配属されたばかりの新入職員。名前はたしか、タ――


「質問って何? タヌキ君」


「タツキです」


 ふてくされた表情でタツキは言った。


「先輩。さっきの話、聞いてなかったんですか?」


 ユカリは凍りついたように一時停止した。

 しまった。大事な話の最中にぼーっとしていた。さっきの話――。

 頭を巻き戻し、記憶を辿る。うわの空であっても、耳は無意識に音を拾い、どこかにその情報を保管している……。

 チッ。タツキが舌打ちをした。「あのクソじじい。女だけ贔屓してんじゃねぇよ」

 小さく呟かれたその声に邪魔されることなく、思い出して言った。


「あっ。死刑のこと? なんで十五年ぶりに、零域で死刑が執行されたか……だったよね?」


 タツキは面食らった顔をした。


「……ちゃんと聞いてたんですね」



 ユカリは南西側の大きな窓に近寄った。山なのか建物なのか判然としない凹凸を見ながら、単調な声で話し始める。


「零域がどれくらいの速度で拡大しているか。私たちは推測することしかできない。その推測によって、これまで零域は『ゆるやかに』拡大しているとされてきた。

 だけど、十五年前。異常事態が発生した。ある人が、とある岩場で倒れ、消失した。その人を追ってきた人たちも、岩場からおよそ三メートル手前で倒れて消失した。

 ……たった数秒のうちに、零域はそれだけ拡大したことになる。運よく逃れられた人の通報により、塔は調査のため、零域での死刑執行を要請した」


「えっ。それってつまり、また零域が急拡大したってことなんじゃ?」


 ユカリは大きく頷いた。


「前回は十五年前。その前はおよそ二百年前と言われてる。二百年前のことはきちんとした記録が残っているわけじゃないから、真実かどうかは分からないけど……。

 急拡大したと思ったら元の速度に戻ったり。規則性は見つからないし、予測もつかない。死刑執行は、零域がどの程度拡大したかってことを確認する意味もあるけど、もっと重要なのは、異常がないか。つまり、今までと違うところがないか。それを速やかに確認すること」


「あー。それで室長たちは『普通』って言ったんですね」


「うん。十五年前も異常は見つからなかったらしいから、今回の結果も予想通りだったんだと思う。

 基準地点から死刑囚が消失した地点までの距離とかの詳報が入ったら、これまでに得た情報と合わせて、拡大面積や速度の概算を出す。それを元に一年後、三年後、と零域が拡大する範囲の予測を修正する。その修正した予測情報を他部署や行政機関へ知らせる。……その辺は、いつもやっている仕事とあまり変わらない」


「なるほどー」


 タツキは気だるそうに呟いた。


「思ったんですけど、もっと頻繁に零域で死刑執行したらいいんじゃないですか? 急拡大した時に限らず。そうすれば、拡大範囲を予測しやすくなるし、精度も上がるじゃないですか」


 ユカリは声のトーンを変えることなく、その問いに答えた。


「零域に近づくということは、死に近づくということ。零域での死刑執行は、観測員や刑務官の身まで危険に晒すことになる。だからといって、死刑囚と距離をとれば、逃亡のリスクが高まる。

 どういう基準で今回の死刑囚が選ばれたかは分からないけど、猶予が無いなか、誰にするか決定するだけでも難しかったと思う。――それに、反発の声もあるから」


「反発? あー、死刑制度に反対してる人間の」


「それもなくはないけど……」


 ユカリは再び窓の外に視線を向けた。


「零域は、人の霊が住む場所だとか、別世界への入り口だとか。色々な考えがある。零域を神聖な場所と考える人たちにとって、そこを処刑場とするのは冒涜されたも同然。塔内にさえ、よく思わない人がいる。だから、死刑執行の事実は極一部の人間にしか知らされていないの」


「なるほど。大変なんですねー」


 タツキはそう呟くと、あっけらかんとした口調で言った。


「あっ。それなら、死刑囚じゃなくて、一般の人に協力してもらえばよくないですか?」


 ユカリは目を丸くした。


「……どういうこと?」


「えーと、だから、処刑場にするのがダメなんですよね? だったら、零域に向かっていく一般人に声をかけて、調査に協力してくださいってお願いすればいいんですよ。

 それなら問題ないでしょ? 逃げられたって困ることないし。どうせ死ぬんなら、最後に人の役に立ってから死んでもらえばいいんですよ」


 ユカリは口を小さく開けて、固まった。

 言葉が出てこない。ただ当たり前のことを言えばいいだけなのに。いつもの自分なら、この後輩の発言に毅然とした態度で答えたはずだ。

 それなのに……なぜだろう。指先が痺れる。唇が震える。視界が、ぼやける。


「ふざけんじゃねーぞ」


 突然、後ろから怒号が飛んできた。驚くユカリのそばを、室長がズカズカと歩いて通り過ぎた。


「いい加減にしろよ。新人だからって、倫理も規範も、何もかも全部教えてもらえるわけじゃねーぞ」


 狭い室内にドスのきいた声が響く。室長に詰め寄られたタツキは、目を見開いて後ずさりした。


「ちょっと室長!」


 慌てた様子で、ひょろりと背の高い男性職員が駆けつけてきた。


「まったく、大人げないですよ」


 男性職員はタツキのそばに立って、室長をなだめた。眼鏡の女性職員がため息をつきながらやってきて言った。


「そうそう。室長こそ新人じゃないんだから、いい加減言葉遣いを改めてください。なんだったら、私が教えて差し上げましょうか?」


「……いい。俺じゃなくて、こいつを教育しろ」


 室長はそう言ってタツキに背を向けると、窓際で棒立ちしていたユカリに言った。


「ちょっと来い」


 さっき、瞬時に言葉が出なかったことを叱責されるのだろうか。ユカリは暗い表情で室長のあとをついて、部屋を出た。



 静かな廊下を歩く。左右の白い壁はところどころ塗装が剥がれ、コンクリートが剥き出しになっている。床のタイルも、初めてここに来た時と変わらず、欠けたままだ。

 それらが補修されることは永遠にない。この建物は一年後に取り壊され、北東観測塔は別の場所に移転する。

 零域の急拡大に関係なく、元々予定されていたことだった。


 零域を最前線で観測する塔は、その存在そのものがボーダーラインとなっている。

 観測塔の位置を基準に、人が居住可能な領域が決定される。本当の境界線はずっと先だとしても、その領域の境界が実質、安全地帯か危険地帯かの分かれ目だった。

 だからこそ、安全第一。観測塔が零域に飲み込まれることなど、絶対にあってはならない。早めの後退は決して逃げなどではない。


 外階段に続く扉を開けながら、室長が呟いた。


「もうじきこの建物ともおさらばだな」


「そうですね」


 同じことを考えていたのだなと、ユカリは思った。

 開いたドアから外へ出る。澄んだ空気を吸うと、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。

 階段を上りながら、室長が言った。


「子どもの頃、ここのすぐ近くに住んでたんだ。退去させられ、生まれ育った家は取り壊された。

 当時は零域についてよく知らなかったし、知ろうともしなかった。あそこには目に見えない人食いモンスターがいるとかバカな妄想ばかりしてな。

 だから、なんで自分の家から追い出されなくちゃならないんだと、ただ憤慨した」


 室長は踊り場に立ち、手すりに背を預けた。

 ユカリは足を止め、まだ続く階段を見上げた。

 この建物は一応「塔」の定義に漏れず、縦に長い形をしているが、元は雑居ビルだったらしい。二十年近く前に、以前の場所から移転したと聞いた。

 室長が言った。


「次の移転先、お前の実家があった場所のすぐ近くなんだよな」


「はい。実家……というより、祖母の家ですけど」


「あー、そのおばあさんは亡くなったんだったか」


「はい。半年ほど前に」


 ユカリは不思議に思った。室長は普段、まわりくどい話を嫌う。「結論から話せ」が口癖だ。室長自身、口数は少なく、無駄話をしたことなど今まで一度もなかった。

 それなのになぜ? なぜ、子どもの頃の話などしたのだろう。なぜ、祖母のことが出てきたのだろう。この話は、いったいどこに向かっているのだろう……。

 ユカリの顔に疑問符が浮かんでいるのに気づいたのか、室長は「はぁー」と長いため息をついた。


「まわりくどい話はなしだ。性に合わん。――お前、最近おかしいぞ」


 見透かすような目。理由を知っているという風な目に、ユカリは硬直して立ちすくんだ。

 沈黙するユカリに、室長が言った。


「おばあさんの家に住んでいた従弟を引き取ったんだってな。噂話が好きなやつがぺちゃくちゃしゃべりやがるから、嫌でも耳に入るんだよ。……で、その従弟に何かあったんだろ」


 ユカリは伏し目がちに答えた。


「……いなくなったんです」


「やっぱりそうか」


 室長は驚く様子もなく言った。


 若い独身女性が未成年の従弟を引き取る。その事実だけで、複雑な家庭事情があることは誰の目にも明らかだろう。

 そして、その従弟が行方をくらませた。そのことは、最悪の事態を容易に想像させる。

 特に、零域を観測する者には。


「いつだ? その従弟がいなくなったのは」


「十日前です」


「警察には届けたか?」


「はい。学校から連絡を受けて、届けました。……ただ、あまり真剣に取り合ってはくれませんでした」


「まぁ、そうだろうな。うちの保安部には?」


「仕事の合間に、何度か尋ねました。でも、見かけていないと言っていました。彼がいなくなった日、保護されたのは七歳の男の子だけだったそうです」


 すると室長は目つきを鋭くし、投げるような口調で言った。


「明日、休暇をとれ。だが休むな。とにかく自分の足で動け」


 予想外の言葉に、ユカリは呆然とした。室長は続けざまに言い放った。


「うちの保安部にも情報が入ってないなら、まだ零域に入ったと決まったわけじゃない」


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