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魔法使ひは時計回りに旅をする  作者: 箱いりこ
第四章 北の深淵が光り輝く
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100話

 あたり一面、雪景色が広がっている。大地と空には境目がなく、雲に隠れて太陽も見えない。真っ白な世界。


「――メイは、息子の幸せを心から願っていた。このまま世界と隔絶し、閉じ込めておくのは、あまりにも不憫だと思っていた。彼女は息子のために画策し、私に気づかれぬように幾度も魔法を使った。

 魔法で“あざ”を隠していたとは、思いもしなかった。私や他の魔法使いには、全く考えも及ばないことだった。私たちにとって“あざ”は、魔法使いであることを示す大切な証、いわば勲章だったのだから……。

 彼女の体調がすぐれないことにはすぐに気づいたが、まさか命が消えかかっているとは思わなかった。私は息苦しそうにベッドに横たわっていた彼女を、急いでドアを通って王宮内の隠し部屋に運んだ。彼女はそこで、私に秘密を打ち明けた。息子の小さな世界に、一人の少女を招いたこと。その少女に息子の未来と幸福を託そうとしたこと。

 しかし私にとって、そんなことはどうでもよいことだった。とにかくメイを救うことだけを考えていた。彼女の体に魔法をかけて、肉体の寿命を延ばそうとした。だが、それは不可能だった。私の力では、直接人間に魔法をかけることはできなかった。何かを媒介するにも、どうしたって間に合うはずがなかった。

 ……ただ一つだけ、考えられる方法があった。人は死ぬと、肉体から“魂”が切り離される。切り離された“魂”は一瞬のうちに、ここではない、遠く離れた別の世界へと飛び立つ。しかし魔法使いの場合は、その人間自身の“魂”と、この世界に留まる魔法使いの“魂気”が分離するのに、多少の時間がかかる。私はその時間を利用しようと考えた。メイの“魂”を魔法使いの“魂気”ごと捕まえて、別の器に入れようと考えたのだ。

 器には、彼女と容姿や性格の似ている人間が望ましい。私はメイの話した少女が最も適任であると考えた。少女を連れてくるため、私は再びドアを通ってあの家へ行った。そこから先は、魔法を使って少女を見つけ出そうと考えていた。だが偶然にも、少女は家のすぐ外にいた。宿命であると思った。

 私はすぐに計画を実行した。少女を騙して隠し部屋へ連れて行き、魔法で眠らせると、メイを寝かしている別の部屋へ駆け戻った。……だが、遅かった。メイは、私が“いざという時”のために置いていた銃で胸を撃ち抜いて死んでいた。魂はどこにもなかった。彼女は勘が鋭かったから、私がしようとしていることにすぐに気づいたんだろう。気づいて、阻止するために、自ら命を絶ったんだ」


 よく知っている声。懐かしい声。その声が途切れた。

 サクが立つこの真っ白な世界に、突如、二人の人間が姿を現した。


「先生……?」


 隣に立つアサヒが、小さな声で呼びかけた。ダンは目を細めて言った。


「二人とも、よくここまで来たね」


「どうして先生がここに? 先生は、亡くなったんじゃなかったの?」


「そうだろうね。これだけの魔法を使ったのだから、僕は死んでいるに違いない。今アサヒが話しているのは、過去に僕がここに閉じ込めた、僕自身の思念の塊だ。実体はない。

 僕は、君たち二人に真実を知らせるために、エクシオン神殿にある石の扉に魔法をかけた。これも、その魔法の効力というわけだ」


「真実……」


 サクは声を震わせながら、ダンに言葉をぶつけた。


「真実って何だよ。さっきの幻影は、一体何なんだよ!」


「……君たちが見たのは、全て過去にこの世界で本当にあった出来事だ。この大陸の中央にはかつて、幻の王国が存在していた。そこでは七人の魔法使いと、魔力を持たない多くの人々がともに暮らしていた。

 魔法使いが魔法をかけるには、その願いに相応しい“モノ”が必要だ。人々は“モノ”を作り、魔法使いは人々が作った“モノ”に魔法をかける。そのサイクルの中で、次から次へと新しい物や技術が生み出されていった。周囲から隔絶されたその王国は、同じ時代の他の国々と比べて、非常に高度な文化や技術を持っていた」


「幻の王国……」


「私は、その国の最後の王だった」


 ダンの瞳が、眼鏡の奥で微かに揺れた。その顔に別の人間の顔が重なる。――ラゴウ。

 サクは混乱し、熱を帯びた頭を手で押さえた。


「サク。なぜ魔法は、人が作った“モノ”にのみかけられるか、分かるか? それは、人の手によって作られた“モノ”には、“気”が宿るからだ。魔法は“気”をエネルギーとし、そのエネルギーに働きかけることによってかけられるんだ。

 “モノ”が壊れたり、古くなって劣化したりすると、“気”が弱って魔法の効力を失ってしまう。しかし古い“モノ”にも、強い“気”が宿ることがある。例えば手紙やはがきは、強い想いを込めて書かれたその瞬間に、“気”が宿る」


 サクの頭に、財布の中にある絵はがきが浮かんだ。ユカリによって書かれた瞬間に、“気”が宿り、発動した魔法によって自分の元へ届いた。そして届いたその瞬間に、魔法の効力が消失した。


「だが、それよりもさらに強い“気”が元々宿っている“モノ”がある」


 ダンはアサヒに目を向けた。アサヒは呟くように答えた。


「人間」


「そうだ。人間だ。“気”はそもそも人間が持っているものなんだ。

 人間の“気”は、肉体の内側にある“魂”から発せられる。発せられた“気”は身体から溢れ、ベールを纏うようにその者を覆い尽くしている。たとえ肉体が死を迎えても、“魂”が飛び立っても、“気”はある程度の期間、朽ちてゆく肉体の周囲にとどまり続ける。

 人間に魔法をかけるには、身体の表面にある“気”ではなく、その元である“魂”に働きかける必要がある。しかしそんなことは、代々の魔法使いの王であり、歴代最高の力を持つこの私でも不可能だった。

 ……だがそれを、いとも容易く実行できる魔法使いが一人だけ存在した。その魔法使いは、人間に直接魔法をかけただけでなく、国じゅうの人間の“気”を集めて、“禁忌の魔法”を発動した。“気”を吸い取られる過程で、人々は意識を失い、死に至った。そして“気”を完全に失くした人間は、跡形もなく消え失せた」


 ダンは淡々と言葉を紡いだ。


「さらに“禁忌の魔法”は、王国の北東の端にあった鉱山にも影響を及ぼした。その鉱山には、そこでしか採れない貴重な金属、“プテロ銀”が眠っていた。“プテロ銀”は、“気”と“魔力”の両方を増幅させる性質を持っている。魔道具の原材料として、これ以上に有用なものは存在しない。

 なぜ採掘される前の鉱石の状態で、魔力の影響を受けたのかは、今もって不明だ。そもそもあのオーロラのような光が、“プテロ銀”の発した光であるという明確な根拠はない。

 だが、大地を裂くほどの強烈な力。一つの国を滅ぼし、今もなお人間の“気”を取り込み続ける強力な魔法。それが、一人の魔法使いによってなされたものであることは明らかだ」


 サクは頭にあてた指先に精一杯の力を込めた。錯乱して、おかしくなりそうだった。体の感覚が麻痺して、自分が今立っているのかどうかさえ分からなくなった。

 ダンはサクをじっと見下ろした。


「サク」


 声が、低い鐘の音のようにサクの頭に響いた。痛みと混乱が、風に吹き飛ばされたように瞬間的に消え失せる。


「思い出せ。お前が見た幻影は、誰の記憶か」


「誰の……記憶……」


「――サク」


 今度はアサヒの鈴の音のような声が、右耳からスッと入り込んできた。おそるおそる右に顔を向ける。

 アサヒは、耳の上にある髪飾りに触れた。


「この髪飾りは、サクがくれたものだったんだね」


「……俺が……僕が……あげた……。アサヒに、会いに来てくれるように……願いをこめて……」


「お前は、私がドアにかけた魔法を解き、王宮の隠し部屋へやってきた。そこで眠っていたアサヒに『“モノ”をなおす魔法』をかけた。……そしてさらに、“禁忌の魔法”『不老不死』の魔法をかけたんだ」


 サクはゆっくりと、崩れ落ちるように地面に両膝をついた。アサヒが静かにサクの前に立つ。


「――二百年前。わたしは気がつくと、全く知らない場所にいた。自分がどこから来たのかも、自分の名前も、何も分からなかった。その代わり、右手に、人の怪我や物を“なおす”不思議な力が宿っていた。わたしはアリス・エイオスと呼ばれて、エクシオンの人たちから神様の使いとして崇められた。

 やがて争いが始まって、わたしは負傷したエクシオンの人たちや、壊れた武器を“なおし”た。来る日も来る日も……。このままでは駄目だと思った。わたしは最前線へ行って争いを止めようとした。銃弾が何発もわたしに向かって飛んできた。でも当たらなかった。周囲にいた人たちは撃たれて亡くなった。わたしはここにいてはいけないと思って、エクシオンを離れた。

 それから何年もさまよい歩いた。何年も、何十年も、ご飯を食べなくても平気。お金が無くても平気。誰もわたしを傷つけることはできないから、どんなに危険な場所にいたって平気だった。百年以上経っても、わたしは姿も声も、何も変わらなかった。

 わたしは街を離れて、“人が消える”と言われている、大陸の中心部に向かった。そこへ行けば、わたしの仲間に会えるかもしれないって思ったの。わたしが本当に神様の使いなら、神様がいるのかもって。……でも、誰もいなかった。わたしはそこで過ごすことにした。誰もいない、その領域で」


 サクは大きく見開いた目で、真っ白な地面を見つめた。アサヒはひと息つくと、再び口を開いた。


「ある日の朝、わたしの元に一通の手紙が届いた。そこには『アサヒへ』と書かれていた。なぜだかわからないけど、それがわたしの本当の名前のような気がしたの。

 わたしは手紙に書かれていた場所へ行った。その森で、わたしは“十六歳”の先生と出会った」


「十六歳……」


 サクは驚愕の表情のまま、ゆっくりと顔を上げた。


「わたしと先生が出会ったのは、サクが生まれる前のこと。……先生は、わたしに魔法がかけられていることを教えてくれた。そして、わたしに約束してくれたの。この魔法を解くことができる人に、必ず会わせてくれるって。

 でも、いつどこで会えるのかは教えてくれなかった。どんな人なのかも教えてくれなかった。その代わり、別れる直前に腕時計を見せてくれた。『この時計を再び目にした時、針の指す方へ進みなさい』と言って」


 その声は、冷たい風のようにサクの体をすり抜けていった。


「サクが初めて魔法を解いた時、絶対にこの人だって思った。わたしの魔法を解くことができる、世界でただ一人の魔法使い。わたしの会いたかった人。……だから、わたしは絶対に、あなたを失うわけにはいかなかった」


「……だから……いつも俺のことを心配して……」


 サクは小刻みに体を震わせた。沸々と、心の底から得体の知れない何かが湧いてくる。


「俺を、ずっと騙していたのか!」


 サクは腹の底から叫んだ。アサヒは湖のように静かな青い瞳を、真っ直ぐサクに向けた。


「わたしは、ずっとこの世界で生きてきた。わたしだけ何も変わらずに……。この先も、世界中の人たちがいなくなっちゃっても、わたしだけ変わらずにひとりぼっちで生き続けるの。それが、どれほど苦しくて、寂しくて、悲しいことか……想像できる?」


 声が微かに震え出す。アサヒは溢れ出す感情を懸命に抑え込むように、右手で胸を押さえた。


「わたしの姿は、何百年も前から変わっていない。心がここにちゃんとあるってことも、変わっていない。喜びも、怒りも、悲しみも、ちゃんと感じる。

 わたしはこの先、ずっとひとりぼっちで生き続けなくちゃいけないんだって思っていた。でも、先生と出会って、希望を持つことができた。サクと出会って、その希望はさらに大きくなった。サクと一緒に過ごしているあいだ、ずっと希望を持ち続けていられた。

 だから、とっても楽しかった。いろんな場所へ行って、いろんな人に出会って、いろんなことをして……でも、もうおしまい」


 アサヒはひと呼吸置いて、力強い声を発した。


「サク、お願い。わたしの魔法を解いて」


 サクは石のように硬くなった首をゆっくりと横に振った。


「嫌だ……絶対に、嫌だ。……俺は、この先もずっと、アサヒといたい。アサヒとずっと一緒にいたい」


「ずっと一緒なんて無理だよ。だって、サクが歳を取っても、わたしはこのまま変わらないんだよ? サクがおじいちゃんになっても、わたしはずっとこのまま……。もしサクが死んじゃったら、わたしはどうなるの?」


「死なない。俺は死なない。だったら、俺は俺自身に魔法をかける。それで、二人でこの世界で生きていけばいい」


「それは無理だ」


 ダンが遮るように告げた。


「お前は、アサヒが変わらず、永遠に生きる魔法をかけた。この世界に生きるすべての人間の“気”は、アサヒを生かし続けるために使われる。お前が自分自身にもう一度同じ魔法をかけることはできない」


「じゃあ、どうしろって言うんだよ! 何か方法があるんだろ!?」


「ない」


 ダンはきっぱりと答えた。

 サクはのどを震わせた。震えが全身に伝播する。拳をなんとか握って、立ち上がる。

 アサヒを見つめる。息を詰まらせながら、懸命に吐き出すように声を発した。


「俺は、アサヒが好きだ。世界中の誰よりも、アサヒが好きだ!!」


 アサヒはしばらく、慄然とした表情をしていた。湖のような瞳から、静かに涙が流れた。アサヒは涙で濡れた顔を緩やかに微笑みに変えて、


「さようなら、サク」


 そう告げると、背を向けて足を踏み出した。真っ白な世界に溶け込んで、消えていく。


「……アサヒ!!」


 追いかけようとしたサクの前に、ダンが立ちはだかった。


「行ってはいけない。この先はもう、“零域”だ」


 サクは呆然と立ち尽くした。涙と鼻水がとめどなく溢れ出る。

 サクは父の胸を激しく叩いた。何度も何度も、手から血が流れ出しても叩き続けた。


「……なんでだよ! なんでこんな場所まで来させたんだよ! こんなことをして……ただ俺を苦しめたかったのか!?」


 だんだんとダンの姿が薄くなっていく。真っ白な世界が元の神殿に変わっていく。

 ダンとラゴウの声が重なって、サクの頭に響いた。


「私の最大の過ちは、お前を――」


「ああああああああああ!!!!」


 サクは獣のように咆哮しながら、渾身の力で目の前の石の扉を叩いた。

 その瞬間、パリンッと何かが割れる音と同時に、「ドンッ」と大きな音がした。

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