またね。
「やっぱり来ちゃったんだね、大里くん」
弱々しく。でもしっかりした言葉で話した山野。
淡いピンクのパジャマ。鼻に通したチューブ。腕に刺さった点滴の管。そういうのがなかったら、ただの「起き抜けの山野」の姿なのに。いや。
神妙な顔の山野の両親。おばあさん。そして寧音さん。
彼らの存在が、ただの寝起きじゃないと物語る。
「この間、夢で大里くんのこと見ちゃったから。もしかして来るかなって思ってたんだけど。当たったね」
僕が病室に入ると、それに代わって山野の家族が静かに外に出ていく。
僕と山野。二人だけにしてあげようという心遣いかもしれないけど。
「山野……」
呼びかけて。その先をどう話したらいいのか、わかなないまま、病室に静寂が訪れる。
ベッドに横たわる山野は、普段と違って、とても小さく細く、薄く、頼りなく見えた。
「わたしね。生まれた時から、心臓がポンコツだったんだ」
ポツリと、山野が語り始めた。
「覚えてないぐらい小さいころから手術をくり返したんだけどね。完治は難しくて。身体が大人になる、思春期を越えられるかどうか。十五まで生きられるかどうかって言われてたんだ」
言いながら、山野が、ベッドのリクライニングボタンを押した。横になりながら喋るのは難しいと判断したのだろう。
支えるように手を伸ばすと、「優しいね」と微笑まれた。
「でもね。わたし、その宣告を破ってやったの。十五って言われたけど、十六になった今も生きてる。すっごく『どやっ!』って気分」
山野の話を聴きやすいように。一字一句聞き漏らさないように、ベッドの近くにあった丸椅子に腰掛ける。椅子を引っ張ったことで、床がガガガッと無骨な音を立てた。
「わたしがね、ここまで頑張れたのは、きっとおそらく大里くんのおかげなんだよ」
「僕の?」
「うん、僕の。だって、仁木島に越してきた頃の大里くんって、とっても頼りなくって。わたしがなんとかしてあげなきゃって思ったんだよ」
「頼りないって。ヒドいな」
「でも、大里くんって生きがいができて、ここまでこれた」
ニコッと笑った山野。点滴のついてない右手を、僕へと伸ばす。
「ありがとうね。わたし、とっても楽しかった。幸せだった」
「そんなこと、言う……なよ」
その手を掴む。声が震えた。
「わたし、(仮)でも大里くんのカノジョになれてうれしかった。いっしょにパキコ食べて。わたしのおにぎり食べてくれて。いっしょに出かけて。いっしょに歩いて。いっしょに、自転車……のっ、てさ……」
「うん」
山野の声も震えた。
「ほんとはっ、もっと早、くっ、大里くんの人生から、フェードアウトっ、しなきゃいけな……、かったの、にっ! できなっ……かっ、た!」
声に嗚咽が混じる。
「すんなよ。フェードアウト。ずっとインしててよ」
我慢できなくて、その細い身体を抱き寄せる。
ずっと僕のそばで笑ってくれよ。ずっと僕といっしょに笑ってくれよ。
「大里くん……っ!」
山野の涙腺が崩壊した。
*
「そういやさ。漁協の青年団が、花火大会計画してるんだって」
僕が来てから、どれぐらいの時間が経ったんだろうか。
山野の細い手を握り、彼女に寄り添い話しをする。
外の雨はもう降ってない。濡れた窓ガラスも夜の風に吹かれて乾いている。
今はまだ曇ってるけど、もうしばらくしたら、東の空が赤く焼けて、藍色は西へと追いやられる。まだ薄暗い病室にも、まぶしすぎる日差しが溢れる。抜けるような真っ青な空。晴れて蒸し暑い一日が始まるんだろう。
「資金もそれなりに集まっててさ。この夏に実行できるんじゃないかって」
ここへ来る途中、航太さんが気を紛らわせようと語ってくれたこと。
「まあ、集まった金額が金額だから、そこまで大規模にするのは難しいらしいんだけど。でも、昔みたいに仁木島に花火が上がるんだ」
「そうなんだ」
泣き止んだ山野。僕に身を寄せ、静かに話す。
さっき握った手。それをずっと離さずにいる。
「だからさ。山野も元気になって、いっしょに見ような」
「うん。そうだね。見たいね花火」
見れないかもしれない。
見ることは叶わないかもしれない。
そんな暗い未来を肌に感じてても、花火に望みをかける。
僕を生きがいにして宣告を突破したのなら、僕と花火を見ることに望みを繋いでもいいじゃないか。
そうだ。そうだよ。
花火に望みを繋いで。そこから、アッサリ「あれはなんだったんだ?」って脅威の回復をみせてさ。「今こうして泣いたことが恥ずかしい。映画のヒーローヒロインやってんじゃねえよ」って笑い飛ばせるようになるんだ。
学校で。帰り道で。神社で。海で。美浜屋で。
くだらないことに笑って、思いっきりバカやって。
そうだな。
誰も知らないような、スッゴいアオハルをやる。
まずは、真夏の仁木島で、いっしょに手を繋いで歩くんだ。かいた手汗に、ちょっと恥ずかしいななんて思いながら。暑かったら、美浜屋でパキコを買って。神社の石段に腰掛けてサイダー飲んで。赤く染まっていく空の下、ワンピースを着た山野と波打ち際で追いかけっこでもするんだ。健太が妄想を披露してた水着、いっしょに泳ぐってのもいいかもしれない。
みんなでいっしょに夏休みの宿題して。「丸写し、頼む!」って健太が拝んできて。たまには遠征して、街にくり出したり。それこそナントカペチーノとかクレープをいっしょに食べるんだ。映画を観に行ったり、遊園地に行ったり。それか、去年遠足で行った水族館。あの静かな水族館で、青い海を感じながら手を繋いで歩いてもいい。意外とペンギンって生臭いんだねって笑ったりして。
それから、それから――。
「ねえ、大里くん」
僕の想いを遮るように、山野が僕の名を呼んだ。
「花火って、どこから見てもまんまるなんだって。知ってた? 上から見ても下から見ても、どこから見てもまんまる、見える形はおんなじなんだよ」
「あー、うん。テレビかなんかで言ってた」
「そっか。知ってたか」
深く息を吐き、口元を緩めた山野。
「じゃあ、実証実験しなくちゃね。花火大会。ホントに、どこから見てもまんまるなのか確認しなきゃ」
「そうだね――って、苦しいのか?」
「うん。ちょっとだけ。喋りすぎちゃったのかな。眠くなってきちゃった」
少し息が浅く荒くなってる。急いでリクライニングボタンを押し、彼女の身体を横たえる。
「ねえ、大里くん」
「なに?」
「ううん。なんでもない」
軽くまばたきした山野。
「陽くん。またね」
柔らかく。それでいてハッキリと僕を見た山野。
「ああ。またな、未瑛」
初めてその名前を呼ぶ。想いを込めて。
「幸せだなあ」
目を閉じた未瑛が囁く。
「未瑛――?」
窓から差し込んだ光が、閉じられたまま、二度と開かれることのない瞼に、まつ毛の影を色濃く落とす。
その形のいい愛らしい唇は、二度と僕の名前を囁いてくれない。
夏の白い日差しの中で。山野未瑛は、十六歳の短い生涯を終えた。
そして。
彼女が煙となって空に昇った日。
仁木島町には、梅雨明けが宣言された。
雨は降らない。これからは、肌を刺すような日差しが仁木島に溢れかえる。
仁木島に、未瑛がいない夏が来る。