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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第四章 北の深淵が光り輝く
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101話

 それが外から聞こえた音だと気がつくのに、時間がかかった。

 同じような音が連続して轟いた。何度目かのあと、サクはようやく、はっきりとしない頭で何かが起きていることを察知し、よろめきながら神殿の外へ出た。


 遠く、エクシオンを囲む壁のあたりに、複数の黒煙が上がっていた。

 人々がぞろぞろと早足で階段を上ってくる。泣き喚く声。恐怖におののく表情。

 ナイラや他の巫女たちが、上がってきた人々に向かって「押さないでください」「落ち着いて」などと、しきりに声をあげている。


「サク!」


 人波から抜け出したミリアが、こちらに向かって一目散に走ってきた。声をうわずらせながら、必死の形相で訴える。


「ノウミ族が攻め込んできて、壁が爆破されたみたいなの。ユーリとアーロンは急いでお父さんたちの元へ向かっていった。洗脳が解けて、お父さんたちは混乱しているはず。そんな状況で攻め込まれたら……」


 ミリアは涙目になって、すがるようにサクの両腕を掴んだ。


「ねぇ、アサヒはどこ? どこにいるの?」


 サクはミリアの肩越しに、立ち上る黒い煙を見つめていた。


「……サク! サクってば! 聞いてるの!?」


 サクはミリアの手を振り解くと、神殿に集まってくる人々の流れに逆らうように、階段を下り始めた。


「終わりだ……何もかも……」


 ふらつく足をひたすら前へ前へと運ぶ。黒煙に向かって歩いていく。



 崩れた壁の下から、人間の手が見えた。周辺に赤い炎が上がっている。目を背けたくなるほどの凄惨な光景だった。

 突然、ドンッと大きな音がした。サクは反射的に耳を塞いでしゃがみ込み、頭を低くした。飛んできた石壁の欠片が肩や背中にぶつかった。その痛みで、ぼんやりとしていた意識がだんだんはっきりしてきた。

 ヒリヒリと痛む手でボロボロになった石壁を掴み、立ち上がる。前進する。破壊され、がれきと化した門の近くから、兵士たちの声がした。


「クソッ。このままでは弾が尽きる! 補給はまだか!?」


「さっきの爆発で補給線が塞がれたみたいだ。もう、限界だ……」


「諦めるな! ここで俺たちが諦めたら、この町は終わりだ!」


「どうせ近いうちに消滅するんだろ。だったら、今滅びたって変わんねぇよ!」


 サクは兵士たちのそばへ歩み寄った。その中に一人、見覚えのある人間がいた。身体検査の時の、あのしかめっ面の男だ。


「君、なぜこんなところに……」


 サクは驚く男をよそに、男の構えている自動小銃に触れた。銃に鋭い視線を向けたまま呟く。


「敵を撃ち倒せ」


「は? なんだコイツ」


 別の兵士が血走った目でサクを睨んだ。銃声が連続して響く。がれきが粉砕され、塵が視界を妨げる。

 しかめっ面の男は、がれきの隙間から敵の影に向けて銃を連射した。

 とうとう弾が尽きた。しかし、男は何かに憑りつかれたように引き金を引き続けた。あたりがしんと静かになる。視界がはっきりしてくる。


「一体どうなっているんだ……」


 ハッとした表情で、しかめっ面の男は呟いた。サクは男が連射しているあいだに、他の兵士たちの銃にも、無言で同様の魔法をかけた。


「もう弾の補給は必要ない。銃がもつ限りは……」


 サクはそう言い残すと、別の場所へ向かった。


「もう終わりだ……」


 どうせ終わりなのだから、この場で死んだって構わない。だったら最後に、使える力を全て使ってしまおう。誰かの望みを叶えるために、魔法を使おう。

 誰かの望み。今この場所にいる人間たちの望み。それはエクシオンを守ること。即ち、攻めてくる敵を滅ぼすこと。


 爆発で崩れた要塞の石壁の下に、兵士たちが倒れていた。倒れている者たちの中で、まだ息のある者は一人もいない。サクはそう信じこんだ。

 兵士が身に着けていた、あるいはそばに落ちていた武器を、サクは拾い集めた。明らかに壊れている物は投げ捨て、まだ使えそうな物にはさっきと同様の魔法をかけていった。

 狙撃銃もあった。手足の折れ曲がった兵士と同様に、その狙撃銃も銃身が折れ曲がっていた。

 サクは使い物にならない狙撃銃から、見覚えのあるスコープを外した。スコープは奇跡的に無傷だった。レンズもひび割れていない。

 手に力を込め、魔法をかける。


 ――敵を映し出せ。


 スコープを覗くと、まず、顔に十字の傷のある猛々しい男が映った。この男が敵のリーダーであることは疑う余地もなかった。他にも獲物を狩るような目で銃を構えている男の姿や、笑みを浮かべながら手榴弾を投げる男の姿が映った。

 このスコープだけでは、敵を倒すことはできない。スコープを取り付ける狙撃銃が必要だ。

 サクはスコープをポケットに収めると、さらに進んだ。


「殺せ!」「蜂の巣にしてやる!!」


 猛烈な言葉と銃声が、右前方からとめどなく聞こえてくる。


「もっと武器を持ってこい!」


 サクは後方で弾薬の補充や銃の整備をしている兵士の元に赴くと、抱えている武器を差し出した。


「使える物を集めてきた」


 兵士は一瞬、ギョッとした目でサクを見た。だがすぐに元の張り詰めた表情に戻って声をあげた。


「武器を取れ!」


 するとすぐに、戦闘服を着ていない民間人とおぼしき人々が集まってきて、サクの持ってきた武器を次から次へと掴み取っていった。

 後方の兵士らの元にも、狙撃銃はなかった。サクは手元に残った一挺の自動小銃を構え、正面よりやや右寄りの壁へ向かおうとした。まだ崩れていない壁の周辺に、使える狙撃銃があるかもしれない。その銃に、ここにあるスコープを取り付ければ……。

 と、その時だった。


「おい!」


 喧騒の中で、聞き覚えのある声が背後からした。


「――おい! サク!」


 ユーリに肩を掴まれたサクは、足を止めて振り返った。ユーリは琥珀色の瞳を大きく見開いた。


「お前……」


 その目がみるみる暗くなっていく。口を開き、ドスの利いた声を発する。


「一体どれだけ魔法を使ったんだ。何に――」


「いいだろ」


 サクはユーリの言葉を遮った。


「この力をどう使おうが、俺の勝手だ。せめて最後に人の役に立てたらと思っただけだ」


「最後?」


 ユーリはその言葉の意味するところを直感したようだった。愕然とした顔が失望に変わっていく。乾いた唇が、微かに震えながら動く。


「……親父が、負傷した。助からないかもしれない。他にも大勢死にかけている人間がいる」


 サクは右手を開き、傷だらけの手のひらを見つめた。


「まだ力は残っている。何か媒体となる物があれば、助けられるかもしれない……」


 そう言いながら、アサヒの姿が脳裏に浮かんだ。考えないように、思い出さないようにしていたのに、不可能だった。

 胸が押しつぶされる感覚。息が苦しい。嗚咽とともに、目から涙がこぼれ落ちた。


「ドンッ」


 突然、大きな爆発音が轟いた。サクはユーリに押し倒されるようにして、地面に伏した。

 まぶたを開ける。吹き飛ばされてきた人間が、そばで仰向けになって倒れていた。

 その男性は、サクが運んできた銃を持って前線に向かっていった人のうちの一人だった。

 微動だにしない。灰色の粉塵にまみれ、彫刻のように横たわっている。

 サクは地面に這いつくばったまま、呆然と命を失くした人間の姿を見つめた。


 ――銃を持ってこなければ……。


 ――銃に魔法をかけようとしなければ……。


 ――こんな力さえなければ……。


 ――この世界に、生まれてこなければ……。


 父の言葉が、最後に見たその姿とともに脳裏に蘇る。


『私の最大の過ちは、お前を――』


 ――殺さなかったことだ。


 ぽたりと温かいものがサクの手の甲に落ちた。それは真っ赤な血だった。見上げると、額の右側から血を流しているユーリの顔があった。


「何をしている。早く立て」


 ユーリはボタボタと血が流れ落ちるのを気にする様子なく言った。サクは立ち上がる気力を完全に失っていた。

 ユーリはサクのそばにあった自動小銃を掴み取ると、その銃口をサクに向けた。


「立て!」


「…………撃てばいい。……いっそのこと……」


 次の瞬間、ユーリは銃を構えたまま、右足でサクの背中を思いきり踏みつけた。

 不意打ちに、「うっ」と声が漏れる。


「そんなに死にたけりゃ、敵の前へ行けばいい」


 サクは返す言葉を失くし、黙り込んだ。ユーリの言う通りだった。ここは戦場だ。立ち上がって、敵の前へ向かうだけでいい。そうすれば簡単に死ねる。……だというのに、そうする気持ちは湧いてこない。


「お前はまだ、本気で死にたいとは思っていないってことだ。――だったら生きろ。生きて、生き様を見せつけろ」


「生き、様……」


「その力をどう使おうが、お前の自由だ。どう使おうが、それがお前の生き様だ」


 サクは、傷つき汚れた自分の手に視線を向けた。

 この力をどう使うか。何のために使うか。誰かのために……。誰のために?

 再び脳裏にアサヒの姿が浮かんだ。


「アサヒ……」


 サクは開いた手を握りしめると、両肘を地面に押し込み、力を振り絞って立ち上がった。


「俺は、アサヒのためにこの力を使いたい」


 直後、突然、東から強い光を感じた。サクは瞬時に振り向いた。

 壁がそびえ立っていた。エクシオンを囲む要塞の壁よりも遥かに高い、緑や紫色に光り輝く巨大な壁が。


「オーロラ・ウォール……」


 それは、神の国に住まう女神が築いた、希望の壁。人々の魂をここではない別の世界へ届ける、宙の架け橋。

 サクの故郷ロクでは、あの壁に願えば、その願いは壁を伝って天に届き、叶うと言われている。

 だがこの世界には、神の国など初めから存在しない。神の国が無いのだから、神も存在しない。神がいないのだから、壁に願ったところで届くはずがない。それでも――。


 ――アサヒに、もう一度会わせてください。


 サクは真剣な瞳でオーロラ・ウォールを見つめながら、強く願った。


「行けよ」


 ユーリが呟くように言った。その声は、はっきりとサクの耳に届いた。

 あれほど激しかった銃声が小さくなっていた。

 サクはユーリを振り返った。琥珀色の瞳が緑と紫の光を映し、息を飲むほど美しく輝いていた。ユーリはその瞳で、ほんのわずかな時間、穿つようにオーロラ・ウォールを見た。そして再びサクを見ると、わずかに口元を緩めた。


「ありがとう。ユーリ」


 サクはそう告げて駆け出した。焦げた鉄と血の臭いが鼻をつく。視界の隅に、地面に倒れている血みどろの人間の姿が映った。子どもの泣き叫ぶ声が聞こえた。一時小さくなっていた銃声は、以前よりも激しさを増していた。

 がれきに躓き、転びそうになる。その拍子に、ズボンのポケットからスコープが転がり落ちた。地面にぶつかり、カラカラと音を立てる。

 サクは落ちたスコープを見向きもせず、脇目も振らずに、走り続けた。


 やがて、エクシオンの東側の門が見えた。門の向こうには、“大地の亀裂”へと続く、岩山に囲まれた森が広がっている。

 門の周囲には誰もいなかった。地形上、エクシオンの外からこの東側の門へやってくることはほぼ不可能だった。よって、西側と北側で争っているノウミ族がこちら側からも攻めてくる可能性はゼロに等しく、そのため東門の周囲には一人の見張りもいなかった。


 門を出てすぐの場所に置かれていたスノーモービルに跨り、サクはエクシオンをあとにした。

 雪の積もった、わずかに勾配のある森の中を走る。前方に屹立する光の壁が、だんだんこちらに迫ってくるような錯覚を覚えた。

 森を抜け、開けた場所へ出た。凍てついた風がビュービューと音をたてながら、体に突き刺さった。

 サクはスノーモービルから降りると、一歩ずつゆっくりと歩を進めた。


 眩い緑と紫色の光が、視界全面に広がっていた。見上げるが、どこまで続いているのか分からない。

 頭を下げ、今度は下を覗き見る。大地が大きく口を開けて、光の息を吐き出している。光に阻まれ、奥が見えない。どれくらいの深さなのか、全く分からない。

 だが、そこは奈落の底だ。落ちればひとたまりもない。


 サクは右手をそっと前へ伸ばした。ほのかに温かい。凍りついた手がじんわりと解けていくような感覚がした。

 この光の壁の向こう側に、故郷がある。大陸東部、北東の町・ロク。

 父もここを通って帰ってきたに違いない。

 この壁の向こう側まで、一体どれくらい距離があるのだろう。見当もつかない。

 しかし、ここを渡らなければならない。ここを渡って、もう一度“あの場所”へ。


 脈が荒波のように波打つ。足が竦んで動けない。と、その時。


 ――落っこちちゃ、ダメだからね。


 どこからか、リサの声が聞こえた気がした。

 ミヨさん、マスター、ヒロ、モモ、カド、エマ、ナル、コックス、ブラムリー、ミリア、アーロン……。これまでに出会った人たちの顔が次から次へと頭に浮かんだ。

 故郷で待っている、ユカリの顔も浮かんだ。あの手紙は無事に届いただろうか……。

 最後に、ユーリの顔が浮かんだ。血に汚れた顔に、燦然と輝く琥珀色の瞳。


「……生き様を見せつけろ」


 サクはユーリの言葉を、胸に刻み込むように復唱した。

 再びスノーモービルに跨る。

 大きく息を吸う。冷たい空気を肺で温め、吐き出す。

 心臓がドクンドクンと鳴っている。眼差しを前へ。ハンドルを強く握り――願う。


「この壁の向こう側へ」


 ブォオオンと大きなエンジン音を轟かせながら、サクはスノーモービルを走らせた。


「跳べ!!!」

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