(三)
「――今日はゴメンな」
帰り道、並んで歩く山野に謝る。
「ううん。別に大里くんは悪くないよ」
「なにが」ゴメンなのか。言わなくても、山野に伝わったらしい。
体育の時間の、山野のスケッチチラ見事件。僕が見たせいで、山野は描きかけの一枚を、顔を真っ赤にして、グシャグシャに丸めてしまった。
僕が近づいたことにも気づかずに、熱心に描いていたのに。ふざけて調子に乗った自分を、あれからずっと後悔していた。
(謝れてよかった)
そう思うけど、謝ってしまえばその先、会話が続かない。
健太や明音ちゃんがいれば、それなりにふざけたこと言って笑い合うこともできるけど、僕と山野だけだと話題に乏しい。僕もそうだけど山野も、あまり積極的に話す質じゃない。だから、こうして二人並んで歩道を歩くしかないんだけど。
時折、僕らのそばを通り過ぎていく車。
この時間、まだ明るいせいか、車はライトを点けてないか、点けていたとしてもせいぜいフォグランプ程度。夕暮れの明るさを邪魔する光は通り抜けていかない。
「キレイだよね」
「え?」
「夕焼け」
「ああ。そうだね」
唐突な話題。ちょっと驚き返事をかえす。
目の前、ちょうど西に向いて歩いてるせいで、藍色の山に向かって、空が赤く色づいてるのがよく見えた。
「ほんと、キレイ」
「うん」
山より少し手前、横に伸びる雲は、太陽の光を受けて、淡い灰色とオレンジに染まってる。近くにある里山の木々は、新緑のはずなのに、その葉先にオレンジが混じって不思議な色合いになってる。歩道の隣、ガードレールの先にある海は、本来の灰水色と、空の茜色を混ぜた不思議な色合いに染まってる。島影は、遠くの山とは違う黒っぽいシルエット。
自然ってスゴいよな。
誰が筆をふるったわけでもないのに、こんなキレイな景色を描きあげてしまうんだから。
見慣れた景色なのに、こうして改めて言われると、とてもキレイに感じる。
いつだったか。確か、小学校の図工の時間。校庭の風景を描いてた時、草も木の葉も全部緑と黄緑の絵の具でペタペタ塗ってたら、先生に言われたんだ。「自然の色は、絵の具から出した色じゃないですよ」って。緑に見えても、少し黄色っぽかったり、赤味がかってたり。茶色、黒、意外と青なんかも混じってたりする。絵の具から出したまんまの色じゃ、それは表現できない。だから、絵の具の色を混ぜろ。
あの頃は「緑は緑じゃん」と反発したかったけど、今なら先生の言ってた意味がわかる。
自然は絵の具の色じゃ構成できない。
(あ、甘い……)
自然をジックリ見ていたせいか。曲がった道の先から、かすかに漂う香りに気づく。
「みかん、咲いてる」
山野も気づいたんだろう。僕が言い出す前に、答えを言った。
ゆるやかな登り坂。民家の庭に立つみかんの木。濃い緑の合間から、白い小さな花をたくさん咲かせていた。道に沿う塀からこぼれるように花がこっちに溢れてきてる。白い花弁に黄色いおしべ。とっても愛らしい。けど。
「いい匂いだね」
香りをもっと味わおうと、それまでと歩く位置をそれとなく入れ替える。道の端を僕が歩いて、山野を車側にチェンジ。
「……フフッ」
なぜか、山野が笑う。
「やっぱり、大里くんって優しいね」
「優しい?」
「ミツバチ、見つけたんでしょ?」
だから、歩く側を入れ替えた。
この坂道、そうそう車が上がってくることはない。けど、みかんの花にいたミツバチは、いつこちら側に飛んでくるかもしれない。
「気づいたの?」
僕の配慮に。
「うん。だって、ちょっとわざとらしかったし」
そっか。さり気なく入れ替わったつもりだったけど、わざとらしかったか。
「大丈夫だよ、ミツバチは滅多に人を刺したりしないから」
ハチの一刺し。
ミツバチは、人など柔らかい皮膚を持つ動物を刺すと、その毒針が抜けず、無理に抜けば腹部からちぎれて死んでしまう。だから、ミツバチは滅多に刺さない。
わかってる。生物知識として知ってはいるんだけど。
ハチなんて、ここに来るまで滅多に見たことなかったから、知識としてわかっていても、やはり警戒してしまう。
ザアっと、風がみかんの木を揺らして吹き抜ける。揺れた枝葉に弾かれたように、ミツバチが飛び立った。
「フフッ。だから、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
ビクっと身体が震えたのを、バッチリ見られてしまった。みかんの木と同じく、風に乱された髪を押さえ、山野が笑う。
「しょうがないだろ。僕、こっちに来てまだ三年、そんなに見慣れてないんだから」
なんだか恥ずかしくて、つい口を尖らせる。
「見慣れてないって。この先、みかん農園実習があったらどうするの?」
「全力で逃げる」
「ナニソレ」
クスクスと、また山野が笑いだす。今日の山野はよく笑う。
去年の校外学習は、「養殖筏の鯛を学ぶ」だったけど。今年のが、「みかん農園で実習」だったら。健太と違って、海の上は全然平気だけど……。ミツバチがいないことを切に願う。
「でも、そっか。大里くんがこっちに来て、もう三年になるのかあ」
笑い終えた山野が、感慨深そうに言った。
「なんか、もっと昔から、ずっと知り合いだったような気がするから。そっか。まだミツバチも見慣れないぐらいの時間しか経ってないのかあ」
この町、特に山側にみかんの木は多い。こうして民家の庭に植えられてることもあるし、もっと登っていけば、いくつかみかん農園が斜面を埋め尽くしている。どうかすると、ミツバチを飼って、ハチミツを売り出してる農園もある。
そのミツバチを警戒してしまうぐらいの時間しか、僕はまだこの町に馴染んでいない。
わずか三年。まだ三年。でも山野にしてみれば、もう三年。
長く知り合いだったように錯覚してるのは、僕も同じ。
編入してきた中学二年の時からずっと。こうして毎日、中学も高校もいっしょに通ってたから、山野とは長いつき合いのような気がしていた。
でも、まだ三年しか過ぎてない。
言われて、僕もそのことに気づかされた。
(この先、あと何年、こうしていっしょに登下校するんだろうな)
登下校じゃなくてもいい。こうして並んで坂を登るのは、あと何回あるんだろう。
少なくとも、高校卒業までは絶対。高校卒業してからは、――どうなんだろう。
山野は、この町にとどまるんだろうか。僕は、この町を出ていくんだろうか。
高校を卒業して、進路はバラバラになって。たまに、同窓会と称して、みんなで集まることはあるだろうけど、こうして坂を登ることはないんだろうな。きっと。
「山野はさ、将来どうするとか考えてるの?」
「え? 将来?」
「うん。卒業したらどうするか、とか」
そういえば、そんな話、したことなかったな。
たった三年を、もっと長く感じるまでいっしょにいたのに。そういう話をしたことなかった。
「画家になるとか、そういうの目指してたりするの?」
「画家?」
「じゃなきゃ、マンガ家とか、イラストレーターとか」
「なんで、絵を描く系の将来ばっかりなの?」
「いやだって。山野、メッチャ絵、上手いじゃん」
首を傾げた山野に答える。
「あれだけ上手けりゃ、将来、絵で食ってけるんじゃないか?」
「無理だよ。わたしぐらいの人なんて、他にいくらでもいるし」
「そうかな。僕にしたら、あんなに上手い人は滅多にいないと思うけど」
「褒めすぎ。でも、ありがと」
照れながらも、素直に称賛を受け入れてくれた。
「わたしね。もちろん自分の食い扶持は自分で稼ぐけど。でも、もっと別の夢があるんだ」
「別の夢?」
「うん。すっごく単純で、でも、とってもステキなステキな大きな夢」
軽く駆けて、数歩先を行った山野。
「けど、教えてあ~げない」
「なんだよ、それ」
ふり返り笑う山野を、僕が追いかける。
初夏の湿った海風が止み、凪を経て、山から吹き下ろす涼しい風。淡く日差しの残りだけ映し出す空。闇に落ち始めた道路。
その中で。
僕は、とても心地よかった。