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 ――ここは……?


 ぼんやりと白い天井が視界に映る。消毒液のような匂いが鼻先をかすめる。ピッピッピッと規則的な電子音が聞こえる。

 嫌な懐かしさを感じ、その拍子に、サクは自分がどこにいるのかを理解した。

 病室だ。ここは、父や祖母が入院していた病院だ。


 両手をゆっくりと持ち上げようとする。上手く力が入らない。あざだらけの腕に、細いチューブが繋がれている。その先に吊るされているパックから、透明な液体がぽたぽたと落ちていた。

 なぜ、自分はこんな場所にいるのだろう……。そう疑問に思うが、答えは全く浮かばない。頭の中は灰色に濁り、心は硬い石のように微動だにしなかった。


 サクはもう一度両手に力を込めた。今度はなんとか動かすことができた。その勢いで、上体を起こす。めまいと頭痛がしたが、静かに堪えてやり過ごした。

 めまいが治まると、しんと静まり返っている室内を見回した。四人部屋のようだが、他に患者はいない。他の三つのベッドはどれも空っぽだった。

 その時、ドアをノックする音がした。初めから返事を期待していなかったのか、すぐにドアが開く。

 ドアを開けた人物は、起き上がっているサクを見て、一瞬、時間が止まったかのように愕然とした表情で硬直した。


「……サク君!」


 張り裂けるような声を発しながら、従姉のユカリがサクの元へ駆け寄ってきた。

 サクは口を開き、何か言おうとしたが、掠れて声にならなかった。

 謝らなくては。黙っていなくなったこと、心配をかけたことを、きちんと謝らなくては……。

 喉の奥から絞り出すようにして、ようやく声を発する。


「ごめ……」


 最後まで言葉にする前に、サクはユカリの腕に優しく抱きしめられた。


「よかった……また会えた……」


 不思議な感覚がした。懐かしいような……それでいて、暖かい……。

 緊張が安心に変わっていく。と同時に、石のように硬くなっていた心が解けていく感覚がした。目に生ぬるい涙が浮かぶ。

 堪えることはできなかった。涙はぽたぽたぽたぽたと、とめどなく流れ落ちた。サクは声をあげて泣いた。

 その晩、サクは泣き疲れた子どものように深い眠りに落ちた。



 明くる日の午後、ユカリはサクの担任教師を伴って再びやってきた。


「調子はどうだ?」


 シュウは以前と全く変わらない態度で言った。

 サクは恐縮しながら、「はい」と曖昧に答え、頭を下げた。


「心配をかけて、すみませんでした」


「留年は確定だ。まぁ、今さら卒業できるかどうかの心配なんてしてないだろうけど。……調子が戻ったら、ちゃんと学校に来いよ。できる限りサポートしてやるから」


 サクはまた曖昧に「はい」と答えた。シュウはサクの頭に軽く手を乗せると、浮かべていた微笑を消して、真剣な表情で言った。


「手紙を読んだ。……あらためて、サクの口から聞きたい。なんで突然いなくなったりしたんだ?」


 隣に腰掛けているユカリも、シュウと同様に真剣な目をサクに向けた。

 サクは何か言いだそうと、口を小さく開けた。だが、うまく言葉が出てこない。言いだそうとすると、胸につっかえてしまう。


「父親が失踪した理由は、分かったのか?」


 黙り込むサクを、シュウが怪訝な目で見つめる。シュウは一度ユカリと目を合わせると、別の質問をした。


「一緒にいた女の子は、今どこにいるんだ?」


 サクは反射的に肩を震わせ、大きく目を見開いた。

 ユカリが引き継ぐように声を発した。


「実は私たち、サク君を捜してクロセへ行ったの。ミヨさんやリサちゃん、カドさんに会って、クロセやトーハでの様子を聞いた。……サク君、“アサヒちゃん”って子と、一緒にいたんだよね?」


「アサヒ……」


 その名前を口にした瞬間、サクは、全身が急速に冷たくなっていくのを感じた。

 唇や指先がわなわなと震え出す。息が苦しい。胸が痛い。


「サク君? どうしたの? サク君!」


「看護師を呼んでくる」


 シュウが急ぎ足で病室を出ていった。

 サクの目から、また涙がぽたぽたと流れ落ちた。




 およそ一ヶ月もの入院のあと、サクは以前、少しの期間暮らしていたユカリの家へ移った。

 結局、父親がいなくなった理由やアサヒのこと、今までどのように過ごしていたかを、サクはユカリやシュウに説明しなかった。そのことに後ろめたさは感じているものの、何も訊かれないことに甘えて、自ら説明しようともしなかった。


 サクは引っ越してきたばかりの頃とほとんど何も変わらない、殺風景な部屋で、一日の大半を過ごした。食事、トイレ、風呂の時以外は、ベッドに横になっているか、起き上がって窓の外を眺めているかしていた。

 隅に佇む机の上には、ユカリがミヨさんの家から持ち帰ってきた工具類があった。サクはそれに触れることなく、見ることもなく、何も思い出さないように、何も考えないようにした。

 学校が始まっても、行かなかった。ユカリにまた心配をかけていることは分かっていたが、身体が動かなかった。

 ユカリや、時々様子を見にやってくるシュウに話しかけられても、意識がどこか別の場所にあるような状態で返事をした。無気力だった。


 ……それでも、やらなければならないことは分かっていた。



「暖かくなってきたね」


 キッチンの窓を開けて、ユカリが半分ひとりごとのように言った。

 サクはいつも座っているダイニングの椅子を引きながら、「はい」と空返事をした。生ぬるい風が頬を掠めた。

 ユカリは二人分のコーヒーを入れながら、いつもと変わらない、落ち着いた大人の口調で言った。


「おばあちゃんちの近くにあった高台の公園、覚えてる? 明後日から、あそこが私の職場になるの。昔、よくリサちゃんたちとあの場所で遊んだよね。おばあちゃんと、ダン君と、サク君と私で、オーロラ・ウォールを見に行ったこともあった」


 湯気の立ったマグカップが目の前にコトンと置かれる。サクはカップの中の真っ暗闇を見つめながら、「はい」と気の抜けた声で答えた。


「……本当のことを言うと、あの頃、私はここにいちゃいけない人間なんじゃないかって思ってたの」


 サクはゆっくりとカップから顔を上げた。


「私には両親がいて、本当に住むべき家があった。だから私はこの家の人間じゃない。おばあちゃんと、ダン君と、サク君。三人だけが本当の家族なんだって」


 そう言って、ユカリは寂しげに微笑んだ。その顔は凛とした大人の女性ではなく、まるで歳の近い少女のように見えた。


「その思い込みのせいで、私は帰りたい場所に帰ることができなかった。本当は、おばあちゃんやダン君やサク君と、また一緒に過ごしたかった。

 今さら後悔したって、どうすることもできない。だって、おばあちゃんもダン君も、もうこの世界にはいないんだから。だけどせめて、サク君とはって……あの時思ったの。過去に戻ってやり直すことはできないけど、未来は変えられるからって。

 でもそれは、私の勝手な望みだった。サク君の意思を、ちゃんと聞いていなかった」


「ちがっ」


 勢いよく声を出したせいか、むせ返りそうになって、サクは慌てて呼吸を整えた。ゆっくりと息を吐いてから言う。


「あの日突然家を出たのは、ユカリさんと一緒に住むのが嫌だったからじゃないです。俺は――」


 ユカリは微笑を浮かべながら、制した。


「ちゃんと分かってる。だから、いいよ。無理に説明しなくて。……ダン君も何にも教えてくれなかったし。そういう前例もあるわけだから」


 サクは複雑な感情を抱いて、口を閉ざした。


「私はただ、サク君に、サク君の意思で、サク君の時間を動かしてもらいたいだけなの」


 そう言うと、ユカリは羽織っているカーディガンのポケットから何かを取り出して、テーブルに置いた。

 それは失くしたと思っていた、あの時計だった。


「サク君を病院に運んだ時から、ずっと私が預かっていたの。……ダン君の形見だったよね」


 サクは時計の文字盤をじっと見つめた。時針と分針と秒針は、それぞれ別の数字を指したまま、ぴくりとも動かない。


「もしこれを返してしまったら、サク君の時間も止まってしまうんじゃないかって思った。サク君の心はずっとどこかに置かれたまま、戻ってくることはないんじゃないかって。だから、なかなか返せなかった。

 ……でも、逆のような気がした。これを返さないと、サク君の時間は動き出さないんじゃないかって思った。私にきっかけが必要だったのと同じように、サク君にもきっかけが必要なのかもしれないって、そう思ったの」


 サクはおもむろに時計に手を伸ばした。ほのかな温かさを、触れた指先に感じた。



 どれくらいの時間、そうしていただろうか。ユカリが買い物へ出かけてくると言って家を出ていったあとも、サクはテーブルに置かれた腕時計をずっと見つめていた。

 父が自分に託した時計。この時計さえなければ、こんなことには……。

 いや、きっとこうなることは決まっていた。こうなることを全て見通して、父はこの時計を託してきたのだ。


 怒りと悲しみが混ざった、熱くて冷たい感情が、腹の底からこみ上げる。サクは椅子から立ち上がると、時計を片手に握って勢いよく振り上げた。


 ――こんなもの!!


 その時だった。


『サク』


 どこからか、父の声が聞こえた気がした。サクは振り上げた腕を下ろしながら、あたりを見回した。

 父の姿はどこにも見えない。だがその代わりに、脳裏にエクシオンで見た父の幻影が鮮明に浮かんだ。

 サクの頭の中で、ダンは眼鏡を外しながら言った。


『この眼鏡は、お前の未来を見てなどいない』


「……俺の未来を、見てない……?」


『この眼鏡で見ていたのは、僕自身の未来だ。これから何をするべきなのか、僕はずっとこの眼鏡に教えてもらっていた。エクシオン神殿の石の扉に魔法をかけた後、眼鏡は何も映さなくなった。するべきことがもうないか、あるいは僕自身の死を意味しているのだと思った。

 魔道具としては用済みとなったが、通常の眼鏡としては問題なく使えた。当然、捨てるつもりはなかった。だけど残念なことに、オーロラ・ウォールを通り抜ける時、深淵に落としてしまった」


 ダンは手から眼鏡を落とした。眼鏡は音を立てることなく、消え去った。

 サクは頭が混乱した。これは一体なんだ。都合のいいように、自分が作り出した空想なのか? だとしたら、さっきの父の言葉は全て嘘……。

 ダンは見透かしたような目でサクに告げた。


『空想などではない。これは、お前が“最初に使った魔法”の効果によるものだ』


「最初に使った魔法……?」


『お前は、自分でも気がつかないうちに魔法を使っていた。その時にできたのが、その左頬のあざだ。その腕時計に魔法をかけたのを、覚えていないか?』


 サクはハッとした。……そうだ。思い出した。

 祖母の葬式のあと、こみ上げてきた寂しさが父への怒りに変わった。

 なぜいなくなってしまったのか。父の遺したこの腕時計に、怒りとともに疑問をぶつけた。教えてくれと叫んだ。

 さっきと同じように、時計を握った手を振り上げて……。


『時計の針は、僕が過去に魔法をかけた物を示した。それは、サク……お前のかけた魔法によって、起きたことだ。

 僕は眼鏡にかけた魔法によって、その時計が将来どんな効果を表すのかを知っていた。二人がエクシオンまでやってくることも分かっていた。

 ……だが、それは全て、お前たち二人の意思がもたらした結果だ』


 サクは拳を握りしめた。手の内側から時計の温もりが伝わってくる。声を絞り出すようにして言う。


「なんでそんな……。もっと確実なやり方だってあっただろ……」


 ダンはかすかに目を細めた。息を吐き、力のこもった、けれど優しい声で言う。


『信じたかったんだ』


「……信じたかった?」


『前世で僕が犯した最大の過ちは……お前を“信じなかった”ことだ』


 サクは呆然と立ち尽くした。いつの間にか、頭の中から父の姿が消えていた。

 握りしめた拳を開く。時計はほのかな温もりを失っていた。



 その夜、サクはなかなか寝つけず、昼間聞いた父の言葉を何度も頭の中で繰り返した。

 父は自分を憎んでなどいなかった。父はずっと自分を信じてくれていた。

 ふいに息が詰まり、サクはゲホッゴホッとむせ返った。隣の部屋で寝ているユカリを起こしてしまわないよう、手で口元を押さえ、声を小さくした。

 手のひらを開いて見ると、かすかに血液が付着していた。


 ふと考える。

 この身体は、あとどれくらい持つのだろう。できれば、学校は卒業したい。意外と熱血なのかもしれない担任教師を、落胆させたくはない。

 たくさん心配をかけた従姉には、恩を返したい。祖母や父の思い出話をしたり、毎日の些細な出来事を話したりしたい。


 窓に近づき、夜空を見上げる。星が瞬いている。

 死んだ人間の魂は、オーロラ・ウォールを伝って、遠く離れた別の星へと飛び立っていく。

 きっとその星はここからは見えない。だけど、どこかに必ずある。“魔法”という奇跡が存在しているのだから、そんな奇跡も存在するはずだ。


「アサヒ……」


 サクは決意を胸に、呟いた。



 翌日の空は灰色だった。朝からずっと、今にも雨が降りそうで、降らない。そんな調子だった。

 サクはユカリに、あの高台の公園に行きたいと告げた。公園は現在、関係者以外立ち入り禁止となっているが、夕方頃であれば、誰もいないから見つからずに入れるはずとのことだった。

 午後、サクは腕時計を身に着けると、重い玄関のドアを開けた。


「行ってきます」


 ユカリは少しだけ心配そうな目をして、


「行ってらっしゃい」


 そう言って、微笑んだ。



 サクはバスに乗って、高台の公園に向かった。

 まっさらな大地と、遠い空を見つめる。この時間になっても、空は灰色のままだった。太陽はわずかに気配を漂わせているが、姿は見えない。

 風で木の枝が揺れた。薄紅色の花びらが、ひらひらと舞い落ちる。


 ふいに足音がした。トン、トン、トンと一定のリズムを刻みながら階段を上ってくる。

 少女は姿を現すと、ウェーブがかった金色の髪を揺らしながら、「サク」と言った。


「アサヒ」


 サクは少女の名を呼び、こみ上げる想いを堪えるように、息を飲み込んだ。

 アサヒはサクに近づくと、戸惑うように目を伏せた。青い花の髪飾りが目に映る。


「その髪飾り……」


「うん。サクが、呼んでるような気がしたの」


 アサヒは視線を上げると、じっとサクを見つめて言った。


「……ごめんなさい。わたし、ずっとサクを騙してた。サクの望みが叶ったら、わたしの望みを叶えてもらおうと思ってた。それが、サクをどれだけ傷つけて、苦しめることになるのか、わかっていなかった」


 サクは唇を噛みしめて、じっとアサヒの言葉に耳を傾けた。アサヒは小さく肩を震わせた。


「サクを苦しめることを想像したら、苦しくて、苦しくて、たまらなくなって、逃げ出したくなった。サクを苦しめるくらいなら、わたしはこのまま……ひとりぼっちでもいい……って」


 アサヒの青い瞳から、涙が溢れ出た。精一杯の笑顔を見せる。


「わたし……気づいたの。サクのことが好きだって」


 サクはこみあげてくる感情を喉の奥で堰き止め、力強い声で言い返した。


「俺も、アサヒが好きだ。ずっと、この先も。死んでも、変わらない。たとえ見えなくなっても、姿が変わっても、ずっと好きだ」


「サク……」


「だから、魔法を解くよ」


 アサヒが大きな丸い瞳で、サクを見つめる。

 サクはさっきよりも暗い、灰色の空を見上げた。


「また必ずどこかで会える。俺はそう信じている。……だから、今度は俺がアサヒに会いに行く。絶対に」


 サクはアサヒに近寄ると、その小さな少女のままの身体を優しく抱きしめた。

 ゆっくりと呼吸をする。三回。身体を離し、顔を近づける。

 その瞬間、サクの左頬に、白い手が伸びた。サクはその手を掴んだ。

 アサヒは一瞬見開いた目を細め、ゆっくりと閉ざした。


 サクは、アサヒの唇にキスをした。

 再び目を開けると、薄紅色の花びらとともに、青い花びらが舞っていた。


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